5
僕はレミーユさんとセシリアさんを先導しながら馬を走らせていた。
クロノワール山脈を右手側から迂回して、今は大森林の中を駆けている。
かれこれ五日くらいは休むことなく進み続けているけど、先々に魔族の死骸や飛び立った血の跡があって、どれもまだ新しいものだった。
それが何を意味するか。
アーサーがここを通ったばかりだということだ。
現に僕たちは一度として魔族と邂逅していない。ここは魔王軍のテリトリーになっているエリアだから、それは常識的に考えてあり得ない話だ。
彼が迫り来る全ての魔族の斬り倒しているに違いない。
「二人とも、馬とはここでお別れだよ」
大森林を駆け抜けると、次に見えてくるのは広い荒野だった。
地盤が酷く歪んでいて、とても馬が走れるような地形ではない。
申し訳ないけど、馬は森の中に放つことになる。
「……酷い有様ですね」
「魔王の仕業、だよね」
馬を降りて息を呑む二人の視線の先には、廃れた荒野が広がっていた。
漆黒の空は分厚い黒雲に覆われていて、辺りには肌を刺すような鋭い空気が漂っている。
人類が住む地とはまるで違う空気感だ。
太陽が見えないから日光を浴びられず精神的な疲弊が溜まる。
更に雑草すら生えない劣悪な地質は黒々としているし、辺りは静寂に包まれて風の音しか聞こえない。
人間の五感の全てを苦しめるような悲惨な環境だった。
「バザーク、あの街はもう?」
レミーユさんが指を差した先には街だった場所がある。
「うん。十年以上前に滅ぼされてるよ。僕の故郷さ」
レミーユさんの問いかけに答えながらも歩みを進める。
街を取り囲む高い石壁は崩れ落ち、その間からは雑草が無秩序に伸び放題となっている。かつて舗装されていた石畳の道は、大きくひび割れ、ところどころに苔が生え、不気味な静寂が立ちこめる。
僕は街の中へと立ち入り、久方ぶりに街の風景を眺める。
ここよりもっと奥には侵略された大きい国もあったりして、魔王城に近づけば近づくほど凄惨な景色へと移り変わっていく。
「……すごいね。あたし、こういうの初めて見た」
セシリアさんは街の中心にある大きな尖塔を見上げていた。
かつてはこの街の人たちの手で守られていた街のシンボルだったはずなのに、今では僅かな衝撃を与えれば崩壊してしまいそうな状態だった。
「エルフの国の一部も魔王軍に攻め込まれています。今は幸いなことに魔法結界を張って対抗できていますが、破られるのも時間の問題です。この街と同じ未来を辿る日は近いでしょう」
魔法に長けているエルフでさえ苦戦しているのだから、十数年前にこの街が滅んだのは自明だった。
魔族の数はモンスターよりも少ないけど、個々の能力が圧倒的に高いから敵わない。
でも、それは勇者様が現れなかった場合の話。
今は違うと思う。
「少しだけ休憩しようか。疲れて危機管理能力を失うのが一番怖いからね」
「そうですね」
「ほんとは早くアーサーくんのことを見つけたいけど、休憩も大事だししょうがないねー」
僕たちは近くの瓦礫の上に腰を下ろした。
もちろん、周囲の警戒を怠らずに。
「そういえば、レミーユさんとセシリアさんは、どうしてアーサーを追いかけているの?」
ずっと馬を走らせていたから、詳しいことは中々聞けなかった。
レミーユさんがハイエルフの国の第三王女様で、セシリアさんがアルス王国の第二王女様っていう話だけは聞いた。平民の僕やアーサーとは身分的に格が違う。
そんな二人がアーサーを追う理由が気になった。
「彼を一人で行かせないためです。きっと故郷の村を救う為の行動だったかと思いますが、さすがに魔王は一人でどうこうできる相手ではありません」
「そうそう。きみはどうしてあたしたちに協力してくれるの? アーサーくんのお友達ってわけでもなさそうだけど」
「僕はアーサーに伝えたいことがあるんだ。だから死なれたら困る。家族のことで悲しんでいたから、こんな僕でも何か役に立てたら嬉しいかな」
