底辺冒険者が悪魔と契約して最強になる話
グレーは数多にいる冒険者の中に埋もれた、誰にも認知されていない存在だった。
友と飲み明かしたり誰かに称えられることもなく、黙々と生活を送っていることが常だ。
若い頃から何十年と活動しているが、目ぼしい功績など一切ない。
同年代の冒険者なら楽にこなせるクエストでも、とても苦戦するほどの実力しか持ち合わせていない。
お陰様で年収は平均より下の下、一日三食ありつくのが限界な暮らしを送っていた。
現状は最悪で、地獄で生きている気分だ。
しまいには、腰の曲がった爺になるまで働く夢を時々見る始末。
いい加減、対策を立てなければ。
かといって、他の人と歩調を合わせることには辟易していた。
流石に一度も誰かとパーティーを組んだことが無いわけではない。
実際キャンプの知識やダンジョンの攻略手順などは、同業から学んだものだった。
だが冒険者の争いごとはとても多く、ある時は手柄を全部横取りにされ、またある時は魔物の群れの中に置き去りにされた。
中にはグレーの生活を気遣って分け前を増やしてくれる良い人もいたが、人間というのは辛い記憶が強く頭に焼き付いてしまう生物だ。
ある時とうとう我慢の限界が来てしまい、それ以降グレーはソロで活動することを心に誓っていた。
加えて既に若いと言える年齢ではなく、体は衰えていく一方だ。
もう髪が真っ白になる運命に片足を突っ込み始めている。
どんなに鍛えたとしても、今更最盛期の頃を超えるなんて不可能だ。
もしかすると、自分は冒険者に向いていないかもしれない。
そう思って彼は一度転職を試みたが、どの業種も全部落とされた。
つまり仕事を辞めたら、明日から食事にありつけなくなるということだ。
もはや手詰まりと言っても過言ではない。
グレーには泥沼生活をこのまま続ける以外の選択肢はなかった。
そんな中いつも通り冒険者ギルドでクエスト達成の報告をしたとき、ふと広告板が目に入った。
何も考えずに眺めていると『新人冒険者A、ダンジョンを踏破』、『ベテラン冒険者B、前人未到の快挙を成す』、『若きC氏、またしても高難易度クエスト達成』といったタイトルが目を引く。
ここのところ、若手冒険者の活躍ぶりがグレーの耳にも入ってきていた。
普通の同業者ならおめでたく思うところだろうが、グレーは自分の現状の虚しさを実感するだけだった。
(畜生、若いことをいいことにいきりやがって)
グレーは心の中で、記事に上がっている冒険者を罵った。
最近、彼はこうして行き場のない感情をぶつけていた。
だがそれも、決して誰にも聞かれることはない。
(はぁ、俺も頑張ったのにこの様かよ・・・
もうこれ以上考えるのはやめだ。
少し散歩して気晴らししよう)
グレーはそのままギルドを後にした。
適当に街中を散策していると、古い骨董店の前を通り過ぎようとした。
外から中を覗いてみると、謎の壺や古い魔道具など色々陳列されているようだった。
客もほとんどいないようで、丁度良い暗さがグレーの好みに刺さった。
あまり骨董に興味はないが、店の雰囲気を肌で感じるだけでもこのむしゃくしゃした気持ちが少しは収まるかもしれない。
そう考えて、グレーは店の重たい扉をゆっくりと開けた。
中は外で見たように、訳の分からないものがあちこちに置かれていた。
店員らしき人は、店の奥で突っ伏して居眠りをしている。
流石に客がいないとはいえ、これは不用心すぎるのではないか?
そう思ったが、起こしたところで特に用はないのでそのままほったらかすことにした。
気の赴くままに品を手に取って眺めていたが、ほとんどがガラクタだった。
いつ使うのか想像できないものから、使い道が分からないものすらある。
しばらく適当に見ていたが、段々と飽きてきた。
これで最後にしようと思って手に取った商品の下に、何かが置かれていることに気づいた。
「・・・なんだ、こりゃ?」
興味を惹かれたグレーが他の商品をかき分けると、一冊の古い本が現れた。
赤黒い表紙は何かの皮でできており、所々ひびが入っている。
タイトルらしきものはどこにも書かれていない。
仕方なく広げてみると、黄ばんだ紙に古文調で文字がびっしり書かれている。
だが幸い、学のないグレーでも拾い読みである程度の内容は分かった。
興味本位でさらさら目を通してみた。
かび臭い匂いが鼻について少し嫌悪感を抱いたが、それより中身に惹かれた。
書かれていたのは、なんと悪魔の召喚方法だった。
この本曰く、特定の手順を踏めば簡単に悪魔を呼び出せるようだ。
悪魔は召喚者の願い事をなんでも一つだけ叶えてくれるらしい。
金が欲しい、あいつを殺したい、国王になりたい、どんなことでもだ。
その後に代償がどうとか書かれていたが、グレーにはそんなことはどうでもよかった。
正直悪魔が実在するなど考えられないが、試してみるのもいいかもしれない。
自分でもどうかしていると思ったが、今は藁にもすがりたい思いだ。
もし実際に悪魔が来なかったとしても、なんか面白そうだ。
本の裏表紙などを見たが、値札はどこにも張られていなかった。
もしかすると売り物ではないのかもしれない。
どっかの間抜けな客が、自分のものを忘れたのだろうか?
