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23.仕組まれた罠の中

 陛下は、今なんと言ったのか。私を、陛下の妻とする? 冗談のようにしか聞こえないけれど、確かにそう言った。


「陛下、失礼ながら申し上げます。私はただの流浪の歌姫、陛下の妻となるにふさわしい身分ではありません」


 そう言葉を返したものの、陛下の笑みは少しも崩れない。


「ほう、そうだったか?」


 意味ありげな言葉と共に、奥の扉から一組の男女が姿を現した。陛下のものに勝るとも劣らない豪華な服をまとった中年の男女だ。困ったことに、その顔には大いに見覚えがある。


「まああクラリッサ、元気で何よりだわ」


「私たちはずっと、お前の行方を捜していたのだぞ」


「まさかあなたが使者を追い返してしまうなんて、思いもしなかったわ」


 彼らは、両親亡き後リートの家を乗っ取った張本人だ。今のリートの当主夫妻にして、先日私のもとに使者を送り込んできた連中。


「……人違いでは、ありませんか?」


 どうにかそれだけを答えると、二人は大げさに眉をひそめてみせた。


「何を言っているのだクラリッサ、我らが娘よ」


「そうよ。あなたは私たちの娘同然。我がリート家の未来を背負って立つ、希望の星なのだから」


「娘って……あなたがたの娘になった覚えはありませんわ。私はお父様とお母様の子で、二人の死後あなたがたによってリート家を追い出された。今はただの、流浪の歌姫。それだけですから」


 二人の言い分があまりにも気持ち悪くて、つい勢いでそんなことを口走る。しまった、と思ったがもう遅かった。すかさず、陛下が口を挟んでくる。


「クラリッサ、貴様はリート侯爵家の前当主の娘。それに相違ないな? ああ、私相手に虚偽を述べればどうなるか、分かっているだろうな?」


 にやにやしながらなりゆきを見守っていた陛下が、ひときわおかしそうに笑った。どうしようもなく、ただ首を縦に振る。


「ならば、私の妻となっても問題ないだろう。血筋、美貌、そしてその歌の才。どれをとっても、申し分ない」


 悠々と言い切る陛下に、リートの当主夫妻が頭を下げる。二人の口元がいびつな笑いにゆがんでいたことに、その時気がついた。


「ありがとうございます、陛下。これで我がリート家も、安泰にございます」


「……もしかして、私がここに呼ばれたことには……あなたがたが一枚かんでいるの?」


「ああ、そうだ。こやつらは私に、『一族に素晴らしい娘がおりますので、ぜひ一度お目にかけたく……』などと言って近づいてきてな。あまり期待はしていなかったのだが、暇つぶしに会ってみるのもいいかと思った」


 私の問いに答えたのは、陛下だった。椅子からゆっくりと立ち上がり、私のほうに歩み寄ってくる。


「こやつらは、貴様を道具として扱おうとしているようだな。貴様を私に差し出すことで、傾いているリート家を建て直そうとしたのだろう。見え見えだが、そういった分かりやすいやり方は嫌いではない」