アーサーは両親が犠牲になったその訳を知りたがっていた。村長さんと話した感触からして、彼の両親が亡くなった原因は明白だった。
易々と命を落としたわけではなくて、村長と村に殺されたんだってしっかり伝えたい。それがどう転ぶかは全くわからないけど、僕だったら自分の家族が亡くなった理由を知らないままなのは嫌だから。
「彼の家族は無事でしたか?」
「……」
僕は肩をすくめる。言葉は必要なかった。
「そう、ですか」
「すごく悲しんでたよ」
今思い返せば、アーサーがあれほどまでに早く出発したのには、自暴自棄になっている側面もあったのかもしれない。
それだけお父さんとお母さんが大切な存在だったんだ。
「……ところでさ、レミーユさんとセシリアさんに聞いてみたかったんだけど、勇者様は誰だと思う?」
アーサーこそが勇者様であるっていう直感が、僕の勘違いじゃないかどうかの確認だった。
二人は僕よりもアーサーと親しいだろうし、彼を見て何か感じているかもしれない。
「アーサーでしょうね」
「うん。アーサーくんが勇者だよ。直感的なものだから、あたしたち以外の人にはわからない感覚だろうけどね」
澱みなく頷くレミーユさんと、得意げな様子で胸を張るセシリアさんが視線を交わしていた。
二人も僕と同じだったんだ。
聞いてみてよかった。
単なる直感だったけど、やっぱり僕の勘違いじゃなかったんだね。
「僕もわかるよ。一目見て思ったんだ。アーサーこそが勇者様だってね」
「え?」
二人は揃って素っ頓狂な顔になったかと思いきや、途端に訝しげな視線を向けてくる。
「な、なに? そんなに見つめて……どうしたの?」
「それはつまり、私たちと同じく直感でアーサーこそが勇者であると思った……ということですか?」
レミーユさんは後退る僕に近寄り下から見上げてくる。猜疑心を孕んだ声色だった。
「だって、アーサーは百体以上の魔族をたった一人で倒してたし、何よりもあの佇まいはそうなんじゃないかなって思ったんだ。聖剣は持ってなかったけどね」
「ふーん……きみが、そうなんだー」
「え、えーっと、僕、何かまずい事でも言ったかな?」
セシリアさんが瞳を細めてじっとりと見つめてきてるけど、意味がよくわからなかった。
「ううん。別に。ただ、運命ってあるんだなって思っただけだよ。百年前の勇者パーティーも運命に導かれて出会ったっていうしね。どうりで初対面なのにシンパシーを感じるわけかぁ……それなら納得だね」
「それってどういうこと……?」
僕はセシリアさんからレミーユさんに視線を移す。
すると、レミーユさんはひとつ咳払いを挟んで口を開く。
「んー……アーサーくんが勇者で、レミーユちゃんは賢者なの。そして、あたしは僧侶。じゃあ戦士は誰だろうね?」
「……ごめん、全然意味がわからないや」
楽しげに茶化してくるようなセシリアさんの問いかけを理解することができなかった。
見かねたレミーユさんが呆れた面持ちで息を吐く。
「セシリア。そのような遠回りな言い方をしたら誰も分かりませんよ」
「はいはーい」
「では、バザーク。大前提として、貴方は勇者様を見つけ出す方法をご存知ですか?」
「えーっと……聖剣を抜いた人が勇者になるよね……あれ? もしかして他にも方法があるのかい? 僕は庶民だからそういうのには疎いんだよね」
含んだ笑みを浮かべるレミーユさんの表情からして、まだ僕の知らない何かがありそうだった。
聖剣を抜いた勇者候補が勇者に栄転するというのは僕でも知っているけど、それ以外の方法なんて聞いたことがない。
「賢者モルド様の話によれば、資質を持った賢者と僧侶と戦士は直感で勇者を見つけ出せるみたいですよ。更に、賢者と僧侶と戦士は運命的に惹かれ合うとか……勇者様もまた同様です」
「そうなんだ」
「まだわかりませんか?」
「え?」
