表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/17

混沌


 それにしても酷い揺れだ。

 もう慣れっこだが、睡眠が足りていない日などは気になって仕方がない。

 これに乗ってもうすぐ一年だ。だが、まだまだ慣れる事ができない。というのも、この走行機は日によって全く機嫌が違うのだ。もしや本当に生きているのでは? と思うくらい明確に調子が違う。公社長がそう言うように、自分もそろそろ走行機は生きているという哲学を受け入れるべきなのだろうか。

「おーい。止まれー!」

「んん……?」

 前方の道路に人や走行機が集まっており、その最後尾で国防吏員が両手を大きく振って叫んでいる。服装からすると巡査だ。ニック・ルーカスは排気弁閉鎖レバーを思い切り引き、ブレーキペダルを踏んだ。これも古いので、体重をかけて思い切り踏み込まないと効かない。

「あのー! 急いでいるんですけど、何かあったんですかー?」

 砲台のガラガラという機関音に負けないよう大声を張り上げる。

「緊急出動任務のためです! 道が混雑して警備の走行機が通れないので少しお待ち頂きたいんです!」

 若い巡査がこれまた元気な声で応える。

 なるほど。どうりで微かながらビーッ、ビーッという警報が鳴っているわけだ。国防の走行機は緊急時、黄色い警告灯を点滅させながらこの音を出してつっ走ってくる。

「わかりましたー……って、嘘でしょ」

 ――困った。急ぎの積み荷を扱っている最中だ。

 エルドラドの通りは浮浪者も大勢道端に転がっているが、露天商や移動販売、流れ者の占い師や似顔絵師などが勝手に自分のおままごとをやっているのでいつも大混雑なのだ。そしてそこを自分のような荷運びや金を払って行きたい所まで連れて行ってくれる『たくし』なる走行機が無理やり通る。まるで重度の便秘状態を髣髴とさせる通じの悪さ。

「配達予定時刻は午前九時。今の時刻が八時十五分。遅延猶予はたったの三分か」

 配達場所はここから三十分ほどの場所にある喫茶店で、飲み物の原料を二十キロ。

 順調にいけば間に合う距離だが、この状態じゃ、ここを抜けるのに十分でいけるかどうかは怪しい。

 仕方ない。一種の賭けになるが、以前に雇い主から聞いた抜け道を通る事にしよう。

 行きたい道がどん詰まりなのに、馬鹿正直に会社の指定する道なんか通らなくてもいい。

 ニック・ルーカスはギアを入れ替えると、舵を思い切り切ってすぐ横の時計店と靴店の間の通路に巨体を押し込んだ。店先に新商品を置いていた靴店の女主人が金切り声で不満を叫んできたが、その不格好なブーツに排気がかかる事より配達が遅れる方が罪が重い。

「うわ。やっぱり」

 メイン道路の裏には昼間っから酔っ払いや怪しい占い師にやたらと前のめりになりながら必死に何かを問いかける女(きっと、自分は結婚できるかとか、理想の相手がいつになれば現れるのかというどうでもいいこと)などがいて邪魔臭くてしょうがない。

 鉛のように重たい舵をせわしなく左右にさばき、三つもあるペダルとギアレバーや排気弁レバーを操作したりと、荷運び機の操縦は全身運動で疲れるったらありゃしない。

 絵に描いたような力仕事なのに、最近は仕事が無いので子連れの女でも走行機操縦の面接にやってくる。やっぱり十七の自分がみても異常な世だ。

「おい! わざわざこんなところに入ってくんじゃねーよ! 箱ッ引きが!」

 酔っ払いが空の瓶を機体に投げつけてきた。よくわからないが、荷運びをしていると箱ッ引きとよく言われる。個人的に、あんまり聞こえがいい言葉じゃない気がする。

 あんたにだけは言われたくない、そういう言葉を口にするのを堪えながら操縦に集中する。十分は走っただろうか。最も走りづらいところは超えた。

 少しばかり緊張が緩む。 

「……あれ?」

 ――何か、ちがう。

 直感でそう思った。

 運び屋をやっていると、道の表情が分かる。

 ギルドラド街道ほどではないが、それなりに広い通りに出た。

 だが、なんだか空気感が違う。

 まずい。間違えた。

 第六感がやけに騒ぎ始める。

 胸の中に飼っている得体の知れない虫が、ワナワナと羽音を響かせる。

「くそ、これじゃバックできやしない!」

 道のあちこちにゴミが散らばり、ボロボロでもう使われていない走行機や大きなゴミ箱、雑誌の束などが散乱している。

「まずいぞ。間に合わない」

 とにかく、方向さえ間違わなければ紆余曲折しながらも目的地へは近づくだろう。

「たのむよほんとに」

 時間超過すると、その度合いに応じて給金がマイナスされてしまう。いちおう遅延猶予というものを先方に提示してはもらっているが、基本的に遅延は罪。ただでさえ少ない給金、引かれたら欲しい彫刻刀が買えなくなる。

