与えられたもの
「ねぇ、昔のこと覚えてる?」
雪のように白い病室の隅で君は僕に問いかける。
その問いかけに対して、僕は少しだけ意地悪をしてしまう。
「昔のことかぁ。僕は昔から体が弱かったからな〜。
病室で1人ですごしたことしか覚えてないかも。」
そんな僕の一言に彼女は少し寂しそうな顔を見せる。
そんな顔をみて、僕は慌てて言葉を続けた。
「だけど、遥と出会ってからほんとに色んなことがあったよ。もちろん、楽しいことも沢山あったし、悲しいことや苦しいこともあった。今までの僕の空っぽだった時間を埋めるみたいに、色んなことを君から教えてもらった。」
今までの記憶を思い出してみると、楽しい記憶にはいつも遥がいることを改めて思い知る。
そんなことを考えながら、僕は少しだけ昔のことを思い出してみる。
そう。僕は昔から体が弱かった。小さい頃から病室に居て、そこから出ることは許されなかった。
だけど18歳になる頃には少しだけ体調がましになり、大学に行けるくらいに体は回復していた。
だけど今までずっと独りで居た僕に友達の作り方なんてわかるはずもなく、大学に通っても結局一人でいることは変わらなかった。
だけどそんな時、彼女に出会った。
大学生になった夏、たまたま講義が被り、隣に座った女性が彼女だった。
「ねぇ、君いつもこの辺の席で1人で寝てるよね。」
急に声をかけられて驚いたが、それ以上に嬉しかったことを今も鮮明に覚えている。
「あぁ、僕は昔から少し人より体が弱くてさ、ずっと病室で寝ていたから、その時の癖が治らなくて。」
いきなりこんなことを言ってしまって引かれただろうか。
そんな不安が一気に立ち上ってくる。
そんな僕をよそ目に彼女は少し驚いたように問いかけてくる。
「えぇ!、ずっと病室で1人って、もしかして今もどこが悪いの?」
「いや。今は大丈夫なんだけど。」
あまりこういう話をするのは良くないかと思ったけど、不思議と口から言葉が出ていた。きっと誰かに同情してもらいたかったんだと思う。
「体が弱かったせいで小中高とずっとひとりでさ、学校に通えてもまたすぐに入院っていうのを繰り返してたから。
だからずっと友達がいなかったんだ。」
初めて会う僕の話を彼女は真剣な顔で聞いてくれている。
だけど僕はそれが恥ずかしくなって少し冗談混じりに
「大学に通えれば直ぐにできると思ってたんだけどなぁ。
そう上手くは行かないみたい。」
僕のその言葉に彼女は少し笑いながら
「そっか、じゃあ私が初めての友達だね!」
彼女のその笑顔が眩しくて今まで独りで居た寂しさが少し薄れたような気がした。
「きみ、名前は?」
「たかし、霧島隆」
「そっか、じゃあ隆って呼ぶね!、私のことは遥って呼んで!」
その時から彼女は僕のことを気にかけてくれるようになり、遊びにも誘ってくれるようになった。
そのおかげで友達も沢山でき、大学に行っても一人でいることが少なくなって行った。
そんな日々が過ぎていったあるとき、大学でできた友人のかけると、いつも通り大学のベンチで昼食を食べている時、翔琉は少し笑いながらこんなことを口にする。
「なぁ、隆、はるかってお前のこと好きらしいぜ?」
翔琉のその言葉に最初こそ驚いたが彼女は僕にとって太陽のような存在だ。そんな人が僕なんかに恋をするわけが無い。
「そんなわけないだろ?第1、遥は僕にとって太陽みたいな存在だ。そんな人が僕みたいな人間に恋をするわけないだろ。」
僕のその言葉に友人は少し呆れたように言う。
「お前って直ぐに自分のことを卑下するよな。もっと自分に自信持てよ。まぁ、そんなところがお前の良さでもあるんだけど。今どきあんまいないぜ?お前みたいに素直なやつ」
普段あまり僕を褒めない翔琉が珍しくそんな言葉を口にした。
僕は少し照れくさかったが、それ以上にそんなことを思っていてくれたくれたことが嬉しかった。
「ありがとう、でも遥が俺を好きってのはまだ信用してないけどな!」