それともあの居眠りしている店員がうっかり私物を陳列させてしまったのだろうか?
いずれにしろ、一度店員に相談した方が良さそうだ。
だがもし本当に売り物でなかった場合、自分はこの本を二度と手にできないんじゃないか?
そんな考えが頭の中をよぎった。
もしそうだとしたら、つまらない。
(売りもんだったとしたら、値札を張っていなかった店員が悪い。
誰かの私物だとしても、こんなところに置いた持ち主が悪い。
俺は何にも悪くない)
幸い、間抜けな店員以外に人影はない。
これはチャンスだ。
グレーは本を懐に入れて静かに店を去った。
自宅についた後、早速召喚の準備に取り掛かった。
本によると、床に大きく魔法陣を書いて夜中の三時に呪文を唱えるだけでよいみたいだ。
そんなに簡単だと分かったとき、はっきり言って拍子抜けだった。
悪魔の召喚というくらいだから、かなり大掛かりで生々しいものを覚悟していた。
しかし家にあるインクとこの本さえあれば、だれでもできる代物だった。
(・・・俺はいったい何してるんだ?
我ながら、こんなオカルトに手を出すなんてどうかしているな)
一気に冷静になってしまい、なんだか馬鹿らしくなってきた。
だが本を無断で持ち出したんだ。
ここで止めては意味がない。
グレーは本に書かれていた魔法陣を床に大きく写した。
時刻はもう午前三時になろうとしている。
悪魔の召喚方法をしっかりと頭に入れるため、本を熟読したせいだろう。
だが余計な時間を掛けずに済むのは好都合だ。
やがて壁時計の時刻を告げる音が鳴り響いた。
グレーは悪魔を呼び出す呪文をそそくさと唱えた。
「来たれ、地獄の使者。
我は汝との契約を願う者。
汝の求めるものを与える代わりに、我が願いを聞きたまえ」
すると、魔法陣が鈍い光を放ち始めた。
その光は徐々に強くなり、やがて眩しさで思わず目をつむった。
収まった後、グレーはゆっくりと目を開けた。
部屋には特に何も変化はなかった。
・・・ただ一点を除いては。
「貴方様がこのワタシを呼びだしたのですか?」
魔法陣の上に、怪しい人影が立っていた。
黒い紳士服を着て、すらっとした長身の男だった。
外見からは只の人間にしか見えない。
だが漂ってくる冷気と威圧感から、相手が人間ではないことを直感した。
まさか本当に成功するとは。
「―――そ、そうだ。
俺がお前を呼び出した」
そう言いながらも、正直目の前の光景を信じられなかった。
開いた口が塞がらないというのは、まさにこのことを指すのだろう。
悪魔はそんなグレーに構わず、淡々と言葉を発した。
「そうですか。
では“契約者様”、あなたの願いを教えてください」
『契約』という言葉を聞いて、今起きていることが現実であることを悟った。
(願い、か・・・・・・)
どんなことを叶えてもらおうか必死に知恵を絞った。
お金や地位が欲しい。
こんな窮屈な生活から抜け出したい。
いくつもの願望が頭の中をよぎった。
だが悪魔にできる願いは一つだけだ。
簡単な願いでは全部を手に入れられない。
今の現状から抜け出すにはどれも必要だ。
だったら、願うべきものは―――
「―――誰にも出来ないことをして、英雄になりたい」
前人未到の功績を手にすれば、必ず有名人になる。
そうすれば給料の昇格は勿論、多くの人から称えられる。
それによって、欲しいものがすべて手に入る。
だとすれば、これが一番ふさわしい願いのはずだ。
「承知致しました。
では日が昇った後、ここから少し離れたところにいるドラゴンの住処に向かうとよいでしょう。
きっと面白い光景が見られますよ?」
そう言った直後、悪魔は目の前からすうっと消えた。
まるで全てが夢だったかのように。
朝になった後、悪魔に言われた通りドラゴンの巣へ向かった。
ドラゴンは何百年もの間、どんな冒険者でも歯が立たなかったとても強力な魔物だ。
そいつを倒すことができれば確かにグレーは英雄になれるだろう。
一応万が一のことに備えて、念入りに準備はしておいた。
もし普通に相対してしまえば平凡なグレーに勝ち目はない。
武器は勿論、回復アイテムや目くらまし用の弾幕など思いつくものは全てバックに詰めた。
それでも今夜のことが白昼夢だったのではないかと、額から脂汗が止まらなかった。
