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隠密令嬢ティア・グレンターノの華麗なる復讐譚

やっぱりティア嬢の十倍返しは恐ろしいーー優しかった先輩から嘘の告発をされ、貴重な紫の薔薇を私が盗んだと濡れ衣を着せられた。「元カノとヨリを戻すためだ、恨むなよ」と。ざけんな!絶対、地獄に落としてやる!

作者: 大濠泉

◆1


 私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、朝食後、自宅のテラスで、二歳下の妹フレアとお茶を(たの)しんでいた。


 私の妹、フレア・グレンターノ伯爵令嬢は、お行儀悪く、両肘をテーブルに付けた状態で、「はぁ」と嘆息する。


「つい数ヶ月前までは、お姉様と一緒に馬車に乗って、学園に通っておりましたのに……」


 姉の私、ティアは肩をすくめる。


「仕方ありませんわ。

 私も十八歳になって、学園を卒業しましたから。

 今日から貴女は学園、私は植物研究所へと通うのです。

 馬車には同乗できないわ」


 ちなみに、妹フレアが通う学園は丘の上にあり、姉の私、ティアが向かう王立植物研究所は丘の(ふもと)、平民街に隣接する位置にある。

 まったくの反対方向であった。


 妹はマジマジと、姉の私の顔を見詰める。


「それにしても、お姉様が植物研究所なんかに就職するとは思いませんでした」


「『なんか』って、何よ。

 私、あの研究所、大好きよ。

 それに『就職』っていうよりも、『臨時雇い』というべきかしら。

 私、所長さんのお手伝いとして働くのよ」


「あら、そうでしたの?

 でしたら、これからいろいろなことが起こるかもしれませんわね」


「嫌な予言はしないでくれる?

 これでも、ちょっとは緊張しているんだから」


 私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢にとっては、初めての社会人体験だ。

 でも、王立植物研究所は、子供の頃から、何度か行ったときがある施設なので、その点は安心できる。

 とはいえ、子供の頃に遊びがてらに訪問するのと、臨時とはいえ、研究所員として働くのでは大違いなはず。


「いくら子供の頃に慣れ親しんだ施設であっても、当時のスタッフは、所長を除けば、誰もいないしね。

 油断はできないわ」


 気を引き締める私に、妹は真面目な顔で身を乗り出す。


「一般論として、初対面の方ーー特に殿方を相手にする場合、最初が肝心と訊いております」


「ええ。ですから今回は、〈眼鏡女子〉で行きます」


 私、ティアは、赤色の縁をした眼鏡を懐から取り出し、慣れた手付きで掛ける。

 すると、妹フレアは手を合わせて、明るい声をあげた。


「まあ。研究者らしいですわ。

 あら、それは?」


 さらに、私がテーブルの上に、小さくて薄い金属片を載せると、妹は不思議そうに覗き込む。

 姉である私は、ぶっきらぼうに応える。


「我がグレンターノ家に伝わる秘宝『変声機』よ」


 この金属片を口の中に入れて、奥歯で噛む。

 すると、声が低く、くぐもったものになる。


「どう? 私の声」


「また、色気のない声にして……。

 せっかくの、綺麗なお声が台無しですわ」


 私はくぐもった声のまま、胸を張る。


「別に、良いじゃない。

 お見合いに行くわけじゃないんですから」


 素っ気ない私の応えに、妹は意味ありげに笑う。


「諦めては駄目ですよ。

 きっと新たな出逢いがありますわ」


 私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、ティーカップを手に、瞑目する。


「フレア。貴女は少し恋愛脳に過ぎますよ」


◇◇◇


 自宅のグレンターノ邸から、まっすぐ丘を駆け降りるように馬車を走らせると、白亜の御殿のような建物に到着する。

 そこが王立植物研究所だ。

 御殿の裏には、幾つもの森や温室を有する、広大な植物園が広がっていた。


 私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、今は不在の所長パラケス・デミルト公爵から頂いた雇用書類を手に、研究所に入っていく。

 事務室ではすでに話が通っていたらしく、私の入所はすんなりと受け入れられた。

 が、それは建物内に入ることを許可されただけで、上司に当たる中年禿げオヤジから、キツい言葉をぶつけられた。

 どうやら私は、朝の訓示の時間に間に合わなかったらしい。(そんな研究所内ルール、事前に知れるわけないでしょ!?)


「ティア嬢。

 初出勤早々にして、朝礼に遅れるとは、良い度胸だ。

 言っておくが、もはや君は学園生ではない。社会人だ。

 従って、研究所のルールを守らなきゃならん。

 ーーそれにしても、地味で暗いな。

 肌は浅黒いし、目の下の隈は濃い。

 おまけに、顔を覆うソバカスがみっともない。

 君も女性なら、身だしなみに気を遣いたまえ。

 それに、さっきから、その声はなんだ?

 くぐもって、良く聞こえん。

 口調も態度も、ハキハキせんか!」


 いきなりの説教である。

 副所長バミル・トーン公爵、四十二歳は、太った身体に似合わず、神経質げにくどくどと口うるさい。

 すでに八十歳を超える老齢の所長パラケス・デミルト公爵が不在がちだから、このバミル副所長が現在、研究所の実質的最高責任者といえるだろう。


(いくら鬱陶しくても、我慢、我慢……)


 私は必死に自分に言い聞かせる。


 けれど、嫌味な説教をかます上司ばかりではない。

 優しくしてくれる先輩もいた。


 二十代半ば、私より七、八歳年上の先輩で、金髪が美しく、碧色の瞳をした、オットー・フレンネル伯爵令息だ。


 かなり理不尽な理由で、朝っぱらから怒られた後、私、ティアは、ジョウロを手に、草花に水を撒いていた。

 

 そのジョウロから、オットー先輩の服に水をかけてしまった。


「ごめんなさい」


 慌てて頭を下げる私に、先輩は柔らかに微笑んだ。


「良いよ。気にしないで。

 それにしても、水掛けは新人の役目っていうの、まだやってるんだ?

 水掛けくらい、誰がやったって良いのに」


 私は慌てて手を振った。


「いえ。水遣りによって、どこにどんな植物があるのか、自然と覚えることになるので、新人に相応しい仕事かと」


 感心したように、オットー先輩は、顎に手を当てる。


「へえ。そんな意味、ほんとにあるのかなあ。

 王立植物研究所(ココ)が設立された当初からある慣例だって聞いてるけど。

 初代所長だった、どっかの伯爵が百二十年ほど前に決めたとかーーあ、そのバッチ!」


 いきなり私の胸に付けたバッチを目に留め、先輩は大声をあげる。


「はい?」


 と私が怪訝(けげん)そうにすると、オットー先輩は一気に(まく)し立てた。


「そのバッチがあるってことは、君は、禁止区域を含む、所内最奥地域(エリア)の担当なんだね。

 若いのに、凄い。

 君、博士号か何か、持ってる?

 いや、そんなはずない。

 君、学園を卒業したばっかなんだよね?

 だったら、どうして?」


 私は気恥ずかしく思いながら、


「所長さんのアシスタントとして、呼ばれたんですよ」


 と答えて、ちょっと(うつむ)く。


 以降、先輩との問答が続いた。

 事実上の自己紹介だ。


「失礼ながら、家名を(うかが)えるかな?

 ひょっとして、とんでもなく高貴なお血筋のお方とか」


「いえ。オットー先輩と同じ伯爵家ですよ。

 グレンターノです」


「え?

 グレンターノ伯爵家のご令嬢!?

 グレンターノのご令嬢といえば、たしか、頭の切れる、絶世の美女って評判らしいけど、君は……」


「あ、それ、妹のことです。

 私はそこそこな姉なんで」


「ーーうん、いや、失礼。

 君も十分、美しいよ……」


 先輩は視線を逸らして、頬を指で掻く。


 露骨にガッカリしてない?

 でもまあ、仕方ないか。

 私の自慢の妹は、とんでもなく美しく、可愛らしいからな。

 それにしても、妹フレア・グレンターノ伯爵令嬢の可愛さは、学園の外でまで評判になってるのか。

 マジで凄いな。


 などと考えていると、いきなりオットー先輩が、私の両手をガシッと掴んで、迫る。


「じゃあさ、いきなりでなんだけど、僕とデートしませんか?」


「はい?」


 先輩ーーオットー・フレンネル伯爵令息は、キラキラ光る碧色の瞳をいっぱいに開いて、私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢に告白した。


「君に惚れたんだ!」と。


◇◇◇


 私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、先輩のオットー・フレンネル伯爵令息に誘われて、海辺のカフェにまでやって来た。


 大海原は、丘の上にある自宅からも見下ろすことはできるが、これほど間近で潮の香りを堪能するのは、子供のときの海水浴以来だ。

 夕陽が沈み、海岸線が赤く染まっていく。

 そうした夕暮れ空を背景に、私たちは差し向かいでカクテルグラスを手にしていた。


 ドキドキと、心臓が高鳴る。

 正直、私、ティアは戸惑っていた。


(どうして?

 妹と違って、私は可愛くないから、先輩は残念そうにしてた気がするけど、違った?)


 照れながらもカクテルを一気飲みする私。

 カシス・オレンジにしたと思うけど、味が良くわからない。

 それほど、のぼせあがって、耳まで真っ赤になっていた。


 そんな私を、先輩のオットー・フレンネル伯爵令息は、金髪を掻き上げながら、碧色の瞳で見詰めてくる。


「これを君に」


 オットー先輩は身を乗り出すようにして、銀色のネックレスを差し出した。

 紫色の薔薇を模した花が、中央で輝いている。


「これは、紫の薔薇ーー」


 我が国の女性なら、誰もが知っている有名なエピソードがある。

 ドクロス・テロス国王陛下がいまだ独身だった頃、公爵家のご令嬢であったヘラ・ベリントン様(後の王妃)に、紫の薔薇を献上し、婚約を取り付けた、という。

 以来、我が国では、紫の薔薇を模した宝飾品は、婚約指輪と同等の贈り物とされている。


(まさか、私に婚約をーー!?)


 実際、ここまでの展開では、オットー先輩に(コク)られてるんじゃないか、と思わせるに十分なものだった。


 私、ティアはすっかり舞い上がり、眼鏡を何度も()め直す。

 彼は私の手をギュッと握り締める。


「ティア嬢。

 僕とお付き合いできないかな?

 正直言って、研究所には女性がほとんどいなくてさ。

 嘆いていたときに、君が来た」


 ちょい、待ち!

 正直、そのセリフ、女子としては、ちょっと退いちゃわない?

 手近な女性なら、誰でも良いと言わんばかりの告白をして良いのかよ!?


 と、思わんでもないがーー。

 返って素直な、リアリティのある言葉にも、私には思えた。


(こりゃあ、周りに女っ気がなさすぎで、判断基準がバグってるんじゃ??)


 私が目を白黒させているうちに、オットー先輩は席を立ち、私の後ろへと回り込む。

 例の紫の薔薇をあしらったネックレスを手にしていた。


「後ろを向いて。

 ネックレスを付けてあげる」


 心臓の鼓動が先輩にも聴こえるんじゃないかって思うぐらい、ドキドキした。

 そんな私の興奮を察してか、私にネックレスを付け終わると、さらに先輩は攻勢に出た。

 なんと、身体を密着させて、後ろから抱き締めてきたのだ。


(うわあー、うわあーー!!)


 初めての体験に、全身が痺れた。

 この痺れは、大人のオンナ扱いされた喜びに違いない。

 私は思わず夕暮れの空を見上げた。


(ああ、なんて情熱的な先輩なんだろう。

 素敵だわ、オットー・フレンネル先輩!