 それはいやだ。

 どこで道を間違えたのか――

 よく通る道なのに。

 不気味なポイントだ。大通りからほんの十分足らずでこんなゴーストタウンのような場所に繋がっているなんて知らなかった。今の仕事を始めてもう三年になるが、まさかこんな場所があるとは。何気なく視線を流した場所を、思わず二度見していた。

(――踊り豚――!!)

 服を着ているし、仮面は被っていない。しかし、あの病的な肥え方と一九○はあろかという巨体から、件の踊り豚であるという事がすぐに分かった。慌ててブレーキをかける。荷台の荷物が荷崩れを起こしたらしく、操縦席の後ろからどんがらがっしゃん、嫌な音。

 豚男はその音に気付き、こちらを振り返った。距離にしておよそ十五メートル、薄暗い建物の間からこちらを覗いている状況だが、何か様子がおかしい。

 向こうは自分が乗っている走行機ではなく、操縦席をしきりに気にしている……というより乗っている人間を必死で把握しようとしているようだ。

 明らかに、こちらに対する何らかの意思を感じる。

「まずい。狙われてる」

 だがしかし、豚男のいる方向へしか走行機を進められない。仕方がないので、豚男から目を離さないように注意しながら慎重にアクセルを踏み込む。

 もし、あの豚男が襲ってきた事を考え、護身用の鉄の棒を握り締める。

 ようやく、初めて、豚男の素顔を拝んだ。

 丸くて脂肪ののった顔。

 クセの強い金髪。

 口元にあるホクロ。

 長い耳たぶ――

 これだけ見えて、砲台はトンネルへと入ってしまった。

 前を向き直ったニック・ルーカスは妙な気分になった。

(あのひと、どこかで見た事あるような気がする――)

 だが、肝心の詳細情報が、記憶から浮上してこない。濁った湖底で泥に半分埋もれたまま、だが何かを主張しようとしてブルブルと振動している、それが無性にむず痒い。

 砲台の機関部がおかしな音を立て始めた。今朝オイルの注入を怠ったせいだが、まったく律儀なものだ。

 トンネルを抜けたところで停止させ、オイル缶を掴むと高い操縦席を降りた。

 

 やがて何度か曲がりながらも方角を見失わずに進んでみると、いつもの大通りに合流した。ここから南の方角へ向けてひたすら一本道を駆け抜けた。

 このルートの荷運びは前にもやった。ニック・ルーカスは近~中距離輸送を主に担当しているので、このような長距離の荷運びはそもそも不慣れだ。

 それでも、同じ歳の長距離担当の仲間が言うには、人も走行機も通りが少ない区間が少なくとも七ヵ所あり、この辺りには遊牧民化した一部の危険な黒髪族がおり、下手をすると帰ってこられなくなる……確かに、前に酒場でそのような話を聞いた。直接聞いたわけではないが、隣の席にいた仲間が声高に話しているのを小耳に挟んだのだ。

 急がなければ――気持ちが急かされる。


*     *     *


「こちら七番巡回機、ギルドラド街道を抜けてカマロ横断道路へ進入します」

 定期便の無線連絡をすると、すぐさま早口の返信が返ってきた。

『七番巡回機、そっちの道路には五番巡回機と巡査八名が既に配置されている。カマルグ縦断道路へ行け。警備が手薄らしい。警告灯を点灯させながら鈍速で警戒走行をしろ。ただし警報は消して時速三十キロ以下厳守、道路脇の速度抑制帯を踏むな、車輪が外れる』

「えっと、七番了解」

 ……しかし慣れないものだ。普段は内務ばかりしている者が急きょ外務へ引っ張り出され、その上街中を駆け回されている。連中は普段からこのように膨大でブーメランのように加速力のついた情報と格闘しながら業務をこなしているなんて、初めて知った。

 外をブラブラお散歩していてお気楽で気の晴れる仕事でいいな……なんて窓から見送っていたが、これもこれでなかなかストレスのたまる業務だ。第一、指示についていけやしない。