 陛下の肩越しに、にやにやと笑っている二人が見えていた。あの日、私を追い出した時の表情とはまるで違う、けれど同じくらい醜悪な表情。


「……ふざけないで」


 ここは陛下の御前だ。それが分かっていてなお、私は我慢できなかった。


「私を追い出しておきながら、今さら道具として利用しようとするの? 冗談じゃないわ」


 そう叫ぶ自分の声は、怒りに震えていた。


「私は、あなたたちには力を貸さない。民を苦しめるあなたたちに、当主としての、貴族としての資格はないから」


 笑顔とも怒り顔ともつかない奇妙な顔をしている二人に言い放ち、それから陛下に向き直る。


「そして、陛下。ほうびについては、どうか辞退させてください。今の私は、あくまでもただの流浪の歌姫に過ぎません」


 陛下は私を妻にすると言った。おそらく陛下は冗談を言ったか、あるいは気まぐれを起こしただけなのだろう。だからきっと、丁重に辞退すれば、この場は丸く収まるはずだ。


 そう考えて、また深々と頭を下げる。しかし頭の上から降ってきたのは、何とも不穏な声音のつぶやきだった。


「ほう? そうか。貴様は、この私の命令にそむくというのか」


 嫌な予感に、背中を冷や汗が伝っていくのを感じながら、私はただひたすらに頭を下げ続けていた。






「……みんな、心配しているでしょうね……」


 王宮の一室、たいそう上等なものばかりがそろえられた部屋の中を、一人うろうろと歩く。ため息をついて、近くの椅子にどすんと腰を下ろした。


 結局あの後、私は捕らえられてここに放り込まれた。「貴様が俺の求婚に応じるまで、そこからは出さん」という陛下の宣言と共に。なんとも恐ろしいことに、陛下は本気だったらしい。


 ここはおそらく、王族や上位の貴族を幽閉するための部屋だろう。扉は外からかぎが掛かっていて開かないし、窓には美しい模様の鉄格子がはまっている。


 そのくせ、部屋の中にあるのはどれもこれも一級品ばかりだ。元侯爵令嬢の私ですら、少々豪華すぎて触るのが怖くなるような、そんな品々だ。


 廊下に出ることこそできないけれど、居間と寝室が分かれていて、居心地は悪くない。


 必要なものがある時はベルを鳴らせば、扉の外にいる従者が持ってきてくれる。もっとも、物品の受け渡しは扉に空いた小窓からなので、それに乗じて部屋から逃げ出すことはできない。


 ただひたすらに豪華な、しかし自由だけはないこの部屋に押し込められてはや三日。私は、ため息をつくことしかできなかった。


「扉はこっちから開けられない。従者に頼んでも、誘惑しても駄目だった」


 ぼんやりと宙を見つめながら、状況を整理する。もう何十回、いや何百回と繰り返してきたけれど、ほかにすることがない。


「陛下と結婚するつもりはない。……それくらいなら、死んだほうがまし」


 王妃となるのか側室となるのか知らないけれど、どっちにしろ絶対に受け入れられない話ではあった。私が嫁ぐとしたら、その相手は。


 ふと浮かんできたエルの面影に、かっと顔が熱くなる。誰も見ていないのをいいことに、頭をぶんぶんと勢い良く横に振った。


 そしてそれから、またため息を一つ。


「みんな、心配しているでしょうね……ごめんなさい。何もできないのが、もどかしいわ」


 一つだけ、かすかな希望はあった。


 それは、この部屋に放り込まれてすぐのことだった。ずっと私の服の中に隠れていたリタがするすると抜け出すと、そのまま窓の鉄格子の隙間から出ていってしまったのだ。


「蛇が何を考えているかなんて、分からないけれど……」


 もしかしたら、リタはみんなのところに行ったのかもしれない。私がここに捕らわれているのだと、みんなに教えに行ったのかもしれない。まずありえないとは思う。けれど、もしかしたら、とも思う。


 リタが去っていった窓を見ながら、ぐっと唇をかんだ。ぼんやりしていると、涙が浮かんできてしまう。


「駄目よ、弱気になったら。今はただ、好機を待つの。いつかきっと、その時が来るから……」


 そうつぶやく私の声は、今にも泣きだしそうに震えていた。ああ、なんて無力で、無様なのだろう。ついこの間まで、私はとても自由で、この上なく幸せだったのに。


 目を伏せて、ひざの上に置いた手をにぎりしめる。そのままじっとしていると、ふと耳慣れない音が聞こえた気がした。


 窓ガラスを叩いているような、小さなこんこんという音。息を飲んで、おそるおそる窓に近づく。


 その向こうには、リタがいた。今の音は、この子が窓ガラスを叩いた音なのだろう。口に何か小さな紙切れをくわえている。


「まあ、リタ……来てくれたの」


 この美しい牢獄に、知った顔がいる。それだけのことにひどくほっとしながら、窓を開けた。鉄格子の隙間から、リタがするすると入ってくる。


 紙切れを受けとり、広げてみた。そこには間違いなくエルの筆跡で、こう書かれていた。


『必ず、そこから助け出す。俺を信じて、待っていてくれ』


 弾かれるように顔を上げ、窓の外を見る。窓の遥か下、そこに広がる森に、エルが立っていた。

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