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困惑



 ニック・ルーカスは自分が今、どこを歩いていて何を考えているのか、はっきり認識できないでいた。ふと気が付けば、片手には飲みかけた酒のボトルを下げており、全く無意識のうちに辿りついていたのはかつて探偵ごっこをしに来た走行機の廃棄場所だった。

 ふらふらとおぼつかない足取りで敷地に入る。眉間がムッとするような悪臭が鼻を突く。

 何かが暗がりでガサガサと動く気配もする。たくさん積み重なっている廃機を幾つか通り過ぎ、前に覗き込んだ綺麗な機体に上った。相変わらず、浮浪者が居た形跡がある。総菜の箱、煙草の吸殻、飲料の瓶が散乱しており、汗臭さと雑巾臭さが混ざったような嫌な残り香。

 だが、そんな事はもはやどうでもよかった。ないようなものだ。気に入っているコートも、記憶はないがここへ来るまでに転んだらしく、泥だらけになって生地が少し(ほつ)れていた。それを瞬きもせずにとろんと眺め、冷たい嘲笑――矛先もわからない――が漏れた。

「これで僕も、ここの仲間ってわけね」

 心のどこかでずっと、ここに居るような浮浪者や失業者を馬鹿にしていた。ところが、今のヤケクソになって惨めに酔っ払った自分も結局、同じ穴のムジナなのだ。

「………え………」

 見下している時点で、目についている時点で既に仲睦まじき〝おなかま〟そのもの。

「……これでも頑張ってきたのになあ。それもずっと独りぼっちでさ」

 操縦席に座り、舵に足をかけて夜空を見上げる。

 何かの気配を感じたが、どうせ動物か浮浪者だ。気にする必要はない。

「はぁ~あ……生きてやる意味なんて、別に無いんだけどなあ」

 ジフ公社長は結局、拘置されてしまった。

 意図的に何かしたという訳ではないが、やはり責任の所在は製造元に問われる事となった。あらかじめ逃げ道を塞がれていた。国防の注文書には『銃撃戦、爆発、火災、およびそれに相当する衝撃に耐えられる強度構造を持たせること』と確かに書かれていた。

 涙も出ない。完全に、こちらの負けである。

 負傷した巡査の遺族らは損害賠償を払えと激高しており、今後、自分の勤め先がどうなるかもわからない。親が事故で死に、親戚縁者はみな貧しさを理由に自分の養育を拒絶。元々友達もいなかった自分はいよいよ本当に独りぼっちになってしまった。

 事実上の、天涯孤独。それでも生きていかなければいけず、なけなしの貯金をはたいて走行機乗務技術の資格を取り、今までに運送公社を三回変えながらもなんとか食い繋いできた。

「………………我ながら目もあてられないね」

 何度もひどい目に遭ったし、労働環境はおそろしいもので思い出したくもない。荷物を狙う盗賊も多く、幾度となく乱闘を経験した。運送公社の研修で護身術を習う事が多いのも、そのためだ。それでも――一時期は恋人が出来たり、配達先の人に飯を奢ってもらえたり、仕事仲間と休日にはしゃいだりといった普通の幸せらしきものも、経験できた。まあもちろん束の間も束の間、嫌な思いが九割五分とっぺりと溜まった、上澄みにうっすらと淡い思い出が滲出液のように浮いているだけ。若いのに一体どこまで焦げ続けなければいけないのかと思う程に苦心して今の職場、ギルドラド運送公社に入社して、やっと理想の会社、上司に恵まれたと思った矢先に、この仕打ち。

