28 恋愛の行方
会社では相変わらずの日常が続いている。
あの夜から、数日がたった。
平和だ。
特にあれから動きはなく、古野沢さんからの連絡もない。
実際には、何も解決していないんだけどな。
今、できるここともないし、このサラダチキン楽し
もう。
コンビニでチョイスに迷った時気がついたら手に取っていて、これでいいかってなる。妥協かもしれないが、それがいい。
この味気ない感じがクセになるのだ。
今いる休憩スペースは食堂と違って人が少ない。
机と椅子はまばらに設置してあって、ソファ席も数席ある。
基本的に、コーヒー休憩の時かコンビニで買ってきたものを食べる時に利用する人が多い。
大体の人はコンビニより安い食堂を利用するが、俺はこの人の少ない空間を気に入っている。
――そんな平穏な昼休みに、携帯が震えた。
古野沢さんからだった。
『証人さん、今夜時間ある?』
『桃子さんが、話したいことがあるらしくて』
『ステイルに来てほしいって』
束の間だった。
というか、桃子さんが?俺に?
『分かった。何時に?』
『20時で大丈夫?』
『了解』
短いやりとりを終え、俺は携帯を置いた。
休憩スペースで一緒に弁当を食べていた宮沢さんが、不思議そうにこちらを見ている。
同じチームになってからは、この時間が日常になった。
「先輩、なんかあったんですか?」
「……いや、ちょっと知り合いから連絡が」
「また女の子?」
「またってなんだ……またって……」
身に覚えなのない物言いに、思わず肩を落としてしまう。
「最近、先輩なんか変わりましたよね」
「変わった?」
「はい。前より……なんていうか、しっかりしたっていうか、あれ?疲れた顔してないだけか」
「なんなんだよ……」
ナチュラルに失礼な気がするが。
「前はもっとフワフワしてたのに」
……ナチュラルに失礼な気がするが。
「いいことだと思いますよ」
宮沢さんは笑って、また弁当に視線を戻した。
この様子、本人は褒めたつもりなんだろう。
変わった、か。
自分では気づいていなかったが、確かに何かが変わったのかもしれない
★
夜、ステイルの前に立つ。
扉を開けると、いつものジャズが流れている。
カウンターには数人の客。
奥のテーブル席には――桃子さんがいた。
「いらっしゃい」
響子さんが軽く手を上げる。
今日は杏奈さんはいないんだな。
まぁ、平日真っ只中だし、バイトをいれるほどでもないのか。
「こんばんは」
軽く会釈をして、桃子さんのいるテーブルへ向かう。二人だけの空間だ。
「……正寿くん」
桃子さんが顔を上げた。
あの夜、杏奈さんから聞いた話を思い出す。
真っ青な顔で、震えながら、それでも最後には「終わりにする」と言い切った彼女。
今、目の前にいる桃子さんは――
少し疲れた顔をしているが、目には確かな意志が宿っていた。
「お久しぶりです」
俺はテーブルの向かいに腰を下ろした。
「……ごめんね、急に呼び出しちゃって」
「いえ、大丈夫です」
桃子さんは、テーブルの上で組んだ手をじっと見つめている。
「あの……まず、お礼を言いたくて」
「お礼?」
「正寿くん、色々動いてくれていたんでしょう?そのお礼、ちゃんと言いたくて……」
「いえ、俺が勝手にやったことですから……」
「それでも、ありがとう」
桃子さんはペコリと頭を下げる。
律儀な人だ。「勝手なことしないで!」と怒られる可能性った話だ。なのに、彼女はこうしてお礼を言ってくれている。
「こっちも動く理由がありましたから、気にしないでください」
俺がそう言ったタイミングで、響子さんがグラスを持ってきた。
俺にはジントニック、桃子さんには――
「カシスソーダです」
あの日と同じだ。
「ありがとう、響子さん」
響子さんは何も言わず、カウンターへ戻っていった。
「……で、相談って?」
俺がグラスを傾けながら聞くと、桃子さんは少し俯いた。
「あれから彼に何度か別れを切り出しだんだけど……」
