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09 思わぬ遭遇、動揺

「……三浦くん?」


駅前広場のざわめきの中でも、その声だけははっきり耳に届いた。


ベージュのニットに薄いグレーのカーディガン、黒のロングスカート。

仕事中まとめられている髪あはおろされている。


休みの日に何度か見たコーディネート。

胸が勝手にドキドキするのが止められない。


仕事が終わってから、わざわざ着替えて出てきたのか。


髪もまとめずにおろしていて、夜の光にさらりと揺れていた。


しっかりおめかししている姿をまだ綺麗だと思ってしまう。


胸の奥に沈殿していた痛みが、一気に浮かび上がってた。


「知り合い?」


隣で古野沢さんが俺と安藤さんを交互に見て、不思議そうに首を傾げた。


――言葉が出ない。

逃げたいのに足が動かない。


「……うん、まぁ、会社の同僚」


絞り出すように答えた声は、自分でも驚くほど掠れていた。


安藤さんはほんの一瞬だけ視線を泳がせ、それから小さく息を吸った。

何か言おうと口を開きかけて――だがその言葉は、広場のざわめきに飲み込まれた。


「へぇ、同僚さんなんだ」


興味深そうに目を細め、俺と安藤さんを交互に見比べる。

にやっと笑うその表情は、探るというより単純な好奇心に満ちていた。


「……こんばんは」


安藤さんがようやく声を発した。

けれどそれは、どこか力なくて、普段の彼女らしい凛とした響きはなかった。


「こんばんはー」


古野沢さんが人懐っこく返す。

対照的に、俺の喉は固まったまま音を作れない。


桃子さんの時もそうだったけど、この子、女の人相手だと物腰の柔らかいんだよな。


いや、俺の初対面が特殊すぎただけか。


「証人さんの同僚さんってことは、同じ会社なんですね!」

「証人さん……?」


古野沢さんが軽い調子で話題を振るが、安藤さんは知り合いの馴染みのない呼び名の明らかに困惑している。


というか、古野沢さんのテンションが妙に高い気がする。


なんで楽しそうなんだ。


空気読めなさすぎだろ。

いや、読んでないんじゃなくて、わざと壊してるのか?