 人生いつもそうだ。

 やっと希望を手に入れられると思い、最期の踏ん張りに入った途端に、光がふっと消える。おまけにその直前の状態より悪くなっていたりして疲れだけ残る。

 それなら結局、希望なんて見えなかった最初のままの方がよかったような気がする。ワザワザ持ち上げて落とすなんて、狡猾なヤツめ。

 地獄でなら出世街道まっしぐらだね……こんな笑えない洒落をほざくようになったのか。

「もう嫌だ」

 どういう訳か、失笑が漏れる。

「えぇいくそっ」

 自分の失笑に自分で腹が立ち、中身がまだ残ったボトルを思い切り放り投げた。暗い隅っこの方でボトルが割れて破片が散らばる音。

 自分はもう、腐った。

 心臓がどきりとした。

 大きな足音がすぐ下でした。運びが早い。一気に酔いが吹き飛ぶ。慌てて身体を起こし、辺りを見回す。自分の乗っている走行機がぐらりと揺らいだ。

 いきなり、窓枠に太いグローブのような手がかかった。

「うわおおお!」

 間抜けな声が腹から吹き上がる。

 やがて、全く予想だにしない顔がそこに現れた。

 ――踊り(ジョーカーポーク)――

                脊髄が叫ぶ、逃げろ――


 かつて見たクセの強い脂まみれの金髪、丸く膨らんだ顔、口元のホクロが、今、自分を捕らえている。全身が強張り、脊髄が警鐘を鳴らす。

「ニック・ルーカス」

「えっ……?」

 ハッとした。頭の中が真っ白になり、豚男を見つめ返す。

「僕の名前、知ってるんですか……?」

 舌がつまずき、引っ掛かりながらも辛うじて問いかける。

 豚男のくたびれた表情が、一気に晴れ渡った。

「父さんだぞ、お前の……俺、父さんだぞ。わかるか? 父親」

「え、父さん……?」

 自分自身を指差しながら、期待の色を爛々と咲かせる豚男に思わず笑いそうになる。

 やはり飲みすぎたな。こいつは何を言ってる。自分の父は、あの鉱山発破事故で死んだ。

「そうだ。やっと会えたな、ははは!」「いや、あの……」

 走行機が、ぎしぎしぎぃ、と痛々しい音を立てて大きく揺れ、豚男は隣の機体の上に腰を掛けた。

「ここまで来るのにどれだけ苦労したか! もう今すぐ語って聞かせたいくらいだ。それにしてもこんなに大きくなって……父さんの何倍も男前じゃないか。嬉しいなぁ……立派に働いているんだなニック・ルーカス、本当に嬉しい……」

 豚男の声は途中で震え、掠れていった。猿芝居や幻覚ではなさそうだ。彼が言っている事は本当なのか? ニック・ルーカスの猜疑心も大きく揺らぐ。こんな偶然があるのだろうか? もしそうだとしたら、どうして……。

「あのさ……今までどこで、どうしてたの……?」

 まだ声の強張りが残るものの、尋ねかけてみた。

 豚男は大仰に鼻をすする。腹の脂肪がぶるぶると震えた。

「……あの事故の時、町中が大パニックになった。父さんは丸々三日間、生き埋めだった。このまま死ぬと思っていたけど、救助隊に発見されて、中央病院に一週間も入院して、退院した時にやっと、状況が把握できた。母さんは今も発見されてない。国が遺族に賠償金を支払うと言っていながら、全く支払いが来ない。そのうち、そんな話は最初からなかったように、何の音沙汰もなくなって……。父さんはお前を探して必死に日銭を稼ぎながら、走り回ってきた。もう本当にどれだけつらかったか……」

 月明かりが強くなり、豚男の顔を照らした。改めて見たその顔はやはり、微かに記憶に残っている父とは似ても似つかない、見知らぬ大男だ。

 だが、一つ決定的な特徴があった。口元のホクロと、長く豊かな耳たぶ。この前、道に迷った時には記憶の糸が繋がらなかったが、今こうして至近距離で見て、一斉に鳥肌が立った。

「父さん……」

 自然と口をついて出た、その言葉に豚男がさっと顔を上げる。

 重たそうな瞼が見開かれる。

「……思い出したか。俺を思い出してくれたのかいニック・ルーカス!」

 ありありと笑顔が広がっていく。

「思い出したよ……あなたは、本当に僕の父さんなんだね!」

「そうだ。そうだよ。ほら、おいで息子よ、さあ! おいで!」

 豚男――コスタス・ウェイ・プロドロモウは地面に降りると生き別れていた息子と熱い抱擁を交わした。いつまでも、いつまでも離さなかった。十数年ぶりに、機関整備士が使うグローブのように分厚くてゴツゴツした手に怒りと絶望以外のものが握られた瞬間だった。

