悲報
* * *
グストフがキャメロン総督の自害を知ったのは翌日の昼過ぎの事だ。
この悲報は少し遅かったように思う。詰め所で判子つきをしていたところで、僚友のプラウスキ・エーゲルホーファーが鬼気迫る様子で駆け付けてそれを知らせた。
こう言っては何だが、予感は的中した事になる。
「グストフ。会議室に大至急集合との号令だ」「……ん?」
彼の目は忙しなく泳いでいる。
「ん、じゃなくて集合。とにかく、いいから早くこい。判子なんか置いとけ」
「要件は? 今取り掛かったばかりだから、それだけでも教えてほしいな」
聞くだけ無駄だろ。わかってるよ。
だが、この瞬間になって急に弱気になった。
やはり、受け入れたくない。考えたくない。
「キャメロン総督が……首を括った。三級塔の天使像に縄を掛けて……今、みんなで運んでいる最中だ、お前も世話になったんだろ。来いって」
プラウスキが気持ち早口でしゃべっている途中、徐々に自分の目が押し広げるように開いていくのを感じた。
首の付け根辺りからグラグラと眩暈がする。下腹が痛い。
本当の本当に現実に起こったと思うと、やはり動揺する。胃がキーンと縮む。
「すぐ行く」
制帽も被らず、上着のボタンも留めずに会議室へ駆け付けた彼が目にしたのは、皺の一つもなくすっきりとした上司の顔だった。冗談ではなく、本気で元の顔をこうだったのかと見まごうほど、垢が落ちきっていた。
――天使像とそっくり同じ顔。
「キャメ……キャメロン……総督……がっ……」
首の関節が軋んだ。どうやら自分の顎が震えていると気付いたのは、周囲のやけに鋭い視線のおかげだ。
「鞄から遺書が見つかってる。自分の行いに対しての嘆きが淡々と綴られているだけ。お涙頂戴の言葉が目立つだけで、内容そのものは三歳児が好きなものだけ食べたがる理屈と何も変わらないわね」
葉巻を摘まむように二本の指で挟んだ封筒から全く視線を逸らす事無く、この場に居らぬ者を貶めるように述べるのは人員精査管理課の才媛スガナ・タッカンハウア課長。
彼女は格下のグストフの反応を窺うように、視線を固定したまま首を傾げた。
どこかワザとらしさを感じる仕草。
「スガナさん。それはいくらなんでも言い過ぎでしょう。自分にもその遺書、見せていただけ
ませんか。直属の部下として、貴女と違った解釈が出来るかもしれません」
遅いか早いかの微妙な速度で、彼女は首を振ってみせる。
「そんなの出来ないわ。なぜって士気に影響するでしょ」
彼は大きい手でグストフの肩をしっかりと握った。
「それどころじゃないだろ。人が一人死んだんだぞ。それを――」
ごくりと生唾が下る。
人が、一人死んだ……!
人が、死んだ。もちろん現象としてはそれだけだし、これまでに何度も目にしている事だ。
だが、何か違った。これまで『粛清』として膨大な数の黒髪族の人間を粛清・処刑してきたものだが、しかし、こんな気持ちになった事はかつてなかった。
人が、死ぬ。そんな解釈をした事は、なかったのだ。
ただの一度も!!