〈素敵な男性〉から大切にされるのって、なかなかに気持ち良いものなのね……)


 全身が火照って、体温の上昇を感じた。

 人生で初めて、大人のオンナとしての感覚を味わった気がした。

 私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、幸せだった。



 ところが、翌朝、王立植物研究所に出向いたときーー。


 突然、事態が暗転した。


 私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢が、いきなり職場で糾弾されたのだ。

 しかも、言われなき罪状で。

 何者かに濡れ衣を着させられたのである。


◆2


 夕暮れ刻のカフェで、職場の先輩からネックレスを付けてもらった、翌朝ーー。


 私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、さっそくオットー先輩がくれた紫の薔薇をあしらったネックレスを首に付けて、王立植物研究所に到着した。

 ところが、研究所に足を踏み入れるや否や、突然、バミル副所長から糾弾された。

 貴重な花を盗んだ犯人として。


 副所長バミル・トーン公爵が、禿げ頭に浮かぶ汗をハンカチで拭いながら唾を飛ばす。


「なんてことをしてくれた!

 今すぐ、盗んだ薔薇を差し出しなさい」


 盗まれたのは、王立植物研究所の奥で育てられていた紫の薔薇であった。

 紫の薔薇は、ヘラ王妃の誕生日のときに、テーブルに飾り付けをするための花だった。

 ドクロス国王陛下とヘラ王妃殿下が婚約するに至ったエピソードになぞらえた慣例だ。

 紫の薔薇は咲き誇る期間が短いものの、ちょうどヘラ王妃殿下の誕生日に重なるゆえに、都合が良い慣例であった。

 が、紫の薔薇は育てることが難しいので、この研究所で毎年育てて、テロス王宮に献上する手筈になっていた。


 副所長バミルは、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。


「王宮に捧げるはずの薔薇を摘んでしまうとは!

 さぞ王妃様はお嘆きになられるだろう。

 しかも、あの紫の薔薇は、当研究所が何世代にも渡って交配し続けた、特殊な薔薇だ。

 これが世間に漏れてしまったら、特別な価値は無くなったも同然。

 当研究所の責任問題となろう」


 だが、いくら(ののし)られても、身に覚えがないのだから、私には何とも答えようもない。


「でも、私は盗んでなんかいません」


 私が澄まし顔で答えるのが気に入らないのか、ますます副所長は、口角泡を飛ばす。


「紫の薔薇の花壇は、お前が担当していた区域だろうが!」


「でも……」


「ちょっと、良いですか」


 先輩、オットー・フレンネル伯爵令息が、手を挙げてくれた。


「ほっ……」


 さすがは、お優しいオットー先輩。

 哀れに思って、私を(かば)ってくれるに違いない。

 そう思った。


 ところがーー。


「彼女ーーティア・グレンターノ伯爵令嬢が、紫の薔薇を手折る現場を、僕は目撃しております」


 ビックリして、両目を見開き、告発者を後ろから見詰める。

 まさか、オットー先輩に、虚偽の告発をされるとは。

 副所長バミルは、ここぞとばかりに、先輩の「告発」に乗っかりつつも、先輩相手にも説教を垂れる。


「オットー!

 目撃していながら、なぜ、そのとき制止しなかったのだ!?」


「彼女は所長のアシスタントだと(うかが)っておりましたので、紫の薔薇を手折るのも、てっきり所長命令かと」


「ぐぬぬ……。

 あの薔薇は生育が難しいうえに、我が国では自生しておらん。

 我が研究所以外では、まず手に入るまい。

 いずれにせよ、今年は王妃様の目を楽しませることはできなくなった。

 これは絶対、当研究所の責任問題となる……」


 副所長バミルは、禿げた頭を光らせながら、ハアハアと息遣いを荒くして、私、ティア・グレンターノを睨みつける。


「ティア・グレンターノ伯爵令嬢!

 王宮に窃盗犯として突き出すのはやめてやる。

 まずは始末書を書け。

 紫の薔薇の窃盗を認めるのだ」


 私はもちろん、首を横に振る。


「お断りいたします。

 私、盗んでおりませんので」


 私は直立不動の姿勢で断言する。

 それを耳にして、副所長は、手近にあった机をバン! と叩く。


「チッ!

 ではこれから、私が直接、グレンターノ伯爵邸へ出向いて、事情を説明してくる。

 首を洗って待っておけ!

 オットー!

 この女を逃すなよ!」


 ドカドカと荒々しい足音を立てて、禿げオヤジは研究所から出て行った。

 たしかに我がグレンターノ伯爵邸は、道なりにまっすぐ丘を上った場所にあり、行き来にさほど時間はかからない。


 オットー先輩は、副所長の言い付けを守ろうとしてか、私の腕を取り、強引に椅子に座らせる。

 副所長が帰ってくるまで、処分は保留、といったところか。


 それにしても、()せない。

 私は先輩の細面の顔を、下から窺いつつ、質問した。


「オットー先輩。

 どうして虚偽の告発をなさったのです!?」


 この場には、オットー先輩の他にも所員はいるが、皆、こうした事件性のある出来事には関わりたくないと見えて、知らん顔してデスクワークを始めたり、普段通りのルーティン作業をするために部屋から出て行ってしまう。

 オットー・フレンネル伯爵令息も、私の質問に答えることなく、プイッと顔を背け、部屋から出て行ってしまった。

 バミル副所長が帰ってくるまで、顔を出す気はないのだろう。


 それにしても、昨日の夕暮れ刻の態度とは、まるで違う。


(カフェでネックレスを私が貰ってから、彼に何かがあったんだ。

 でも、いったい、何がーー?)


 私が大人しく椅子に座りながら思案していると、しばらくして、ドタドタとした足取りで、副所長バミル・トーン公爵が帰ってきた。


「大変だ!

 この女は、グレンターノ伯爵家の娘ではない!

 出自不明の、喰わせ者だ。

 パラケス所長が、騙されたのだ!」


◇◇◇


 グレンターノ伯爵邸に到着した副所長バミル・トーン公爵は、私の妹フレア・グレンターノ伯爵令嬢と、つい先程まで面会していたという。

 バミル副所長が来訪するや、すぐさま応接間に招き入れられ、妹フレアと差し向かいで対面する。


 開口一番、バミルは問うた。


「失礼ながら、グレンターノ伯爵家には、ティアという娘はいるか?」と。


 妹フレアは、大きくうなずく。


「はい。自慢のお姉様ですわ。

 お姉様は昨日より、王立植物研究所でお勤めしております。

 何か粗相を?」


 バミル副所長は、ポンと突き出た腹を叩く。


「窃盗だ。

 研究所で大切に育成しておった、王妃様への献上品である紫の薔薇を手折って、盗み出したのだ」


 フレアは扇子を広げ、口許を隠す。


「まあ。私のお姉様に限って、そんなこと。

 その窃盗犯の特徴を」


「ふん。美しい貴女の姉上とは思われない娘ですな。

 銀色の髪はなかなかに美しいが、目を引くところはそれだけ。

 肌が浅黒くて不健康そう。

 赤い縁の眼鏡をかけておりますが、目の下の隈を隠しきれておりません。

 ソバカスもみっともなく、白粉(おしろい)で誤魔化そうともしないーー」


 流れるように語る中年オヤジの発言を、フレアは閉じた扇子でテーブルをバチン! と叩いて中断させ、甲高い声を張り上げた。


「そんなオンナ、私のお姉様では誓ってございません!」


「は?」


 目を丸くして驚くバミル副所長に対し、私の妹、フレア・グレンターノ伯爵令嬢は、青い瞳を潤ませながら、饒舌に語り始めた。


「私の敬愛するお姉様は、スーツが良くお似合いになる、白いスベスベの肌をした、それはそれは凛としたお姿をなさっておられますのーー」と。


 フレアがウットリとする、その表情を眺めつつ、バミル副所長は確信した。


(ちくしょう!

 やはり、あの女は、ティア・グレンターノ嬢の名を(かた)る不届者であったか!)と。


◇◇◇


 王立植物研究所に帰還するや否や、椅子に座る私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢に対し、副所長バミル・トーン公爵は、鼻息荒く(まく)し立てた。


「フレア・グレンターノ伯爵令嬢と会談した結果を伝えよう。

 貴様は彼女の姉上でも何でもないことが判明した。

 あの方の姉上様は、

『スーツが良くお似合いになる、白いスベスベの肌をした、それはそれは凛としたお姿』

 なのだそうだ。

 貴様とは似てもにつかぬ!

 じつに愚かなことだ、小娘!

 よりにもよって、あの方の姉上と偽りおって。

 貴様が臨時雇いされるに当たって書いた、この履歴もすべて嘘だったのだな。

 もしかして、私の歓心を買おうとしてのことか?

 だったら、無駄だ。

 あれは、とうに昔のことだ」


 何の話だろう? と小首をかしげる。

 が、そんな私の疑問には一切、頓着せず、副所長は断言する。


「とにかく、所長不在の今では、決裁しかねる。

 とりあえず、例の場所に閉じ込めておけ。

 懲らしめてやる!」


 おいおい。

 これじゃあ、完全に私刑(リンチ)だろ?

 良いのか?


 ーーと思ったけど、多勢に無勢。

 この場には十人以上の所員がいるから、騒ぎを起こしたくない。


 とりあえず、言うことを訊き、オットー先輩になされるがままに連行される。


 廊下を伝って中庭に出て、向かった先は熱帯植物園だった。

 その中でも、特に蒸し暑い気候で生息する外国産の植物が密集する温室へと導かれた。


 温室入口にある温度計を見たら、90度を示していた。

 暑い。暑すぎる。


 いつの間にかオットー先輩は、警備員を何人も同行させていた。

 彼らを指揮して、棘のある蔦で、私、ティア・グレンターノの身体を縛りあげる。

 ドレス越しとはいえ、棘が布地を破って喰い込んだ。


「痛い、痛い!」


 私は悲鳴をあげる。

 実際、蔦が絡まる辺りでは、血が滲み出ていた。


 それを承知で、オットー先輩は、身を屈めて、私の耳元でささやく。


「この温室は強化ガラスで出来ている。

 ハンマーで叩いたところで割れはしない、頑丈なものだ。

 外から鍵をかけられたら、君には逃げる(すべ)はない」


「どうして、こんな目にーー」


 涙ながらに問いかけるが、相変わらず、応えてくれない。


 それにつけても、オットー先輩の、急激な態度変化は謎だった。

 だが、思い起こしてみれば、副所長バミルは、初対面から、私に良い顔をしなかった。

 初めから歓迎されていないようでは、何者かによって濡れ衣を着せられても仕方ない。


 赴任して来てわずか二日で遭遇した不測の事態に、あれこれ思い巡らせていると、先輩のオットー・フレンネル伯爵令息は、醜く口許を歪めた。


「僕も騙されたよ。

 まさか、君が出自不明の謎の女だったとはね。

 ネックレスを付けてあげて、粉をかけておいたのに、損をしたよ。

 でも、よりにもよって、グレンターノ伯爵家のご令嬢を(かた)るとは。

 つくづく運がなかったね。

 知らなかったのかい?

 バミル副所長は、グレンターノ家のフレア嬢に言い寄って、フラれた過去がおありだ。

 三年ほど前だったか」


 私は驚いて、目を見開いた。


 マジかよ!?

 当時の妹はまだ十二、三歳じゃない?

 対して、副所長は、とうに三十路後半だったでしょうに。

 つくづく、中年オヤジは、身の程知らずだ。


 私は意を決して、再び先輩に質問した。


「オットー先輩。

 昨晩、私とお別れした後、何があったのですか!?」


 もう私に濡れ衣を着せることに成功した、と確信したのだろう。

 オットー先輩は、遠くを見るような眼差しになっていた。


「もう別れたと思っていた、婚約者のーー本命の彼女と、再び出逢ったのだ。

 ほとんど諦めていたのだけど、奇跡的に……。

 つまり、だ。

 付き合っていた元カノとヨリを戻したので、もう君は用済みになった、というわけだ。

 いや、違うな。

 彼女は結構、嫉妬深いから、もはや君が邪魔になった、という方が正しいかな。

 ちなみに、紫の薔薇を盗んで君に濡れ衣を着せるよう、僕に提案したのも彼女なんだ。

 そのほうが、しっかり君を排除できるだろう?

