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SHINING SUN  作者: 世葉
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第一話 観測史上初

 今年も暑い夏だった。──そう言って夏が終わってくれるなら、どれだけ楽か。

 九月に入っても、空は真昼の炎を閉じ込めたまま、ちっとも離そうとしなかった。街路樹の葉は焼けたように色を失い、アスファルトの向こうに揺れる陽炎は、もはや午後だけの景色ではない。

 この夏は長く続くと、春先から言われていた。だが現実は、その予測を裏切る形でさらに酷く、さらに長いものとなった。


 原因は、我儘な太陽の気まぐれ──異常気象が叫ばれて久しい昨今だが、こればっかりは人間の活動をどう改めたところで、どうにもならない事だった。そして悪いことに、今年の太陽のご機嫌はただの気まぐれでは済まないほど、不貞腐れていた。

 天文学者たちは口を揃えて、今年の太陽は「観測史上初の異常活動」と呼んだ。そのフレーズは、もはや毎年耳にするありふれたものになっている。どうせなら、もっといい方向で「観測史上初」を更新して欲しいものだが……。


 ただそうは言っても、今年の異常は紛れもなく本物だった。太陽フレアは記録的頻度で吹き荒れ、観測史上最大級の磁気嵐が、今まさに地球を覆おうとしている。

 熱波は海風を変質させ、上昇した海水温は夜になっても下がらない。日本の沿岸部ではその風をまともに受け、海水浴はもはや温泉とさほど変わらないような有様だった。

 しかし、こういう異常が起こるからこそ、俺の仕事は必要とされる──それもまた事実だ。

 なぜなら、年中天気が安定しているなら、誰も天気予報なんて見やしないからだ。


 俺は、民間気象会社の契約観測員として、この島で暮らしている。

 気象庁みたいな公的な権限はないが、会社の観測網は全国津々浦々に広がっている。ひとつひとつはただの点だが、それらを集約し集合体として解析することで、一定の傾向や相関を把握することができる。

 特に、離島や山間部など空白地帯からのデータは、台風や異常気象が都市部に影響を及ぼす前の兆候を捉え、予測精度を高める上で重要な役割を果たしているのだ。

 とはいえ、俺がやっているのは学者のような研究じゃない。港の防波堤近くにある観測小屋で、観測機器のメンテナンス、データ取得と送信、現地レポートの提出──それが俺の仕事だ。天気を変えることはできないが、この観測装置が教えてくれる範囲でなら、何が起きているのかは誰よりも早く知ることができる。


 俺が生まれ育ったこの島は、天草諸島の中央にある、獅子島。熊本と鹿児島の県境に浮かぶ、小さな島だ。人口は数百人、フェリーは一日数往復。観光シーズンが過ぎれば、島の道を歩く人影もめっきり減る。

 今日は朝から風が重い。海の色も、夏の透き通った青じゃない。まるで溶けた鉛を広げたみたいに濁っている。

 気温はすでに三十二度。湿度は計器の針が指す通り、肌で嫌というほど感じられる。


 太陽フレアの異常活動が未だ継続する中、仕事用の端末を開くと、本土の本社からは「観測強化」のメールが届いていた。

 その内容は、”太陽フレアの磁場観測をすべての観測地点で始める”というものだった。

 それをしたところで何の意味があるのか、正直疑問に思うところはあった。だが、今の気象状況を考えれば、顧客のニーズに応える「訴求力を持った情報」として、本社には魅力的なのだろう。それで売り上げが増えるなら、何も言うことは無い。仕事は増えるが、それを拒否する権限などそもそも俺には無かった。


 そして、近々、そのための機器と、使い方を教えるサポートスタッフがこの島に来るらしい。

 離島の静けさに、少しだけ賑やかな風が吹く……そんな予感がした。


 ──しばらく業務を取りまとめていると、観測所の引き戸がガラリと開いた。

「やあ、おはよう」

 入ってきたのは、この島の観測所の所長、白石さんだ。所長といっても、ここで働くのは彼と契約社員の俺だけ。あとは、誰もいない。

 所長は、大学院で宇宙物理学を専攻した元教授で、職を退いたあとこちらに来て、今はもう七十を過ぎている。時間にはルーズで、見た目もそれに合わせるように、まったりとしているが、観測データの解析にかけては、一切妥協しない。