だがそれは杞憂に終わってしまった。
グレーが到着した時、ドラゴンはぐったりとしていて動かなかった。
最初は眠っているだけかと思ったが、それにしてもおかしい。
呼吸による動きもないし、うっかり躓いて大きい音を立ててもピクリともしない。
グレーが恐る恐る触れたドラゴンの体は、既に氷山のように冷たく硬かった。
閉じ切った瞼を無理やりこじ開けると、瞳が既に白く濁っている。
「―――死んでる」
しかも、グレーがここに来るずっと前に。
目立つ外傷は一切ない。
奴の表情も柔らかい。
まるで寝ている間にぽっくり逝ったかのようだ。
もしかして、あの悪魔の仕業か?
「・・・くくっ、あははははは」
だとしたらこのチャンスを絶対に逃してはいけない。
グレーは大慌てでドラゴンの大きな鱗を一枚剥いだ。
これを見せて自分が倒したと言えば、グレーは英雄になれる。
最初は底辺冒険者がそんなことできるはずないと、信じない人は多いだろう。
だが調査隊を組んだとしても、ここへ到着する前に奴の肉体は魔物に食われてなくなるはずだ。
今ドラゴンが綺麗な状態でも、何の問題もない。
一番疑われるのは、グレー自身が無傷なことだ。
これだけは何とかしなければならない。
どんなに美しい英雄譚を作り上げたとしても、その本人の姿を見ればバレバレだ。
であれば、ここは腹を括るしかない。
グレーは持ってきた剣を自分に突き刺し、歩いて戻れる程度の傷を至る所に作った。
震える剣先から鮮血が出るたびに激痛に襲われながらも、なぜか口角は上がっていた。
ドラゴンの巣は、一人の狂人の苦痛を笑い声で満たされていた。
自ら重傷となったグレーは、やっとの思いでギルドのある町に向かった。
町の入り口にいる警備が彼を見た瞬間、大慌てで医者を呼びに行った。
流石に致命傷を自分でつける勇気はなかったので激戦を繰り広げたにしてはあまり大した怪我ではなかったものの、一生残る傷が体のあちこちにできた。
その甲斐があってか、ギルドは誰も討伐できなかったドラゴンを彼が倒したことを認めた。
事情を聞かれた際には、魔物に追いかけられた際たまたま巣に入ってしまい、たまたま持っていた猛毒のポーションが命中し、たまたま倒せたと説明した。
予想通りグレーの言い分を信じる人は少なかったが、彼が鱗を持ち帰ったことと実際に巣にはドラゴンの骨が残っていたことが分かった途端、一斉に掌を返し始めた。
瞬く間に、グレーは一躍有名人になった。
「流石、年季の入った冒険者だ」
「新人の頃から知っている俺は、いつかお前がとんでもないことをやってくれると信じていたさ」
「なあ、今度ドラゴンを倒した時の話詳しく聞かせてくれよ」
「俺、アンタみたいな立派な冒険者になってやるよ!」
そんな称賛の言葉は町中を歩くだけで耳にタコができるほど聞いた。
居酒屋に行けば、隣で飲んでいた奴に絡まれて冒険者のイロハを教えることなんて日常茶飯事だ。
気が付いた時には、グレーの名前と顔を知らない人が町から消えていた。
加えて、ドラゴン討伐の報酬としてとんでもないお金がギルドから支払われた。
その額は一生遊んでいてもおつりが出るほどで、もう冒険者を続ける意味もなくなった。
もういい歳だったこともあり、グレーはそのまま仕事を引退することにした。
これでグレーは望んだ富と栄誉、全てを手に入れた。
今では、あの一夜の前では想像できないほど満たされた生活を送っている。
まさに夢心地だった。
しかもこれで終わりではない。
グレーにはなんと、パートナーができたのだ。
相手は町の実業家の若い娘で、30歳も離れていた。
それでも道端で出会った彼女はとても美しく、グレーのことを愛してくれた。
何よりも彼の英雄譚が好きで、飽きもせず何度も聞いていた。
その時のしぐさや笑顔に、グレーは心を奪われてしまっていた。
そんなある時、グレーはパートナーを人里離れた丘に連れて行った。
「わぁ、とっても星空が綺麗ね」
夜空には雲一つなく、無数の星が輝いていた。
まるで二人を祝福するかのように。
「実は、お前に渡したいものがあるんだ」
彼女はきょとんとしていた。
そんな顔もとてもかわいいと照れながらも、勇気を振り絞ってポケットからあるものを取り出した。
「お、俺達、付き合い始めてから今日で3年目になるだろ?