 ごめんね。彼女、性格が苛烈なんで。

 そうそう。君にあげたネックレスも、じつは元カノの求めに応じて作らせたものだった。でも、気に入らないと返された。

 ほんと、わがままだよね。でも、美人だから仕方ないね。

 そのネックレスも返してもらおう。

 でも、そうだね。

 今のうちには、君に付けたままにしといてやる。

 なに、この暑さだ。

 一時間もすれば、気を失うだろう。

 君が正気を失ってから、取り外させてもらうつもりだ。

 悪いが、恨まないでくれ。

 ああ、モテる男は辛い……」


 自己陶酔に浸りながら、オットー先輩は大きく手を広げながら語り尽くす。

 優しい先輩だと思ったのにーーこんなオトコだったなんて。


 温度と湿度の高さで意識が朦朧となりながらも、私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は思った。

 なにが、「悪いが、恨まないでくれ。ああ、モテる男は辛い……」だ!

 ふざけるな!

 恨むに決まってるだろ!

 絶対、先輩と、その元カノを、地獄に叩き落としてやる。

 私の方が苛烈な性格をしていることを、思い知らせてやる!


◆3


「ティア・グレンターノを(かた)る不届者」を、熱帯植物用の温室に閉じ込めて放置してから、小一時間ほど経過した頃ーー。


 そろそろ限界だろうと思って、オットー・フレンネル伯爵令息が、業務を終えた後、温室の中を窺いに来た。


 ところがーー。


「いない!?」


 オットーは思わず声をあげる。


 温室は、すべて強化ガラスで覆われていて、中が丸見えだ。

 なのに、棘のある硬い蔦で縛り上げたはずの、あの出自不明の女がいない。


 オットーはすぐさま温室の鍵を開けて突入する。

 見ると、彼女を拘束していたはずの蔦が、そのまま幾重にも輪っかの状態になったまま、床に転がっていた。

 温室を隈なく見回しても、ティア・グレンターノ伯爵令嬢を(かた)る謎の女の姿は認められない。

 オットーは呆然とする。


「蔦で縛り上げたのに、いったいどうやって?

 刃物は持っていなかったはずなのに。

 ーーいや、それよりも、今、彼女は何処へ?

 まさか、研究所から抜け出してる!?」


 慌ててオットーは、温室の外へと探しに行く。

 温室の扉の鍵が、開けられたままになっていた。


 それから、しばらくしてーー。


(もう、大丈夫よね……)


 ティアは、ある巨大な植物の葉の間から、顔を覗かせた。


「駄目じゃないの。

 温室の扉はしっかり閉めなきゃ」


 じつはティア・グレンターノ伯爵令嬢は、食虫植物の中に潜んでいたのだ。

 棘付きの蔦は、肩や手足の関節を外して、すり抜けていた。

 ティアは身体中の関節を任意に外せるよう、特殊な訓練を受けていたのだ。


 蔦の縛りから脱け出すと、今度は身を隠して、涼める場所を探す。

 90度の室内に小一時間もいれば、それだけで脱水症状をきたし、動けなくなる。

 だから、巨大な食虫植物の捕食葉の中に、身を潜めた。


 この食虫植物は、大きな葉っぱで挟んで、虫だけではなく、ネズミやリスといった小動物から、犬や猫、子牛なども平気で捕食する。もちろん、人間も捕食可能だ。

 巨大な葉で挟んだ際、麻酔をかけて捕食する。

 だが、この葉っぱが分厚いので、外気の熱を遮断する。

 挟み込んだ生物を消化するくせに、葉に挟まれた空間は平均32度で保たれていた。

 もちろん、32度でも、蒸し暑い夏の気温と同じだから、熱中症になりかねない。

 とはいえ、高温度90度に設定された温室でそのままいるよりは随分とマシである。


 ゆえに、わざと巨大な葉っぱに挟まれた状態になって潜り込んだのである。

 そして、麻酔液を注射してくる管を、手で掴んで強引に結び、そのまま麻酔液を出せなくして、身を丸め、巨大な葉に挟まれたままにしていた。

 この植物は、取り込んだ生き物を十日かけて消化するから、一、二時間くらい葉に挟まれていても大丈夫なことを、ティアは知っていた。


 ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、王立植物研究所に生息するどの植物についても良く知っていた。

 この温室にある熱帯植物にも詳しかった。

 

 グレンターノ伯爵家の者にとって、王立植物研究所においてこなす重要な任務がある。

 植物採集と研究にかこつけて、薬草や毒草を採取して、薬や毒を製造することだ。

 それゆえ、子供の頃、ティアは、この植物研究所に入り浸っていた。


 イタズラ好きの子供の時分に、この王立植物研究所に慣れ親しんでいたから、隠された外への通路も知っている。

 おかげで、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、温室から、そして研究所からも、逃げることに成功したのだった。



 それから三十分ほど経過した頃ーー。


 私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、王立植物研究所にほど近い場所にある第三騎士団の詰所で保護されていた。

 第三騎士団は、平民街の治安維持を任務としており、詰所もギリギリ平民街に位置する。

 貴族ばかりが勤める王立植物研究所の所員にとって、近場にありながら、顔を出しづらい場所であった。


 平民の酔漢や、ならず者どもが、多数、縛られてたむろしており、銀色甲冑をまとった図体のデカい騎士団員が、あちこちをブラブラしていた。

 通常時から、物々しい雰囲気である。


(一度、来てみたかったんだよね)


 などと不謹慎なことを思いながら、私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、周囲を見回して、ニコニコしていた。


 それにしても、不思議なのは、私が駆け込むなり、さして事情を問うこともなく、第三騎士団が保護してくれたことだ。

 ソバカス顔で、暗い眼鏡女が、所々裂けたドレスをまとって、裸足で詰所に駆け込んで来たにも関わらず、頬に大きな傷を残した、第三騎士団の幹部らしき青年が、黙って飲み水をカップに入れて渡してくれた。


「あら。随分と丁寧な応対じゃない?」


 と、私が目を丸くすると、事もなげに青年騎士団員は答えた。


「貴女が貴族家のご令嬢であることぐらい、すぐにわかる」と。


 第三騎士団は、平民相手の治安部隊なので、貴族相手には手出しできない。


「家は?」


 と問うてきたので、私は、


「グレンターノ伯爵家です」


 と素直に答えた。

 すると、青年騎士団員は大きな冊子を書棚から引っ張り出して、パラパラと(ページ)をめくる。


「グレンターノ、グレンターノ……と。

 おや、貴族の中でも、かなりの高位じゃないか。

 やっぱ、迂闊に尋問しかけなくて良かった。

 じゃあこれから使者をお宅に派遣するから、家族の者に引き取りに来てもらう。

 よろしいな?」



 かくして、妹、フレア・グレンターノ伯爵令嬢がすっ飛んで来て、私、ティアは、すぐさま釈放となった。


 二人して、グレンターノ伯爵家の紋章が刻まれた馬車に乗る。

 馬車の中で、妹フレアは口に手を当てて大笑いした。


「あはは。お姉様がお捕まりになるなんて。

 珍しくドジを踏んだのかしら?」


 姉の私は、むくれる。


「なによ、アンタこそ。

 禿げオヤジの副所長が出向いたときに、私のことを、

『そんなオンナ、私のお姉様では誓ってございません!』

だなんて、嘘言って」


「だって、地味な変装モードだったんでしょ?

 でしたら、隠密のお仕事中ってことじゃありませんか」


「面白がらないでくれる?」


 不機嫌そうに目を閉じる私に、妹は真顔で問いかける。


「もちろん、このままでは終わらせないですよね?」


 私は歯軋りしながら、拳を強く握り締める。


「当然でしょ。

 十倍返しは、私の信条ですから」


◆4


 ティア・グレンターノ伯爵令嬢と自称した眼鏡女が失踪した翌日、オットー・フレンネル伯爵令息は、ついに禁止区域の担当者になった。

 久しぶりに所長パラケス・デミルト公爵がやって来て、オットーを抜擢したのだ。


 オットー伯爵令息は、いつになく浮かれた。


(やったぜ! ここのところ、僕はツイてる。

 ふふふ。バミル副所長のヤツーー羨ましげにコッチを見ているな……)


 所長の座を狙っている副所長バミル・トーン公爵は、アテが外れて、悔しがっていた。

 例の新人、「ティア・グレンターノを名乗った女性」を臨時雇いした責任を取るよう迫って、老所長パラケス・デミルトを辞任に追い込もうと意気込んでいた。

 ところが、そのパラケス所長までが、あの女のことを「知らない」と言い、白い顎髭を撫で付けながら、


「自分が不在の間の責任は、バミル副所長にある。

 だが、私の紋章入りの書類までも提出されているようでは、バミル君に責任を問うのも酷な話だ。

 よって、不可思議な女については、見なかったこととしよう。

 とにかく、被害が出る前に追い出せて良かった。

 今回の奇妙な事件は、私、パラケス・デミルト公爵が直接、王宮に報告しておくから」


 と語って、副所長の追求をサラリと(かわ)してしまった。

 そして、オットー・フレンネル伯爵令息に、禁止区域の管理者となるよう、命じたのである。


 仕事の引き継ぎとして、今日は老所長自ら、オットーを引き連れて、禁止区域に歩を進めた。


 薄暗い廊下を進んだ奥の部屋に、奇妙なモノがあった。

 ガラスケースの中に、一輪の花が咲き誇っていた。

 黄金色の花びらで、その形状は、あたかも金色の蝶が羽ばたいているかのよう。

 その一方で、茎も葉っぱも真っ黒だ。


 パラケス所長が片眼鏡を()め直しつつ、低い声を出す。


「この花は、たいへん貴重なものです。

 ガラスケースの中で保管していることからも、高価なことがわかるでしょう?

 言うまでもありませんが、園外不出。

 ガラスケースを開けて、手で触れてはなりません」


「なぜですか?」


 とオットーが問うと、パラケス所長は答えてくれた。


「恐ろしい力を持つ、と伝承されているのです。

 実際、この一本だけが残されており、一年毎に枯れては再生する、奇妙な植物です」


「いかなる伝承でしょうか?」


「何でも、テロス王家が我が国を建国した際、共に戦ってくれた勇者にまつわる話だそうでーー。

 まあ、どちらにせよ、我ら凡庸な貴族は関わらないのが一番です。

 管理者として、眺めるだけにしてください」


「水とか肥料とかは?」


「要らないのです。

 こんな薄暗い場所でも光合成ができるのか、栄養が足りているようなのです。

 鉢植え状態なのに、水も根で吸い上げる分だけで十分、足りているようで。

 とにかく、おかしな植物なのです」


「……」


 オットーは、当然、この奇妙な花に興味を持った。

 が、迂闊には手を出さない。

 紫の薔薇を盗んだだけで、結構な大事となったばかりだ。


(コイツを手に入れることが出来たら、さぞ、凄いことになるんだろうけどな……)


 オットーの内心のつぶやきに気付くことなく、


「さ、次の場所へ行きましょう」


 と、さらにパラケス所長が歩を進めようとする。

 そこへ、バミル副所長が息を弾ませて駆け込んできた。


「お、王宮から、騎士団が来訪いたしましたぞ。

 近衛騎士団です」


 パラケス所長は振り向きざま、怪訝(けげん)そうな顔をする。


「近衛騎士団?

