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8.エルと二人で

 さらにしばらく野宿を繰り返した後、私たちは普通に旅をすることにした。あの町やヨハンの屋敷からも十分に距離を取ることができたし、もう警戒を解いても大丈夫だろうと考えたのだ。


 気に入った町にはしばらく滞在して、色々見て回った。そのついでに、町角で歌って路銀を稼ぐ。今までのように舞台に立つのではなく、客と同じ目線で、すぐ近くで歌うのは楽しかった。


 もっとも、客との距離が近い分、ときおり私のほうに近づこうとする者もいた。そのほとんどは男性、それも中年男性だった。もっというなら、たいがいは酔っ払いだった。


 しかしそんな客は、エルがあっさりと追い払ってくれていた。私が歌う時は、いつも彼がそばにいてくれた。おかげで私は心置きなく、のびのびと歌うことができた。客たちも快く、お金を払ってくれた。


 旅慣れたエルと、屈強なシュテルンとの旅は、思いもかけないほど快適で、とっても素敵なものだった。




 そうして、夕暮れの街道を進んでいた時のこと。


「町が見えてきたな。今日はあそこに泊まろう」


「そうね。……でも何か、騒がしいような気がしない?」


 私の言葉に同意するように、シュテルンがのんびりと歩きながら小さくいなないた。エルが身を乗り出し、遠くを見すえるような動きをする。


「確かに、こんな時間にしては人が多いな。それに、やけにせわしなく動き回っているようだし……」


「何か、大変なことになっているのかしら?」


「分からない。ただ、油断はしないでくれ。いざとなったら、すぐに逃げられるように」


 背後から聞こえる彼の声は、少しばかり緊迫していた。大きくうなずいて、しっかりとくらにつかまった。


 しかし私たちのそんな心配は、見事なまでの空振りに終わった。ちょうど私たちが町の入り口に差し掛かった時、あちこちに明かりが一斉に灯されたのだ。


 軒先につるされたランタン、通りに置かれたたいまつ。温かなそれらの明かりに照らし出されたのは、あふれんばかりの花にあふれた町並みだった。


「おや、旅の人だよ!」


「ようこそ、私たちの町へ!」


「今夜はお祭りだよ、楽しんでいっておくれ!」


 シュテルンに乗ったまま町の中に入った私たちに、そんな声がかけられる。私たちはぽかんとしながら、ひとまず宿を取った。シュテルンと荷物を預けて身軽になってから、二人で町を歩いてみる。


 町は華やかに飾りつけられていて、着飾った人たちが陽気にはしゃいでいる。お祭りでよく見かける、こちらまでうきうきするような光景だ。まだ始まったばかりなのに、もう酔いつぶれている者までいる。


「どうやらこの町は、比較的豊かみたいね。あとで場所を見つけて、歌ってみるわ。たぶん、いい稼ぎになると思うの」


「そうだな。祭りも盛り上がるだろうし、きっと喜ばれるだろう。でもその前に、祭りを楽しもう」


「ふふ、賛成よ。ここまで大きなお祭り、実は初めてなの。さっきから気になっていて」


 そうして二人で歩き出したはいいものの、人が多すぎて少しばかり歩きづらい。人をよけながら歩いていると、どうしてもエルから遅れがちになってしまう。


「……ほら」


 そんな私を見かねたのか、エルが苦笑して手を差し出してきた。


「はぐれるとやっかいだ。君さえ良ければ、つかまっていてくれ」


 こくりとうなずいて、エルの手を取る。こんな風に手をつないだことは初めてではない。それこそ、子供の頃はしょっちゅうだった。もっともあの頃は、私がティルの手を引いていたのだけれど。


 それに、町から町へと移動する間、私たちは二人一緒にシュテルンに乗っている。結構体が密着するのだが、それを気にしたことはなかった。というか、気にしないようにしていたというか。


 なのに今は、妙に胸が高鳴ってしまっている。エルと手をつないで、一緒に人込みを歩いているだけなのに。もしかして、祭りの熱気にあてられてしまったのだろうか。


「どうした、クラリッサ? ぼんやりして」


「少し、のぼせたのかもね。この町があんまりにも、幸せな熱気に包まれているから」


「そうか。疲れたら、いつでも言ってくれ。宿に戻ろう」


 エルはそう言ってくれたけれど、私は休むつもりはなかった。少しでも長く、この幸せを感じていたい。そう思ったから。




 そうして祭りを楽しんでいるうちに、私たちはあることに気がついた。花売りの姿が、やけに目に付くのだ。色とりどりの花であふれんばかりになっている大きな手かごを提げて、お花はいかがですか、と明るく声を張り上げている。


