29.新たな時代がやってくる
「新しい王様に、乾杯!」
私たちは、祭りの喧騒の中にいた。誰もかれもが幸せそうに、腹の底から笑い声を上げている。
「おおい歌姫さん、一曲頼むよ!」
陽気な酔っ払いたちが、私に声をかけてきた。周囲から、同意する声がいくつも飛んでくる。
「クラリッサ、君は人気者だな。さっきから引く手あまたで、ゆっくり話す時間すらない」
向かいに座ったエルが、いたずらっぽく笑いかけてくる。彼もまた少し浮かれているのか、いつもより愉快そうな笑みだった。
「ふふ、このお祭り騒ぎが終わったら、ゆっくり話しましょう。今はみんなの期待に、こたえてあげなくちゃ」
そんなことを話している間にも、周囲の声は大きくなっていく。歌を聞かせてくれ、と叫ぶ、陽気な声が。
「それじゃあ、いってくるわ。ドミニク、ヘルガ、あなたたちも手伝って」
私の呼びかけに、のんびりと軽食をつまんでいた二人が立ち上がる。ヘルガはリュートを、ドミニクは鈴を手に。
笑顔の観衆に大きな笑みで答え、二人の伴奏に合わせて歌い出す。とびっきり華やかで、幸せにあふれた、祝いの歌を。
私の歌に合わせて、色とりどりの花びらが降ってきた。ついうっかり、手加減せずに歌ってしまったらしい。奇跡の歌姫が見せた新たな幻に、人々は熱狂していた。
歌いながら、ちらりとエルのほうを見る。花びらの向こうで、彼は優しく微笑んでいた。その笑顔を見ていると、胸が温かくなる。じわりと、涙がにじむ。
降り注ぐ花びらが、さらに数を増した。すぐ隣に立っている人間すら見えないくらいの美しい花の雨の中、私とエルはじっと見つめ合っていた。
この幸せなお祭り騒ぎが実現するまで、それはもう色々なことがあった。
ルードルフ様からオスカー様への譲位は無事に決まったものの、それに伴う手続きや戴冠式の準備が、それこそ山のように積みあがっていた。
さらにオスカー様は、もう実質的に王として動き出していた。ルードルフ様が定めた民を苦しめる法を片っ端から廃止して、さらにやりたい放題やっている末端の役人をしっかりと取り締まる仕組みを作って。
だからオスカー様や彼の配下、それに王宮の大臣たちは毎日大忙しだった。それに、エルも。あまりに忙しそうにしている彼らを見かねて、私は口を挟まずにはいられなかった。昔お父様にみっちりと仕込まれたから、書類の取り扱いは分かるわ、と。
そうしたらあっという間に、彼らの仕事場に引きずり込まれた。どうやらエルたちは、猫の手でも借りたいほどの状況だったらしい。
そうしてエルと二人きり、久しぶりの書類仕事が始まった。その休憩時間に、先日の騒動の一部始終についてエルが話してくれた。
王宮に向かった私が次の日になっても戻ってこなかった時、エルはすぐに気がついた。これは何か、まずいことになっているのだと。
王であるルードルフは昔から横暴な男だったから、高名な歌姫を手元に置きたがったのかもしれない。エルはそう考えたのだ。
エルたちは、王宮の中で何が起こっているのか知りたかった。しかし、エルは王宮に立ち入れない身だった。
四年前、先王陛下が亡くなられ、跡目争いが起こった時。ルードルフ様は相当悪辣な手を使って、エルとオスカー様を追い込んだらしい。どうも、領地の民をまるごと人質にとったようだった。
しかもルードルフ様は、王となった後もエルたちをつけ狙っていたらしい。いずれ自分の邪魔をするかもしれない二人を監視下に置きたい、できることなら消してしまいたいと思っていたらしい。
だからオスカー様は、逆らう気がないのだと示すために王都の近くの屋敷にひたすら引きこもり、エルは身分を隠して逃げ出した。シュテルンに乗って。
「そんな訳で、俺は王宮にうかつに近づけなかった。王都に滞在しているのも、危険なくらいだった。どうしたものかと困り果てていたら、ドミニクとヘルガが名乗りを上げてくれた」
二人は手を組んで、面白い作戦を実行に移したのだそうだ。
まずドミニクがルッツを連れて、王宮の勝手口近くに向かった。そうしてルッツを王宮の中に突入させて、近くの使用人に話しかけたのだ。おれの犬が王宮に入り込んでしまって困っています、どうか探すのを手伝ってください、と。
見事な美少年である彼が、涙ながらに訴えかけたということもあって、周囲の使用人たちはみんなルッツを追いかけてくれたのだそうだ。
そうして手薄になった勝手口から、ヘルガが忍び込んだ。野菜を詰めた、大きなかごを背負って。
「彼女は、野菜を運びに来て親とはぐれてしまった子供のふりをしたんだ。そうして彼女は、不安げな顔をしてあちこちをうろうろしながら、使用人たちの噂に耳を傾けていた」
「とっても愉快な、でもいい感じの作戦ね。それから、どうなったの?」
「ヘルガは首尾よく、興味深い噂話を持って帰った。そしてその話を聞いて、俺たちは絶句するほかなかった。陛下は歌姫に求婚し、それに応じなかった歌姫を幽閉した。そんな話が、王宮ではささやかれていたんだ」
エルは静かに語っている。けれどその声には、じょじょに怒りのようなものがにじんできているような気がした。
「どうあっても君を助けなくてはならない。そしてそのために、俺はルードルフを止めなくてはならない。そう決意した」
