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19.ヘルガの様々な顔

「これは……海の波か。潮の香りまでするとは……」


「花畑、蝶もいる。きれい」


「うわっ、お祭りの音楽みたいなのが聞こえてきました!」


 人気のない森の奥、そこの泉のそばで、私は歌った。思いっきり、感情をこめて。そしてそのたびに、様々な幻が現れた。それぞれの歌詞に合わせた、まるで現実としか思えない幻たちは、歌い終わると嘘のように消えてしまう。


 一通り試し終わった時には、歌っていた私も、聞いていたみんなも、すっかり呆然としてしまっていた。


「これは……使いどころを間違えると、大変なことになりそうだな……」


「ええ。それに、あまり人に見せて回らないほうがいい気もするのよ」


「どうしてですか? あんなに素敵だったのに」


 満足げな顔をしたドミニクが、可愛らしく首をかしげる。エルが静かに、その問いに言葉を返した。


「幻とはいえ、あれだけたくさんのものを操れるとなれば、その力を悪用しようとする者も出てくる」


「私が知っているのは明るい、平和な曲が多いけれど……それこそ、兵隊たちが戦うような曲を歌ってしまったら、大変なことになるでしょう?」


「……町の人、混乱する」


「それに、クラリッサの身が危なくなるかもしれない」


 私たちの言葉に、ドミニクも顔をひきしめてうなずいた。


「……とは言え、『銀雪の乙女』の幻についてはもう知られてしまったし……きっとこれからは、あの雪を期待してやってくるお客さんもいると思うのよ。がっかりさせるのも、ちょっとね」


「なら、その一曲だけ本気で歌えばいい。特別なのは君ではなく、この曲のほうなのだと、そう周囲に思わせれば」


「そうね。ただ雪の幻を一時見せるだけなら、そう面倒なことにもならないでしょう」


「素敵な出し物、できた」


「よかったあ、せっかくだからまた見たかったんです」


 そんなことを言いながら、私たちはうなずき合う。一つ、私たちの一座に新たな名物が加わった。きっとこれからの公演は、とびきりすごいものになるだろう。私は、そう思っていた。




 その日の夜は、泉のそばで野宿した。少なくともあともう一日くらいは、みっちりと歌を練習したかった。万が一にも、予想外の状況でうっかり幻を呼び出すようなことのないように。


 日が落ちる前に夕食の支度をして、たき火を囲んでみんなで食べた。みんなそれなりに野宿に慣れてはいたけれど、やはり野外で料理を作るのはエルが一番上手だった。


 食後のお茶を飲みながら、エルが教えてくれた。昨日の公演の後、野宿に必要な物を買い出しに行った時、町の人たちがささやき合っているのが聞こえてきたのだそうだ。


「奇跡の歌を聞いた、あれは奇跡の歌姫だと、町の者たちはそう言っていた。あの後、宿に閉じこもっていて正解だったな。うっかり外に出ていたら、人々に取り囲まれていただろうから」


「……なんだか、これから人前に出るのがちょっとおっくうね……噂って、すぐ広まるし」


 劇場のあるあの町でのことを思い出して暗くなる私に、ドミニクが真剣な目を向けてくる。


「そっか……噂を聞いて、変な人が寄ってきたらどうしよう……もちろんエルさんもいますけど、おれがもっと大きくて強かったらなあ。そうしたらおれも、クラリッサさんの護衛ができたのに」