 それを証明するように、彼の机の上には、昨夜の観測データをプリントアウトした紙が几帳面に並び、付箋と書き込みでびっしり埋まっていた。


「おはようございます、白石所長。今日も暑いですね」

 手を止めて挨拶すると、白石さんは汗をぬぐいながら、にこりと笑った。

「ああ、暑いねえ。高梨君も、熱中症にはくれぐれも気を付けて、水分はこまめに取るんだよ。

計器は壊れても直せるが、人間はそうはいかないから」

「それは所長の方こそ」

 思わず言い返すと、彼は「ははは」と笑い、机の上の紙束を軽く叩いた。


「それじゃ、俺は観測小屋を回ってきます」

 そう言って席を立ち、外回りの支度を簡単に済ませた。

「いってらっしゃい」 所長は軽く手を振って送り出す。

「ああ、そうだ。本社から連絡があったので、目を通しておいてください。

なんでも、太陽フレアの磁場観測装置を、すべての観測所に新たに設置するそうです」 

 俺は出掛けのついでに、メールで見た内容を簡単に伝えた。


「……磁場観測、ですか」 所長はそう言うと、顎に手を当て、指先で無意識にひげを撫でた。

「ふーーん。太陽フレアの実体を調査する目的ならば、公的機関のような本格的な観測には劣るでしょうね。

しかし、精度を低くしても数で勝負するというのは、学問的にも面白い試みかもしれません」

 専門家の視点をもって語るその口には、心なしか少しの笑みさえ感じられた。

「潤沢な予算を使って、この島や山間部のような空白地帯にセンサーを置けば、見えてくる全体像が変わるかもしれない。局地的なデータの欠片が、広域に及ぼす現象の前触れを教えてくれることもある」

「──まあ、企業はその投資に見合う商品として、情報を売りたいだけかもしれないがね」

 その柔らかな口調には、少しの皮肉が込められていた。


 確かに、ここ数年の異常気象の頻発は、民間気象会社にとって大きなビジネスチャンスになっている。

 信頼性の高い観測網から得られるデータは、危機意識を強めた企業や自治体、メディアにとって喉から手が出るほど欲しい情報であり、高値で取引される。

 となれば、他者を出し抜く観測網の構築を考えるのは、民間企業としては当然の発想だろう。

 まして、この夏の太陽フレアに関する磁場観測データとなれば、投じた資金を回収して余りある価値を生む、と本社が判断しても何の疑問もなかった。


「……それじゃ、またあとで。もし何かあったら連絡します」

 そして、俺は観測所を後にして、まず一番近い観測地点から巡っていった。



 もうすでに熱気のこもった社用車に風を通そうと、俺は窓を全開にしてしばらく走らせる。潮の匂いを含んだ湿った風が頬をなで、すぐに肌に張りついた。

 契約観測員の仕事は、机にかじりついて天気図とにらめっこするようなものではない。俺の役目は、島に設置された観測機器を巡回して、数値の確認や簡単なメンテナンスをこなす、いわば「外回り」だ。集めたデータは所長が精査し、必要に応じて再観測や高度な解析をしてくれる。俺にできるのは、機器が示す数値を読み取って記録することまで。学術的な分析や研究は、所長の領分だ。


 最初の巡回先は、観測所から車で三十分ほど走った「北端観測点」。海に突き出した崖の上に建つ小屋には、風速計や雨量計が並び、少し離れた位置に強制通風筒が立っている。坂道のガードレールは潮風にさらされて赤茶け、岩肌には海鳥の白い跡が点々と残っていた。


 手元のタブレットで前回のデータと照合しながら、風速計の回転を肉眼でも確かめる。ベアリングの周りに塩が吹いていたので、布で丁寧に拭き取った。基本的に、作業は同じ手順の繰り返しだ。強制通風筒のファンの動作確認、温湿度センサーの校正、雨量計の清掃と排水の点検、海中ロガーや水温計の固定チェック。

