第一章 6 ーー 空を眺める ーー
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空を眺めるのって、そんなに気持ち悪いのかな?
これまで気にしていなかったはず。
それなのに、昼間の圭一の態度を目の当たりにしてしまうと、どうも違和感は拭えない。
どうもこの数日、ストレスは積もりに積もり、その発散法は私にとって、食欲に転換されてしまったのかもしれない。
夜の十時すぎ。
ストレスに耐えきれず、コンビニに向かっていた。
スナック菓子にアイス。後は炭酸?
普段から食事には気を遣い、節制してるけれど、今だけは我慢できない。
ったく。変なストレス溜めたくないな。
お腹を擦りながら、声にならない苛立ちを発散できず、夜の街を歩いていた。
そういえば、空なんてまともに見上げることもないよね。
こんなとき、幻想的な言葉を私は描けない。
曇っていて星の一つも見えないから、幻想的もなれないな。でも。
でも、笑ってしまう。
どうも私は夜空を晴らす才能はなく、かぶりを振ってしまう。
またストレスが溜まりそうだと、二の足を踏むと、ふと辺りに視線を送ってしまう。
気にはしていなかったけれど、気づけば歩道には私だけで誰もいない。
閑静な住宅街。
どこの家も明かりが灯っている。
寂しい道ではないけれど、人の姿がないだけに静寂さで耳が痛い。
一瞬吹いた風が頬を撫でると、冷たさが忘れていた怖さを掘り起こそうとしていた。
……誰かに追われた。
美月は知らない、と笑われたけれど、私には確実に刻まれている話。
不意に足が止まり、息を呑んでしまう。
急に恐怖が足元から忍び寄り、足に絡み出していた。
刹那、どこかで車のクラクションが響いた。空気に反響しただけの音に、体は震えてしまう。
どれだけ脅えてるんだか。
情けなさをごまかすのに苦笑して頭を掻くと、硬直する足を奮起するけれど、やはり踏み出してくれない。
仕方なくスマホを取り出し、すぐさま圭一に連絡を、と指が動く。
しかし、すぐさま指が止まってしまう。
期待を裏切るように、強くかぶりを振る。
圭一には頼れない。
きっとまたスルーされるだけと、不思議と確信を持ってしまう。
それでも彼氏かよ。
と内心毒づいてみたとき、悪寒が背中を走った。
また車? と敏感な自分を嘲笑して振り返った。
眉間は険しくなり、闇に紛れた歩道を睨んでしまう。
街灯が微かに照らす歩道に、人影らしきものはない。
時折、風が風をなびかせ、不安を煽るだけ。
風がぶつかって軋む音。車のエンジン音。何気ない日常の音に紛れて、異質な音が鼓膜を刺激した。
なんだろ、この音。普通だったら聞くことのないだろうノイズ。
「……金属音?」
子供のころ、雨上がりの帰り道。傘の先端をアスファルトの地面につけ、引きずって歩いた姿を想像してしまう。
その傘が長い鉄に変換したような異様な音。
「……何? 金属バット? 鉄パイプ?」
不穏な想像が頭をよぎってしまう。
そんな狂気的な奴がいるの?
ーー 追われてる。
再び美月の脅えた声が脳裏に駆け巡ったとき、全身に血が巡り、体を反転させて地面を蹴った。
逃げなきゃっ。
変な命令に逆らえず、静寂した街を逃げた。
空気を切り裂く私の足音が空に慌ただしく響く。
ここは廃墟なの、と叫びたくなるほどに、辺りの静寂と人のなさが苦しくなっていく。
走るほどに、足が絡んで転けそうになる。走り方を忘れてしまったみたいに、歩幅がいびつになっていく。
いるっ。
空耳じゃない。
確実に地面を擦る金属音が強まり、鼓膜を締めつけていく。
誰か、人…… 人のいるところ……。
焦りは強まるのに、人影はない。点々と街灯が続いているだけ。
少しでも明るい場所に。
限界を迎えそうな足に命令を下した瞬間、頭上にあった街灯が唐突に消えた。
私の存在を消すように、消えた街灯に足が止まり、呆然と立ち尽くしてしまう。
驚きから目を丸くしていると、前方の街灯が次々と消えて暗闇が辺りを支配していく。
ーーえっ?
まだ家の明かりが残っていたはずなのに、その明かりすら奪われ、完全な闇が私を包んだ。
ーーっ。
急激に息が詰まってしまう。
後ろに人の気配を感じて。
ーー だ……。
「ーー忘れろ」
地を這うような重苦しい声が体を蝕んでいく。
窒息しそうななか、空気が抜けていく。
「影法師……」