#5 最低
「あっ!杏サァン!」
急にガラス越しに声を掛けられ、肩が跳ねる。
呆然と立ち尽くしていて、店のシャッターを閉めに彼が近づいて来たことに気づかなかった。
「待っててくれたんデスか?お店の中に入ってきても良かったのに」
「いや、とてもそんな雰囲気じゃ…」
「あー、デスよねぇ…杏サンなら、人の濁流に簡単に流されちゃいそうデスね…」
「貶してる???」
いや事実そうなんだけど。
「もう少し待ってて下サイね。もうすぐで終わりマスので…」
「あら〜っ!ザクちゃんの彼女さん?」
「!!」
1人のマダムの声で、店の中から他のマダム達がゾロゾロと出てきた。
「あ…いや…」
反射的に、おずおずと体が勝手にザクロの背に隠れていく。
…「魔性の器」持ちの私は、女性に嫌われ易い。気のいいおばちゃん達も例外では無いどころか、むしろ特に目の敵にされやすいのだ。
「全然、そういうのじゃ、ないんで…」
「…」
そんな私が、職場で可愛がられているイケメンの彼女だなんて、何て反応をされるか目に見えるように分かる。ここは無難にただの知り合いアピールで乗り切らなきゃ…。
「ええ、彼女ではありマセン」
…ザクロも察してくれたみたいで、私の話に合わせてくれている。
と思ったのに。
「私の婚約者デス!」
な、な、
何を言ってんだこのやろうは…!
えげつない沈黙が辺りを包む。やばい。マダム達絶対怒るって。なんでこんな女がとか、今に言い出すって。なにしてんのほんと。
(…怖い)
…無意識にザクロのシャツを掴んでいた指の上に、そっと大きな手が触れる。
「大丈夫デスよ、ほら」
そう言って微笑む彼の目線を怖々辿ると…。
「ふぃあんせ…」
「婚約者…ですって」
『…キャーーッ!!!!あらまーーっ❤』
「えっ…?」
若い子の恋愛を目の当たりにして心潤った時の、マダム達の黄色い歓声が上がっていた。
「やるわねぇ〜ザクちゃん!」
「ちっちゃくて可愛いお嬢さんねぇ❤」
「お式には呼んでよォ〜」
「ちょっと気が早いわよアンタ!」
…なんか。すごく、キャピキャピしてる。
「ほらほら、皆さん店の中戻って〜」
「ハーイ!あ、杏サン、また後で!」
「あ、うん…」
店長に呼び戻され、マダム軍団とザクロは店の中に戻って行った。
…なんだったんだ。
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「ね、大丈夫だったデショ?」
「なに、婚約者って…」
「それはまぁ、言葉の綾というか…」
ハハハ、と誤魔化すように笑うザクロと並んで、帰路につく。
明らかにさっきの写真より大量になっているリンゴの入った袋は、帰り際に彼女ちゃんと食べて!とマダムに色々詰め込まれた結果らしい。
「杏サン、お、怒ってマス…?」
不機嫌そうな顔になっていたのか、少しバツが悪そうに彼は私の顔色を伺う。
「…今まで、あんな明るく接されたこと、無かったから…なんか…複雑?というか」
実際、唐突な婚約者発言に対する気持ちより、なぜ急に?という疑問の方が大きい。
「あぁ、言ってマセンデシタね…。魔性の器持ちは確かに、同性に嫌われ易くなりマス。…しかし、魔物と番になっている状態なら話は別デス。さっきの場合、私達が番同士と認識された事でマダム達の貴女に対する嫌悪感が綺麗さっぱり無くなったんデス」
「…じゃあ、さっきの皆の反応って」
「ええ、貴女に向けられるはずだった純粋な好意そのものデス。…器さえ持っていなければ」
「…」
…本当なんだ、ザクロの言っていた話は。私が魔性の器なるものを持っている事は。
全部自分のせいだと思って生きてきた、この境遇は。
「…器…って、取れたり、治療とか。薬で抑えたりとか、そういうの…」
惨めに縋るような期待の視線。きっとそんな風に見えたんだろう。彼は少し考えた後、悲しげに首を横に振った。
「…器を生まれ持った人間の体質は、我々魔族の有能なお医者サンでも、どうにも出来ないんデス。…私を番だと周りに認識させるくらいしか、一番の対処は…」
「…そう」
何となく、察しはついていた。
初対面の時以降、彼はこの手の話題を避けるようになった。それは私を傷つかせまいとする配慮の他に、確信的な何かをひた隠しているような。そんな気がしていたから。
(じゃあ…1年経って、結婚断って、ザクロが居なくなったら…また…?)
