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24.そうして過去が明かされる

 私が押し込められているこの部屋は、おそらく四階あたりだろう。周囲に広がる森の木々が、ずっと下のほうに見える。


 エルはその木々に身を隠すようにして、じっとこちらを見つめていた。とても遠くにいるのに、彼の瑠璃色の目がはっきりと見えた。


 彼が、来てくれた。そのことがとても嬉しい。けれど同時に、彼との間に横たわっているこの距離がうらめしい。小さな毒蛇のリタならともかく、人間である私たちにはとても越えられない。


 彼の声が聞きたい、彼と話したい。けれどそれすら、難しそうだった。あの森は、王宮の一部だ。おそらく彼は、ここまで忍び込んできたのだろう。下手に声を上げれば、彼が兵士に見つかってしまう。


 せめて、返事をしたい。けれどこの部屋には、紙もペンもなかった。捕らわれた者が、外と連絡を取ることのないように。仕方なく、エルを見つめる。彼に見えるように、ゆっくりと大きくうなずいた。


 エルも同じようにうなずき返してくれた。遠くてはっきりとは見えなかったけれど、とても悲しそうな顔をしているように思えた。


 そうして私たちは、少しの間見つめ合っていた。


 やがてエルがこちらに背を向け、静かに立ち去っていく。その姿は森の木々にまぎれて、すぐに見えなくなっていった。それでも私は、彼が去っていったほうをじっと見つめ続けていた。


 こらえきれずに、涙が一粒こぼれ落ちる。手の上に乗ったリタが、心配そうな目で私を見上げていた。






 エルが姿を見せてから、さらに数日後。今度は陛下がやってきた。もちろん、正面の扉から。


「強情な歌姫よ、貴様はまだ私に逆らうか? まったく、求婚をこうも手ひどくはねつけられるとは、思いもしなかったぞ」


 言葉とは裏腹に、陛下の声はやけに上機嫌だった。そのことに、不安を感じずにはいられなかった。


「だから今日は私がじきじきに、説得してやろうと思ってな。ありがたく思え」


 礼儀正しく頭を下げると、陛下はふふんと楽しそうに鼻で笑った。


「貴様は『銀雪の一座』を率いている。様々な芸を披露し、金を稼ぐ。それが貴様のなりわいだ」


 まるで世間話をしているような気軽さで、陛下は話す。どうしてそんな話をするのだろうといぶかしみつつ、黙って耳を傾ける。


「そして、その一座には護衛がいるだろう? エルと名乗っている若い男だ」


 エルの名が出たことに動揺して、ほんの一瞬目をそらしてしまう。陛下の目が、きらりと輝いたような気がした。


「そのエルという男は、こんな見た目だったのではないか?」


 陛下の言葉と共に、後ろに控えていた従者がうやうやしく何かを掲げた。


 それは一枚の絵画だった。若い男性が三人、それぞれ上等な服をまとい、豪華な椅子に腰かけている。


 真ん中に座っているのは陛下で、左に座っているのは陛下と同世代の男性だ。おっとりと穏やかな雰囲気の、しかしやはりエルと似たところのある男性。


 そして右に座っているのは、エルだった。身に着けているのは最上級の正装だけれど、それは間違いなくエルだった。


「これは四年半前、先王が急死する少し前に描かれたものだ。題は『三人の王子』」


 目の前の絵も、陛下の言葉も、まるで予想外のものだった。ぽかんとする私に、陛下は笑いながら言葉を投げかけてくる。


「貴様も、この男は知っているだろう? これは私の従弟、エーレンフリート・ティル・デア・ヴァルトだ」


 この国では、貴族の名前は『名、幼名、家の名』の三つで構成される。けれどエルの本名には、そこに『デア』が加わっていた。それはすなわち、彼が王位継承権を持つ者であるということを意味する。


 彼が素性をずっと隠し続けていた理由が、やっと分かった。震える手で、胸をぎゅっと押さえる。陛下は相変わらず上機嫌で、とうとうと話し続けていた。


「先王には子がいなかった。残されたのは三人の甥、つまり私たちだ。一応王位継承権に順位はあったが、周囲の貴族たちの思惑でいくらでもひっくり返せる、その程度の差でしかなかった」


 四年前。その頃に、当時の王が亡くなったことは知っている。でも当時の私はもう既に貴族ではなく、劇場で歌うただの歌姫でしかなかった。だから、誰が後を継いだとか、そういったことに興味はなかった。