 ふとヘルガが、何かを差し出してきた。


「クラリッサ、リタを連れていく?」


 彼女の手の上では、リタが白い体をくるくると巻いて、首をもたげてこちらを見ていた。赤いつぶらな目が可愛らしい。


「そういえば、リタは毒蛇だったわね。でも身を守るためとはいえ、他の人に危害を加えるのは、ちょっとね」


「大丈夫。死なない。眠る毒。いつ目覚めるかは分からないけど」


「気持ちだけもらっておくわ。そういえば、あなたとリタはどこで出会ったの?」


 話をそらそうとして、そんなことを尋ねる。ヘルガはうつむいて、黙り込んでしまった。彼女を気遣うように、リタがするすると彼女の顔のところまで登っていく。


「……三年前、父さんと母さんががけ崩れに巻き込まれた」


 不意に、ぽつりとヘルガがつぶやいた。


「わたし、ずっと崖のそばで泣いてた。わたしも一緒に、死にたかった」


 ドミニクがひゅっと息を吸う。彼は、泣きそうな顔をしていた。


「そうしたら、リタがよってきた。リタといたら、寂しくなくなった」


 リタはヘルガの頬に頭を寄せていた。まるで親が子供を抱きしめているようだと、そう思った。


「それからずっと、一緒。わたしをずっと、守ってくれた」


「……そうだったの。つらいことを聞いてしまって、ごめんなさいね」


「いい。話したら、ちょっと楽になった」


 そう言って、ヘルガはちょっぴり恥ずかしそうに微笑む。


「ヘルガ、今はおれたちもいるよ」


「ああ、そうだな」


「なりゆきで一緒にいるとはいえ、仲間だものね。……むしろ、家族かしら?」


 そんな彼女に、思い思いの言葉をかける。


「ありがとう、みんな」


 返ってきた笑顔は、さらに可愛らしく、あどけないものだった。




 結局、泉のそばでもう二日野宿した。森を出て再び街道に戻り、そのまま隣の町を目指す。しかし町にたどり着いた私たちを出迎えたのは、町の人たちの叫び声だった。


「あっ、いたぞ!」


「銀雪の一座だ!」


 あっという間に、あちこちから人々が集まってくる。エルが子供たちを背後にかばい、私を守るように腕を伸ばす。


 しかし人々は私たちを取り囲むと、口々にこう言った。


「あんたらの公演、すごかったんだってな!」


「もしかしたらこの町にも来てくれるんじゃないかって、楽しみにしてたんだ!」


「あっ、その前に宿だよな。ほら、こっちにいい宿があるぜ!」


 そうして彼らは、私たちを宿に案内してしまったのだ。宿の人たちはものすごく親切だったし、宿代も適切で、部屋もきれいだった。確かに、いい宿だった。


 次の日、いつものように公演場所を探そうと外に出た私たちを、またたくさんの人々が出迎えた。


 彼らに連れられてたどり着いたのは、町のはずれにある広場だった。そこには大きな木の舞台があり、その周りにはやはりたくさんの人々がひしめいている。


 普段は祭りの時に使われている場所なのだろうなと思いながらそちらに近づいていくと、舞台の周りの人々が一斉に歓喜の声を上げた。


「……まるで、公演の後みたいな盛り上がり方ね……」


「君の噂が、さらに広まったみたいだな」


「うわあ、すごい人だ……」


「まだ増えてる」


 戸惑いながら、舞台の後ろの楽屋に向かう。その間も、人々の期待に満ちたささやきが聞こえていた。それだけならまだしも、あちらこちらから人々が楽屋に近づいてきていた。


 これでは、公演の準備どころではない。まずはこの人たちに下がってもらわなくては。エルが数人ずつ追い返しているけれど、それ以上の人数がわらわらと集まってしまっている。


 町の人たちの手を借りて、いったん客をまとめてもらうべきだろうか。そう考えたその時、愛らしい声がした。


「お客様、私たち『銀雪の一座』に興味を持ってくださってありがとうございます。歌姫クラリッサに御用の方は、公演の後に改めてお越し願えるでしょうか」


 背後から聞こえるこの声は、間違いなくヘルガの声だ。けれど、口調があまりにも違う。


「今は、みなさまに最高の公演をお届けするための準備の時間です。けれど歌姫が心乱されては、歌も乱れてしまうかもしれません。どうぞ今しばし、客席にてお待ちください」


 驚きつつそちらを振り向くと、ヘルガがにっこりと笑って一礼しているのが見えた。客たちは彼女に見とれた後、おとなしく楽屋から退いていった。


 そうして楽屋は、元通りの静けさを取り戻した。けれど私たちはぽかんとして、ヘルガを見つめていた。


「……あのさ、ヘルガ? その、どうしたの?」


 やがてドミニクが、そろそろと口を開く。まだにっこりと笑ったままのヘルガが、いつも通りの眠そうな顔に戻った。


「客に入られると、困る。だから、帰ってもらった」


 口調まで元通りだ。ヘルガは平然と、リュートの調律を始めている。


「えっと、それはそうだし、助かったけど……」


「ねえヘルガ、さっきはいつもと雰囲気がまるで違っていて驚いたわ。あなた、あんな話し方もできるのね」


 戸惑いっぱなしのドミニクに助け舟を出すように、そう声をかけてみた。ヘルガは手元から目を離さずに答える。


「必要な時だけ。普段は、面倒」


「……ヘルガは大物だな」


 エルのつぶやきに、私とドミニクは同時にうなずく。ともかくも、このひと騒ぎのおかげで緊張がほぐれたのも確かだった。


 もうすぐ、公演が始まる。私の歌、幻の雪を降らせる歌の評判を聞いたであろう人々の前での、最初の公演が。ほんの少しだけ体が震えるのを感じながら、意識して笑みを作っていた。

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