彼の手元は、かすかに震えていた。こちらを見ないまま、彼は言葉を続ける。
「俺は旅の間ずっと、民の声を集めていた。今の王に対する恨みつらみ、そして新たな王を望む声。民たちは、そんなことを語っていた」
彼の声は静かで、でもその奥には間違いなくいきどおりが揺らめいていた。
「あの声を無視しないためにも、君を無事に助け出すためにも、俺は動かなくてはならない。……いつか君が教えてくれた、君の父君の言葉も、俺の背中を押してくれた」
彼はきっぱりと言い放つ。瑠璃色の目で、宙をにらみつけながら。
「そうして俺は、オスカーのところを訪ねていった。次の王となるなら、俺よりも彼のほうが適任だ。そう言って、ひたすらに彼を説得した。集めた民の声を彼に示しながら」
そこで、彼はふうと息を吐く。こわばっていた肩が、ゆっくりと下がっていった。
「丸一日説得し続けて、ようやくオスカーが折れてくれた。それから俺たちは、大急ぎで作戦を練った。途中、君がもたらしてくれた情報が、大いに役に立った。それらの結果が、あの婚礼の日の騒動だ」
「そうだったの……迷惑、かけたわね」
「迷惑などとは、これっぽっちも思っていない。むしろ君がとらわれたことで、この国にたまっていた膿を出すことができた。こう言ってはなんだが……感謝している」
「感謝されることなんてないわ。私、ただ待っていることしかできなかったんだもの。だからそのぶん、書類のほうは頑張るから」
「頼りにしている。だが、無理はしなくていい。少し手伝ってくれるだけでも、大助かりなのだから」
それからまた、二人して書類仕事に戻っていく。少し前までは想像もつかなかった、穏やかな時間だった。
そうして書類を処理しては、適当なところで休憩をとる。そんなことを何回か繰り返しているうちに、ふと気になったことがあった。
「ねえエル、あなたはルードルフ様に危害を加えられるのを恐れて旅に出たみたいだけれど……あなたの両親は、どうされているの? きっと、あなたと同じように危ない立場に立たされていると思うのだけど」
その問いに返ってきたのは、思いもかけない言葉だった。
「俺の両親も、同じように旅に出ている。オスカーが正式に即位したら、いずれ戻ってくるとは思うが」
「あなたの両親……って、その、どちらかは王族……でしょう? それが、旅を? それも、四年間も?」
「ああ、俺の母が先王陛下の末妹だ。ただ、俺の両親は少し変わっていて」
エルが複雑な顔をして視線をそらした。夜空の紺色をした髪を、無意識にかき回している。
「あの二人は、昔からしょっちゅう屋敷を飛び出して、あちこちふらふらしていたんだ。旅の貴族、豪商の夫婦、そんな風に身分を偽って。俺も子供の頃から、よく付き合わされていた」
「もしかして、あなたがずっと身元を隠し通せたのも……」
「両親の教えのたまものだ」
それから私たちは、無言で見つめ合った。次の瞬間、どちらからともなく笑いがもれる。
「ふふっ、あなたの両親はきっと素敵な人たちなのね。会ってみたいわ」
「きっと両親は、君のことを気に入る。そうだな、二人が戻ってきたら、一度会いに行こう」
手を取り合って、くすくすと笑い合う。
あの騒動を経て、私とエルの距離はさらに近づいていた。ドミニクやヘルガが、どこからどうみても夫婦にしか見えないと断言するくらいに。ちなみにオスカー様までもが、同じようなことを言っていた。
「さあ、それよりこの書類を片付けてしまおう。君のおかげで、予定よりずっと早く進んでいる。終わったら、少し城下町を散歩しにいこう」
「いいわね、それ。ふふ、がぜんやる気が出てきちゃった。ねえ、東地区に新しいカフェができたんですって。あとで行ってみない?」
「ああ、喜んで」
そうして私たちは、書類仕事を再開した。油断していると、鼻歌がもれてしまう。エルと二人っきりになれるのならなんだっていいのだなあと、そんな自分にちょっぴりあきれながら、せっせと手を動かし続けた。
そんな風にみんなが頑張って頑張って頑張り続けたおかげで、ようやくオスカー様の戴冠式を執り行うことができたのだ。今日は朝から、どこもかしこもお祭り騒ぎだ。
私たちは式典を一通り見届けた後、『銀雪の一座』として城下町をのんびりとさまよっていた。
あっちこっちでふるまわれている酒や料理に舌鼓を打ち、お礼に歌でお祭りを盛り上げる。銀の雪の幻や、色とりどりの花びらの雨を、何度降らせただろうか。
「疲れていないか、クラリッサ」
「そうね、少し疲れたわ。でも今は、この喧騒の中に身を置いていたいの。きっかけがなにであれ、私たちが変えた、私たちが作り出した、未来への希望を喜ぶ声を聞いていたいの」
そう答えると、エルは静かに笑って私の手をにぎった。そのまま私を引き寄せて、そっと腕を組む。
「そうか。だがどうせなら、少しくらい君の力になりたい。俺にもたれていてくれ。少しは違うだろう」
「ふふ、じゃあお言葉に甘えることにするわ。……ああ、本当に幸せ」
「ああ、俺も幸せだ」
祭りのにぎやかな音楽を聞きながら、私たちはぴったりと寄り添って歩いていた。




