愛する旦那様に浮気された聖女ですが、全力で水に流すことにしました。
5000字未満の百合短編です。
白い結婚→浮気→離婚のざまぁもの。
「聖女なのだから、水に流すのは得意だろう?」
浮気を問い詰められて、そう吐き捨てた夫の背を見て。
『お前を愛することはない』
かつて拒絶を告げられた夜を、思い出し。
ヴィフォリアは、熱も色も血も気持ちも何もかもが抜け落ちていくのを感じて。
何もかも、乾いていくようで。
「そう、ですか。お心を煩わせて、申し訳ありません」
ただ、頭を下げた。
ウル辺境伯の二女として生を受けたヴィフォリア。
武門の一族に生まれはしたものの、本人は大人しく要領の悪い子であった。
嫁の貰い手も見つからぬため、中央の貴族学園に入れられたが。
勉学でもぱっとせず、どの系統の魔法もまったく使えなかった。
しかし人には恵まれた。
小さい頃からの付き合いである第二王女。
学園に行ってから出会った、平民の子。
そして後に結婚した、第三王子のレッシュ。
ほのかな気品、それ以上の野性味をもった彼に惹かれ。
交流を重ね、友人の後押しもあり、学園の卒業を前にして結婚することになる。
レッシュと結婚式を挙げた時が――――ヴィフォリアの幸せの絶頂であった。
つまり、そこから後は。
下り坂である。
まず先のように、初夜を拒絶された。
レッシュはそのまま、北方の前線指揮官として赴く。
前線間近な実家に渡って、夫を支えようとしたヴィフォリアであったが。
レッシュの強い勧めで、半ば強制的に教会に入ることになった。
聖女になれと、そう申し付けられたのである。
聖女は魔法では不可能な、水の力を扱うことができる。
水源少ないこの王国では生命線と言ってよく、数多聖女が各地で活躍していた。
ヴィフォリアはレッシュに、聖女となって役に立てと言われ、大人しく従った。
しかし苛烈な修行に耐え、各地を飛び回り。
そうして王城で久々に夫に会ってみれば。
レッシュはメイドを部屋に連れ込み、浮気していた。
問い詰めてみれば夫は開き直り、ヴィフォリアを罵った。
ついには水に流せと言われ。
(――――ダメ。夫を悪く思っては、いけない。
それは伴侶として、誠実ではない。
愛されるために、努力して。
子を授かることこそ、至上)
ヴィフォリアは言葉と想いを、飲み込んだ。
心の中に穴が開いたようで。
力なく、呆然とうなだれるだけであった。
「…………フン。可愛げのない女だ。
まだ泣いて縋れば、情けでもかけてやろうかとも思ったが」
苛立たしげに、言葉を投げつけられ。
余りの言い様に、ヴィフォリアは頭が上げられず、固まる。
だが。
「ああ、情けと言えば。
北の戦線は下げる。もうもたん」
夫の続く言葉に、思わず顔を上げた。
魔物の軍勢が年中攻めてくる王国北の戦線。
指揮官としてレッシュが長く詰めている、その戦場のすぐ後ろには。
「お前の実家、ウル伯爵領の防衛は破棄する。
これ以上の情けはかけられん」
ヴィフォリアの家族たちがいた。
「そんな不義理な!? ではお父さまやお母さまは!
レッシュ様にとっても、家族でしょう!?」
「世話にはなった。感謝もしているさ。
だが……家族が何だと言う」
縋りつく妻に向く夫の顔が、悍ましい怒りの形相に歪んでいく。
ヴィフォリアは慄き、思わず掴んでいたレッシュの袖を離した。
「兄貴たちも親父も頼りにならない!
母さんは皆に見捨てられて死んだ!
妹は引きこもって怪しげな研究をするばかり!
もううんざりなんだよ! 血のつながりとやらで縛られるのはなッ!!」
振り払われ、ヴィフォリアは小さく悲鳴を上げて廊下に倒れ込む。
「そんなもの、邪魔なだけだ。お前も、お前の家族も!」
ヴィフォリアが、なんとか起き上がろうともがいていると。
長身の夫が腰を曲げ、妻を見下ろし。
忌々しそうに、見下していた。
「王族が離婚禁止でなければ――――お前など、すぐに蹴り出してやるものを」
かつて。はにかんだ笑顔で、ヴィフォリアを口説いた青年の面影は。
もう、どこにも。
なかった。
△ △ △
ヴィフォリアは、これといって取り柄もない女である。
だが。
(レッシュ様が、お父さまたちを守ってくれないと言うなら。
自分でやるしかないないですね……!)
