#3 1年だけでいいんデス
「ー待って!!」
伸ばした手はただ、空を掴むだけだった。
行き場のない手先を下ろすと、言いようのない安堵と重い疲れに襲われる。
…悪夢。にしてはやけにリアルだった。
そのおかげで気分が悪い。
(…久々に嫌なもの見た)
スマホのホーム画面にうつる時刻は、朝の9時過ぎ。
幸いな事に、今日は祝日で学校は休み。ゆっくりできる。
「そういえば…昨日の吸血鬼さん、どうなったんだろ」
ふと、いつの間にか寝てしまう前までの記憶をたどる。
…混乱するあまり、ぶっきらぼうな態度を取ってしまった事は憶えてる。
私を窮地から助けてくれたのに。…いや、でもそれは私が「魔性の器」を持っていて、子供を産ませるための目的で助けたってだけで。
…けど、去り際に少し見た彼の顔は、今思えば辛そうで、寂しそうで。
…モヤモヤする。すごく。
ていうか、彼は本当に存在するのか。もしかしたら昨日の事含めて全部、夢だったんじゃないか。私が襲われたことは事実で、そこから何とか逃げきって眠ったから変な夢を見たのかも。
…なんて、ごちゃごちゃ仮説を立てても布団にもぐって考え込んでも埒が明かない。
仕方なく、適当に身支度を整えて階段を下りた。
昨日あんな別れ方を(たとえ夢でも)してしまったからか、変な緊張感が湧きあがる。
意を決して、そ~っと居間の戸を開けてみる。
…誰もいない。
あ、やっぱり夢だったんだ。
メルヘン脳の自分に心底呆れつつ、安堵のため息が出る。
「…だよね」
一応隣の客間も、襖をあけて確認する。
ほら、黒い棺桶以外なんにもない。安心してまた襖を閉める。
取り敢えず水でも飲もう。寝てる間結構汗をかいたみたいで、喉がカラカラだ。
…
待って。
…棺桶?今棺桶あったよね?しかもパッと見西洋風のやつ。
…まるで吸血鬼が、入ってそうな。
ゴクリ。
静寂の中。生唾を飲む音と、段々と早鐘を打つ心臓の音がやけに大きく頭に響く。
…意を決してもう一度、襖に手をかける。
ガラッ!!
「ッぴぁっ!??」
「ウ”オ”ァっ!?!?い、いらっしゃったんデスか!?」
勝手に開いた襖に驚いて、変な声が出た。
それは相手も同じようで。昨日の紳士的な声色とは程遠い、ゴリラみたいな声を出した。
「あ、あー、ゲフンゲフンッ!! お、おはようございマス…?」
「あ、お、おはよう…ございます…その、棺桶…」
「あ、あー!あの柩、私の実家から持ってきてて…こう、魔力で空間を捻じ曲げてちょちょいっと…お邪魔デシタか…?」
「あ、いや…ダイジョウブデス…」
「「…………」」
「…あの、」
気まずい沈黙の中、先に口を開いたのは彼だった。
「昨晩は、不躾な事を聞いてしまったり…貴女の置かれた状況も、それについていけない気持ちも考えず。スミマセンデシタ…あれでは無駄に誤解させてしまったも同然デス…」
「誤解…」
その言葉が、いやに喉元に引っかかった。
ーだって、あなたが吸血鬼で、子供を産むための人間を娶らなきゃいけない事は全部事実で。私がその器に当てはまることも、なんの誤解でもない真実なわけで。それの何が誤解だというの。
第一、こんな何の取柄もない、根暗で、ノロマで、何考えてるかも分からない不気味な女。お妃様にするだけ恥ずかしいのに。きっと心の底ではあなただって、嫌なはずでしょ。
「…嘘、つかなくていいから」
…気がついたら、思いついた事全部言ってしまっていた。
普段大して喋らないからつっかえつっかえで、少し長く話しただけで息切れしてしまう。
なんでこんなに苛立つんだろう。ただ、彼の一々こちらに気を遣うような物言いが、私の器を手に入れるという目的に矛盾した優しい振る舞いや素振りが。何故だか無性に。どうしても癪に障った。
(あー…みっともない)
そんな思いから、俯いた顔が上げられない。支離滅裂な事を言っておいて、八つ当たりじみた感情をぶつけておいて。相手の顔すらまともに見れない自分に、更に情けなくなってくる。
「だから…あなたと結婚するのは…無理…」
「…成程、わかりマシタ…それでは」
ただ静かに、彼の言葉が降りかかる。…これでいいんだ。
これでまた、静かで平穏な日々に戻れる。このまま何事も無かったかのように。
一人に戻れる。
…
「それでは、貴女に私の愛が伝わるまで、一緒に住ませて頂きマス!!!」
…え?