「気が抜けないじゃないか、外回りなのに……」

 走り回る仕事は、瞬時に情報を掴み判断しなければならない。

 要は瞬発力だ。

 じっくり考えてしまうタイプの自分には全く適性がない業務だと言える。

「あぁ……なんだこれ。この巡回機、空調設備が壊れてるよ」

 座席もなんだか汗臭い。なんだ、一級国防職の実態はこれか? 品性を疑う。これじゃその辺の土工現場と変わらないじゃないか……。

  

 主要都市ギルドラド。人口およそ四千五百万人、この国で最も大きな都市と言われている。独立政治家クアナ・シャルダンガル国治の治めるクアナ独挙統治国はこのようなオアシスのような(水溜まりのような)街が全国に六ケ所あり、それ以外はただただ渺獏とした荒れ地が広がっている――と聞く。

 というのも、一般人はそう滅多に街から出る事などなく、当人たちもそれを望まない。

 国防吏員など一部の人間や、僅かに仕事の都合で街を行き来しなければならない運送関係者や郵便業者くらいしか〝外の世界〟を生で体感する者はいない。

 狭き世界……それぞれの街には一応のリーダー格、主席と呼ばれる役職者がおり、ほぼこの人間の意向でそれぞれの街のすべてが決められてしまう。抗えない。


 ところで、オアシス以外の部分についてだが、ここにも居住する人間はいる。

 国民としてはカウントされないが、それでも生活を営んでいる者たち……黒髪族。

 この国はいつの頃からか歴史を刻み始め、それと同時に髪の色が黒い人種を徹底的に差別・迫害するという観念も根付いていった。

 それは果たして暗黙の了解なのか、それとも政府が下々へと降らせた一種の政策なのか……そこまで考えるお利口な国民はほんの一つまみもいなかった。

 要は、自分の身さえ無事でいられればそれでいい、事無かれ主義の根付いた精神氷河時代に生ける者である、ある民俗学者はこの国の国民全員をそう批評した。

 この学者は発言の直後から消息が分かっていないが、練生学生だった頃のグストフはこの発言に心の中で激しく同意した。

 だが一方で、錬生時代に精神学の講義を担当していた教官は違う事を言った。

 なんでも、慢性的な不況や独裁的で偽善的な思想があまりにも蔓延してしまっている為、知らず知らずのうちに内に秘めた葛藤やストレスが思考に悪影響を及ぼし、まともな思考が出来ない人間が圧倒的に増えただけ、それでますます支配者側にとって丁度いい〝無色潔白なペラペラの〟 国民ばかりになり、独裁に拍車をかけている……と。

 要は国民の九割は壊れているということになる。笑える話だった。


 ふと意識が戻ると、カマルグ縦断道路へ続く分岐点が見えていた。

 ここを左に曲がると、街の外へと繋がる寂しい郊外の道へ続く。

 そのとき、無線機が騒いだ。

『各位に緊急の連絡。カマルグ縦断道路南西にて徒党を組んだ黒髪族が目撃されたとの情報。推定三百名余りはいるとみられるため、この無線を傍受した者は総員、カマルグ縦断道路を至急南下せよ』

 グストフは焦った。自分がこれから行くところじゃないか。すぐさま『四番機、付近のため急行す』『九番機、同じく付近のため急行』と他機の返答が入った。

「えっと、どうする。これか」

 警報のスイッチを入れると、屋根に載った警報がビーッビーッとやかましく唸りを上げた。一気に汗でびしょ濡れになった手で舵を切った。



* * * * *



「ここで少し休むぞ!」

 (おさ)の一声で、隊列がピタリと止まった。

 本当に、鎖か何かで繋がれているかのように息の揃った動きだ。

 綺麗な川のある平原。何人かの下着姿の男らが漁具を持って川へ飛び込んでいく。

 女たちは炊事道具を準備し始めた。

「カルハちゃん。カルハちゃん。身体はしんどくないかい」

 一人の男が荷車の中を覗き込む。

 綺麗な黒髪をもつ少女が丸い目を向けた。

「うん、大丈夫。コーイチさんこそ足つらくない?」

「俺は平気さ、慣れっこだから。飯の準備も始まったし、久しぶりに川に来たからきっとおいしい焼き魚が食えるぞ。俺もちょっくら野草とってくるわ」

「うん。楽しみにしてる」

 少女はふわりとほほ笑む。そしてすぐに手元の何かに視線を戻した。

 荷車を押していた男らも持ち場を離れ、各々の水筒や軽食を下ろして休憩に入った。移動中は重い荷車を何台も扱うため怒号が飛び交っているが、この時間は意外に和気藹々としたものだ。魚の干物や漬物を齧り、茶を酌み交わし、女や子供は男達の身体を揉みほぐし、老人や一部の芸能に長けた者が慰労を行う。