根性と負けん気と体力だけは、人の何倍もあった。
そのおかげで聖女の修行にも、誰よりも耐え抜けたのである。
妻は夫に従うものと躾けられたせいか、彼女はレッシュに逆らうことはない。
だが頑固で意地っ張りで、曲がったことには何としても盾突く女であった。
誠実であること。それが彼女の、モットーである。
そうして精力的に、実家を救う方法を模索したヴィフォリアは。
王城の中央尖塔、その螺旋階段を登り切った部屋で。
大きな眼鏡をかけた女性に、相談を持ち掛けていた。
「――――というわけでして。
国王陛下や騎士団、宮廷魔術師団にも行ったけどダメで。
もうあなたしか、いないんです。ワイス」
「なるほど。最後に頼りになるのは私、と。
フォリィに愛されてるわねぇ、私」
ヴィフォリアを愛称で呼び、軽口で応えるその女性は。
第二王女ワイス。
ヴィフォリアが夫よりも家族よりも、近く長く過ごしてきた友である。
「じゃあまず謝らないとね……レッシュとくっつけて、ごめん」
「私が好いて仲立ちをお願いしたのですから、ワイスに謝られても」
「そうじゃない。転生してあいつの妹やってから、知ったんだよ。
あいつ、重度のロリコンなの。私くらい背が低くないとダメ。
170cmはあるフォリィには、興奮しないって」
唖然とするヴィフォリアの前で、友は。
やれ長身美男美女の理想のカップリングだと思っていただの。
やれ悪役令嬢ヴィフォリアの破滅を防いででもくっつけただの。
そんな煙に巻くような告白を、ずらずらと述べた後。
「水に流せというんなら、いっそ。
大海を操るという、歴代聖女一のあなたの力。全力で使ってみない?」
そんな妙な提案で締めくくった。
「……はい? 海も大きな河もないこの国で、そんなことしても?」
「大河ならあるじゃないか。この下に」
ワイスは足元を示す。彼女が言うには。
王国地下には、何千年くみ上げても干からびない河があるそうだ。
「前に王国を大河で囲うって話、したよね。
地下から水をくみ上げて、河を作るんだ」
「あの与太話、実現するのですか!? ほんとに?」
「するとも。準備は終わった。フォリィがいれば、すぐにでもできるよ」
〝聖女〟という呼称には理由がある。
人に仇為す異形・魔物たちを退ける力があるのだ。
魔物は水などの流れを渡ることができず、水そのものを嫌がる。
ワイスが言うように、もし国を川で囲むことができれば。
王国はもう、魔物に怯えることはなくなるのだ。
当然。ヴィフォリアの故郷、ウル伯爵領も安泰である。
「ただやるにあたって、困ってることがある。
まず、影響が大きすぎるからやるなら女王になれって、お父さまに言われてる。
そして女王になるなら、伴侶を娶れと」
ヴィフォリアが、テーブルの上に乗せて組んでいた手を。
ワイスが力強く、掴んだ。
ワイスの、潤い少なくかさついた唇が。
何度も開いては、閉じて。
それから。
「私と――――結婚して」
ぱんっと乾いた音が、石造りの部屋に響く。
次いで、椅子が倒れ。
(――――――――何でそれを、今更!)
ぐっと言葉を飲み込んだ、ヴィフォリアは。
「冗談でも、そんなこと言わないでください。ワイス」
代わりに怒気を孕んだ、しかし冷たい声を放った。
「我ら貴族は、世継ぎを設けることが最上の使命。
貴族の頂点たる王族、それも王となればなおのことです」
ワイスが無言で、跳ねのけられた手を押さえ。
視線を彷徨わせている。
「ワイス。女王になると言うならば。それこそ私など選んではならない。
王配として、子を成せる相手を迎え入れるのが、あなたの義務です」
消沈する友に向かって。
ヴィフォリアは冷酷に、告げた。
そのまま、踵を返す。
「あまりにも不誠実。
さっきの話も……少し考えさせてください」
「戦線を下げる陳情なら、前から出てたんだ!」
部屋を出ようとする、彼女の背中に。
どこか必死な、ワイスの声がぶつけられた。
「その上で、指揮官のレッシュが前線を空けてやってきた。
お父さまは――――――――折れるよ。
このままだとウル伯爵家は、フォリィの家族は。
全滅する」
ヴィフォリアは振り返る。
自身でも不思議なほど、強い感情を乗せて。
友を、睨んだ。
「あなたが私に協力して、救国の聖女になって。
私と、結婚してくれれば。
この国の諸問題は、すべて片が付くんだ」
ワイスの返す視線は。
何の色も、乗せていなかった。