「これからは、親子で頑張ろう。な。ずっと、一緒だ」

 薄汚れて脂ぎった頬を涙が伝った。

「うん、生きててよかった、本当によかったよ……父さぁん……」

 後から後から溢れてくる涙で、すっかり酔いが醒め、しかし身体はホッと暖かかった。



*     *     *



「いくよ……いいかな?」「うん」

 息を吸って二秒ほど溜め、柄を握り直す。息を抜きながら気持ちを集中――

「あ~、無理。どうしてもだめだっ!」 

 どうやってもできそうにない。何がダメなんだ。使い慣れた粛清具を机に放り投げる。

 制帽の鍔を掴んで目元を隠しながら、足早に部屋の隅まで行ってまた戻ってきた。

「あのさカルハさん。教えてほしいんだけど。あの日、一体どういう経緯で君たちの一族が謀反に走ったのか、その背景を洗いざらい教えてくれないか」

 粗末な鉄製の椅子に腰かけ、また苦し紛れのお喋りに逃げようとした。

 ところが、この会話が非常に重要だった。

「謀反だなんて。まず、それ自体が間違ってるのよね」

「うん、詳しく」

「私たちニホンジンは基本的に争わずして共存を望む種族だから、謀反を起こしていたのは別の黒髪族の事よ。髪の色は同じかもしれないけど、黒髪族にもいろいろなタイプがいてね。ニホンジンは積極的に争うほどの度胸はないの。もともと大人しいから。だから、大昔に起きた戦争の時も、結局エネルギーは吹き溜まって仲間を洗脳しようとしたり、自国の国民同士でひたすら粗探しや不毛な事を繰り返したりするようになって、弱いが故の恥をさらし続けた。どう言えばいいのかわからないんだけど……きっとそれは」

「……本末転倒?」

 グストフは合いの手を入れてみた。小難しかったカルハの顔がふっとほころぶ。

「そう、それ! ニホンジンに戦う才能は、元から無い。農耕民族だから」

 彼女の言う事が本当なら、自分がこれまで教えられてきた内容と矛盾する。

 ニホンジンは狂暴で徒党を組む知恵に長けており厄介だと――それを疑わず今まで――

「なるほど。まぁ団結力は高いかな。それは言えてること。いわば草食動物だからね、私たちは。それに元々はこんな遊牧生活じゃなくて穏やかな自然の中で農耕や漁をして生きていた。政府の迫害があって、遊牧民化せざるを得なくなったんだけど、それは国がそうさせてるからで仕方なくそうなっているだけなの」

「待って。国がそうさせてるって? 君らを、遊牧民みたいな生活にかい?」

「そうよ。本当にひどい」

 思わず椅子ごと近づく。

「そこ、もうちょい詳しく話して」

「ニホンジンは十年くらい前まで、一か所に隠れ住んでいた時代があったんだけど、ある時そこを国防が突きとめて無茶苦茶な理由で粛清をして沢山の同志を逮捕した。あの時でニホンジンを完璧に一掃するつもりだったみたい。私の両親もその時に逮捕されて、それっきり。ニホンジンは定住して生活を安定させると短い時間で高度な文明を築くから、こうするしかないと言われた。国崩しを企図する木食い虫に見立てて恐れているの、皮肉よね」

 真面目に聞き入っていたところで、ふと疑問がわく。

「言われたって、いったい誰に?」

 カルハはなんとも言えぬ湿った目で振り向く。

「――国防の人」「こ、国防?」

 ありえない。

「ちなみにそれは、どんな人だったかわかる?」

 カルハはコクと頷くと、口を開いた。


「はぁあああああああああ!? 冗談だろぁぁああああん!?」

 プラウスキは元から声が大きいが、驚かせるともはや爆音だ。

「嘘じゃない、はっきりと俺に言ったよ! こんな事はよくないが、仕事だからやっているんだと確かに言った、本当だ! そいつの、銅だか真鍮だか知らんが金属でできた名札にはピーター・キャメロンと彫ってあった! 今でも強烈に記憶に残ってるんだよお!」

 プラウスキはジンに目一杯近づけていた顔を上げると、走行機のように荒い鼻息を吐いて鬼のような形相をなんとか整え、一歩退いて佇んでいるベンデルに向き直った。

「……こ~いつぁ、いよいよイイ焼き加減になってきたね~え」

 あの老いぼれ裏切り総督が組織から浮いていた事など、誰も彼もが承知だ。

「ひっへへへへへへ。おもしろニュース始まるぜえ~っと」

 あの老害め――黒髪族に国防の秘密をチマチマと垂れ込んでいたのか――頭の膿んだ売国奴め。棺に小便をかければよかった! しかも自分がまだ赤ん坊の頃からやっていたとはな!!