 王族を護衛する騎士団が、どうして植物研究所なんかに?」


「わかりません」


 副所長も困惑顔となっている。

 オットー・フレンネル伯爵令息も、何事が起きたのかと、首をかしげるばかりだった。


◇◇◇


 平日の昼、王立植物研究所に、王宮から近衛騎士団二十名ほどが派遣されてきた。

 ところが、不思議なことに、先頭に立っていたのは、年配の近衛騎士団長ランス・テオドール伯爵ではなかった。

 銀色の髪をなびかせ、黒い軍装をまとった、歳若い女性騎士だった。

 彼女は、鈴の音を鳴らしたかのような、耳に心地良い声をあげた。


「我らはカーク王太子殿下の命に従い、王妃殿下に献上される予定だった、紫の薔薇の行方を捜査しに参りました。

 私は特別捜査班を指揮するよう指名された、グレンターノ伯爵家の長女ティアです」


 王立植物研究所の所員たちは、思わず唸り声をあげて、颯爽とした女性騎士を見遣った。

 オットー・フレンネル伯爵令息も例外ではない。


(この女性が、本物のティア・グレンターノ伯爵令嬢か……)


 学園を卒業したばかりの十八歳だというのに、威厳に満ちている。

 そして、綺麗に整った顔立ちをしている。

 さすがは美貌の誉高(ほまれたか)いフレア・グレンターノ嬢の姉君だ。


 オットーは、かつて王宮での舞踏会の際、妹フレアを垣間見たときがあった。

 とても優美で、美しいと思った。


 が、姉の方も、妹とはまた違った、凛とした美しさがあった。

 背筋もピシッとしている。

 青色の瞳も生気に溢れ、美しく輝いていた。

 

 正直言って、臨時雇いとして来ていた偽物のティア・グレンターノとは大違いだった。

 眼鏡もかけていないし、目の下に隈はないし、汚いソバカスもない。

 声も凛として、響きが良かった。

 あの偽物の、くぐもったような声とは、全然違う。


 オットー伯爵令息は、ティア嬢の前へと進み出た。


「私、オットーが、犯行現場を見たんです」


「本物の」ティア嬢が、整った顔を、オットーに振り向ける。


「そうでしたか。

 誰が犯人だったのですか?」


 オットーはここぞとばかりに言い募った。


「酷い女が、派遣で王立植物研究所(ウチ)に来たんですよ。

 貴女様のお名前ーー『ティア・グレンターノ』を(かた)った不届者です。

 彼女が王妃様の薔薇を盗んだんです。

 しかも、薔薇だけではありません。

 数多くの貴重品までが盗まれたんです。

 開発途中の植物の球根や種も盗まれました。

 事を大きくしたくなかったから、上司も私も黙っていたんです」


「上司」とは、どうやらバミル副所長のことのようだ。

 突然、話の中に自分が登場してきたので、バミルはビクッとしている。


「本物の」ティア嬢は、顎に手を当てる。


「ふむ。

 これはーー最近、平民街で話題になっているモノの原料ではないのか?

 男どもは精力増強、女どもは若返るーーと騒いでいる薬のことだが」


「ははは。

 そんな薬、あるわけないですよね」


 オットーが笑うと、バミル副所長が汗だくになって、太った身体で彼に迫る。


「オットー、だ、大丈夫なのか?」


 焦り顔のバミルに対して、オットーは澄まし顔だ。


「どうせ、いずれは足が付くんです。

 これを機に、あの〈性悪女〉がやったってことで……」


 二人のカタコト会話を耳にしたのか、「本物の」ティア嬢が、声をかける。


「ん? なんだ? 男二人でコソコソと。

 ハッキリ言ってもらえると助かる」


 彼女の勧めに従い、以降、オットーが色々と「推測」を述べ、これにティア嬢が応じる展開となった。


「いえ、私どもは良く知らないですが、その平民街で噂になってる薬というのも、きっとあの女ーー貴女様の名を(かた)った、〈性悪女〉がバラ撒いたものでしょう」

 

「先程から〈性悪〉、〈性悪〉と連呼しているのが、気になるな。

 どのように性悪だったのだ?」


「あのニセモノ眼鏡女は、隠キャで根暗なうえに図々しく、人格が歪んでました。

 私にジョウロで水をかけてきて、謝ってはくれたんですが、自分が加害者でありながら、あたかも被害者であるかのように、私に(おご)ってくれと要求してきたんです。

 仕方なく、カフェでお茶をしたんですが、私が婚約者にあげる予定だったネックレスまで、私から強奪しました」


 軍装のティア嬢は、片方の眉をピクッと吊り上げる。


「ふむ。しかし、そんなことが、簡単にできることだろうか?

 オットー、君がその女にネックレスを見せなければ、そもそも盗まれようもない。

 盗難は未然に防げたはずだろう?」


 オットーは、額に汗を浮かべて、慌てて弁明する。


「そ、そうですがーー鼻が効くんですよ、あの〈性悪女〉は。

 私には、ダリア・ペレン侯爵令嬢という婚約者がおりまして、そのとき、たまたま彼女と仲違いしている最中でした。

 が、そうした事情まで、あの〈性悪女〉は、掴んでいたのでしょう。

 王妃様への献上品である紫の薔薇を何十本、その他、怪しげな薬の原料になる種や球根までも持ち出し、ネズミのように逃げたんです。

 途中で捕まえて、強化ガラスで囲まれた温室に閉じ込めたんですが、どうやったのか、逃げおおせてしまったのです。

 しかも、自ら貴女様の『グレンターノ』という家名を名乗っておきながら、恥知らずなことに、平民向けの第三騎士団の詰所に逃げ込んだ、との噂です。

 そうした動きから、あの〈性悪女〉は、平民出なのは間違いないでしょう」


「その件についてだがーー昨晩、たしかに貴族令嬢が逃げ込んで来たと、第三騎士団は認めていたぞ。

 が、その者の身元が判明したから、実家に引き渡したそうだが」


(だま)されたんですよ、第三騎士団の連中も。

 平民どもの相手ばかりしてるからか、ヤツら、ほんと、いい加減ですから……」


「それは酷い話だな。

 ーーそうだ。

 オットー・フレンネル伯爵令息。

 都合がついたら、貴方も王宮に来てどうだろうか?

 犯行の目撃者がいるのならば、王太子殿下が直接、事情を聞きたいとおっしゃっておられるのだ。

 殿下は、ほんとうに孝行息子でな。

 王妃様(お母様)が毎年、楽しみにしていた薔薇が見られなくなったことを、とても残念に思っているご様子なんだ」


 オットーは浮かれて、明るい表情になる。


「はい!

 私なんぞでよろしければ、ぜひ!」


 その一方で、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は顎に手を当て、難しい顔をする。

 

「ーーとはいえ、いくら目撃状況を語るにしても、王太子殿下の謁見を(たまわ)るというのに、コチラが手ブラというのも、礼に失するかもしれない。

 返す返すも残念だ。

 紫の薔薇が全部盗まれたと知れば、殿下もお嘆きになるだろう。

 じつは、数本は紫の薔薇が残っていると思い、そいつを王妃様の誕生日前に持ってくるよう、王太子殿下から命じられていたのだがーー。

 ああ、そうだ!

 王立植物研究所といえば、〈伝説の花〉があったはず。

 あの噂に名高い〈黄金蝶〉でもあれば、紫の薔薇の代わりとして、お釣りがくるほどなのだがーー」


「それは?」


「〈黄金蝶〉と呼ばれる、類い稀なる花だ。

 なんでも、我がテロス王国建国の折に、国王陛下と共に戦った勇者が獲得したモノらしくて、その〈黄金蝶〉という花を王家に手ずから運ぶ者は、王家の名誉に賭けて、手厚いもてなしをする、とか。

 それこそ、一生に一度しか味わえないようなことをーー」


「そ、それは、『その花を献上した者の願いを、すべてかなえる』とか、そういったものでしょうか?」


「さあ? 貴方には、何か願いでも?」


「ええ。

 私と婚約者が、無事、結婚できることを願っているのですが、なかなか許さない個人的事情がありましてーー」


「そうか。

 たしかに、貴族同士の縁組みは、なにかと難しいところがある。

 が、我が王国では、王家の力が突出している。

 王太子殿下が一肌脱げば、どのような縁談でもまとまるのではないかと」


 オットーの目は見開かれ、より一層、パアッと明るい表情になる。


「ティア・グレンターノ伯爵令嬢。

 申し訳ありませんが、三日ほど待っていただけませんか?

 王宮に参内(さんだい)するにあたって、準備をさせてください。

 あと、私の他にも、もう一人、貴族家のご令嬢を同行させたいのですが」


「本物の」ティア嬢は笑顔で快諾してくれた。


「よろしい。

 ぜひ、入念なご準備を」


◆5


 オットーは、フレンネル伯爵家の三男に生まれた。

 幼少の頃から、自分は女性からモテると過剰に信じ込むナルシストであった。

 だが、それは、そう思わないと、生きていけないような、危うい立場だったからだ。

 オットーは生まれながらに、何処かの貴族家に婿入りしないと、平民に落ちかねない立場だったのだ。

 それなのに、両親からの援助はほとんどなかった。

 自力でなんとか王立植物研究所で職を得ることができたが、たいした学歴もないゆえに、事務職で雇われるだけで精一杯だった。


 そこで三年間、地道に言われるがまま働いていた。

 だが、男ばかりの職場で、自分が婿入りして貴族身分に留まれるような、都合の良い女性とは、なかなか巡りあわない。


 不貞腐れて、平民街区域の酒場で飲んだくれていると、上司のバミル副所長に誘われるがままに、アブナイ商売に手を染めてしまった。

 植物の品種改良する過程で出来た、本来なら破棄されるだけの球根や種をすり潰して素材とし、それを「精力増強剤」「若返りの薬」と称して、主に平民の酔客を相手に売りつけるのである。

 平民街とはいえ、貴族街にも近い場所にある酒場なため、裕福な商家の客が多く、ヘタな貴族よりも金払いが良かった。


 そうした怪しげな「商売」によって得た小遣いで、貴族令嬢にアプローチすることができて、オットーにもようやく婚約話が出るようになった。


 しかし、その婚約者候補からも手酷く(ののし)られ、仲違いをしていたところに、職場に新しい女の子がやって来た。

 地味な眼鏡女だが、所長の知り合いだからか、特別扱いをされており、その女は、禁止区域に自由に行き来できるようだった。


 オットー・フレンネル伯爵令息は、密かに闘志を燃やした。


(ふむう。

 グレンターノ伯爵家といえば、美貌で有名な妹がいるはず。

 それなのに、姉の方は、貴族令嬢にしては、恐ろしく身だしなみを整えていない。

 妹に対して、密かな反発心でもあるのか?

 ーーでも、こういったメガネの隠キャだからこそ、ちょっと押すだけで、チョロいんじゃないか?

 考えてみれば、コイツも名門伯爵家の長女なんだよな。

 訊くところでは、男の兄弟はいないようだし。

 それなら、僕が婿入りするのに打ってつけのオンナじゃないか。

 よし、なんとしても手懐けてやる!)


 紫の薔薇の花があしらわれたネックレス(かつて喧嘩した際、婚約者候補の令嬢に渡したけど、拒否られたモノ)ーーコイツを、この眼鏡女にプレゼントしよう。


 そう思って、眼鏡女を海辺のカフェに誘い、ネックレスを付けてやって、背中から抱き締める。


 するとーー。


(ほら、やっぱりチョロい。

 すっかり顔を赤くさせてーー)


 オットーは、「残念な方の」グレンターノ伯爵令嬢を完全に落とした、と確信した。



 ティアとのカフェデートを終えた後、オットーはすっかり上機嫌になって、行きつけの酒場でエールをひっかけた。

 今日も、研究所から種と球根を粉末にした「若返り薬」を持って来ている。

 コイツを売って、タダ酒にありつこうーーなどと考えていた。


 そこへ、元カノーー婚約者候補であった貴族令嬢が姿を現し、


「ハァイ、元気?」


 と声をかけてきた。

 紺色のイブニング・ドレスを着た、金髪、赤い瞳のダリア・ペレン侯爵令嬢だ。


「私たち、まだ付き合ってるわよね?」


 などと語りかけるダリアに、オットーはさすがに不貞腐れる。


「何言ってるんだ、ダリア。君が一方的に僕をフッたんじゃないか」


 オットーに言い返されても、ダリアは平然と煙草の煙を吹かす。


「当然でしょ。私、貴方に嘘をつかれてたんだから」


 オットーは、ダリアに対して、「王立植物研究所の科学者」と自称していた。

 それなのに、ほんとうは事務職で就職していたことがバレてしまったのだ。

 おそらく、バミル副所長がバラしたのだろう。

 ほんと、自分以外の誰かが、女にモテるのを許せない、偏狭な中年オヤジだ。


 オットーは、しばらくむくれていた。

 が、ダリア侯爵令嬢は笑みを湛えつつ、彼に手を伸ばしてきた。


「あのときは思わずカッとなっちゃったけど、まだ貴方と別れたつもりはないわ。

 ところで、あのネックレスは?」


 紫の薔薇があしらわれたネックレスーー正式に婚約を申し込むために用意した宝飾品だった。

 が、あれはすでに、研究所の眼鏡女にあげてしまった。

 まさか、ダリア・ペレン侯爵令嬢が、ヨリを戻しに来るとは思わなかったからだ。


 仕方なく、オットーは、モゴモゴと口籠る。

 それだけで、ダリアは膨れっ面になった。


「もう、別の女にあげたのね!」


 オットーは慌てて言い訳する。


「でも、あの娘相手は、本気じゃない。

 君にフラれて自暴自棄になってたんだ」


「どんな女なの?

