第一章 1 ーー 何気ない時間 ーー
第一章
1
空気に重さはないんだと思う。
けれどなんだろ。面倒な学校にいると、乾燥した風でさえも、懐かしく思ってしまう。
ーー 池内。
見ず知らずの風に頬を撫でられるより、つまらない授業によって、教室の張り詰めた空気の方が落ち着いてしまうのだから、私って本当に捻くれてるわね。
ーー 池内っ。
でも、世界は違っても空の色は同じって、なんか不思議。
「ーー池内っ」
教室の後ろの席から、窓の外に広がる青空を眺めていると、一際鼓膜を通る、低い中年男性の声によって、私を嫌がる現実へと戻された。
瞬きをすると霞んだ視界は鮮明に広がり、教室が一望できた。
教壇の前の列の最後尾と、一番目立つ私の席に、クラスメイトの何十もの視線が注がれていた。
注目されたことにげんなりし、溜め息がこぼれそうななか、より険しい眼差しが教壇にあった。
英語教師の釈然としない嫌悪のこもった眼差しが。
腕を組み、仰け反る姿から、かなりご立腹らしい。
「池内、ちゃんと聞いていたか? ここの意味わかるか?」
ほんと、嫌味な奴。
聞いていなかったのを知っていて言うのだから。
憎らしげに指で黒板を突くのだから、余計に嫌になる。
「わかりません」
即答すると、教師はげんなりして溜め息をこぼした。
「あのな、少しは考えたらどうだ?」
「考えたって。それでわかんないの」
別にふざけていない。黒板の英文は本当に理解できないから、正直に言ったの。
ちょっとふざけて笑ってみせると、
「……もういい」
と力なくもらし、頭を抱えて弱々しくかぶりを振った。
私と教師との一戦を鑑賞していたほかの生徒らの失笑が、教室の至るところで沸いていた。
クスクスという声を肌に受けながら、椅子に深く凭れた。
「じゃ、佐々木」
教師は標的を私から逸らした。
私の勝ち。
自然と頬が緩み、口角を上げた。
ほんと、私って捻くれてる。
授業終わりの休み時間。
「遥香、いいの、あの態度? 内山の奴、結構根に持つって話よ」
休み時間になり、胸の前で腕を伸ばしていると、さっきのやり取りを心配してくれた友人、美月が駆け寄ってきた。
まるで自分が責められたみたいに、美月は目尻を下げ、今にも泣きそうになっていた。
葉山 美月。
もとから童顔で幼いんだら、泣きそうになるとよりか弱く見えてしまう。
まあ、本当に気が小さい子だから、むげにはできないんだけど。
頭を抱えそうな美月にあっけらかんと笑い、顔の前で手を振った。
「大丈夫、大丈夫。試験で赤点さえ取らなければ、内山だって文句言えないんだし」
「まったく、どれだけ楽観的なのよ」
「美月が怖がりなだけよ。気にしなくていいじゃん。美月ももっと自信持ちなって。そうすればーー」
モテるのに。
「自信って、私これでも普通だよ」
その内向的な態度、本当にもったいない。私としては羨ましいけど。
本当ならもっと茶化したいけれど、この子は真面目に受け取りそうだし、このままにしておこう。
モジモジとする美月を見ていると、ふと頭によぎるものがあり、つい鼻に手が止まる。
…………。
「どうしたの? 急に黙っちゃって」
急に黙ってしまう私を心配したのか、美月は首を傾げる。
「あ、ううん。なんでもないよ」
この子なら、異世界のことを話しても信じてくれるのかな……。
目を丸くする美月をじっと見詰めていると、そんな期待を持ってしまう。
ううん、ダメ。そんなの絶対。これは信じてくれないだろうし。
「さっきもそうだけど、遥香なんか機嫌悪いね。井上くんと何かあった?」
「何それ?」
つい笑ってしまう。
普段、オドオドしてんのに、興味のあることには目を輝かせるんだから。
「なんで、あいつが出てくんのよ」
「ーー喧嘩?」
それでも深く聞いてくる美月に呆れ、首筋を擦ってしまう。
なんで、圭一が出てくるんだか。
井上 圭一。
一応、彼氏だけど。
「あいつは何も関係ないわよ」
笑って受け流しておいたけれど、どうもスッキリしないな。嬉しそうにする美月を見てると、どうも遊ばれているみたい。
「じゃあ、どうしてそんな機嫌悪いの?」
いや、普通なんだけど。
でも、なんだろう。気になることはあるんだよね。
ふと、教室を見渡してしまう。
不思議そうに瞬きをする美月の横で、ざわめきの生徒らを観察してしまった。
なんだろ、この変な違和感……。