 離島の機器は、潮風の浸食の影響が大きく、本土に比べて格段に傷みが早い。台風に備えて点検はするが、自然の力の前では絶対はあり得ない。

 今では観測装置も、ネット経由でリアルタイムにデータ送信ができるようになったが、肝心の機器そのものが壊れてしまえば、現場に出向いて直すしかない。壊れていなくても、正確な観測を続けるためには日々の点検が欠かせないのだ。


 作業を終え、バックアップとして手書きで残した記録を確認すると、俺は次の巡回先「南端観測点」へと車を走らせた。


 あえて、獅子島をぐるりと一回りするルートをとって観測点に向かう。そうする理由は、途中にある漁港に寄るためだ。

 漁港に車を停めると、潮の香りとともに、甲板を洗うホースの水音や、網を干すざらついた音が風に混じって届いてきた。

 港のすぐ脇にある小さな商店は、木の引き戸が日に焼け、手書きの「営業中」が下がっている。


 戸を引くと、カランと鈴が鳴り、奥から軽快な声が返ってきた。

「おや、颯ちゃん。こんにちは」

 顔を出したのは、背の曲がった老漁師の奥さんだった。島で生まれ育った俺を小さいころから知っている人だ。

「こんちは。仕事の途中で、ちょっと寄らせてもらいました」

 俺は笑みを返し、帳場に並ぶ島の産物を手に取った。干したばかりの海苔や、網にかかったばかりの鯵の開きが氷の上に並んでいる。


「お昼にはまだ早いけど、腹の足しになるもん持ってくかい? 港の親父さんが今朝釣ってきた鯖もあるよ」

「じゃあ、鯖をひとつ。所長にも持って帰ります」

「はは、しんちゃん先生は魚好きだから喜ぶわ。ちゃんと働いてる証拠も見せてやんなさい」

 白石慎一所長、だからしんちゃん。俺より目上の人たちは、大体所長をそう呼んでいる。それは、あの人がこの島で受け入れられている、なによりの証だった。


 奥さんが包みを作る間、外から子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてきた。母親に見守られながら、網の山を跳び越えたり、まだ濡れた石畳で飛び跳ねたり。島の暮らしは不便も多いが、その中に根を下ろす人々の温かさがあった。


 俺は今日の戦利品を手に入れて、自然と笑みを浮かべながら車に戻り、次の観測点へとハンドルを切った。


 そして、今年の暑さが牙を剥き始めたころに、俺は、岬の南端に造られた小さな観測小屋へ辿り着いた。

 海鳴りが間近に響き、断崖の下では濃い青に泡立つ潮流が渦を巻いている。南からの湿った風は、ひと息ごとに潮の匂いを胸に押し込んできた。


 北側の観測地点と比べ、こちらは一面に開けた水平線が広がっている。強く光る日差しの下で、海鳥の群れが風に乗り、遠くの沖には定置網の浮標が白く揺れていた。

 俺は、その光景を一瞥すると、手元の観測器に視線を戻す。やることは北と南で何も変わらない。暑さでシャツに汗を滲ませながら、ひとつひとつの数値を確かめ、記録を重ねていった。


 しばらくして、南端での作業を終えると、俺は記録したデータをまとめて車に積み込み、観測所への帰路についた。

 一通りの巡回を終える頃には、陽は西へと傾きはじめ、海面はいっそう強く光りを照り返していた。陽光はなお衰えず煌々と照らし、容赦なく背中を焼きつづける。気温は本性を現したように、午後にかけて上昇し、息を吸うたびに熱気が胸にまとわりついた。

 ハンドルを握る掌にじんわり汗がにじむ。窓を開け放てば、潮の匂いを含んだ湿った風が吹き込み、張り付いたシャツを冷やしていく。その風は、どこかざわついていた。遠くで海鳥がそれを伝えるように低く鳴き、雲の切れ間に見えた空は、真夏の青さの奥に微かな濁りを孕んでいる。

 まるで、島全体がこれから訪れる何かを前に、息を潜めているかのようだった。


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