 実家の爵位は?」


「伯爵さ。君も知ってるだろ?

 あのグレンターノ伯爵家さ。

 そこの長女だそうだ。

 有名なフレア・グレンターノに姉貴がいたなんて、知らなかった」


「へえ。あのフレアに、姉が……」


「まあ、性格も容姿も残念な女だから、僕の言いなりさ。

 何だったら、返してもらおうか、あのネックレス」


「要らないわよ、残念な姉にあげちゃったネックレスのお下がりなんか!

 代わりに、そのネックレスのモデルになってた、本物の紫の薔薇ーーコイツを、こっそり一輪くださらない?」


 プロポーズを意味する紫の薔薇だが、その実物は貴重で、テロス王国の国内では自生していない。

 それなのに、王立植物研究所では何本も栽培されていて、王妃様の誕生日に王宮へと献上されていることは有名だった。


「あれは王妃様にあげるもの……」


 と、オットーが口籠ると、ダリアは顎を突き出す。


「そんなこと、当然、知ってるわよ。

 でも、そう言われると、余計に欲しくなるじゃない?

 貴方、研究所で働いてるんでしょ?

 手に入れられないの?」


「禁止区域で栽培されていて、本来は、事務職の僕では見ることもできないんだよ。

 でも、研究所は特に警備が厳しいわけじゃないから、盗むぐらいは。

 でも、なくなったら、さすがにわかる。

 犯人探しが始まるかも」


「だったら、紫の薔薇を栽培する担当者を、懐柔すれば良いじゃない?」


「そうか!

 幸い、あのグレンターノの残念な姉は、所長のアシスタントだからって、禁止区域にも好きに出入りできるようで……」


「だったら、紫の薔薇を盗んでおいて、犯人は、その残念な姉だったってことにすれば良いじゃない?」


 じつはダリア・ペレン侯爵令嬢は、グレンターノ伯爵家の妹娘フレアが大嫌いだった。

 ダリアには幼少時から言い交わした婚約者がいた。

 だが、その婚約者が学園に入学するや、フレアに熱を上げて、ダリアとの婚約を破棄してしまった。

 つまり、ダリアは婚約者をフレア・グレンターノに奪われていたのだ。

(ちなみに、フレアは、そのダリアの婚約者を相手にもせずフッている。それでも、プライドの高いダリアは、その婚約者とヨリを戻すことはなかった)


 ダリア・ペレン侯爵令嬢は、思わぬ機会に、婚約者を奪われた復讐が果たせると、赤い舌で唇を舐めた。


(姉が犯罪者ってことになれば、フレアの立場もかなり悪くなるはず。

 恥を掻くと良いわ!)


 ダリアは暗い笑みを浮かべる。


 そして、それを目にした、今の彼氏であるオットー・フレンネルは、勘違いした。


 ダリアとフレアの因縁を知らない彼は思った。

 自分がティアと付き合おうとしてネックレスを送ったことに、ダリアが嫉妬したのではないか。

 だからこそ、ダリア・ペレン侯爵令嬢は、ティア・グレンターノ伯爵令嬢に「薔薇ドロボウ」の濡れ衣を着せて、僕の傍らから排除しようとしているのではないか、と。


(ああ、僕はやっぱりモテてるんだ。辛いが、仕方ない……)


 オットーは意を決して、空のジョッキをダン! とテーブルに叩きつけた。


「わかったよ、ダリア!

 僕の誠意を受け取ってくれ。

 一輪といわず、根こそぎ紫の薔薇を手折って、君に捧げるよ!」


 その結果、オットーは、ダリアに宣言した通りに実行したのである。



 その夜、酒呑み仲間の警備員に見て見ぬ振りをしてもらった隙に、オットーはダリアと二人で禁止区域に侵入し、紫の薔薇を軒並み手折って、ダリアに捧げた。


 ダリアは大喜びで、オットーに抱きつく。

 オットーも、背徳感の裏打ちもあって、いつになく興奮していた。

 男を挙げた気がした。



 ところが、当然、翌朝すぐに、紫の薔薇がすべて手折れていることが、発覚した。

 王妃様に献上する準備として、薔薇の選別をしようとした研究員が、無惨に茎だけになった紫の薔薇の姿を発見したのだ。


 ところが、オットーにとって幸いなことに、まだティアがやって来る前だったから、即座に、彼女に花盗人の罪をなすりつけたのだった。

 オットーが窃盗犯だとは、副所長をはじめ、誰からも疑われなかった。


 しかも、幸いなことに、新米女性臨時職員が「ティア・グレンターノ伯爵令嬢」と名乗っていただけの謎の女である、と副所長が断定してくれた。


 結局は、熱帯植物の温室から脱走されてしまったけど(脱出方法は不明)、オットーが糾弾されることはなかった。

 ダリアに(そそのか)されてやった窃盗が明るみに出なくて済んだのだ。


 オットーは、ふう、と安堵の溜息を漏らした。


 とはいえ、これから先、オットーには展望がなかった。


 王妃様に献上されるはずの花を捧げたにもかかわらず、ダリアが自分と婚約し、ダリアの実家ペレン侯爵家の入婿になれる保証はなかった。

 実際、ダリアがじつは自分との婚約に乗り気じゃないことは、オットーにはわかっていたのだ。


 オットーが、王立植物研究所に所属していながら、科学者として研究しているわけではなく、しかも伯爵家とはいえ、三男坊ゆえに自由にできる資産も少ないことに、ダリアは酷く失望し、呆れていた。

 だから、彼女と付き合うために、オットーは無理して、研究所の球根や種を用いて偽薬を調合して、平民相手に小遣い稼ぎをして、デート資金を捻り出していた。


 が、とても追いつかない。

 ダリアとデートするたびに、高額なドレスを購入し、高級レストランで食事をし、指輪などの宝飾品を(みつ)がされる。

 オットーが伯爵家の三男坊だから、婿入りするために必死なのを、ダリアに見透かされていたのだ。

 悔しいが、それが現実だった。


 でも、オットーにしてみれば、ここまで先行投資をし、窃盗まで働いたんだから、もう後には退けない。



 そのように、オットーが思い詰めていたときである。

 軍装をまとった美人令嬢ーー「本物の」ティア・グレンターノ伯爵令嬢が、近衛騎士団を引き連れて、王立植物研究所に来訪してきたのは。


「本物の」ティア嬢は、紫の薔薇を手折った犯人を捜査しに来たという。

 それゆえ、オットーは、内心では酷く怯えていた。

 ところが、見事に、薔薇ドロボウの濡れ衣を「野暮ったい偽物ティア」に着せることに成功した。

 そのうえ、王宮で王太子殿下に拝謁する機会が得られようとしていた。

 しかも、伝説の〈黄金蝶〉という花を献上すれば、王家は何でも願いを聞き届けてくれると、「本物の」ティア・グレンターノ伯爵令嬢がアドバイスしてくれたのだ。



(僕は、なんてツイてるんだ!)


 オットー・フレンネル伯爵令息は、内心で快哉を叫んだ。


 そもそも、その伝説の〈黄金蝶〉が、どうして王立植物研究所の奥の院で秘蔵されているのか。

 そして、花を献上しただけで、どうして王家は願いを叶えてくれるのか。

 曖昧なことばかりで、どこまで、確かな話かはわからない。


 実際、自分がダリア侯爵令嬢との婚姻に焦っていなければ、そんなフワッとした話には応じなかっただろう。

 そして紫の薔薇の窃盗がうまくいって、残念なニセモノ令嬢にその罪をなすりつけることに成功していなければ、こんな曖昧な話に乗ろうとは思わなかっただろう。


 が、どれほど不確かな噂であろうと、この話に乗るべきだ、とオットーは決心した。


 たしかに王家を介在させれば、強引にでも、ダリア・ペレン侯爵令嬢と結婚できるかもしれない。

 そうなれば、入婿とはいえ、ゆくゆくはオットー・ペレン侯爵になることができる。

 さらに、侯爵に相応しく、王宮に出仕する身分へと出世できるかもしれない。


 オットーは、薔薇色の未来図に想いを馳せて、酔い痴れていた。


◇◇◇


 オットー・フレンネル伯爵令息が、「本物の」ティア・グレンターノ嬢に、王太子殿下との面会の約束を取り付けた、その翌日の深夜ーー。


 オットーは再び王立植物研究所に、ダリア・ペレン侯爵令嬢を招いた。


 ダリアの実家ペレン侯爵家は現在、奥方である侯爵夫人が不在で、当主たるシアン・ペレン侯爵は娘の動向を意に介さなかった。

 文字通りの放任主義だった。

「男遊びが過ぎる」と執事たちがいくら言上しても、父親のシアンは相手にせず、


「良き跡取りを選び取ろうとしておるのだ。

 好きにさせてやれ」


 と言うのみ。

 それゆえ、ダリアは深夜であっても気軽に御者を叩き起こし、馬車で外出できたのだ。


 でも、連日の深夜外出は、いかにも外聞が悪い。

 馬車から降りたダリアは、膨れっ面をしていた。


「ねえ、オットー。

 貴方、私に『紫の薔薇を、数本で良いから返してください』って使者に言わせたわね。

 ネックレスでもそうだったけど、いったん女性に渡したモノを返せだなんて、紳士の振る舞いじゃないわ。

 失礼じゃないの!?」


 オットーは、ご機嫌斜めのお嬢様を(なだ)める。


「でも、数本、紫の薔薇を献上するだけで、王妃様ーー引いては王太子殿下のお心を、お慰めできそうなんだ」


「王太子殿下」という言葉を耳にした途端、ダリア侯爵令嬢は両手を合わせた。


「まあ! そうなの?

 ーーでも、マズイんじゃないの?

 グレンターノの姉がーーああ、それは偽物だったっけーーとにかく、その残念な姉が、薔薇を盗んで売り(さば)いたってことになってるんでしょ?