桃子さんの声は小さく、震えている。
「『冗談だろ』『ちょっと待てよ』って。話を聞いてくれないの」
その言葉に、胸が締め付けられる。
「LINEでも、電話でも、何度も言ったんだけど……『会って話そう』『落ち着いて考えろ』って」
まだ、その状況が続いていたか。
もうあいつ(瀬川)の常套手段だな。
「それで……どうしたらいいか、分からなくなっちゃって」
そもそも、それで別れることを回避できている状態なの?結婚にしているわけでもないんだし、恋人関係なんか片方が終わりを告げた別れは成立するのでは……。
そんな理屈が通用するならこんなことにかってなってないか。
「『直接話をしたい』って言われてるけど、杏奈ちゃんから聞いたことを思うと怖くて……」
何をされるか分からない状況で、そんな言われても恐怖でしかないだろう。
とはいえ、どうしたもんか……。
「それなら……あたしが行く」
背後から、低く、でもはっきりとした声がした。
振り向くと、そこには古野沢梨里が立っていた。
「古野沢さん……」
彼女は静かにテーブルへ歩み寄り、俺の隣に座った。
金髪が揺れて、ジャズの柔らかな照明を反射する。
「私が呼んだの……。正寿くんだけに話すのも違うと思って……」
そうか。そもそも桃子さんに瀬川の浮気ことを伝えたのは古野沢さんだ。
この場で俺にだけ現状を話すのも不義理な気がしたんだろう。
「古野沢さん、行くってどういう……」
「そのまま意味よ。あたしと桃子さんが二人並んだら、向こうも要件わかるでしょ」
古野沢さんは少しだけ笑みを浮かべる。
その笑顔は、強さだけでなく優しさも含んでいた。
確かに、向こうにとっては地獄絵図だろう。
二股かけた2人が一緒に目の前に現れるのだから。
「でも、梨里ちゃんも危ないんじゃ……」
「大丈夫です。あたし強いんで」
そういう問題じゃないだろ……。
なんでこの子、たまに脳筋モードになるんだろう。
強いとか弱いとかの問題じゃない。安全第一だろうに。これが強者にメンタルか。
古野沢さんは、そんな俺の表情も気にせず、軽く肩をすくめる。
「まあ、心配しなくても平気よ。証人さんも一緒だし」
……いや、それでも危ない気しかしないんだけどな。
でも、確かにこの三人で行くなら、桃子さんも少しは心強いのかもしれない。
「それで?向こうからの呼び出しに応じるってことか?」
「そう。あたしが桃子さんに同行する。証人さんは少し離れたところから見張っててほしい」
古野沢さんが俺を見る。
その視線には、有無を言わさない圧力があった。
「……分かりました」
断る選択肢はなかった。
というか、二人だけで行かせるわけにもいかない。
「ありがとう」
桃子さんが小さく微笑む。
その表情には、安堵の色が見えた。
「でも、場所とか時間とか、どうするんですか?」
俺が聞くと、桃子さんがスマホを取り出した。
「私から連絡するよ『会う』って」
「じゃあ、決まった時間に合わせて動きましょう。場所は教えてもらえますか?」
「うん。決まったら連絡するね」
テキパキと話が進んでいく。
そうだ。このまっすぐさが古野沢さんのいいところだ。
やっと今まで辛い事実しか伝えれなかったのが、やっと自分が役に立てる場面が来て嬉しいのだろう。
イキイキしている。
「……ありがとう、二人とも」
一段落して、桃子さんは改めて俺達の方へ身体を向ける。目には、涙が浮かんでいた。
でも、それは悲しみの涙ではなく──
「絶対に、終わりにするから」
その言葉には、強い決意が込められていた。
カウンターから響子さんがこちらを見ている。
何も言わないが、心配なのだろう。
ジャズの音色が、静かに店内を満たす。
いつも聞いている曲のはずなのに、今は心にすんと入ってくる。
なんだかんだでここまできた。
いよいよ、この問題に決着をつける時が来る。
この恋愛は、どこへ行くのだろうか?