ステイルで辛口な杏奈さんを制止していた様子と違いすぎて違和感がある。


「そうなんです、三浦くんとは同期で……」


安藤さんはかすかに微笑んだ。


けれどその声音は、いつもの職場で聞く

落ち着いた調子よりも少し低く、慎重に言葉を選んでいるように聞こえた。


「同期かぁ。じゃあ、いろいろ一緒に頑張ってきたんですね?」


古野沢さんが目を輝かせて身を乗り出す。

まるで面白いドラマを見つけたみたいな反応だ。


「……まぁ、そうですね」


安藤さんは視線を逸らしながら、曖昧に答えた。

その笑みはどこか硬い。


だめだ、限界だ。

さすがに動かないと。


「安藤さんがこの辺いる珍しいな、なんか用事?」


声を出すと、喉がかすれる。

無理やりひねり出したせいで、ぎこちなさが際立ってしまった。


「……ええ、ちょっと。友達と約束があって、今帰るところなの」


安藤さんは淡々とそう言いながら、ほんのわずかに視線を落とした。

それだけの仕草で、胸の奥がざわつく。


まだ、その友達が男か女か気になってしまっている。

完璧に振られたくせにな。

もう関係ないはずなのに、心のどこかで答えを探そうとしてしまう自分に、嫌気が差す。


「へぇー、じゃあ夜ごはんとか一緒に?いいなぁ」


相変わらずこの金髪ギャルは無邪気に笑い、場を軽くするように言葉を放つ。


どうやら、この場ではこのスタイルを貫くみたいだ。


けれど俺の心には、その明るさが余計に痛く響いた。


「友達がこのあたりに住んでるから近くでご飯食べてたの。そういえば、三浦くんも家近い近いんだっけ?」

「そうそう、よく行ってる店の帰りでさ」


俺が曖昧に返すと、古野沢さんがぱっと目を輝かせた。


「へぇー!じゃあ、ほんとに偶然なんですね!……あ、そうだ」


彼女はくるりと安藤さんの方へ体を向ける。


「私、古野沢梨里っていいます。証人さん――じゃなくて、三浦くんと最近ちょっと縁があって」


ぐっと安藤さんの方に手を差し出す。

そのあまりに人懐っこい仕草に、安藤さんは一瞬だけ瞬きをした後、ゆっくりと受け取った。


「……安藤聖です。さっきも言った通り三浦くんとは同期でお世話になってます」


そうだよね。名前以外でもう付け足すものないよね。


声は落ち着いているのに、握手の動作がほんの少しだけ固い。


安藤さんはすぐに手を離し、ほんのわずかに肩をすくめるように立ち位置を戻した。

それだけの仕草なのに、壁のような距離感がはっきりと見えてしまう


「へぇー、聖さん……って呼んでいいですか?」


壁なんて意に介さないように、屈託なく笑う古野沢さん。


「……お好きに」


答えは柔らかい調子なのに、どこか張りつめている。


俺はその間に立ちながら、二人の間に流れる温度差をまともに浴びてしまっていた。


古野沢さんの明るさが強調されるほどに、安藤さんの硬さが際立つ。


そしてその両方が、俺の胸の奥をじくじくと刺激してくる。


「……安藤さん、そろそろ終電やばいんじゃないの?」


耐えきれなくなり、

ただ場をつなぐための言葉だったはずなのに、自分の声がやけに尖って聞こえる。


「……そうね。そろそろ帰らないと」


安藤さんはわずかに頷いて、腕時計へちらりと目を落とした。

その仕草が妙によそよそしくて、胸がざわつく。


「えー、もう帰っちゃうんですか?」


残念そうに身を乗り出す古野沢さん。

けれどその瞳は、からかうでもなく純粋な驚きでいっぱいだ。


「ごめんなさい。また……会社で」


安藤さんは一瞬だけ俺に視線を投げた。

触れたかどうかも分からないほど淡い視線で。


そのまま彼女は人ごみに紛れて、あっけなく姿を消した。

取り残された俺は、立ち止まっている理由もなくて、「帰るか」と小さくつぶやき、気の抜けた足取りで歩き出す。


カツン、と靴音が広場の石畳に乾いた音を響かせた、そのとき――


「振られたのって、あの人でしょ?」


背後から投げかけられた声が、不意に背骨を走り抜ける。

足取りは止めずに、一呼吸した。


「……そんなわかりやすかったか?」

「わかりやすいどころじゃないって。聖さんと目が合った瞬間に顔にバーッて出てたもん。

『うわ振られた子とこんなところでバッタリ遭遇しちゃった!気まずい!どうしよう!とりあえず笑っとく?いや無理、顔ひきつってる!でも、黙ったらもっと気まずい!やばい、喉カラッカラ!なんでよりによって今!? 誰かどこでもドアだして!』って」


本当にそれが、書いてあったとしたら、俺の顔は真っ黒だろう。


でも、そうか。

これだけバレているということは、安藤さんにも俺の動揺も伝わってそうだな……。


古野沢さんは口元だけ笑いながらも、目はまっすぐ俺を射抜いていた。安藤さんがいたときの笑顔とは、随分印象が違う。


ふざけているようでいて、その視線には余計な飾りがない。


「やっぱり、気を使ってああいうムーブしてたのか」

「だって声かけられた瞬間、鳩が豆鉄砲を食ったよう顔してたよ。あのままだったら、地獄みたいな空気が流れるだけだったし……」

「悪い……」

「別に。悪いとかじゃないし」


古野沢さんはひょいと髪をかき上げ、わざとらしく肩をすくめる。

その仕草は軽いのに、目だけは真っ直ぐだった。


「……たださ、見てる方も息苦しくなるんだよ。そういう空気」


笑っている口元とは裏腹に、その声色はほんの少しだけ静かだった。

さっきまでのテンションの高さが嘘みたいに。


「だから、あたしが間に入って壊した。あんまり上手くはできなかったけど……」


淡々とした言葉なのに、胸の奥に突き刺さって抜けない。


――あの場で『ギャル』を演じて空気を壊してくれたのは、俺を守るためだったんだ。

明らかに動揺している俺に気づいて、わざわざ明るさを被ってくれた。


ふざけたように見えて、間違いなく優しい。

空気に耐えられなかったのもあるかもしれないが、俺が救われたのは事実だ。


「ありがとう」


たったそれだけ。

梨里が一瞬だけ照れたように視線を逸らす。

その仕草に、こちらまでむずがゆくなる。


間を埋めるみたいに、彼女がぽつりとこぼした。


「……聖さん、なんで声をかけてきたんだろ」


わざと独り言みたいに軽く言ったが、照れを隠す響きが混ざっていた。


「知り合いとバッタリ会って声をかけるなんて、そんなにおかしくはないだろ」

「普通はね。でも振った相手にわざわざ声かける?」

「それは分からないけどさ……」


そういう女性の心理を理解できていたら、きっと今みたいに夜風に晒されてウダウダしていない。


一度終わったものを頭の中でまだ握りしめて、みっともなく立ち止まってはいないはずだ。


切り替えて、「次!次!」と前を向けているだろう。


「あたしも好きな人ってできたことないからなぁ」


最近まで、彼氏持ちだった人のセリフとは思えない。


「付き合ったのは……そうか、恋愛を知りたかったって言ってたな」

「うん……。でも、そんな理由で付き合っちゃったから、こんなことになってるんだろうけど」


特徴的な金髪が歩きながら揺れるのに合わせるように、軽い調子で言った。

けれどその目の奥には、どこか空っぽな影が見えた。


「好きでもないのに、付き合って……。何が普通の恋愛なんだか。何焦ってたんだろあたし」

「別に珍しくないんじゃないか?付き合っていくうちに好きになるパターンもあるって聞いたことあるきがするし」


ネットの知識だが。

我ながら弱いフォローだと思う。


「うん、わかる。友達にも言われた」

彼女は肩をすくめた。


「でも、私には一度も訪れなかったんだよね」

「そういうこともあるだろ」


その一言で片付けてしまうには、彼女が吐き出した空虚さはあまりに生々しい。

それでも俺には、他にかけられる言葉がなかった。


「ってちがうちがう。今は証人さんの話だ」

「俺の話はこれ以上ないよ」


無理矢理に話を変えてきたが、一刀両断する。


「へぇ、そう?」


古野沢さんは足もとをトントンとリズムよく蹴りながら、じっと俺の顔を覗き込む。

どうやら、斬れていないみたいだ。


「『これ以上ない』って言うときってさ、だいたい隠してるんだよね。ほんとはまだ続きがあるやつだ」


冗談っぽい声なのに、目だけは妙に鋭い。


「……さすが空手経験者、急所にストレート入れてくるな」

「ま、心得てますから」


古野沢さんはふふっと笑い、小さく拳を握ってポーズをとる。


おふざけなのに、様になっていて素直にカッコいい。


この子は───

古野沢 梨里は、ギャルの皮を被った不器用で真っ直ぐな女の子なのだ。

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