だから、その、ぷ、プレゼントを用意したんだ」
グレーは小さな箱を彼女にそっと手渡した。
彼が開けるように催促すると、パートナーはゆっくりと箱を開けた。
そこには、大粒のダイヤモンドがあしらわれた指輪が入っていた。
「俺さ、お前とだいぶ歳離れているけど、もし、お前さえよければ・・・
け、結婚してくれないか?」
グレーは顔を赤くしながら、じっと相手の方を見つめた。
彼女はしばらく指輪を見つめていたが、すぐにいつもの優しい笑顔に戻った。
そして、グレーに思いっきり抱きついた。
彼女の体は夜風に当たりすぎたせいかとても冷たかった。
「喜んで」
彼女の一言を聞いて、思わず泣きそうになった。
グレーも彼女を抱きしめた。
そして二人が離れた時に、箱に入っている指輪を彼女につけてあげようと手に取った。
その瞬間だった。
「これで、貴方様の願いは成就されましたね」
一気に血の気が引いた。
妻になる相手から、考えられないほど低い声が発せられた。
その言い方やトーンを、グレーは忘れるはずもなかった。
恐る恐る顔をあげるとそこにいたのは彼女ではなく、あの時の悪魔だった。
「おや、そんな顔をされてどうかされましたか?
貴方様を英雄に導いただけではなく、甘い恋を抱く機会もサービスしたのですよ?
そんな心優しい“契約相手”をもうお忘れですかな?」
手の中から、指輪が転げ落ちた。
だがグレーはそんなことに一切気づかず、思わず腰が砕けてしまった。
「な、なんでお前がここに・・・!?
あいつ、あいつはどうした!?」
湧き上がる疑問が、口から自然と出てきた。
悪魔は冷たく淡々と、言葉を綴った。
「ワタシは悪魔なのですよ?
ドラゴンを安楽死させるのは勿論、他人を装って貴方様に近づくことくらい容易いことです。
ワタシがここにいるのは、契約の“代償”を頂きに参ったのですよ」
(代償だと!!??
そ、そんなの聞いてない!!!)
そう思ったのも束の間、グレーは本にその言葉が書かれていたことを思い出した。
どうしてあの時、代償の部分を読み飛ばしてしまったのだろうか?
後悔しても、もう手遅れだった。
小鹿のように震えるグレーに、悪魔はそっと近づいた。
「ワタシは愚かな人間が惨めな目に合う光景が大好物でして。
今回はとても大きい契約をしましたので、ワタシを満足させられるものでなくてはなりませんね。
折角なので、面白いことを試しましょう」
そう言うと、悪魔はグレーの額に一瞬だけ触れた。
グレーが何かを言おうとしたその時、全身に激痛が走った。
思わず地面に突っ伏すと、体の中で何かが激しく蠢いているのが感じられる。
視界内の自分の手は、徐々に硬い何かがいくつも飛び出して爪が長く鋭く変化していた。
次に背中に違和感をあるかと思うと、鈍い音を立てて大きいものが出てきた。
無意識に見ると、その正体は翼だった。
それは大きくごつごつとしていて、まるでドラゴンのようだった。
やがて徐々に体が大きくなり、人間の姿を失っていった。
同時に強い破壊衝動がふつふつと湧き上がり、頭のねじが一本また一本と飛んでいく。
理性が完全になくなる直前には、グレーはもうあの時見たドラゴンと瓜二つになっていた。
彼が変貌していく様を見て、悪魔はとても満足そうに笑っていた。
「さぁ、愚者が真の英雄に倒される様を見せてください!!」