表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/17

崩壊


 吐きそうだ。

 刑事らに連れられて入ったのは公安分署の取調室だった。

 まずい。自分は軍人殺しの罪人になる。そうなったら、一体これからどうやって生きていけばいい?廊下の方から、これまた聞き覚えのある声がする。

 確かコールマンさんの同僚で、エーゲルホーファーという身体の大きな男性だ。

「うちの同僚の事で話したい。あんたも同じ学舎の出だろうから、この事はあんたに通すのが一番早いだろうと思って」

「後にしてくれないか。今ちょうど、コールマンと交流がある運び屋を尋問するところだ」

「ああ、あの若い変な奴か。いつもボロボロの帽子とコートを着た……まぁそんなのはどうでもいい。黒髪族の粛清対象二人を逃がしたのは、間違いなくコールマンだ。奴は黒髪の女に惚れやがった。それも年下のな。最低だぜ、世話役にも頼んで探りを入れてもらったんだが、どうも間違いないらしい。さすが女は勘が鋭いな」

「ほう。じゃあこの運び屋は協力者かな」

「なに? そいつも加担してるのか」

「外れた錠前に、こいつの公社の刻印が入ってた。ワザとらしくな。何を考えているのかは知らんが、賄賂か何かだろう。今からそれをとことん詰めてやるつもりだ」

「そうだったのか……っていう事は、他にも協力者が?」

「知らん。だからそれを今から取り調べるんだから。さあ、後にしてくれ。ほら、忙しいんだろあんたらも」

 ドアに耳を押し当てていたが、いきなりドアが開いてマードック刑事と数秒、睨み合いの構図になった。

「始めるから、座って」

 優しい声とは裏腹に、背後に控えている巡査の顔が強張った。




*     *     *



「おはようコールマン君」

 グラナ・グラレス総督が席にどっかと腰かけ、身体を斜めにして迎えた。

 その眼には、何やら邪悪な感情が滲出しているように、光っていた。

「おはようございます」

 閉まった扉の陰から、両脇を固めるようにベンデル、プラウスキ、ジェダリンスが現れた。

 ――まずい。

「君から聞かせてもらわなきゃいけない話がある。まあ普通に話したんじゃ埒が明かないだろうから、ちょっとだけ、手荒な事をするかもしれないが、それも自分自身が招いたことだ。我々仲間を恨むなかれ、恨むなら己自身を、だ」

 思うより先に身体が動いた。すぐに扉を開け、自分の腕を掴んだベンデルの手を払い落とすと一目散に廊下を駆けた。重たい金属音がしたので肩越しに振り返ると、誰かが投げたのだ、かつて作文の宿題でもらった文鎮が床に転がっていた。本気で走ったので、装備品がいくつかベルトから外れて落ちた。自衛用の小型拳銃すらも落としてしまった。

「なんでそこで逃がすんだよデブ! どけよおらぁッ!」

 プラウスキはベンデルを肩で突き飛ばすようにして、まるで猛獣のような形相で僚友を追った。ベンデルはバランスを崩し、無様にも肥満体を床に投げ出して転んだ。

「待てぇぇえこらぁあ! 止まれグストファアアア!」

 振り返ると、狂気を纏ったプラウスキとジェダリンスが自分を追ってくる。

 中央階段を二段飛ばしでほとんど飛び降りるようにして下り、朝食をとる国防吏員らでごった返す食堂を横切る。盆を持った人間と何度もぶつかり、大きなスープの鍋をひっくり返したり、総菜が山盛りにされたワゴンを飛び越えたりした。怒号と悲鳴が飛び交う。

 プラウスキとジェダリンスは、それらをワザとらしく全て蹴散らしたりひっくり返したりしながら、大声で何か喚きながら必死に追い縋る。

 グストフは鉄扉へ思い切り体当たりして押し開き、厨房へと侵入した。蒸気や煙が立ち込める金属の世界の中で、割烹着を着た調理担当者らがそれぞれの職務に従事している、その騒々しい区画を一気に駆け抜ける。怒号が飛び、いろいろな食材がぶちまけられる。追手二人も、調理器具や調理担当者などゴミ袋のように全てを掻き分けて猛然と速度を落とす事なく迫る。

 建物の外に出た。中庭を突っ切って、裏口の方へ向かおうとした時、左足に凄まじい痛みが走り、それと同時に力が入らなくなって前のめりに転んだ。見ると、二階の図書室テラスから銃を構えている巡査が居た。傍らには冷たい無表情のままで自分を見下ろすグラナ総督が寄り添い、制帽を深く被り込んだ若い巡査に耳打ちした。すると、またこちらに発砲した。弾は外れたが、胴の辺りを狙っていたので、ひょっとして射殺も厭わないつもりかもしれない。

「やめ、やめて、やめろ!」

 左足が動かない。痛みが激しくて、振り返って傷の具合を確認することさえ叶わない。

「くそ野郎、止まれええ!」

 背中を思い切り踏まれ、肺の中の空気がすべて押し出される。息の荒いプラウスキとジェダリンスが自分に追いつき、拘束しようとしている。全力で抵抗した。

「てめえ、どこまで俺たちを裏切る気だこのクズが!」「うるさい、やめろ!」

 顔面を思い切り横殴りに殴られ、平衡感覚が麻痺して立てなくなった。

 背中に踵落としを食らう。言葉が作れず、情けないうめき声だけ漏れる。

 うつぶせのままゴミ袋のように引きずられ、口から土が入り、唇が切れた。物置小屋へ運び込まれたらしい。ここはそう、あの嫌な記憶の場所。こんな不名誉な事、耐えられない、やめてくれ……叫びたいが、脳味噌にエネルギーが供給されない。