「そうデスよね、私とした事が!初対面の男が求婚したって怪しさ満点デ~ス!この身に溢れる愛のたった一欠片も伝わるわけがない!うんうん、だから時間をかけてゆっくりとでも…」
…えええええ…?
「で…」
「?」
「今の、出て行く流れじゃ…」
「そんな簡単に引き下がってたまるもんデスか!私、諦め悪いんデス♡」
ええええええええええええええええええええええええええええええ
「杏サン」
不意に名前を呼ばれて、開いた口がやっとふさがる。
「人間には理解できない感覚かもしれマセンが…我々吸血鬼は、自分の魔力に合った器を持つ人間をね。どんなに抗っても好きになってしまうものなんデス。…まるで」
彼が近付き片膝をついて、私の顔を覗き込む。
「運命のひとに出会ったかのように、いとも簡単に、呆気なく恋に堕ちてしまう」
縋るみたいに。潤んでゆらゆらと揺れる紅色から、目が離せなくなる。
彼の瞳に捕らえられると何故か、吸い込まれてしまうみたいに視線を逸らせない。
「確かに貴女からすれば…貴女の持つ器だけを狙うただの獣にしか見えないかもしれマセン。…デスが、それ以上に私は。貴女が欲しい。その心ごと全て、貴女と添い遂げたいと願ってしまうのデス」
「な、な」
恋愛小説みたいに甘…こっぱずかしい台詞を、そんな甘い顔で。
そういう事に一切耐性が無さすぎて、顔がどんどん熱くなる。
耐えかねて顔を逸らそうとしても、それは許さないと言わんばかりに優しく頬に手が添えられる。
「貴女は随分奥手で、疑い深くて、ご自分に自信が無いようデスので。この想いを嫌と言うほど…嫌だと言っても、包み隠さず伝える事にしマス。…私の好きな人を悪く言った仕返しデスよ」
ニマニマと悪戯っぽく、私の反応を愉しむように彼は笑う。…なんか腹立つ。
「1年。1年でいいのデス。貴女を口説き落とすチャンスを下サイ。貴女が嫌がることは絶対にしマセンし、許して下さる迄指一本触れたりしマセン。無理やり連れ去るなんてこともしないと誓いマス。魔族の人間に対する誓いは絶対で、破れば私に重い罰が下りマス。どうせ断るつもりだって構いマセン、どうか1年だけでも。この哀れな男に夢を見せて下サイ」
「…いち、ねん…」
一年。一年経ったら諦めてくれる。
…でも。そんな私に都合のいい誓いなんて、嘘かもしれない。
「…断ったら?」
「目の前で失恋の傷に耐えかねた私がギャン泣きするだけデス」
なにそれうざい。
「ちなみに、私が本気で泣いたらガラスを割ってしまうかもデス」
なにそれとっても迷惑。
「…うーん」
「…ダメデスか…?」
目の前の彼はさっきの決め顔と打って変わって、捨てられそうな子犬みたいだ。
なんなら背景にクゥ~ン…という文字が見える。
…そういえば。お父さんは多忙で、あと数年は帰ってこれない。
「…一年、だけ。さっきの約束守ってくれるなら…」
「!!!!!!!」
情に流されてしまった私は、そう言うしかなかった。
「~~ッありがとうございマス!!」ガバッ
「え、ちょっ…」
感極まったのか、ハグをされてしまった。
「あべべべべべべ!!!!!!!」
「!?!?」
…と、同時に彼の身体にだけ、謎の電流が走った。
「…とまあ、このように…貴女に許可されていないスキンシップをすれば。魔界より不思議な力で罰が下りマスので…」
「だ、大丈夫…?」
黒焦げになってプスプスと煙を立てる彼の頭を見れば、立派なアフロヘアーになっていた。
「…ッぷ」
「…今笑いマシタ?」
「あっ…ごめ、ふふふ…」
「あー!酷いッ!!いや私の自業自得デスけど!!」
ごめん。だって反則でしょそれは。
西洋風の端正な顔立ちにアフロヘアって。
「…やっぱり貴方は、笑ってた方が可愛いデスね」
「…!」
…今の表情、何かを思い出しそうだった。
「さて、では気を取り直して…」
…まぁ、今はいいや。
「これから宜しくお願いしマスね、杏サン」
「あ、よろしく。えっと…」
「ザクロでいいデス」
「…うん、よろしく、ザクロ」
これから一年は、一人ぼっちじゃいられなさそうだ。
(…ところで)
私、いつザクロに名前教えたっけ…?