 ここで紫の薔薇をすんなり出したら、私たちの方が、痛くもない腹を探られるんじゃなくって?」


 オットーは苦笑いを浮かべた。

 なにが「痛くもない腹」なのか。

 まさに自分たちこそが窃盗犯なのに。


(どうやら、彼女は、自分が窃盗犯の片棒だと暴露される事態を恐れているようだ。

 それとも、単純に、紫の薔薇の美しさに魅入られ、一本たりとも手放したくないのか……)


 どちらにせよ、使者を通して、紫の薔薇を数本、持ってくるようにお願いしたことは、彼女から無視されたようだ。


(でも、問題ない。ここまでは想定内だ……)


 オットーは、ふう、と吐息を漏らす。

 そして、ダリア侯爵令嬢をエスコートする。


「こちらへどうぞ、お嬢様」


 オットーが先導して、二人で王立植物研究所内の禁止区域に侵入した。

 ほとんど明かりを灯していないため、薄暗いうえに、静寂に囲まれた空間に閉じ込められたようなかんじがする。


「よく、入れたわね……」


 オットーの腕にしがみつきながら、ダリアが小声で語りかける。

 オットーはいくらか上機嫌で応えた。


「警備の者は皆、小遣い稼ぎの仲間だしね。

 話はついてるんだ。

 それにこの鍵も、副所長から内密に手に入れたものさ。

 バミル副所長は小遣い稼ぎ仲間の元締めといったところかな」


「で、どうして、私をこんな気持ちの悪いところへ?」


「君が紫の薔薇を持ってこないからさ。

 代わりの花を献上しなくては、王太子殿下の拝謁を(たま)われない。

 ーーああ、ここだ、ここだ。

 ここの奥のガラスケースの中だ。

 さあ、ダリア。

 この部屋の奥に鎮座する花を見てくれ。

 我が研究所が秘蔵する、伝説の花〈黄金蝶〉だ」


「まあ! なんて、綺麗……」


 長方形のガラスケースの中には、奇妙な花が一輪、咲き誇っていた。

 黄金色の蝶が羽を広げたような格好の花びらで、葉も茎も、棘を生やして伸びる蔦も、みな真っ黒だった。


 怪しい花にすっかり魅入られたダリア侯爵令嬢に、オットーは顔を寄せ、彼女の耳元でささやく。


「君、王宮に行きたいって、いつも言っていただろう?

 しかも、イケメンな王太子殿下のお目に止まりたいって。

 その夢が叶いそうなんだよ、この花のおかげで。

 二人でこの花を、王太子殿下に捧げようじゃないか!」


 オットーの発言を耳にしても、ダリアは〈黄金蝶〉に目が釘つけになったままだった。


「凄い、綺麗……。

 それに、黒い葉っぱも茎もシックじゃない?

 この類い稀なる花を献上すれば、それはそれはカーク王太子殿下もお喜びになるわ」


 ダリア侯爵令嬢が無造作に手を出して、ガラスケースを取り外す。

 そして、黄金花の花びらや葉っぱをベタベタと撫で回すようにして触る。


「オットー、貴方も触ってみなさいよ。

 どうしたの?

 オトコのくせに、ビビってるの?」


 女性にからかわれたから、オットーは手を出す。

 が、内心、この奇妙な花を気持ち悪く思っているから、ちょっと触るだけで、すぐさまガラスケースを上からかぶせた。

 不満げに手を引っ込めるダリアに対し、オットーは力強く言い放った。


「元通りにして、この〈黄金蝶〉を王太子殿下に献上しよう。

 僕らの結婚が叶うためだ」


 オットー・フレンネル伯爵令息は、将来、平民落ちになることを避けるために必死になっていた。

 片腕でガラスケースごと〈黄金蝶〉を抱え込むと、もう片方の腕で、ダリア侯爵令嬢の身体をしっかりと抱き締めた。


(必ず、このワガママ令嬢をモノにしてやる。

 強引に王太子の認可を取り付けてしまうんだ!)


 覚悟を決めるオットーに対し、一方のダリア侯爵令嬢は、自分を抱きかかえる男が何を考えているのか、まるで察しようとはしていなかった。

 ただひたすら、男が反対の腕で抱えるガラスケースの中で輝く、蝶が羽を広げたような形の黄金色の花を、ずっと眺めていた。

 まさに、自分の運命を変える花だと思い、ダリアは花に魅入られていたのである。


◆6


 テロス王宮の表玄関ーー。


 ティア・グレンターノ伯爵令嬢は軍装姿で、近衛騎士団と共に来客を待ち構えていた。

 そこへ二台の馬車が到着し、それぞれ若い令息と令嬢が降り立った。

 オットー・フレンネル伯爵令息と、ダリア・ペレン侯爵令嬢である。


 ティアは頭を下げる。


「ようこそ、おいでくださいました。

 応接の間にて、カーク・テロス王太子殿下がお待ちです」


 ティアが先導して、オットーとダリアを王宮に招き入れた。


 当然、二人は王太子殿下に面会するに相応(ふさわ)しい正装姿をしている。

 とはいえ、持ち物には違いがあり、ダリアは手ブラで、オットーは紫色の布で覆われた箱状の物を抱えていた。


 ティアが興味を持ち、「それは何か?」とオットーに問うたが、彼は「王太子殿下への献上品です」と陽気な声をあげるのみ。

 結果、ティアはオットーに敢えて中身を問わず、二人を引き連れて、廊下を進んだ。


 その間、ダリアが遠慮なく、先導するティアを後ろからジロジロと眺めて値踏みする。

 ティアは視線を感じて、少し振り向く。


「ダリア侯爵令嬢、いかがなさいました?」


「いえ。貴女、あまり妹には似ていないのね」


 オットーはすでに会っているが、ダリア・ペレン侯爵令嬢にとっては、眼鏡バージョンであれ、軍装バージョンであれ、「ティア・グレンターノ伯爵令嬢」は初お目見えである。


「そうですね。良く言われます。

 フレアは私自慢の妹ですから、私も似ていると言われたいものですけど、その願いは叶わないようです。

 でも、貴女がもしフレアと会いたいのなら、その願いはすぐにも叶うでしょう。

 フレアも応接の間に招待されていますから」


 ダリアは血相を変えた。

 妹フレアまでが、王太子に招かれていると知ったからだ。


「まさか、王太子殿下が、フレアを個人的にーー」


 姉のティアは手を振って、ダリアの疑いを否定した。


「いえいえ。そうではありません。

 紫の薔薇を失ったので、王妃様のお誕生日に飾る花をどのような種類にしたら良いのか検討するために、フラワー・コーディネートに長けたご令嬢を大勢、お招きしたのです。

 特に、

『若い令嬢方の感性を楽しみたい。

 そしてその花束をもって、王妃様の食事に色を添えたい』

 と王太子殿下が仰せになって。

 妹のフレアは、その招かれた大勢のコーディネーターの一人に過ぎません」


「そうですか。

 でしたら、私にもお声をかけていただきたかったわ」


 ダリアが親指の爪を噛みながらつぶやく。

 すると、ティアは逆に、彼女にオットーとの関係について問いただした。


「ええ。

 今日、お招きする方々のリストの中に、もとよりダリア・ペレン侯爵令嬢のお名前もございました。

 ですが、紫の薔薇を盗んだ犯人を知るオットー・フレンネル伯爵令息が、

『ぜひ自分が同行させたい』

 とおっしゃられたので。

 やはり、お二人は、お付き合いなさっておいでなのですか?」


「はい!」


 と大声をあげたのは、オットーのみである。

 その一方で、ダリアは(うつむ)いて黙り込んでしまった。


 そのまま気不味(きまず)い空気が流れる中、ティア嬢率いる一行は、応接の間に辿り着いた。


 扉が開くと、正面向かいの椅子に、カーク・テロス王太子殿下が座っていた。

 そして、その場所まで伸びた赤い絨毯の両側面に、大勢の男女が居並んでいた。

 皆、カーク王太子に招かれた、高位貴族の令息、令嬢の方々であった。


 ちなみに、「応接の間」は、国王陛下が賓客を迎え入れる「謁見の間」を一回り小さくして模したデザインをしている。

 カーク王太子が、この「応接の間」に客を招くのは、将来、国王になるであろう自分が、客を迎え入れる際の振る舞いに慣れる意味合いもあった。


 二人を先導してきた、ティア・グレンターノ伯爵令嬢が、王太子に向けて声を上げる。


「オットー・フレンネル伯爵令息と、ダリア・ペレン侯爵令嬢とを、お連れしました」


 オットーとダリアが、揃って頭を下げる。

 すると、椅子に座っていたカーク王太子が興味深げに腰を浮かせ、前のめりになる。


「良く来た、二人とも。

 では、さっそく、目撃談を聞かせてくれぬか」


 王太子の発言を受け、オットーが前へと一歩、踏み出す。


「その前に、カーク王太子殿下に、ぜひ献上したい逸品がございます」


 そう言うや否や、オットーは、右腕に抱え込んできた物を覆う紫色の布を取り払った。

 そして、今まで抱えて来た物を、王太子や居並ぶ貴族の令息、令嬢たちに披露した。


 姿を現したのは、小振りのガラスケースだった。

 その中には、蝶が羽を広げたような形状をした黄金色の花びらと、黒い葉っぱと茎をもった、不気味な花が一輪、鉢の中から咲き誇っていた。


 オットーは得意げな顔をして、王太子に向かって言上した。


「まずは、紫の薔薇をすべて盗まれた件、王立植物研究所を代表して、殿下に、そして王妃様にお詫びさせていただきます。

 これは、その証として、王太子殿下にお捧げする花です。

〈伝説の花〉とも称される〈黄金蝶〉です。

 訊くところによれば、この花を献上する者は、いかなる願いでも王家が聞き届けてくださるとのこと。

 でしたら、私、オットー・フレンネルは、こちらにおられるダリア・ペレン侯爵令嬢との結婚をーー」


 いまだオットーの口上は終わっていない。

 だが、その段階で、ダリア・ペレン侯爵令嬢は、甲高い声を張り上げた。


「カーク王太子殿下。

 ぜひとも私、ダリアと結婚してください!」


「は?」


 と、オットー・フレンネル伯爵令息は、視線をすぐ横に向け、素っ頓狂な声をあげる。

 両手で〈黄金蝶〉が入ったガラスケースを掲げた姿勢のままである。


 周囲に居並ぶ者たちも皆、同じように驚く。

 驚いていないのは、ダリア・ペレン侯爵令嬢だけだ。


 彼女はつんのめるようにして、座上にあるカーク王太子に迫った。


「殿下はまだ婚約者がおられませんよね!?

 だったら、まずは私と婚約してくださらないでしょうか。

 この花を献上したら、王家の者は願いを叶えてくれるんでしょ!?

 殿下は女嫌いと(うかが)っておりますが、私がその奇癖を身体で解消させていただきますわ。

 私、ダリア・ペレンは、子供の頃から殿下をお慕い申し上げておりました!」


 そう言い切ると、ダリア・ペレン侯爵令嬢は、凄い勢いで〈黄金蝶〉の花をケースから取り出して奪い取り、茎を握り締めて、頭上まで高く掲げる。

 オットーは呆気に取られる。

 他の参列者も同様であった。


 が、カーク王太子殿下だけは、身をワナワナと震わせ、驚愕の表情となっていた。


「な!? 貴様ら!

 これを余に寄越すというのか!?

 世にも恐ろしい毒花を!

〈黄金蝶〉の毒については、解毒剤がいまだ開発されていないのだぞ!」


「え!?」


 オットーとダリアが揃って目を丸くする、その瞬間ーー。


 ティアが、後方に控える近衛騎士団に向かって叫んだ。


「この者どもを捕えなさい。

 王太子殿下に対する毒殺未遂です!」


「ハッ!」


 近衛騎士団長ランス・テオドール伯爵が応じて右手を振り下ろすと、騎士団員たちがいっせいに動き始めた。

 あっという間に、オットーとダリアは、二人して取り押さえられてしまった。


 背中に腕を回した格好で、床に全身を押し付けられた姿勢で、オットーは(うめ)き声をあげる。

 そんな彼の顔を、高みから見下ろして、ティア・グレンターノ伯爵令嬢が断言する。


「その花は園外不出だと、王立植物研究所のパラケス所長から(うかが)っております。

 ですから、この者どもが、研究所から勝手に持ち出したのは間違いありません」


 オットーは必死になって、首をもたげる。


「この花ーー〈黄金蝶〉が毒花だなんて、僕は知りませんでした。

 だ、(だま)されたんです」


 床に押し付けられ、横向きになったオットーの顔に、ティアは、ドン! と足踏みをする。


「騙されただと!?

 いったい、誰にどのように騙されたら、伝説級の毒花を、王太子殿下に押しつけようとすることになるのだ!」


 オットー・フレンネル伯爵令息は、カッとなり、唇を咬んだ。


(他でもない、「この〈伝説の花〉を捧げれば、王家が願いを叶えてくれる」と言ったのは、ティア・グレンターノ、貴女じゃないか!)