 今からでも間に合うさ。あのジジイの墓に唾をかけてもバチは当たらないだろう。

「おいベンデル。こらデブ返事しろよ」「う、うん?」

 脂肪を着込んだ身体をブルリと震わせた。

「キャメロンが自殺する前の日に、確か若い黒髪を粛清してたよな? あの時の担当は誰だったか調べろ」

 ベンデルは小振りな手帳を取り出し、取り落としたそれを慌てて拾って確認した。

「えっと……二級黒髪部族のマハトゥバプル・サティを担当したのはキャメロン総督と、コールマンだったよ……主担当がコールマンで、粛清助手としてなぜかこの日はキャメロン総督が入ってた……」

「チッ! グスト……わかるだろ? あいつもあいつで何か隠してるぞ絶対に! ガリ勉が~あの野郎~こんちきしょ~」

 ベンデルは目を見開いたまま、何も言わなかった。相手の気迫に押され何も言えなかった。

「さ~てさて。面白くなってきたよ、おっさん。覚悟しとけよ~」

 プラウスキは異様に上機嫌になり、とっておきの道具を取り出し、ゆっくり歩み寄った。

「ふ~。お面被ってやるだけ、感謝しやがれってんだよ~っとな」

 仲間は、一度裏返ったら最高の肥やしだ。

再び、粛清室に断末魔の悲鳴が響き渡る。



*     *     *



「ええ娘じゃわ、そらぁ」

 ケミトリは彼にしては珍しく、人を褒めた。

「どうしてそう思いましたか?」

 焼き菓子の袋をまさぐりつつ尋ねる。黄色い照明のもとで、静かな時間が流れている。

「いつか言わねばならんと、ワシも思っていた事をとても見事に代弁してくれた。その娘は教育されておる。いや、教養がある。歴史こそ人間が生涯で学ぶべきたった一つの事じゃわい。そこに全ての知恵が、ええ塩梅で凝縮されとる」

 ケミトリは、これまた珍しい事に舌に何の引っ掛かりもなくこれだけ言ってのけた。

「いつか言わねばならないこと?」

 腹がしゅんとする。気が引き締まる。ケミトリは緩慢な動作で床に胡坐をかいた。

「そら、自分も座れ」「あ、はい」

 指で差され、右斜め前に腰を下ろす。なんとなく、正面で向き合うのは躊躇われた。

「明治、大正、昭和に平成、令和……なんてあやし唄があったなあ。あのな若いの。このクアナ独挙統治国はな、百数十年前までは違う名前の全く文化も違う異国だったんじゃ」

「どんな国だったんですか?」

 それは国民の誰もが疑問に思いつつも誰も触れてこなかった最大の問題――タブーの一つでもある。現に今の年号【冥創】は時を刻み始めて今年で百十九年目になるが、それ以前の事を知る者は国の上層部の更にほんの一握りしかいない。

「この国は以前は黒髪族の特定の種の国家じゃった。高度な文明を持ち、地球の中でも上位に入る経済大国じゃった。争いも多くはなく、のどかで平和な国。海に囲まれていて勢いは持てないが精緻な技術面で群を抜いており、国民性も穏やか。当時は、この島国一帯をまとめて〝ニホン〟と呼んでいたそうじゃな」

「え、ニホンって」

「そう。ニホンに暮らす民の事を、ニホンジンと呼んでいた。どういう事かわかるか」

「ここはもともと、あの人らの領地」

「そういう事じゃわ」

 返す言葉も見つからない。ではなぜ、先住民である彼らが迫害されているのだ?

 もともとここは彼らの土地だったという事は、自分たちは侵略者か? 植民か?