黒髪族の○○という人間が△△を犯したため『粛清』せよと。その案件をこなす、そういう感覚でしかない。自分と同じ髪色をした人間が目の前で死んでいると、明らかに何かが違う。
人を、失った。
その実感が強烈な震えを伴って五臓六腑の深淵から今、込み上げている。
「おい、どうした。続きを聞かせろグストフ」
「いや、待ってくれ。無理だ、少し眩暈がする……いったん寮に帰るとみんなに伝えてくれ。今は駄目だ」
「はあ? お前さっきまで普通に喋ってたじゃねえか!」
「やっぱり駄目、少し休ませて」
下を向いたまま、駆け出す。
「待てグストフ、それなら医務室へ行けよ! おい!」
彼は同僚の言葉を懸命に振り払うように、廊下を一心に駆けた。
* * *
あれから寮のベッドに仰向けになったきり、身体を動かす事もままならないほどのショックに苛まれた。それは食中毒のように、幾重もの波で出来ていた。
「グ~スト~フ。おつかれ~」
聞き慣れた声に首だけ振り向く。
「ん~」
「起きてるか。入るぞ?」
ドアを少しだけ開け、幅の広い肩を窮屈そうに覗かせた僚友。
毛深い手には何やら小さな籠を下げている。
「うん。おつかれ」
「よっこらしょっと。ほれ。プロドロモウからもらってきた。よかったら食え、精が出るから」
「ありがとう、世話かけてばかりですまないね。こんど一杯奢るよ」
プラウスキは鼻を鳴らす。
「そんなの、いいさ。それより何した? 珍しく男気みせてくれたと思ったら急に顔色変えやがってよ。貧血かい?」
上半身を起こし、頭を掻きながらベッドの上に胡坐をかく。
「まさか。そんなまさか」
文字通り、苦しい笑いで取り繕った。
「まぁなんて言うんだろ。あいつの前だと、俺もなんだか普段の自分じゃいられねえ。お前だけじゃない。あんまり気に病むな。自分を安売りする事になる」
「心配するなよ。俺はこれでも忍耐力があるほうだから」
「おっと。だったらコイツがよく効くぜ」
籠の中を見せた。
不思議な形の白色の根菜が入っていた。
「それ、借りていいか?」
プラウスキは、ベッド脇のテーブルに置かれた、グストフがいつも使っているベルトに付いた装備品の一つを指さした。
「あぁ。ほら」
長さ十五センチ程度の、妙な形の柄を持つ短剣を手渡す。
「おまえこれ……大事にしてるか?」
「いちおうね」
「俺が欲しかったものなんだから、まったくよォ」
皮を剥くと一つ一つの欠片に分かれており、独特な匂いが部屋中に充満した。
「あ! わかった。これって、ものすごく貴重なやつだろ。菜っ葉屋に持っていったら三万クルンは下らないんじゃないか」
グストフは一つ手に取って、やけにいろめき立った。
「へへへ。なんでもプロドロモウのやつがな、お得意先のボロ走行機を直してやったら礼に貰ったらしいんだ。ところが一つ調理してみて匂いがどうしても受け付けないってんで今朝方、分けてくれたんだよ」
プラウスキはベッドの傍らの椅子に大きく股を広げて腰掛け、やけに楽しそうだ。
「そういう背景ね。一生に一度あるかないかの幸運だな」
「そんな幸運を自分から手放すなんて、あの小僧もつくづく頭の悪ィこったな~」
「いやいや、それはひどい。好みの問題だから」
「好みたってお前、バチ当たりなこったろう。こっちは僥倖だけどもさァ」
「誰かにとっての幸運が、みんなにも同じく幸運かと言ったらそういう訳でもないだろ」
「例えば?」
プラウスキはやけにウキウキして根菜の皮を剥きつつ尋ねる。
曲芸師の真似でもするように、空中に放り投げて食べた。
「え、なに?」
「その、今言った事の例は?」
「例って……?」
「たとえよ、たとえ」
「なんだよ、少しも思いつかない?」
「未来の文豪の前ではお手上げです~」
やはり、半ばからかっている。
「だからそれ、やめろってば。少し考えてみろ、俺は本が好きだけど書店に並んでいる本をみんなタダで貰えるとして、これはお前にとって嬉しい事か?」
「いいや、全く。ぜんぜん嬉しくない」
プラウスキは貴重な代物を十回と噛まずに飲み込んでしまった。
「そうだろ? 自分のモノサシに頼っていいのは、親という大きな船に乗っているうちだけ。人生の中でほんの十数年しかない……ところで何て名前だったか、この菜っ葉」
グストフは嫌なものを振り払うように、素早く話題を差し替えた。
「ん? さて何だったか……ナンニクだったかな。いや、ネンニクだったかもしれない」
「ひょっとしてニンニクじゃなかったか」
「いや、それはない。そんな間抜けな名前ではなかったはず」
「そうか。いや、なんだか、そんなような名前をどこかで聞いた気がして。本で読んだんだっけな~」