「さあ、もう来るとこまで来られたわけだから、こっちこそそれなりの対応をとらせてもらうぞグストフ。こってり料理してやっからな、いいか、この野郎」

 獣のうめき声のような、走行機の機関のようなプラウスキの憎悪一色の声が、ぼんやり聞こえた気がした。すると重力が無くなったかと思いきや、全身に強い衝撃が走った。腹の中身が暴れ、仰向けのまま嘔吐した。ジェダリンスとエリーが情事に興じた汚らわしいベッドに投げ捨てられ、自らの吐しゃ物に塗れてロープで拘束されゆく自分。

「こ、この……狂人……人でなし……」

 グストフは精一杯、僚友二人を罵った。

「なに? はあ? おうよ、いまさら何だい。この仕事をしている時点でお前も同じ穴のムジナだろうが。自分だけ聖人ぶろうとするなよ、そんなお前こそゴミだからな」

 プラウスキはすさまじい力でグストフの手足を縛りつけた。




*     *     *




「言いたい事はもう無いか」「無いです」

 五秒ほど睨み合い、マードック刑事は鼻息を荒らげ、調書に乱暴に自分のサインをすると、ペンを差し出してニック・ルーカスのサインも採った。大きなため息を漏らす。

「もっと詳しく調べる必要が出てきた。一週間は家に帰せない。ここの留置所で過ごしてもらうから、着替えや洗面道具をとりに行かせてやる」

 かなりの早口で首をのけ反らせながら吐き捨てた。

「一週間だなんて、いまは人手が足りなくて公社も大変なんですよ! その間にいったい誰が仕事を捌くんですか。休みもロクにとらないでみんな普通に十日とか連続勤務してるのに!」

「それ自分に言われても困る」

「……それに、着替えや洗面道具くらい、備品として置いてないんですか」

 また、五秒ほど睨み合う。

「……付き添いを立てる。お前の走行機の所までいくから、自分で操縦しろ、後からいく」

 部下らしい巡査二人がニック・ルーカスの手錠に付いた鎖を握り、取調室を出た。

 分署を出て、人気の少ない裏通りから駐機場へ向かう。ほとんどの巡査が視回りに出ているらしく、端の方に一台、年季の入った巡回機が残されているだけだった。そして、自分の砲台が入り口から一番近いところにドンと停めてある。

「乗れ。最低限の荷物だけにするんだぞ、持ってくるのは。旅行じゃないからな」

 その言葉に、非常に腹が立った。

「好きでこうして捕まってる訳じゃないんですよこっちだって」

「あっそう。これからコールマンの事も取り調べなきゃいけないっていうのに。やる事がどれだけ多いか……あのな、人様の邪魔をしてくれるな? あんたは荷物を黙って運んでりゃいいものを、何が悲しくってこんなたいそうなマネをしようとするのかな……本当に十代で、能の無いやつは皆似通った事しかしないな。かっこいいか? こういうこと、愉しいか?」

「うるさい。早く手錠を外して。これじゃ操縦できない」「無理。これと二人で乗れ」

 刑事は強いクセ毛の若い巡査を指差した。ニック・ルーカスは周囲を見回してみた。誰もいない。分署からも百メートルは裕にありそうな距離だった。

「さあ、ほら行くぞ」

 背中を押してきた巡査に渾身の後ろ蹴りを食らわせた。

 面食らった様子のマードック刑事ともう一人の巡査のうち、巡査に先に攻撃を与える。  

 脚だけで戦わなければいけないので難儀したが、仕事中に襲われた事は何度もあるので実践そのものは全く問題なかった。しかし、相手はその辺の暴徒ではない。マードック刑事は何も言葉を発することなく無言で応戦してくる。相手も手馴れている。

 巡査を先に地面にへばらせ、マードック刑事に連続して蹴りを入れる。

「手錠の鍵!」

 ニック・ルーカスはマードック刑事の足を払って転倒させ、優勢になった。その背後で巡査が拳銃を構えたので刑事を踏み越え、踵落としで銃を落とさせると、頚椎に爪先蹴りを入れて失神させた。もう一人の方の巡査も気を失っている。

「早く、手錠の鍵!」

 刑事は相変わらず猛禽類のような目で自分を見上げながら、動作を躊躇っている。

「おまえ、とんでもない奴だ。五年は牢役だぞ、酌量の余地がない」「鍵を出せって!」

 マードック刑事の上着のポケットが膨らんでいるので、足でそこを弄る。仕方なく刑事の腹を思い切り蹴ってこれまた失神させ、後ろ手に鍵を取り出して苦心して開錠すると、砲台に飛び乗って真っ先に収牢粛清施設――グストフの元へ向かった。




*     *     *




「こちら、粛清課一級塔のグラナ・グラレスと申します。先日はご足労頂きありがとうございました。例のコールマンの件なんですが、懸念していた状態に踏み入ったので……ええそうですね、貴方の予想は正しかった……身柄は拘束してあります……はい、お待ちしております。ご迷惑をお掛けします」

 グラナ総督は無電を置くと、詰所の棚の上にある故ピーター・キャメロン総督の肖像画を払い落とした。

「貴様のせいで! 有望な若手が腐っちまったんだぞ。地獄で永遠に苦しめ! 老いぼれが! 裏切りながらずーっと総督の座に居座りやがって。あんたこそ粛清してやりたいぜ」

 革靴の踵で踏みにじり、部屋を後にした。

 大柄な影がそっと部屋に入ると、皺くちゃになった肖像画をそっと拾い上げ、そして綺麗に折りたたむと自分の制服のポケットに仕舞い、すぐにどこかへ消えた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