「塩分しっかり摂れよ。身体の不調は忘れた頃に来るからなあ」「茶ぁくれ、茶ぁ!」「まだたくあん余ってるぞー。貰ってないやつは早い者勝ちだから、さっさと言わないと無くなるぞ」

「米無いか、米の飯!」

「あかん、無い! 晩までたくあんと煮干しでしのげ!」

「ジン。聞いたか、あっちの街でリー達の隊が捕まったって」

 先ほど少女に声をかけたコーイチという痩せた三十過ぎの男が、長である男の隣にあぐらをかいた。菜っ葉調達係のこの男は、既に片手に一束の菜っ葉を摘んでいた。

「あいつら、余計な事をしでかして国防を刺激している。飛んで火に入る夏の虫だ。自分から勝手に揉め事を起こして、勝手に厄介になってる。そんな事、うちらは真似しないから事もないが、どうもこちらの風当たりが益々悪くなりそうでかなわないな」

 硬そうな、艶のある髪を掻き上げ、苦々しい顔で煮干しの頭をむしり取った。

「それは言えてる。奴らから見たら黒髪族はみんな同じ。俺らニホンジンと奴らを区別してみる事はないからな」

「むかつく畜生だ」と、近くにいた男が吐き捨てる。コーイチは漬物を一切れつまみ上げ、口に上から落とすようにして食べた。パリパリという軽快な音が聞こえてくる。

「ドログヴァ鉄砲隊みたいなのはもう出ないのかな」

「出ないだろ」

「向こうの長のリー・リンチーと補佐のチャウ・シェンミン、後は……あれだ、連中が姫扱いしてたヤオ・メイエイも全員粛清されていったと聞いた」

 コーイチは側頭部を掻いた。

「悔しいというか、悲しすぎるな。若い人間をどんどん潰していっちまってよぉ、何考えてんだか。あっちはどうだい、ニケーシュ達の方は」

「ニケーシュ・ナデラか。ラクシュミー・シャラマンと一緒に国防にやられたと聞いた。シャマランはまだ二十三歳だそうだ」

「あぁ聞くに堪えない。もういいや」

 その時、喧騒を貫くように透き通った歌声が響いた。

 一番大きな荷車の上に立った美しい黒髪の少女。

 その彼女が、歌っている。人々は困惑した様子で――しかし、うっとりと仰ぎ見た。

「それに引き換え、あの娘はどうだ。いつ聞いても最高じゃないかい」

 ジンは胡坐を組み直して遠い目をした。

「こんなきれいな歌声を持っているのに。くだらない国の制度のせいで何もかも最悪なことになっちまって。どうしたものやら」

 また別の男が嘲笑したように言う。

「そこに関しては、もう何も言うな。言ったところで何も変わらないし、逆に精神的に辛くなるだけだ」

「だけどよ」

 コーイチの声はささくれた。

「あんたもこの部族の長として、もっともっとプライドを持つべきじゃねーか。かつての文明では、俺らが一番技術的に優れていたんだろ」

 コーイチは傍に置かれた硬い菓子を齧って声を太くした。粉が口から飛び出した。

「いいんだよ、過去の事は。ましてやその頃に自分らが生きていた訳でもあるまいし、自分が経験していないならそれは言い方によれば存在しなかったのと同じだ」

「泣き寝入りするのは危険がないかもしれないな。だけど、それは問題を先送りしているだけだ。賢い判断をしたいのはわかるよ、それはみんな一緒。だけど感情を抑えてしまえば、それは絶対に別の場所から形を変えて噴き出してくるんだよ」

「コーイチ、おまえ一体何を知ってる。俺の兄さんの息子だからこうしていつも近くに居てもいいとはいったが、一族の政策に意見していいとは言ってない」

「意見するくらいいいじゃねえか。そうだろ? あんた昔からそうだ」「シー。静かに」

 二人の会話は、ある男に遮られる。

「おい、リョータロー。おまえ最近カルハの事ばかり見てないか?」

 コーイチは来月で二十歳を迎える、坊主頭のリョータロー・ミトを横目で見た。

「え? そんな事ないけど? それより歌は静かに聞くもんですよ。さっきからごちゃごちゃうるさいけど、疲れてるんだから、世間話なら向こうの端でやってもらえませんか」

「若造がえらっそうに。三十四歳のおっさんよりもお前ら若造の方がよろよろしていてどうするんだよう、え? お前、あのままジンに助けられなかったら、おまえ、あそこで殺されてたんだぞ」

