27.良い王子様と悪い王様
オスカー様と彼を守る騎士たちを先頭に、兵士たちは整然と王宮の中に入っていく。剣は抜かずに、大きな盾だけを構えたまま。
かつかつという規則正しい足音を、私はぽかんとしながら見送るしかできなかった。
エルが言っていた『準備』とは、きっとこのことなのだろう。そこまではどうにか見当がついたけれど、彼らが何をしようとしているのかがすぐに理解できなかったからだ。
ドミニクとヘルガの肩を抱いたまま、城門を見つめる。そうしていたら、ふと、思い出した。
「ねえ、エル。さっきオスカー様は『無血開城』とかおっしゃっていたような気がするのだけれど……それって、つまり……」
「今の王、ルードルフを玉座から引きずり下ろす。それが、俺たちの目的だ。俺とオスカーの、なさねばならないことなんだ」
とんでもないことをあまりにもあっさりと告げられて、返す言葉に詰まる。どうにかこうにか、言葉を絞り出した。
「……それはあなたたちが、陛下の従兄弟だから……? エーレンフリート」
そっと口にした名に、エルが小さく身震いする。だが、否定はしなかった。
「陛下に、絵を見せられたの。あなたと陛下、それにオスカー様が描かれたものを。先王陛下が亡くなられた後、何があったのかについても聞いたわ」
「……そうか。ただそれについては、改めて俺のほうからも話をしておかなければならないな。きっとルードルフは、自分に都合のいい話を君に聞かせただろうから」
沈痛な面持ちで、エルがつぶやく。けれど彼は、すぐに顔を上げて王宮を見すえた。深い青の目が、朝日を受けて力強くきらめいている。
「しかし、それは後だ。俺にはまだやらなければならないことが残っている」
ちょうどその時、兵士が数人こちらに近づいてきた。さっきこの広場に整列していた兵士の一部が、まだ隅のほうに残っていたらしい。
「俺は王宮に向かい、オスカーと共にルードルフを糾弾する。君たちはそちらの兵士と共に、オスカーの屋敷に向かってくれ。今のところ、王都の周辺ではそこが一番安全だ」
そう言って歩き出そうとしたエルの腕を、とっさにつかむ。彼のいうことはもっともだと分かってはいたけれど、もうこれ以上彼と離れていたくはなかった。
それにこれから陛下を糾弾するというのなら、私も役に立てるかもしれない。
私は陛下の求婚を断った、ただそれだけの理由で閉じ込められ、結局求婚に応じるほかない状況に追い込まれてしまったのだから。私は陛下の横暴についての、生き証人だ。
そんなことを、必死に主張する。エルは難しい顔をしていたが、やがてふうとため息をついた。
「……分かった。ただし、決して俺のそばを離れるな」
そうして兵士たちにドミニクとヘルガ、それとシュテルンを預け、私はまた城門をくぐった。エルの手を取って、とても優雅に。やはり真っ白な婚礼衣装をまとったまま。
王宮の中は、意外と静かだった。確か先ほど、この道をオスカー様とその手の者たちが通り抜けていったはずなのに。
一つだけ、おかしなことがあった。王宮には、いつもたくさんの兵士が巡回しているはずだ。しかし兵士どころか、使用人たちの姿もほとんど見えない。そういえばさっきシュテルンで駆けている時も、不思議なくらい兵士と出会わなかった。
「……ねえエル、なんだか人が少なくないかしら?」
「ああ、それも俺たちの作戦のうちだ。前もってオスカーの手の者を多数潜入させ、王宮の兵士や使用人を足止めさせている。余計な衝突を避けるためにだ」
「そうなの、手が込んでいるのね」
「ただその準備に、思ったよりてこずってしまった。そんな工作をせずに強行突破すれば、昨日のうちには君を救い出せたかもしれなかったのだが」
「ふふ、いいのよ。それより、早くオスカー様たちに追いつきましょう。私だって当事者のようなものなのだし、これから起こることをしっかりと見届けたいの」
私はまだ婚礼衣装をまとったままだし、この王宮は私にとって敵地のようなものだった。
けれど少しも怖くはなかった。むしろ、笑みを浮かべる余裕すらあった。隣に、エルがいてくれるから。彼とつないだ手が、とても温かくて幸せだった。
そうして王宮の奥で、ようやっとオスカー様たちに追いつくことができた。
ちょうど彼らは、これから玉座の間に突入しようとしているようだった。しかしやはり、辺りには王宮の兵士の姿はない。いるのはオスカー様の配下の兵だけだ。