「私たちが初対面なのに妙なシンパシーを感じたことには意味があると思いませんか? 更に、アーサーこそが勇者であると直感した理由を考えてみてください」
レミーユさんは真っ直ぐ僕の瞳を見ていた。
なんとなく、その言葉を聞いてわかった気がするけど、それはあまりにも非現実的すぎて信じられなかった。
でも、今の話が本当なら、それしかあり得ない。
「……僕が、勇者パーティーの戦士?」
「その通りです」
微笑みながら頷くレミーユさんを見た途端、僕の心臓は大きく跳ねた。
それは喜びと不安によるものだった。運命に選ばれた自分のことが怖くなる。
「いや、待って。仮にそれが本当だったとしても、アーサーが聖剣を持っていなかったのはどうしてなんだい? アーサーが勇者様なら聖剣を抜けるはずだよね?」
「それは私たちにもわかりません。ですが、アーサーは聖剣のグリップを握った際、不敵に笑ったそうですよ。それにも何か意味があると思いませんか?」
「うん。パパは資質がどうとか言ってたけど、自分の故郷を助けたくて余裕がなかったアーサーくんが、そんな場面で意味もなく笑うわけがないものね」
「……じゃあ、アーサーは《《聖剣を持たない勇者様》》ってことかい?」
随分とおかしな話だけど、アーサーは聖剣の力を信じすぎるなって言ってたし必ずしも聖剣が必要なわけではないのかもしれない。
「私とセシリアの推測ではそういうことになりますね。無論、彼自身に聞かなければ真相は分かりせんが」
「そう……でも、当然だけど特殊能力は持っているんだよね? 僕はあまり詳しくないけど、とびきり強い能力だったりするのかい?」
聖剣以外にも気になっていた事だった。
「わかりません」
「わからない?」
「ええ。アーサーは私やセシリアだけではなく、周囲の誰にも自分が持つ特殊能力の事を語っていないので、彼が持つ力を知る人はこの世に存在しません」
僕に隠しているとか嘘をついているとか、そういうわけではないみたい。不服そうに頬を膨らませている様子を見るに、本当に何も知らなさそうだった。
となると、ますますわからなくなる。
たくさんの疑問が頭の中に湧いてくる。
「……確かに、魔族を倒した時も剣しか使ってなかったかな。どうして隠すんだい?」
「それもわかりません。きっと何か深い理由があるはずなんですが……」
「アーサーくんは『特殊能力を使うには覚悟が必要』って言ってたよ。だから、多分相当訳ありなんだろーね」
セシリアさんは天を仰いで呆れた面持ちだった。
唇を尖らせて不満そうにしている。
「訳ありって……まさか、彼は聖剣でもなんでも無い剣一本で魔王を討伐するつもりなのかい?」
「そのようです。聖剣は抜けなかったので仕方ないにせよ、特殊能力を使用せずに魔王に挑むだなんて自殺しにいくようなものですよ」
レミーユさんは大きな溜め息を吐く。アーサーの身を案じるあまり気が滅入っているみたいだ。
「でも、アーサー自身は特殊能力の事を誰にも話したくないんだもんね。無理な追求はしない方が良さそうかな?」
「うん。あたしも最初はグイグイ聞いちゃったけど、あんなに誤魔化されたってことは本当に言いたくないんだろうねぇー」
セシリアさんは確かにグイグイ聞いちゃいそうだ。
僕も初対面でにじり寄られたしね。
「そうですね……私も彼の能力が心底気になりますが、今の段階での追求は控えようかと思います。魔王との一戦を控え、私たちの信頼関係が最大限に達したその時、尋ねてみましょう。
今は剣だけで魔王を討伐するという勇者様のことを、賢者として信じてみます」
僕たち三人の中で一つの約束事が決まった。
勇者様であるアーサーが剣一本で魔王討伐を成し遂げるって言ってるんだから、仲間である僕たちがそれを信じないのは間違っているしね。
まあ、まだ実感が湧かない部分があるけど。
「それにしても、僕が戦士かぁ……夢みたいだなぁ」
考えるに連れて、胸の辺りには温かみが宿る。
心臓の鼓動が早くて、力が漲る気がする。