肝心なところが出てこない。よくある話だ。
「へへへへ。やっぱりお前は、自分の知識に溺れているんだよ」
「また馬鹿にした。もう。溺れるほど本を読んだ事もないクセに」
「活字に溺れるくらいなら酒に溺れた方が楽しいだろーがよォ」
「はぁ……ほんと、お前って奴は……」
グストフはやるせない、といった様子で溜息をついた。
本当にこの男は酒に溺れるから笑えない。
「まぁまぁ。活字中毒なんだから、これでも見て気を養えさ」
プラウスキはちょっと立ち上がり、ポケットから封筒を取り出した。
少し皺が寄っており、端が折れ曲がっている。
「スガナの机からかすめ取ってきた。ババアどうせ、夕方まで戻らない」
頬が勝手に笑う。
「まさか、お前……信じられない! 本当に、偉業だ!」
自分の支離滅裂な喜び方に、我ながら可笑しくなってしまった。
「お前にぴったりの見舞いだろ?」
そうか。この隠し玉があったせいで彼はずっと楽しそうだったんだ。
「あああ、信じられない。お前もたまには役に立つなあ!」
「たまにはって、オイオイ。まあとりあえず読んでみろ。遺書っていうより、悲鳴そのものだと俺は思うね。はいよ」
グストフは彼の言葉も半ばで聞き流し夢中で封を開けた。
私の亡骸に刻まれた傷は、目には見えない。
だが、私の魂は間違いなく穢れ、傷つき、腐敗しきっている。
来る日も来る日も、正真正銘の弱者たちをさらに弱い者たらしめる行為に疑問を感じて気が付けば早十年。
かつての私は、それはそれは誇り高き警保軍人だったと自負する。
しかし、どんな敵をも恐れぬ心と、どんな弱者をも害さぬ心は同じものであるという事を、かつての上長が汲み取りはしなかった。
こうなったのは、それまで何度も道を断つチャンスがあったにも関わらずそれを掴めなかった己の弱さと卑しさのせいである。
そこを否定しやしない。する資格など私には無い。
あの世へいくまでに、そこを残しやしない。
泣き言など何も無ければ、この世への恨みなども一つたりとて持ち合わせてはいない。ただただ、抜け出すべくして抜けられなかった己の不甲斐なさを悔やむのみである。
その責任、人生への釈明として、自害を以って忠誠と謝罪と贖罪の意志を表したいと思う。
この国の土台でつっ張る鎖のひとつとして生きられた事に感謝するが、私は優秀な鎖としての生涯を全うする前に焼き切れてしまった。
一人の仕事人として出来損ないであったという事実、そこに芽生える劣等感が自分を苛んでいて苦しい。ああ、恨めしや。
本当に、妻と娘に面目ない。
父親としても機能していないじゃないか。
勲章など、もらう資格は私にはなかったのだ。
せめてもの施しとして、私の亡骸を国家医局へ差し出して賞銀を受けてもらいたい。それを、有意義な事に使いなさい。
アネル、君は立派な学舎へ入り、国の中枢へと職を求める人材になるのだ。
その際、必ず人を救済する職業を選ぶように。勉強をしなさい。でなければ、一生安い給金で、手荒れに苦しみながら洗濯婦や家畜の給餌婦をやらねばならなくなる。
そして、フェリス。愛しているよ、アネルを頼むね。
君と初めて散歩をしたブリーベナントの粘土橋を、忘れはしない。
それでは、お達者で。
冥創百一九年四月三日
ピーター・キャメロン
遺書を持っているグストフの手は冷え切り、ついに手紙を取り落としてしまった。
「どうだ。どんな気持ちになった」
紙の幕が降りた向こうの僚友が、複雑な表情を浮かべている。
「これは……俺が今感じている事と……酷く似ている……いや、同じだよ……本当に」
プラウスキは、小首を傾げる。
「と、言うと?」
僚友の声はどこか挑発的で、それでいて冷徹な響きを含む。
「今日、初めて感じた……命、人間は生きているって事……」
「……あ?」
なんだ。
どうしたコールマン。
「自分の恩師が死んで初めてこんな気分になった。今朝から、考えた事ない気持ちを味わってるよ。どう言葉にしていいのか分からないんだ」
以上を小刻みに頷きながら訊いていたプラウスキは、手紙を拾い上げて封筒に戻しながら、彼のか細い肩に強く手を置いた。
「まあ、うん。あれだ、お前はな、いつもいつもこう深く考え過ぎるから。お前の御師匠さんは確かに立派だし、だから苦悩したとも言えるわけだよ。だがこの世界の、この場所での優秀というのはな、人情だとか憐みだとか、そういったものとはまた、違う種類のものなんだよ。やー、くやしーねー」
舌打ちをする。
「聞いたことないか? よく働く人間が最後に裏切る。優秀な人材が真っ先に逃げ出す。それが本当に自然の流れだ」
「ない。聞いたことない」
一瞬の間をおいて、プラウスキの無念そうな溜息がかかる。