「どうしてそういう運びになったんですか? なぜ、ニホンジンたちは自分の国で迫害されるなんて、滅茶苦茶な羽目になるんです?」

 グストフはすっかり話にのめり込んだ。

「いよいよ教えてやるか。わしの祖父の話じゃ。ニホンの国民らは言ったように高い技術と経済で世界の発展に貢献した。一度は大きな世界戦争で壊滅的な大打撃を受けた事もあったが、驚異的な精神力と総合的体力で復活し、より一層の経済成長を迎えて目覚ましく発展した。加工貿易なる商法が存在し、他国がもたらした技術や資源を素にそれをさらに上回るものを作って外国から利益を得る賢いやり方だ。それでも経済成長が頭打ちする時があった。右肩上がりになんでも上手くいくなんていうのは、金回りでも身長の伸びでもありえない。それはそれは苦境だったろうなあ。どうやっても不況から抜け出せず、何をしても、どんな方針をとっても結局また同じ地点へ戻ってしまう……底無し沼じゃったと聞いたわな」

「俗にいうスランプ」

「ああ、そうとも言うらしいな――若者の言葉じゃ――ニホンジンはこの混迷の時期、それはもう苦しみに苦しんださ。練生たちは仕事先が見つからず若くして自死を考える者も大勢いて仕事そのものが苦で死を考える者も、おそろしい数に上ったそうじゃ。仕方ない、国は強いものが奴隷に繋がれた鎖を引き絞らねば回らん。楽園街をつくろうとて、どんなに理想や美しいお言葉を掲げてみたところで、それを維持する為には陰に闇あり。どんな素晴らしい街にも下水は流れる。どんな立派な人物にも傷はある」

「そんな! そこまでいくなら仕事を辞めてしまえばいいのに。何のための命なのさ!」

 グストフは思わず笑ったが、白濁した両の目がギョロリと動いた。

「他人事だから、そう言える」

「………………はい」

「今の経済状況とそっくり同じじゃろ? そんな状況でお前さんは、同じこと言えるか?」

「あ……それは……い、いいえ」

 そう。仕事に就きたい者が仕事に就けない状況。喉が渇いていても、水を飲むために汲みにいくことが許されない。今の我が国の状況とまったく同じだ。

「時代、流行、戦争……あと飢饉も、経済的発展も崩壊も全ては輪廻しているんじゃって、わからんか? 身近なところで恐ろしいくらい事例があるのに気づいとらん? いかんなあ、あんまりしっかりと栄養を摂り過ぎておると、土の味わい方も忘れるらしい」

「……………………すみません」

「ほらな。前から思っとったが、お前さんはもう少し自分の置かれた状況をよく顧みないといかん。自分では自分の事を優秀だと、そう思いたいのかもしれんが、優秀と愚さは紙一重じゃわ。何かに向かって一直線のレールを脇目も振らずに走る列車が、自在に方向を変える走行機に負けるなんぞ幾らでもありうる。意味わかるか、若いの。 お?」

「はい。すみませんでした」

 妙にすんなり心に入る言葉。まるで、かつて同じ説教を誰かにされたような不思議な感覚すらした。スガナの威張り散らして責め立てる文句とは大きく違う。人を説得するには、やはり言葉を発する以前にもう勝負がついているのではとこの時は思った。

「まあ仕事がない、失業率が高い。そのくせ仕事があったらあったで給金はギリギリ生活ができるかどうかという微々たるもの、税金や物価が上がり続ける。そんな時代が長く、長く続いたらかなわんわな。国民の多くは知らず知らずのうちに心を病み、我こそ正しい生き方をしているから大丈夫、と思っている者もやはり、どこか病んでいたさ。気付かぬうちに間違える、これ、最悪じゃな」

 この国の現状と、ほとんどすっかり重なる部分が多い――あまりにも多いのだ。

「辛いことです。本当に、聞いていてそう感じます」

「ああ、生き地獄さ。死んでから地獄ならまだ割り切れる。せっかく命を削っているうちから地獄なんて、まったく笑えないじゃろう? どうじゃ」

 ケミトリはここでようやく、埃っぽく笑ってみせた。

 こちらはクスリとも笑えないでいるところを察したのか、また難しい真顔に戻る。

「さあさあ。そんな暗い時代が続いてあるとき、他国の人間の一部がニホンにまとまって移住してきた事があった。実はここはワシもよく知らんが、どうやら国同士で何らかの取引があって、ニホンは大きな恩恵が受けられると唆された可能性がある。それからゆっくり時間をかけてニホンの良いところをある国の人間らがそっくり習得してしまって、言葉巧みに、実に賢いやり口で盗んだ。完膚なきまでに精巧に」