「杏サン?」
彼の心配そうな声で、我に返る。
「…顔色が悪いデス。おぶってチャチャッと飛んでいきマショうか?」
「い、いや、大丈夫、だから…羽、しまって…」
街中でいきなり羽を広げたザクロを窘めつつ、慌てて辺りを見渡す。…幸いにも、疲れて幻覚でも見たと思ってくれそうなおじさん1人くらいしか居ない。
「ンフフ、杏サン以外の人間には基本見えマセンので安心シテ下サイ!あ、抱っこの方いいデスか?」
「そういう問題じゃないから」
「飛んだ方が早いのに…はっ!もしや杏サン、歩きながらするデートの方がお好みなんデスか…!?」
「1回黙って」
「ハイ」
大人しく(しぶしぶ)羽をしまう彼を見てると、本当に吸血鬼の王子なんだろうかと疑いたくなる。ちょっと…いや割と最近ウザくて、おちゃらけてて、庶民じみてて、家事全般が得意で、なんならサボテンにジョニーって名前付けて育てて。それに。
「でもね、杏サン。ちょっとくらいは私を頼ってくれていいんデスよ。好きな子に1人で抱え込ませるなんて、カッコつかないデスから」
「…つけたいの?カッコ」
「好いたお相手の前でカッコつけたいのは同じデスよ。魔族も人間も…え?流石に共通認識デスよねこれは?…やっぱ文化、違いマシタ?」
…私の心が受け取れる言葉をこんな風にさらっと、平気で言えてしまう。
…そんなあなたに、さっき私は。
(…ほんと、自分のことしか考えてない)
「…最低」
「?今何か言いマシタ?」
「…ううん。今日のご飯、何?」
これ以上気を遣わせたくなくて、話題を逸らした。
「そうデスねぇ。安かったノデ、買っておいたアジをフライにして、ひじきと、大根のお味噌汁と…」
「…日本に馴染みすぎじゃない…?」
「杏サンの食べ慣れたもの作りたくて、職場のマダムから日本のレシピを聞き出してるんデス!…菓子パンには負けられマセン」
「…もう隠れて食べないから…」
話す度に分かる、自分には不釣合いな彼の優しさが。まるでちいさな針みたいにチクチク胸の中を刺して、痛い。
(…あと、11ヶ月とちょっと)
きっとこの痛みを隠しながら、別れの時を待つんだろう。
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『あの羽は…間違いない。あいつだ』
自分たち魔族、または「視える」人間にしか見えない。その黒い霧は、こちらが気付いているのも知らずか、呑気に後をつけてくる。
(はぁ、やはり来たか。鬱陶しいのに目をつけられたもんデス)
こうも気配を押し殺さず堂々と視界の端で彷徨かれては、折角のデートが台無しだ。
しかしあの影をここで無碍に追い払っては、後々こちらの都合が悪くなるのは明白。
(…ま、誰だろうと私の邪魔はさせマセンけどね)
本当は彼女を抱えて飛んでいこうかと思っていた。…が、敢えて普通に歩いてやる事にした。その方がついてきやすいだろう。
(片をつけるなら早い方がいいデスからね。…はぁ、面倒デス…)
本当は2人きりの時間を他者に妨害されたくはないのデスが…まぁ。少しの我慢は、仕方の無い事デスね。
全てはそう、彼女と私の為。なのデスから。