 コーイチはひぇひぇひぇ、と軽薄な笑い声を上げた。

「子無しのおっさんに、わやわや言われる筋合いねーよっ!」

 俊敏な動きでリョータローは逃げ出した。まるで野生動物のようだ。

「あ! ちくしょう、あの餓鬼! おいこら! 待て!」

「やめろコーイチ。若者のいう事なんて通り雨と同じだ」

 ジンは表情を苦くする。

「ちぇっ。んだよ。餓鬼ってのは、大人の一番触れてほしくないところを平気でいうからに。青二才が」「わかったから水に流しとけ」

 ジンはコーイチの肩を強く、叩いた。

「ジンよ。あんた、この一族がこれからどうなっていくのか、展望はあるのかい?」

 嫌な質問だ。

「無い。組織拡大とかいろいろ考えてはいるけれど何も見えてこない」

「そうか。そりゃあそうだよな。こんな状況じゃ子供を作ったって、ただ苦労が増えるだけだし、何より生まれてくる餓鬼が不幸になるのがまるわかりだもんな」

 コーイチは給仕係に注がれた茶を一気に呷った。

「どうすべきか。このままじゃニホンジンの一族が衰退の一途を辿る。そうなったら、先祖はいったいどんな気持ちだ? この神の抜け殻だって、先祖らの偉業だぞ」

 ジンは荷車の幌をめくった。

 中には異様に清潔さを保った過去の走行機が積み込まれている。

 黒く艶があり、車輪はしっとりと油を含んでいる。

「前の時代でステータスだったやつだ。レクサスという名前で、誰もが知っている」

「前にも聞いたよ。ひい爺さんが乗ってたんだろ」

「そうだ。これが唯一、全文明の光だ」

 ジンは悲しい目を、その〝誇り〟に向けた。


 長になって三十二年。

 ジン・サカベは一族から突き上げてくる鬱憤をどう活力へ変えてやる事ができるのか、最近はそこに最も神経を費やすようになっていた。

 間違いなく、一族の魂は悪い方向へ向かっている。

 先代がかつて、それを予言するような発言をしていた。刻一刻と物事を改善の方向へ向かわせているつもりなのに、それとぴったり随伴するようにまた別の問題が水面下でついてくる。


「なんでこんな世の中になったのかねえ」

「煉獄ですな」

 そもそも、かつては黒い髪を持つ部族同士の争いが絶えなかった。同じく迫害されている者同士、手を取り合って仲良く共存していこうというこちらの要望を、向こうが受け入れる事がなかったのがニホンジンにとってはひどくショックだった。

 だが、その同族の中でも血の気の多い者などはむしろ奮起して衝突しており、その感情的になる部分を鎮静化するうえでも、己の感情は常にニュートラルにしておかなければならない。ニホンジンは冷静さが売りだ。


 そこで己に問う。

 げに族長とは即ち何か? 


 実は自分は、大した働きはしていないのでは?

 己はただ族長という名で呼ばれる、ただのぬいぐるみに思えてくる。

 風の流れが変わり、少女の歌声がよりはっきりと聞こえている。

 群衆の頭がグルリと一斉にそちらを向き、また元に戻る。

「ミズコシの娘。いつもああして一人で詩を書いて一人で歌って。ろくに同年代の娘らと口も利かない。男らの世話も進んでやろうとしない。あの娘はいったい、何なのかね」

 四十を超えたところとみられる、非常に汗臭い男が茶を辺りに吐き散らしながらぶつくさ言っている。彼には女房と子供がいるが、どうしてか家族と近くで過ごす事がなく、いつも退屈そうな未婚の男連中といらぬ話に花を咲かせている。そうしているとき、決まってその輪の中の誰かが、誰かの秘密をつい話してしまって険悪な空気になるのだった。

 その時、掠れた男の大声が響き渡った。

「国防だ!! 国防の車だ!!」

 いくつもの悲鳴が上がる。

 男たちが一斉に立ち上がる。椅子が転がり、茶がこぼれる。

「おい、国防の車だぞ!! 二台だ、なんとかしろ!!」

 見張り担当の男が全速力で駆け戻ってくる。

「何人だ、何人いた!?」

 ジンは男の肩を掴んで問うた。

「全員で五人くらいだと思いますけど、何かいつもと様子が違う!」

「どう違う? 具体的に」

 ジンは相手から視線を外す事なく尋ねる。

「何か、こちらに仕掛けてきそうな様子です。明らかに何かのアプローチを……!」

「待て、俺が先に見に行く。男連中は武器を出せ!! 女子供は車の中に隠せ!!」

 慌ただしく、ニホンジンらは襲撃に備えた。

 透き通った歌声は止む事はなかったが、瞬く間に喧騒に掻き消された。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