「私も同じです。アーサーが勇者様である事実は信じられるのに、自分が勇者パーティーの一員である事実は未だ信じきれません」
「あたしは最初から自分のことを信じてたよ! だって、あたしと同じくらいの回復魔法と補助魔法を使える魔法使いなんて他にいないしね! レミーユちゃんも謙遜してるだけで一緒だもんね?」
「まあ……威張るつもりはありませんが、否定はしません」
胸を張って堂々とするセシリアさんと照れ臭そうなレミーユさんは、対照的でありながらも相性が良さそうに見えた。
適度な相性と仲の良さは戦闘において優位に働く。
特に連携面に関しては言うまでもない。
僕の気さくな性格と空気に溶け込む力は、そういう面で役に立てそうだ。
「……さて、そろそろ出発しようか」
僕は瓦礫から飛び降りて体を伸ばした。
短い時間だけど、談笑することで気を休めることができた。
空は黒い雲に覆われているけどまだ夜って感じではないし、もう少し先に進めると思う。
この先には別の小さな街があるから今日の目標はそこに辿り着くことかな。
魔族を倒しながら進むアーサーはそれほど遠くにはいないはずだから、彼に教えた最短ルートをそのまま辿っていくのが良いと思う。
「バザーク、魔王城まではどのくらいですか?」
「地図上の話だとこっちの方向に果てしなく進めば魔王城があるね。かつての大国を魔王が侵略してそのまま使ってると思うよ。でも、地殻変動と悪天候のせいで簡単に辿り着くことはできないし、距離も相当あるはずだよ」
魔王城の場所は変わっていないと思う。
魔王は魔王城を中心に勢力を拡大していて、その度に人類から現れた勇者と戦っている。
百年前は同時に勇者様にかなり追い詰められて力を落としたみたいだけど、ここ数年はめきめきと活性化を図っている。
「まあとにかく、アーサーを追いかけようか」
僕は二人に微笑みかける。
レミーユさんは笑みを返してくれたけど、なぜかセシリアさんは高く積まれた瓦礫に目をやり固まっている。
横顔しか見えないけど、瞳を閉じて耳に手を添えているのがわかる。
「……セシリア? どうかしたのですか? 瓦礫に何かあるのですか?」
「うん……何か聞こえない? 近づいてくるよ……何かが飛んでくるよ!」
耳を澄ましていたセシリアさんは突如として目を見開き叫びを上げると、僕とレミーユさんの手を取って後方へと駆け出す。
寸秒。地鳴りのような轟音が響き渡る。
「な、何が起きたのですか——」
レミーユさんの叫びは、刹那の間に流れゆく爆風によってかき消される。更に、同時に発生した砂煙は僕たちの視界を遮り、一瞬、辺りの様子が見えなくなる。
しかし、すぐに煙を切り裂くようにして、一陣の風が吹き抜けた。
途端に砂煙が晴れると、さっきまでそこにあったはずの瓦礫が砂塵に変わっていた。
砂塵は山のようにこんもりと膨れている。
「な、なに!?」
セシリアさんだけじゃない。僕とレミーユさんも困惑して視線を交わす。
何かが瓦礫に激突したのは間違いない。それは魔法かはたまた別の何かか。とにかく、先ほどまで平穏だった空気には暗雲が立ち込めていた。
「セシリア! 臨戦態勢に入ってください! 私に魔法の威力を高める補助魔法を! バザークにはデコイとして動けるように俊敏性と肉体防御を上げる補助魔法を!」
「言われなくてもわかってるよ!」
レミーユさんとセシリアさんが動き出すのは早かった。
山のように膨れる砂塵を見据えて警戒の色を露わにしている。
「……魔族?」
砂塵の山を凝視する。
細かな粒子が山のように膨れた砂の奥には僅かな動きが見え、中に何かが埋もれていることが分かった。
僕はレミーユさんとセシリアさんに視線を送り、恐る恐る砂塵の山に近寄る。
すると、突然、砂の山からガバッと手が飛び出してくる。
次に空気を手繰り寄せるかのようにして腕が現れ、順に頭と体が砂の中から姿を見せる。
それは僕達が探していた人物だった。