「もちろんこの方法なら。無理やり、あなたとレッシュを離縁させられる。
私はフォリィが結婚してくれるなら、女王を引き受け。
あなたの家族を、助ける。
――――――――どうする、フォリィ」
淡々と告げられた、ヴィフォリアは。
身の内まで、乾くのを感じて。
△ △ △
数日後、王国北の最前線。
「何の用だ。撤退だという日に来やがって」
広い草原で馬車を降りた、ヴィフォリアとワイスに。
出迎えたレッシュがそう、悪態をついた。
「そのまま撤退してくれていいよ、兄上。
もう用済みだから」
「なんだと? ワイス、貴様何を企んでる!?」
「ヴィフォリア、やって。目印はあの岩」
夫を無視する義妹の指示を受けて、頷き。
ヴィフォリアは手を差し伸べ。
体の水分を、抜いていく。
ヴィフォリアは。
肌も。
口の中も。
胃や腸の中も。
血管も肺も心臓も。
心も魂も、乾きに乾いて。
「――――――――〝小さな大海よ、ここに〟」
世界が潤いに包まれるのを、感じた。
掠れた呟きが風に乗り。
ヴィフォリアの呼び水が空を流れ。
岩が砕けて、大地の底から遡る滝が現れた。
「なっ!? いったい、なにが」
「国の周囲八か所に、地下水脈から水が湧き出るようにしたの。
私を始め、土の魔法使いをたくさん動員して。何年もかけて。
今後1000年は、王国は水の護りを得られる計算」
「なんだと!? 俺の戦場が! 俺の王国が!!
ワイス、貴様! 徹底的に壊して、殺して――――」
レッシュが、ワイスにつかみかかり。
「――――――――がぼっ!?」
現れた水に包まれ、締めあげるように浮き上がらされた。
(あっ。私、何を……?)
「ごばっ! ヴィフォリア! 夫に向かって、お前!!」
水の隙間からしたレッシュの声に。
ヴィフォリアは、ハッとして。
「そう、です。私の夫…………」
真っ直ぐに、ワイスを見た。
『あいつ、重度のロリコンなの。私くらい背が低くないとダメ』
そして、彼女に言われたことを思い出し。
「いえ、我が伴侶を。ケダモノから、守らなくては」
決然と、レッシュを睨みつけた。
「私、ワイスと結婚するんです。
領を守るために、そう約束しました。
だからもう、あなたは夫じゃありません」
ヴィフォリアは右手を、元夫に向けて掲げる。
「安心してください。私、レッシュ様が仰ったように」
「まて、何をするつもりがぼぁっ!?」
「――――――――水に流すのは、得意ですから。
愛しておりましたよ、元旦那様」
レッシュが渦を巻きながら、遠くに流されていく。
その様子を、ワイスは唖然としながら。
ヴィフォリアは。
つやつやとした笑顔で、見守った。
△ △ △
帰りの馬車の中で。
「レッシュは戦場で、好き勝手やってたって話がある。
調査の上、処刑という運びになるだろうね。
でも随分派手にやったね?
あいつ、もう殺してくれって言ってたけど」
「最後に、存分に私に溺れてもらおうと思ったのです」
ヴィフォリアの〝水責め〟を見ていたワイスが、肩を震わせている。
彼女は咳ばらいを1つすると、ヴィフォリアをじっと見つめた。
「…………今更だけど。本当によかったの?」
それがワイスとの結婚話だと理解したヴィフォリアは。
(――――あなたを誰にも、渡したくない)
湧き出た気持ちを、飲み込んだ。
代わりに馬車の窓の外を見て、惚ける。
「何の話です? ワイス」
「私との結婚だよ。そりゃ女王だし、同性を迎えるくらいできる。
でも、フォリィは……子供を産めない関係は、認められないんでしょう?」
「そうですね。子が為せない以上。
あなたを愛することは、ありません」
「……………………ごめん」
俯いて唇をかみしめるワイスを見ながら。
彼女の視線の外で、ヴィフォリアは。
どこか陶然とした、笑みを浮かべた。
(謝るのは、私の方)
その下腹を、そっと撫でながら。
(いつか、奇跡を宿してみせる。
その日が来るまで、待っていて――――私のワイス)
また、言葉を飲み下した。
聖女だけが操ることのできる、水の力。
それは自然の摂理に挑み、生命の禁忌すらも覆す。
女王ワイスは。愛がないと言いながら、睦む伴侶を不思議に思っていたが。
その後の一年の間に。聖女の起こす「奇跡」を、目の当たりにすることになる。
正しく王配となった、ヴィフォリアは。
長年秘めてきた、溢れんばかりの愛を。
終生枯れさせることなく、伴侶に注ぎ続けたという。