「そんな事が、いったいどうしたらできるんですか」

「できるんじゃ。これが、やってやれん事はこの世にないとすら言える。どうしたら、じゃない。できる、じゃ。こいつはハッキリ言って、やる側の問題でしかない」

 何か言いたいが、何を質問すればいいのかわからない。

「まぁ一つカラクリがあるとすれば、移住した一部の人間は知能指数が人並み外れて高かった事かの。都市伝説というのは今でも、いや、いつの時代のどんな場所でも語られるもんじゃが……ワシはあまり好きじゃないが……かつての都市伝説で高度な知能を持つ人々ばかりの寄り合い、秘密結社じゃな――それがあると言われていたが、ほとんどの人間はこれを聞き流していたそうじゃが――愚かと思わんか? ただの笑い話と思っている人間もいたというが、これは事実じゃ。もとよりニホンジンという種族は大人しくて閉鎖的な性格をしておる。家畜にはぴったりじゃ。繊細で慎重な人間を操るのに一番効くものは何か、お前さん、わかるか?」

 グストフは腹に力を込めた。

 この老人にはずっと小馬鹿にされていたが、ここは練生時代に習った専門分野。

「恐怖、です」

 ケミトリは鼻を鳴らした。

「お見事。その通り。恐怖の中にはよぅ考えたら別に怖くもなんともないものや単に耳触りが悪いだけの言葉も多いし、何より一度触ると恐怖が消えうせるものは本当に多い。それを知ってか知らずか、言われるままに右往左往してビクビクビクビクしとる人間は、たいして賢いとは言えんなあ?」

「ええ、はい、そう思います」

 意味のない興奮を必死に抑えながら頷く。

「はっはっは。よろしい」

 どういう訳か、この老人はご機嫌だ。それはそれで気味が悪い。

「ご名答じゃ。恐怖で以てニホンジンらをうまくコントロールした。何十年もかけて、数世代にわたって潜在意識にまで恐怖を植え付ける。根っこの方からコントロールする為に遺伝子レベルで国民の本質を利用した。秘密結社とは、ある世代の固有の人々のものではない。何世代にもわたって歴史を創造する、それが彼らの本当の狙いじゃ。自らの思うところ、その中で本当に美味い汁を吸い堅実に生きる世の中、社会を形成する、蜜を出す畑を……すまんな、堅苦しくなってしもうた。何がともあれ視野を広げてくれ」

「……じゃあ、つまり自分たち色髪族の歴史は、綺麗な歴史ではない、と」

「そうじゃよ。ようやく理解できたか。はっはっは! ようやくも何も、今日初めて言ったんじゃからな、道理が通らんか。はっはっは!」

 何も面白くない。まったく笑えない。ケミトリは焼き菓子を食べ終わり、グストフから交換の水筒を受け取ると、さっさと消えようとしたが、その背中を呼び止める。

「なんじゃ」

「あの。いろいろな事情をご存知のケミトリさんから見ると、僕の……僕らの職業は、どう見えますか」

 ケミトリは怪訝そうに下唇を突き出してから、ぶっきらぼうに応えた。

「鬼畜じゃろうなあ、そりゃあ」

「……はあ。やっぱりそうですか」

 聞こえない程度の声でそう呟き、また相手を見た。

「長々とありがとうございました」

「うむ。ま、ワシみたいなビッコ引きにもなると鬼畜にも媚びにゃ生きていけん。人の価値はすなわち地位か? 人柄か? なんつってな。じゃあな若いの」

 身体のどこにも力が入らず、ただただ棒立ちになるグストフを残して暗闇へと消えていこうとする背中を呼び止める。

「はあ? なんじゃいもう。用があるんならまとめて言え」

「ごめんなさい。気になるんです、ケミトリさんはどこでこの情報を手に入れたのかと」

 ケミトリは数秒間動きがなかったと思うと、ふっと柔らかい笑みを漏らした。

「ワシ自身がニホンジンの末裔だからじゃって。ケミトリなんて名乗ってはみたがデタラメじゃ。悪いな若いの、後は自分で考え。じゃあの」






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