こんなたわいもない会話をしていると、ふと後ろから気配を感じ、振り返る。
そこには顔を真っ赤にし呆然と立ち尽くすはるかの姿があった。
遥は俺が自分の存在気づいたとわかると足早に大学の中へと歩き始めた。
そんな彼女の様子を見て、僕は慌てて彼女の手を引き、声をかける。
「ちょっと待ってよ、なんで急にどこかいくの?」
急に手を引かれたことに驚いたのか、彼女の動きが一瞬止まった。
そしてこっちを振り返りこんなことを口にする。
「さっき翔琉君と話してたでしょ、あれ全部本当なの。」
彼女のこの言葉に僕は最初理解が追いつかなかった。
そんな僕の様子を見て彼女が少し恥ずかしそうに言葉を続ける。
「だから、私が隆のことを好きだっていう話。あれ本当なの!」
そんな彼女の言葉を聞いてもまだ、それを信じられない自分がいた。
だから僕は思ってもないことを口にしてしまう。
「僕なんかじゃ君には釣り合わないよ。僕は体が弱かったし、またいつ悪くなるかも分からないんだよ?。もしかしたら君にも沢山迷惑をかけてしまうかもしれない。
そんな僕と付き合っても、きっと君が苦しむだけだよ。」
そんな僕の言葉を聞いて、彼女は少し泣きそうになりながら声を張り上げた。
「釣り合うか釣り合わないかなんて、勝手に決めないでよ!。それを決めるのはあなたじゃなくて私でしょ!?もういい、たかしなんて大っ嫌い!」
そして彼女は僕の手を振り払い大学の中へと走り去ってしまう。
彼女のそんな姿を見るのが初めてだった僕は、そんな彼女を追うことすらできず、ただ呆然とその場に立ちつくすだけだった。
すると、後ろから翔琉に声をかけられる。
「あー、やっちまったな。だから言ったろ?自分を卑下しすぎだって。確かに良いところでもあるとは言ったが、同時にお前の悪い所でもあるんだよ。」
翔琉は言葉を続ける。
「いいか?隆。お前は自分自身が思ってるよりずっと、みんなに愛されてんだよ。だから自信持て、釣り合うか釣り合わないかなんて関係ねぇよ。大事なのはお前が遥ちゃんの事を好きかどうかだろ?。」
翔琉の言葉に僕はやっと目が覚めた気がした。
そうか、僕が今まで描いてきた感情は決して憧れだけじゃない。
そう自覚した瞬間気持ちが溢れて止まらなくなる。
そして、溢れ出た気持ちが、気づけば口から言葉として溢れ出る。
「僕は、遥のことが大好きだ。」
そんな僕の言葉を聞いて、友人は笑いながら声をかける。
「なら、することは1つだよな?。お前の本心で、お前自身の言葉で、ちゃんと遥ちゃんに謝ってこい。」
本当に、こんなことを言われるまで遥への好意に気づけなかった自分が嫌になる。
「ありがとう翔琉。ほんとにお前にはいつも世話になりっぱなしだな。」
その言葉に友人は少し照れくさそうに答える。
「はいはい、わかったから。さっさと遥ちゃんのところ行ってこい。」
そう言って翔は僕の背中を優しく押す。
遥が走っていったのは大学の中だ。でも、広い大学の中で
彼女を見つけるのは難しい。だから僕は必死に頭を巡らせる。
「もしかしたら、あそこにいるのかもしれない。」
彼女との思い出の場所。僕らが初めて出会った場所。
僕の人生に色がつき始めた。色褪せることの無い大事な場所。
教室の前につき、僕はドアノブに手をかけ、一気に扉を開く。
すると広い教室の中で、たった1人で座り、陽の光に照らされた女神のような彼女と目が合う。
彼女の瞼の下にはうっすらと涙の跡が残っていた。
「遥、さっきはごめん。急な事だったから咄嗟にあんなことを言ってしまった。」
彼女の目を真っ直ぐに見つめながら僕は言葉を続ける。
「あんなこと言っておいて、今更なんだと思うかもしれないけど、僕の話を聞いてくれる?。」
彼女は今にも泣き出しそうな顔で小さく頷く。
「僕は最初君に憧れてたんだ。君と出会うまで僕の人生は本当にセピア色だった。何をしてもずっと独りで、これからの人生も、ずっとこうなるんだろうなと思ってた。だけど違った。君と出会えたあの日から、僕の人生にはたくさんの色がついていった。だからこそ僕なんかは君に釣り合わないと思ってた。」