城門からここまで、オスカー様たちはかなりの速度で進んでいる。そして状況から見て、どうも彼らは全く戦うことなくやってきたようだった。
王宮の兵士や使用人を足止めしているとエルは言っていたけれど、ほかにもまだ何か、私の知らない事情がありそうな気がする。
けれど、今は詳しく話を聞いている時間はなさそうだった。オスカー様とエルはまた何事か話し合うと、すぐに周囲の兵士たちに号令をかけたのだ。散開して周囲を警戒していた兵士たちが、一か所に集まってくる。
「クラリッサ、行こう」
そう言って、エルはまた手を差し出してきた。その手を取って、みなと一緒に歩き出す。陛下がいる、玉座の間へ。
「また来たか、エーレンフリート。私の花嫁を連れ帰るとは、いい心がけだ」
「ルードルフ、彼女は貴方のものではない」
玉座に座って悠々と言い放つ陛下に、エルが怒りもあらわに反論する。にらみあう二人の間に、火花が散っているように思えた。
「まあまあ、二人とも落ち着いて。僕たちはとても大切な話をしに来たのだから」
苦笑しながら、オスカー様が割って入る。口調は穏やかだったけれど、その目はさっきまでよりもずっと鋭かった。
「結論から言おうか。ルードルフ、君にはそこをどいてもらいたいんだ。要するに、退位だね」
「何を言うか、腰抜けオスカー。私が退位したら、誰が次の王となるのだ?」
「ひとまず、僕が仮の王をやろうと思っているよ。もっとふさわしい人が見つかるまで、ね」
オスカー様がおっとりと言うと、陛下は鼻で笑った。あからさまに馬鹿にした笑いだった。
「貴様ごときに王が務まるか。かつて権力争いに敗れて、無様にも引きこもった貴様に」
「それは君が、策略で僕とエーレンフリートをはめたからだろう? 自分が持つ全ての権力を手放さなければ、君は僕たちの領地に攻め込んでくると、そう言った。そうなれば、苦しむのは民だ」
オスカー様の言葉に、エルも無言でうなずいていた。そんな彼を見て、オスカー様はまた言葉を続ける。
「だから僕は領地を離れ、王都の近くの屋敷に引きこもったんだ。そしてエーレンフリートは名も素性も伏せて、ただひとり旅に出た」
「権力争いに策略を用いるなど、当然のことだろう? 見苦しいぞ、敗者ども」
その言葉に、今度はエルが口を開いた。ひどく落ち着いたその声は、なぜか私の心を不安にさせるものだった。
「……俺たちをはめて、貴方は王になった。それだけなら、問題はなかった」
言いながら彼は、一枚の紙を取り出す。何かが細かな字で、びっしりと書き込まれていた。
「ここには俺が、あちこち旅をしながら調べたことの一部が書かれている。王の愚策により、民が苦しんでいる。そんな民の声を、俺はずっと集めていた」
それを聞いて、思い出した。彼はあちこちの町で、色々な立場の人々に声をかけ、それを書き付けていたことを。何を調べているのかは分からなかったけれど、きっと今彼が掲げているのが、その調査の結果だ。
「……貴方は、王にふさわしくない。貴方の存在は、民を苦しめる」
苦しげにそう言って、エルは顔を上げた。くもりのない目で、まっすぐに陛下を見すえる。
「貴族とは、民のためにあるものだ。民をないがしろにする貴族もどきなど、滅んでしまったほうがいい。先代のリート侯爵の言葉なのだそうだ。俺も、その言葉に心から同意する。王もどきは、滅ぶべきなのだと」
彼が私のお父様の言葉を覚えていてくれた。そのことが嬉しくて、胸がいっぱいになる。
何も言えずに立ち尽くす私をちらりと見て、オスカー様が口を開いた。
「エーレンフリートの言う通りだよ。愚かな王を抱いた国は、みんな不幸になってしまう。その先にあるのは、破滅だけだ。けれど今なら、まだやり直せる。……一応聞いておくけれど、ルードルフ、君は心を入れ替えて善政をしくつもりは……ないんだね?」
「ある訳ないだろう。民など、我ら王や貴族の養分となるためだけに存在するのだ。庭の雑草が枯れないように心を砕くなど、馬鹿馬鹿しいことこの上ないな」
実に朗らかに、陛下は即答する。それを聞いたオスカー様の顔にも、不思議と澄み渡った笑みが浮かんでいた。
「そうか。だったら僕たちも、心おきなく次の段階に進めるよ。ではみんな、手筈通りに頼む」
「貴様が何を考えているのかは知らんが、いい加減この不毛な話にも飽きた。兵たちよ、この侵入者どもを捕らえよ!」
オスカー様と陛下、二人が周囲の者に命じる声が、玉座の間に響き渡った。