 と、その中の一人と目が合った。私より少し年上だろうか、若くてややふくよかな女性の花売りは、にこにこと笑いながらまっすぐにこちらに向かってきた。


「そこのお二人さん、お花はいかがですか」


「……一つ、聞きたい。この祭りにおいて、花に何か意味があるのだろうか」


「はい、その通りですよ」


 花売りは、エルの唐突な質問にも気を悪くした様子はない。手かごをこちらに差し示しながら、弾むような声で説明を始めた。


「このお祭りでは、男性から女性に花を贈るんです。その女性に、一番似合いそうな花を。花をもらえた女性は、それから一年、健やかに過ごせるっていう言い伝えがあるんですよ」


 そこで花売りは声をひそめ、いたずらっぽく続けた。


「……でもどっちかっていうと、愛の告白に使われてることのほうが多いですね。お二人さん、とっても仲がいいし、これはもう絶対に、花を贈るべきだって思うんです」


 花売りはそう言って、エルをじっと見つめた。エルは一瞬だけたじろいだようだったが、すぐに落ちついた声で返す。


「そうだな。一年を健やかに、というのはいいことだ。……クラリッサ、そちらの花壇の前で待っていてくれないか。俺は花を選ぶから」


「さあさあ、そうと決まればじっくり選んでください! 私の花かごには、びっくりするくらいに色んな花がありますよ!」


 とうとうと花の説明を始める花売りと、真剣に花かごを見つめるエル。私はひとまず、言われた通りに下がることにした。


 どうやらエルは、私に内緒で花を選びたいらしい。案外子供のようなところがあるな、と思った拍子に、つい笑みが浮かぶのを感じていた。




 近くの花壇の前に立ち、エルを待つ。通りがかりの人間、特に若い男性がちらちらと視線を投げかけてくるが、あえてそれには気づかなかったふりをした。


 やがて、エルが手を後ろに隠しながら戻ってきた。そうして彼が差し出したのは、一輪の白いマーガレットだった。


「やはり、この花がいいと思う。……赤いバラも似合いそうで、かなり迷ったが」


 マーガレットを受け取って、笑顔で小さく首を横に振った。


「いいえ、この花がいいの。私の好きな花だし、それに私たち二人の思い出の花だから」


「そうだな。あの頃の君、とても元気で明るいヒルデには、この花がよく似合っていた。もちろん、今の君にも」


 エルが瑠璃色の目を優しく細める。その笑みを見ていると、頬がふわりと熱くなる。


「子供の俺は、わざわざ屋敷の者に頼んで、マーガレットを用意してもらったんだ。小さな花束を持って君のもとに向かう時、とても心が弾んだのを覚えている」


「私がうっかり、もうすぐ誕生日なんだって口を滑らせた後のことね。……あなたにもらったあの花束ね、私の部屋に生けてもらって、毎朝毎晩うっとりと眺めていたのよ。枯れてしまった時は、とても悲しかった」


 昔のことを思い出しながら、もらったマーガレットに顔を寄せる。


「……この花も、じきに枯れてしまうのね。残念だわ」


「ならば、押し花にしてはどうだろうか」


 エルの提案に、思わず目を丸くする。


「さっきの花売りが、教えてくれた。紙と板ではさみ、丸二日くらい重石を載せておけば、押し花ができると」


「素敵……宿に帰ったら、さっそくやってみましょう」


「ただ、重石と聞いた時に、ついうっかりシュテルンのことを思い出してしまった」


「座ったシュテルンの胸の下に、押し花の板を入れるの? ふふ、なんだかおかしい」


 シュテルンはとても大きくて、当然ながら体も重い。休んでいる彼の体の下に入れておけば、あっという間にぺったんこの押し花ができそうだ。


 その様を想像してしまい、ついくすくすと笑ってしまう。エルもつられたのか、声を出さずに小さく笑い出した。


 にぎやかな祭り、笑い合う私たち、手の中のマーガレット。エルと旅に出てから毎日が楽しいけれど、今日はひときわ、幸せだった。

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