今まで隠していた言葉が全て口から零れ落ちる。
「だけど、違った。僕は憧れの気持ちともう1つ、大事な感情を忘れていた。憧れているだけだと思いこんで、この感情から逃げてたんだ。」
もう自分に嘘はつかない。そう決めた。
だから今この場で自分自身の言葉で彼女に愛を伝える。
「好きだよ、遥。僕の人生に色褪せない日々をくれた君のことが、僕は本当に大好きだ。」
「だから遥、僕と付き合ってください。」
その言葉を聞いた瞬間彼女は泣きながら僕に抱きついてくる。
「遅いよ、バカ。本当に、次あんなこと言ったら許さないから。」
そして彼女は僕の服に顔を埋めながら言葉を続ける。
「こんな私だけど、よろしくお願いします。」
こうして僕たちは晴れて付き合うことになった。
彼女は元々知り合いが多かったので大学内に付き合ったことが知れ渡るのには、そう時間はかからなかった。
たまにからかわれたりした時に彼女が顔を真っ赤にしているのがたまらなく可愛く思えた。
カップルとなった僕たちは2人きりでいろんな所へ行った。
春には桜を見に行ったり、夏にはプールや海そして夏祭り。秋には紅葉も見にいった。クリスマスやバレンタイン。彼女と色んな日々を過ごしていった。
そして僕たちが付き合いだして2年がたった頃、彼女の体に異変がおきる。
「私ね、病気になっちゃったんだ。」
いつも通りの2人での帰り道、不意にこんなことを聞かされた。
僕は信じられずにその場に立ち尽くしてしまう。そんな僕を見て彼女が言葉を続ける。
「それでさ、明日から病院に入院しなくちゃなんだ。
もしかしたらもうこんなに元気に外には出られないかも、結構酷い状態で、余命があと1ヶ月なんだって」
僕はこの時どんな顔をしていたんだろうか。きっとすごく酷い顔をしてたんだろう。気づけば膝から崩れ落ち、涙が頬から流れていた。
「もー!泣きたいのはこっちだよ、全くー。」
そんな僕の様子を見て彼女が冗談交じりに言った。
それからしばらく泣いたあと、少し落ち着いてから、彼女と近くの喫茶店で少しだけ話をした。
「病気って、もう治らないの?。」
僕の質問に彼女はいつも通りの笑顔で答える
「そうらしいよ、あたし馬鹿だからさ、難しいことはあんまり分からないけど、癌?なんだって、しかも結構病気が進んでて、結構やばい状態らしいよ」
そんな彼女の様子を見て僕はなぜだか少し元気が出てきてしまう。
「いやー、前から少し、しんどいなとは思ってたんだけどね、まさか癌だとは思わなかったー。」
癌になっても彼女の元気さは変わらない。本当にいつまで経っても君は、僕には眩しい人だ。
それから彼女は入院した。
そして今この状況に至る。
本当に思い出すだけで、君への感謝が溢れてくる。
「本当に、ありがとうね、遥」
僕のその言葉を聞いて遥が、少し照れくさそうに
「こっちこそ、ありがとうね、君に色んな事を教えてもらったのは私も同じだよ?」
そう言って陽に照らされながら、笑う君の姿が、あの日の教室での君の姿と重なって見える。
病気であまり食事ができなくなり、少し痩せ頬がやつれても、君はずっと変わらず、女神のように、綺麗なままだった。
そして、女神のような笑顔で君は僕にほほ笑みかける。
「本当に、今までありがとう。大好きだよ。隆」
そう言って彼女はゆっくりと、静かに眠りに落ちた。
「ねぇ、起きてよ、まだ眠るには早いよ。お願いだから、目を覚ましてよ。」
涙と一緒に言葉が溢れてくる。
だけど、どんなに声をかけても彼女の目が覚めることは無かった。
もう遅いのはわかっていた。だけどどうか彼女に届く事を祈って、僕は彼女の顔に優しく口づけをし、彼女へ向けて最期の言葉を吐く。
「本当に、愛してるよ。遥。」
暖かい陽だまりの中、カーテンが揺れる音と、僕が大好きだった彼女の綺麗な笑顔だけが、病室に残っていた。