「なんつーか。お前もいい加減気づいたらどうかね~? いろんな意味でさ」
「ご忠告どーも」
「お前は確かに頭はいいけど頑固だから惜しいや。そこをなんとか自分で気づいて、あわよくば改善できたら、遂にお前にも女が出来るかもな」
少しムッとした。
「最後は余計なお世話だよ。さあ、もう言いたい事は全部か?」
「……ま、今は精神的に疲れているだろうから、とにかくよく休め。上に頼んで三日は主要任務を回さないようにしてもらったから。貴重な時間だぞ? この機会に自分と向き合っとけ」
あとは何も言わせないぞ、といったいつも通りの傲慢な振る舞い。
根菜を二口つまむと、彼はさっさと部屋を出ていった。
グストフは苦悶した。
これまでに芽生えた事のなかった、罪悪感という未知の感情。
人が、苦しむ。
人を、苦しめる。
そして自分が、それによって苦しむ。この構図に図らずとも気付いてしまった今、彼のアイデンティティーは崩壊寸前だった。自分の有能一辺倒だったこれまでの二十三年間は、この罪悪感を小刻みに、小刻みに生成していたに過ぎなかったらしい。
苦学して難関の学び舎に入り、主席に次ぐ成績で修了してこの地へ職を得たというのに、一生安泰と思ったら、思わぬ落とし穴に転落。黒髪族の罪人を粛清した事により彼らが苦しむのは、害虫を踏み潰したら死ぬ、程度にしか考えていなかった。あくまで向こうは自業自得という観念。もっと露骨な表現を選ぶとすれば彼らを同じ土台の上に立つ人間と思っていなかった自分が確実にいた。
生まれながらの生真面目な性格により、粛清や処刑をそれと思わずに愚直に仕事と思い込んで(思い込まされて)いたが故の大きな大きな盲点。
「無理だよ。処理しきれない」
彼は自分でも想像を絶するほど暗い感情に呑まれ、数十分間は突発的な鬱の発作を起こしてしまった。
過去にも経験した事がある。まだ十歳そこそこのことだった――
――父が亡くなった、あの忌まわしい事故。
確か、その時自分は学舎の勉強でわからないところがあり、遅くまで居残って一人勉強をしていた。天気のいい秋口の午後。
外では元気に遊ぶ級友や下級生らの声が響き、窓から昆虫が出たり入ったりしている。眠くなってしまうような、平和一色の時間。
突然、地鳴りがして校舎が少しばかり揺れた。
外で子供独特の甲高い悲鳴がいくつもあがり、慌てて窓から外を覗くと、遠くの山から濛々と砂煙が上がっており、山肌がずろずろと動いていた。
土砂崩れ。
皆よりも先頭に立って無我夢中で走った。途中、中央病院が所有する救命機が四台、けたたましく警報を鳴らして猛スピードで自分を追い越していった。その後ろ姿を見送るうち、理由はわからないが「もうダメだ」そう頭の中に響き渡った。
自然と足が止まる。
そうして二度と父親と会えなくなった――
いや、これ以上は危険だ。
自分が自分に殺されかねない。
そう感じた彼は数時間前に同僚が座り、自分に悩みの種をぶつけてきた椅子に腰かけ、窓に向けて設置した丸テーブルについて月を見上げた。
黄色く、大きな満月。
まるで自分の心に反応しているかのように感じられる。
いやだいやだ……この厭世的な詩人ぶる感じ、自己嫌悪。
「恐ろしい事になってしまったよ父さん。ああもう、どうすりゃいい」
彼は制帽を脱いで髪を何度か撫でつけると、テーブルの上にある鉱物製の洒落た小箱を開けた。中には茶色や黒色の、様々な形をした石のような物がたんまり詰まっている。
そのなかの一つを摘み、口へ放り込む。
――不思議な豆の薫りが口から鼻腔に抜けた直後、舌の表面に甘さが広がる。
何か思索をする際、彼はこうして窓際の特等席に座り、過去文明で非常に人々に愛されたという嗜好品を摘みながら己の内面と交信をする。
「昔の人は、どういう時にこれを食べたんだろう」
詳しい資料の一切は国の糧食機関が隠し持っており、滋養科学官の証を持つ彼でさえ触れられないのだが、どうやら豆を挽いて粉末状にしたものに砂糖と脂を加え、凝固させたものらしい。室温が二十八度を超えると融解し始めるので夏場など始末に終えない。これの名前は一度だけ、幼少の頃に友人が言っていた記憶があるが、幼児言葉でちゃんと発音できておらず、正式名称は未だにわからない。ただ発音的に「ジコラート」に近そうだ。
「俺のやってきた事は間違い……だったのか……?」
わからない。
頭をガシガシ掻く。自分のものとは思えないほど弱々しく、今にも泣き出してしまいそうな声。こんな事にならない筈だった。もっと優雅で知的で、おおらかな日常の筈だった――
彼はその夜、夜更かしをした。
といっても、ただ大人しく布団に包まって窓から月明かりに照らされた雲を眺めているだけだったが。