「当然ながら、すさまじい跡目争いが起こった。私たち三人の思惑など、まるで無視した争いが、な」


 エルは、先王の甥だった。ならば彼は、その争いの中にいたのだろうか。権力になどまるで興味のなさそうな、彼が。それはどれだけ、辛いことだったろう。


「そうして私が勝ち、敗者の一人であるこの男……オスカーは、王都を離れ引きこもった。私に逆らうつもりがないのだと、そう示すためにな。腰抜けのあいつには似合いの結末だな」


 陛下は絵の中の穏やかな男性をにらみつけ、馬鹿にするように鼻で笑う。その視線が、今度はエルに向いた。今よりちょっとだけ幼い雰囲気の、遥かに豪華ななりをした彼のほうに。


「そしてもう一人の敗者であるエーレンフリートは、ずっと行方をくらましていた。まさかこんな形で、こいつが見つかるとは思いもしなかったぞ」


 獲物をいたぶる猫のような笑みを浮かべたまま、陛下は私を見る。


「さて、ここからが本題だが……」


 思わず、背筋が伸びる。何か、恐ろしいことになりそうな気がして。


「私はその気になれば、いつでも敗者たちを処刑できる。王たる私にたてついた、その罪で」


 陛下は顔色一つ変えずに、冷たい声で言い切った。


「エーレンフリートが私から逃げるというのであれば、まあ大目に見てやろうと思っていた。だがあいつが貴様の知り合いだというのは、少々気に食わん。あいつは王都にしつこく居座っているようだし、この機会に片づけてしまうのもいいな」


 独り言のようにつぶやいていた陛下が、射貫くような目で私を見すえた。


「歌姫クラリッサ。あるいは、クラリッサ・ヒルデ・リート。私の求婚を受け入れろ。さもなくば、私は兵を差し向けてエーレンフリートを捕らえ、処断する」


 エルが兵に追われる。そのさまを想像しただけで、自然と身が震えた。陛下が身を乗り出して、打って変わって柔らかく、優しくささやきかけてくる。


「……エーレンフリートを生かすも殺すも、貴様次第だ。よく考えろ、クラリッサ」


 そうして、陛下はまた上機嫌で部屋を出て行った。扉の向こうで、錠前が下りるがちゃん、という重たく鋭い音がする。


 私はまた、部屋で一人きりになってしまった。けれど今だけは、この静けさがありがたかった。




 椅子に腰かけたまま、さっきの話を思い出す。


 エルは王族で、陛下にうとましく思われていて。だから彼は、ずっと一人で旅をしていたのだ。陛下から逃げるために。


 けれど彼は、そうやって平民の一人として気ままに旅をすることを楽しんでいた。彼と共に旅してきたこの一年以上の日々において、彼はずっと穏やかな、満たされた顔をしていたのだから。


 絶対に、彼が捕らえられるようなことがあってはならない。彼のためには、私はここに留まり、陛下の妻になるしかないのだろう。


 けれど。うつむいて唇をかみ、目を伏せる。


 ずっとエルと一緒にいたい。その思いは、少しも変わっていなかった。むしろこうやって彼と引き離されたことで、どうしようもなく彼のことが恋しくなってしまっていた。


「……嫁ぐなら、エルのところがいいのに……」


 ぼそりとそうつぶやくと、服の中に隠れていたリタがそろそろとはい出てきた。まるで私の話を聞こうとしているかのように、私の手の上でとぐろを巻いてこちらを見ている。


「あきらめたくないのに……それなのに、あきらめることしか許されない」


 ぱたり、ぱたりと涙が落ちていく。


「……『銀雪の乙女』、あの話に出てきた人間の男にも、もしかしたらこんな事情があったのかもね……」


 涙で言葉を詰まらせながら、目の前のリタに話しかける。少しでも気をそらさないと、わんわんと声を上げて大泣きしてしまいそうだったから。


「彼は精霊の娘を選ばなかったのではなく、選べなかったのかもしれない。彼は、人間だったから。人として、人の社会で生きていかなければならなかったから」


 もちろん、リタは何も言わない。つぶらな赤い目で、ただじっとわたしを見つめていた。


「精霊の娘と、人間の男。二人は結ばれなかったけれど、二人はずっと、ずっと思い合っていた。そうかもしれないわね。ふふ、なんだかあの歌の解釈が変わってしまいそう」


 エルと結ばれることのない自分を、エルを思っているのに陛下のもとに嫁がなければならなくなってしまった自分を、私は自然と歌の中の男に重ねていた。


 すべてを、あきらめるために。こんな境遇になってしまったのは自分だけではないのだと、そう言い聞かせるために。


 と、リタがしゅるりと動いた。また私の服の中にもぐりこみ、何かをくわえて戻ってくる。


「この、紙……」


 それを見て、ようやく私は自分が大きな思い違いをしていることに気がついた。

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