 と喉まで声が出かかった。

 が、なんとか思い止まる。


 実際、この「本物の」ティア・グレンターノ嬢は言っていた。


『王立植物研究所といえば、〈伝説の花〉があったはず。

 あの噂に名高い〈黄金蝶〉でもあれば、紫の薔薇の代わりとして、お釣りがくるほどなのだがーー』と。


 また、他にも、


『〈黄金蝶〉と呼ばれる、類い稀なる花だ。

 なんでも、我がテロス王国建国の折に、国王陛下と共に戦った勇者が獲得したモノらしくて、その〈黄金蝶〉という花を王家に手ずから運ぶ者は、王家の名誉に賭けて、手厚いもてなしをする、とか。

 それこそ、一生に一度しか味わえないようなことをーー』


 とまで、言っていた。


 それなのにーー。


 なぜだかわからないが、この「本物の」ティア・グレンターノ嬢に、僕、オットーは()められたのだ。

 だが、王太子殿下に毒花を捧げたことにされた格好のままで、「言った、言わない」の争いをしたところで不利は免れない。


(考えろ、考えろーー!)


 オットーは必死になって、思考を巡らす。


 そうだ!

 僕が今、王太子殿下を前にしている理由は、あくまで「王妃様に捧げるはずだった紫の薔薇を盗んだ犯人の目撃者」だからだ。

 だったら、ここでも、その設定で押し切ってやる。

 上手くすれば、今、僕を()めた「本物のグレンターノ」にも一矢報いることができるかもーー。


 オットーは大声を張り上げた。


「お願いですから、床に頭を押し付けるのは、やめてください。

 決して暴れたりはいたしませんから」


 オットーがそう懇願すると、ティア嬢は手を挙げる。

 その結果、近衛騎士たちが、オットーの背中から手を離した。


 やがてオットーはなんとか姿勢を直し、胡座(あぐら)()いて座る。

 そして、応接の間全体に響くような大音量をあげた。


「私は(だま)されたんです。あの〈性悪女〉に!」


 軍装のティア嬢は舌打ちをする。


「また、ですか。

 都合の悪いときには、すぐそれだ。

 で、〈性悪女〉とは、いったい誰のことです?」


 オットーは、まずは眼前に鎮座するカーク王太子を見上げる格好で、釈明を始めた。


「〈性悪女〉とは、グレンターノ伯爵令嬢を(かた)った女ーー謎の眼鏡女です。

 彼女が王妃様に献上する紫の薔薇を盗み、かつまた私どもを王宮にまで連れて行って毒花を、それと知らずに王太子殿下に献上させたのです」


 そしてオットーは、視線を王太子殿下から、隣で控える「本物の」ティア・グレンターノ嬢に向ける。


「僕は貴女の勧めで、この〈黄金蝶〉を王太子殿下に献上いたしました。

 きっと、貴女様も、あの〈性悪女〉に騙されたのでありましょう。

 そういえば、あの女が王立植物研究所に雇用される際の証書には、本物のグレンターノ伯爵家の紋章印が用いられていた、と所長から伺っております。

 おそらく、あの〈性悪女〉はグレンターノ伯爵家の内部深くに潜行しているのではないかと思われます。

 私、オットー・フレンネルとダリア・ペレン侯爵令嬢を糾弾なさる前に、ぜひ、あの眼鏡女を捕まえてください。

 すべてが明らかとなるのは、それからのことです」


 しばし沈黙が場を支配する。


 その静寂の中、独り、オットー・フレンネルは、(勝った、逃げ切った!)と歓喜する。

 が、そうはならなかった。


 やがて、大きな吐息が聞こえたかと思うと、軍装のティア・グレンターノ嬢が胸を張った。


「そこまで言うのなら、わかりました。

 今すぐ、その〈性悪女〉とやらを、私がここに連行いたしましょう!」


 すると、ティアはいきなりバッと銀色の防具を取り外す。

 そして、赤い縁の眼鏡をかけ、ゆっくりとドレスの上半身部分を脱ぎ始める。


 居並ぶ貴族子女のみならず、カーク王太子も驚いて目を丸くした。


「ティア嬢。いきなり、どうした!?」


 王太子からの問いかけを無視して、ティアは、床に座り込むオットーに露わとなった肌を見せる。


「オットー様。こちらをご覧ください」


 ブラなどの下着で上半身すべてが露わとなってはいないが、二の腕から鎖骨にかけて、そして腹部といった部分に、線状の傷が付き、赤く腫れ上がっていた。

 熱帯植物の蔦が巻き付いて出来たアザであった。

 さらにティアは口の中に変声機を仕込んで、くぐもった声を出した。


「お久しぶりですね、オットー様。

 私こそが、今までご紹介に預かった〈性悪女〉です」


 ティアは眼鏡をかけた顔でニッコリと微笑みながら、その時まで後ろに回して付けていたネックレスを正面に向ける。

 紫の薔薇があしらわれた装飾部分が、中心部分で輝いていた。


「き、君はーー!?」


 オットーが口をあんぐり開けて、二の句が告げられない。

 彼女は今、眼鏡をかけ、全身に蔦によるアザが付き、くぐもった声を発し、紫の薔薇をあしらったネックレスをしている。

 ということはーー間違いない。

 まさか、「本物の」ティア・グレンターノ嬢の正体が、〈性悪女〉ーー「ニセモノの」ティア・グレンターノ嬢本人だったとは!

 これほど美しい女性が、あれほど野暮ったく変装することができるとは!


 ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、オットーに向けて顎を突き出しつつ、言い捨てた。


「このネックレスは、お返しします」


 紫の薔薇をあしらったネックレスを外し、座り込んでいるオットー・フレンネル伯爵令息に投げつけた。


 さらに、呆然としているオットーの背後から、声をかける男がいた。

 白髪、片眼鏡の老人、王立植物研究所の所長パラケス・デミルト公爵だ。


「残念だよ、オットー・フレンネル伯爵令息。

 まさか、園外不出の毒花を、王太子殿下に捧げようとするとは。

 もっとも、君を禁止区域の担当にするよう、私に要請したのはティア嬢だったのだがね。

 さすがは切れ者のお嬢様だ。

 君が毒花を持ち出して、王太子殿下に差し出すことまで、読み切っておられたようだ」


 カーク・テロス王太子殿下は、椅子の上で大きく舌打ちしてから、顎をしゃくる。


「目障りだ。床にへたり込む男を、何処かへ連れて行け」


 王太子の命を受け、近衛騎士団長ランス・テオドール伯爵が、部下を動かし、三人がかりでオットー・フレンネル伯爵令息を立ち上がらせて拘束し、応接の間から連れ出して行った。

 意気消沈したオットーは抜け殻のようになって、まるで抵抗しなかった。


 が、彼と一緒にやって来た貴族令嬢は抵抗心旺盛だった。

 ダリアは、盛大に金切り声をあげた。


「あんな男、オットーとは、私は関係ありません!

 私は、王太子殿下のご尊顔を拝し奉りたいがために参ったまで。

 殿下……!」


 ダリア・ペレン侯爵令嬢は必死の形相で、カーク王太子に向けて手を伸ばす。

 つい先程まで毒花に触れていたためか、手のひらが赤く腫れ上がっていた。


 反射的に、王太子は怒声を張り上げる。


「触れるな!

 余に毒を移す気か!?」


 弾かれたように、何人かの近衛騎士が王太子の前に立ち並び、ダリアの接近を防いだ。


 ダリア侯爵令嬢は、近衛騎士の防具に触れただけで、バタッと前のめりに倒れ込む。

 すでに意識が朦朧としていた。

 毒花に触れ続けていたから、彼女の全身に毒が回り始めていたのだ。


 近衛騎士団長ランス・テオドール伯爵が進み出て、指揮をする。


「これは酷い。

 彼女をすぐに医務室へ!

 そして、その毒花には触れるな。

 ガラスケースで覆った状態のまま、応接の間から運び出せ!」


 ざわざわ、と居並ぶ貴族の令息、令嬢たちが騒ぎ出す。


 彼ら、彼女らの目の前を、ダリア・ペレン侯爵令嬢が、担架に載せられて運び出される。

 そのときダリア嬢は、居並ぶ人々の中に、見知った顔を見かけた。


「あ……!」


 グレンターノ伯爵家の妹娘フレアを見つけたのだ。

 そして、彼女が憐れむような眼差しを、自分の方に向けているのを見て取った。


 ダリアは毒で(ただ)れ始めた両手で、顔を塞ぐ。


「ちくしょう。私を見るな……!」


 悔し涙を流した状態で、ダリア・ペレン侯爵令嬢は、応接の間から外へと追い出されたのであった。

 


◆7


 ダリア・ペレン侯爵令嬢は、何度も毒花に触ったため、毒に汚染され、全身に発疹が広がっていった。

 そしてそのまま、意識が戻ることなく、結局、三日後に死亡した。

 無知が招いた悲劇であった。


 そして、ダリアの実家ペレン侯爵家も、即座にお取り潰しとなった。

 王太子毒殺未遂の嫌疑を受けただけで、本来なら一族郎党皆殺しになるところだったが、ダリア本人に〈黄金蝶〉が毒花だという認識はなかったものと判断された。

 それゆえ、残された唯一の家族シアン・ペレン侯爵は刑死を免れた。

 だが、禁固刑を課せられた後、シアン侯爵は平民に落とされ、鉱山労働に従事する羽目に陥った。

 娘の動向を意に介さず、放任主義を貫いたことで、高過ぎるツケを支払わされたのだ。


 一方、王太子毒殺未遂事件の主犯とされたオットー・フレンネル伯爵令息も、少し毒花に触れていたため、毒が少量体内に入って、三日もすれば、全身が痺れて身動きできなくなっていた。


 オットー・フレンネル伯爵令息は、当然のごとく、死刑判決が下された。

 本来なら、実家のフレンネル伯爵家に属する者は、両親も、二人の兄も、さらには叔父や従兄弟までが処刑されるほどの重罪であった。

 だが、カーク王太子の減刑要請とヘラ王妃殿下の誕生日を理由に恩赦を賜り、家族は奴隷落ち、親族は平民落ちで片がついた。

 わけがわからないうちにお家が取り潰しになったことに同情する貴族も多かったが、フレンネル伯爵家の当主が三男坊のオットーを冷遇し、婚姻を世話しなかったゆえにの悲劇だと理解し、嫡子以外の子供を急いで縁付かせる貴族家が相次ぐ現象を生んだ。


 結局、オットー・フレンネル伯爵令息本人に対しては減刑されることなく、一週間後に、彼は刑場に曳き出された。

 荷馬車に乗せられて、街中を引き回される。


 見せしめのため、彼は裸に剥かれていた。

 当然、王太子毒殺未遂という重罪人として処刑するからである。

 が、他にも理由があった。

 彼は小遣い稼ぎのために、王立植物研究所の球根や種を素材にした偽薬を「精力剤」「若返り薬」として、平民街の酒場を中心にしてバラ撒いていた。

 その際、平民相手に、


「貴族が何人も女を囲えるのは、この精力剤を使っているから」とか、


「貴族女性がいつも(きら)びやかなのは、この若返り薬を使っているから」


 といったセールストークを使っていた。

 おかげで、


「貴族は平民が手に入れられない薬品を使って、好き放題に女性に手を出したり、延命したりしている」


 といった噂が、平民の間で広まっていた。


 実際、そんなことはなく、彼らがバラ撒いた「精力剤」や「若返り薬」も、そうした効用を(うた)っているだけで、まるで薬効はない、毒にも薬にもならない単なる粉末だった。


 当然ながら、貴族も平民と同じように歳を重ねれば、精力が減退し、若さも失われる。

 それゆえ、王立植物研究所の所員たる者が、


「貴族が薬で、精力や若さを保っている」


 というデマを流して、そのような偽薬を売り(さば)き、挙句、平民に過度な不公平感を植え付け、貴族層との分断を生み出すという治安上の罪を犯したこともあって、オットーは裸に剥かれて街中引き回しとなったのだ。


 副所長バミル・トーン公爵や一部の警備員ら、彼と一緒になって偽薬をバラ撒いて儲けていた連中も、手酷い罰を受けた。

 オットーのように、王太子に毒花を捧げたわけではないので死刑にはならなかったが、爵位を持っていた者は一様に剥奪され、裸に剥かれて晒し者になり、平民落ちとなったのである。


 しかも、紫の薔薇を盗んだのは彼、オットー・フレンネル伯爵令息で、ティアに濡れ衣を着せたことも判明しており、貴族でも窃盗は厳重に処罰されることを、平民にも示す必要があった。


 わあああああ!


 群衆は、荷馬車の上で裸になっているオットー・フレンネル伯爵令息に向けて、盛大に石礫(いしつぶて)をぶつけ、思い思いに叫んでいた。


「嘘の薬をバラ撒きやがって!」


「それでも貴族か!?」


「植物研究所で働いていたくせに!」


「仕方ないさ。

 こいつは科学者でも、薬剤師でも何でもない。

 事務職のお坊ちゃんだったんだ」


「それなのに小遣い稼ぎに、ニセモノ薬を売り(さば)いたのかよ」


「平民相手なら、いくらでも騙せるって、馬鹿にしてたんだ!」


 だが、裸に剥かれるほどの恥辱を受けながらも、オットーはしぶとかった。

 街中を引き回される間も、ひたすら「自分は騙された!」と主張し続けた。

 毒が回って身体の自由が利かなくなったくせに、舌は自由に動かせたのである。

 が、非難する相手は、自分を騙した当のティア・グレンターノ伯爵令嬢ではなく、すでに毒が回って死亡した婚約者(候補)ダリア・ペレン侯爵令嬢であった。


「毒花を持って王太子殿下に捧げるよう訴えたのは、ダリア・ペレン侯爵令嬢だ。

 ダリアこそが主犯なのだ。

 僕は彼女の剣幕に押されて、動いてしまったに過ぎない。

 そもそも、王妃様に献上するはずだった紫の薔薇を手折るよう提案したのも、ダリア・ペレン侯爵令嬢だった。

 僕は騙されていたんだ!」


 だが、彼がどれほどの声を張り上げようと、群衆の罵声に包まれて、丁寧に聞き取る者は誰もいなかった。

 そのまま刑場に引き摺り出されて、首打ち役人の前で頭を垂れたとき、オットーは、刑場の傍らで、軍装のティアが立っているのを、目敏く見つけた。


「テ、ティア嬢。

 お願いだ。助けてくれ」


 目に涙を溜めるオットー先輩を見下ろしつつ、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、穏やかな微笑みを浮かべた。


「私は〈性悪女〉なので、悪しからず」


「嫌だああ!」


 悲鳴をあげたのを最後に、オットー・フレンネル伯爵令息は、首を切られた。

 滂沱(ぼうだ)の如く涙を流したまま、感情丸出しの無念首だったという。


◇◇◇


 オットー・フレンネル伯爵令息らの処罰を終えてから、数日後ーー。


 ティア・グレンターノ伯爵令嬢は軍装をまとったまま、カーク・テロス王太子と、王宮内テラスでお茶を(たの)しんでいた。

 ふと、テーブルに目を遣ると、美しい花が花瓶に挿さっていた。


「あら。紫の薔薇!」


 ティアが驚いたように口に手を当てると、カーク王太子は肩をすくめた。


「王立植物研究所から、毎年、送られてくるからな。

 それも球根付きで。

 おかげで、とうの昔から、王宮でも栽培できてるんだ」


「だったら、王立植物研究所は、紫の薔薇が盗まれた程度で、あんなに大騒ぎしなくても」


 当然とも言える疑問を私、ティアは口にしたが、これには王太子殿下が肩をすくめつつ答えた。


「『王妃様(母上)の誕生日に、毎年、薔薇を献上している』という伝統を守りたいのさ。

 その伝統がある限り、予算を削減される気遣いはない、と思っているのだろう。

 そんな伝統なぞなくとも、我が国には自生しない珍しい植物が栽培されておるのだから、研究所の存在意義は薄れないのだがな。

 そういえば、王立植物研究所は、其方のグレンターノ家でも重宝しておるのだろう?」


「ええ。研究所の創立者は、我が家のご先祖様ですからね」


「隠密の家」であるグレンターノ伯爵家の者にとって、王立植物研究所は重要な施設だ。

 薬草や毒草を見分ける目を養い、薬や毒を造る技術を身につける訓練場だった。

 効き目のある毒草は、量の加減に注意すれば薬の素にもなるため、子供の頃のティアにとっては興味深い「遊び場」だった。

 ティアは何度も王立植物研究所に顔を出して、植物の面倒を見ていた。

 球根や種を許可を得て持ち出し、自宅で育てたことも何度かあった。


 そうした縁もあって、王立植物研究所で起きた怪しげな偽薬の流出事件を捜査するよう、学園を卒業したばかりのティアが、自らの意志で動いたのだった。

「王家の懐刀」たるグレンターノ伯爵家の「隠密令嬢」として働いた、初めての捜査だった。


 王立植物研究所から怪しげな偽薬が流出し、精力剤、あるいは若返り薬として、主に平民街の酒場で売られていた。

 その際、


「十歳は若返る」


「貴族の令息、令嬢は、当然の如く服用している」


「これは、平民には知らされていない秘密の薬だ」


「王宮で使われるものは、もっと凄い」


 などといった宣伝文句が(うた)われていた。


 事件発覚後、副所長バミル・トーン公爵の禿げオヤジを尋問したら、


「歳を重ねるごとに、若い女の子から冷たくされるようになった。

 だから、モテるために、偽薬と承知して、平民街でバラ撒いた。

 モテたかったんだ……」


 と白状したそうだ。

 重罪人として処刑されたオットー・フレンネル伯爵令息は、「大人の付き合い」というヤツで、バミル副所長の趣味と小遣い稼ぎに、少なくとも当初は、巻き込まれただけらしい。


 でも、実際に、バミルたちの「若い女の子にモテたい」という希望は、偽薬をバラ撒くことでかなり果たせていたようだ。

 宣伝に乗せられた平民の女性が、「若返りの薬」を手に入れたいがために、高額なお金の代わりに身体で支払おうとすることが相次いでいたそうだ。


「性的役得もあって、研究所の跳ね返りどもも偽薬販売がやめられなくなったのであろう。

 騙された平民たちこそ、哀れなものだ」


 王太子は大きく嘆息してから、(しか)めっ面をする。

 オットーが、ケースに入った伝説の毒花〈黄金蝶〉を得意げに掲げ、さらにダリアがケースから取り出し、じかに毒花を捧げてきた場面を思い出したからだ。


「それにしても、植物研究所で潜入していたはずの其方が、近衛騎士団を借り受けに来て、

『紫の薔薇を盗んだ犯人どもを、必ず自ら出頭させます』

 と豪語していたから、どのような手品を用いるのか、と楽しみに待っておったらーー。

 まさか本物の毒花を、余の許に持参させるとは思わなかったぞ」


 ティア嬢は、王立植物研究所の所長パラケス・デミルト公爵とは、古馴染みだった。

 それゆえ、温室から脱走してすぐに、オットー・フレンネル伯爵令息を、禁止区域の担当者に抜擢するよう、所長にお願いした。

 そのうえで、

「この花に触れてはいけない」

 と念を押して毒花〈黄金蝶〉を紹介すると、オットーのこと、逆に必ずその花に触れると思った。

 紫の薔薇を盗んで、罪を他人になすりつけた前科は伊達じゃないはず、と踏んだのだ。

 おまけに「王宮に差し出したら、何でも願いが叶う」という「伝説」を吹き込みさえすれば、自ら毒花を持ち出して、王家に献上しようとするに違いないーーそのように考えた。


 ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、自分に花ドロボウの濡れ衣を着せて、熱帯植物用の温室に閉じ込めようとした復讐として、卑怯者オットー・フレンネル伯爵令息を、王太子毒殺未遂犯に仕立て上げたのだった。


「オットー先輩も、初めは優しい先輩だと思ったのに。

 二人の素敵な想い出までも、好き放題に捻じ曲げて吹聴するんだもの。

 私って、つくづく男運がないのかしら」


 ティアが紅茶を啜りながら嘆くと、カーク王太子は肩を揺らせた。


「あのオットーとかいうの、ほんとうに〈黄金蝶〉が毒花だと知らなかったのではないか?

 だとしても、貴族の令息、令嬢たちが見ている只中で、堂々と毒花を余に捧げてしまっては、どうしようもない。

『王太子を毒殺しようとした』と見做されても仕方あるまい。

 要するに、其方がオットーとやらに毒花を捧げさせなかったら、余に対する毒殺未遂として裁けなかったであろう。

 そうでなければ、死罪は免れたかもしれん。

 ティア嬢、其方を怒らせたのが、オットーとやらの運の尽きだったようだ」


 毒にも薬にもならない偽薬を平民相手に売り(さば)くといった、どちらかというとセコい詐欺事件の捜査を、「隠密令嬢」ティア・グレンターノ伯爵令嬢が企てたところ、とんでもなく凄惨な結果をもたらした。


 オットー・フレンネル伯爵令息は裸で市中引き回しのうえで処刑され、実家フレンネル伯爵家もお取り潰しで、家族や係累が平民、あるいは奴隷に落ちた。

 オットーと付き合っていたダリア・ペレン侯爵令嬢は毒が回って死亡し、父親のシアン・ペレン侯爵は禁固刑を喰らった挙句、平民に落とされて、鉱山送り。

 王立植物研究所の副所長バミル・トーン公爵や警備員どもは皆、裸に剥かれて市中引き回しのうえで平民に落とされた。


 カーク王太子にしてみれば、仮にも王立の研究施設が絡んだ事件だから、もっと穏便に事を収めたかったのが本音だった。


 実際、王立植物研究所は失った信用を回復するため、今現在、必死になっている。

 残った老所長パラケス・デミルト公爵らは、


「多くの素晴らしい薬が、当研究所で開発されました」とか、


「一部の種類を除けば、植物は無害で、人類に益をもたらします」


 などと懸命に、王立植物研究所の業績を宣伝しているらしい。


 カーク王太子は苦笑いを浮かべると、ティア嬢は凛として居住まいを正す。

 以降、気心の知れた二人の会話が続く。


「それにしても、ティア嬢。

 立て続けに大立ち回りを演じおって。

 いつまで隠密の立場を守れるか、疑わしいものだ」


「反省しております」


「どうだ? そろそろ余と正式に婚約をしては?」


「汚れ仕事を誰かが担わないと、こうした犯罪は摘発し難いですよ。

 それとも、私の替えが、他の誰かで利くとでも?」


「さてな。

 たしかに、其方の代わりが務まる者など、そうそうおりはせぬ、と思うが。

 もっとも、余が、

『其方以外の誰かに、汚れ役を替える』

 と言ったが最後、其方のほうが、余の代わりを務められる者を、何処からか引っ張り出してきそうだな」


「滅相もございません」


「敢えて問わせてもらうがーーまさか、其方、余に殺意があるのではあるまいな?」


「ご想像にお任せします」


 こうして、ティア・グレンターノ伯爵令嬢とカーク・テロス王太子は、今日も互いに笑顔を浮かべながら、際どい、毒を含んだ会話を楽しむのだった。


(了)

 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 なお、本作品の前作品として、


『ティア嬢の十倍返しは恐ろしいーー好きでもない三人の貴族令息から「三股をかけていた」と私は糾弾された。挙句、「慰謝料代わりに妹を紹介しろ」だと?初めから妹狙いか!ざけんな。私を貶めた罰を受けなさい!』

https://ncode.syosetu.com/n4775kq/


 が、ございます。

 こちらも、楽しんでいただけたら幸いです。

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