18.奇跡の歌
私を包み込んだ淡い光は、やがて何の前触れもなくかき消えた。
「クラリッサ、大丈夫か!?」
珍しく血相を変えたエルが駆け寄ってきて、私の両肩をしっかりとつかんだ。すぐ近くにある瑠璃色の目が、かすかに震えながら食い入るように見つめてくる。
「え、ええ。大丈夫よ。特に何かが変わった気はしないから」
「それでも、今何かが起こったことに変わりはない。急いで町に戻ろう」
ドミニクとヘルガは、そろってこくこくとうなずいていた。二人とも、石碑のほうにおびえたような目をちらちらと向けている。どうやらこの場で一番落ち着いているのは、私のようだった。
三人に大いに気遣われながら、町に戻る。宿に着いたとたん、私は寝台に押し込められてしまった。
「あの光が何だったのかは分からない。だが、君に何かあったらいけない。今日は大事をとって、このまま休んでいてくれ」
だから、たぶん大丈夫よと主張したものの、いつになくエルは頑固だった。しかもドミニクとヘルガまで、彼の味方をしている。
仕方なく、彼らの言う通りおとなしくしていることにした。そうやって心配してもらえることに、ちょっぴり嬉しさを感じながら。
けれど結局、私は特に体調を崩すようなこともなかった。全員で拍子抜けしながらも、また旅を続ける。
私の身に異変が起きていたことが明らかになったのは、次の町に来た時のことだった。あの謎の光に包まれてから初めての公演のさなか、それは起こった。
いつものように何曲か歌ってから、頃合いを見計らって『銀雪の乙女』を歌い出す。のびのびとした、それでいて切ない声が、客たちを包み込んだ。
その時、空から何かが降ってきた。とても小さな、きらきら光る粒のようなもの。それが無数に、そよ風に舞っている。
客たちがどよめくが、ここで歌を止めたくはなかった。より高らかに、声を張り上げる。
私の歌に合わせるように、光の粒はさらに数を増す。そのひとひらが私の手に触れて、そのまま消えた。ほんの少しひんやりしたその感触は、雪によく似ていた。温暖なこの辺りでは、この季節に雪が降ることは絶対にないのに。
そうして歌が終わると、光る雪はそのまま宙に溶けるようにしてかき消えた。後には、呆然とした客だけが残されていた。
つい勢いで歌い切ってしまったのはいいものの、ここからどうやってこの場を収めよう。優雅に微笑んだまま内心大いにあせっていると、客たちの間から声が上がった。
いつも私の歌を褒めたたえている時の声とは違った、熱狂した叫び声。驚きと興奮と喜びと、そこに少しの戸惑いが混ざったその声は、いつもよりずっと激しく、その場に広がっていった。
「……あれが、『奇跡の歌』ってことなのかしら……」
「きっとそうだろう。どうして『銀雪の乙女』の時だけ、あんなことになったのか……」
「思い、こもってたから」
「ヘルガの言う通りだと、おれもそう思います。……とってもきれいだったなあ……」
公演を終えた私たちは、大急ぎで宿に戻って、四人で話し合いをしていた。
「確かに見事だったし、また見たいと思える光景だったが……これから君が『銀雪の乙女』を歌うたびに、ああなるのか……」
「他の曲でも、何か起こるかも。たぶん、違う何かが」
「雪の精霊の歌だから、雪が降ったってことでしょうか? うわあ、だったらほかにもいろんなものが見られるのかな」
「そうなったら間違いなく、観客は大騒ぎでしょうね。今日みたいに。というか、もう今日のことが噂になっている気がするのよね……」
「きっと、いい噂」
「そうだといいのだが」
「絶対にそうですよ。みんな、すっごく驚いてましたし、喜んでましたから」
子供たちはすっかりはしゃいでいる。確かにあの雪はとても幻想的で、歌っていた私でさえ思わず見とれたくらいだ。
しかし私とエルは、そう手放しに喜ぶこともできなかった。私たちは無言のまま視線を見交わし、そっとうなずき合っていた。
その夜、私たちはこれからのことについてじっくりと話し合った。
私の歌は、間違いなく評判になってしまう。今まで以上に人々の注目を集めるのは間違いない。
でも、あまり目立ってしまいたくもない。気ままに旅をするには、今くらいの感じがちょうどいい。ごくありふれた旅の一座の中の一つ、それくらいの立場でいたい。
かといって、歌わないという選択肢はなかった。屋敷を追い出されてからずっと、私は歌って生きてきたのだから。
あの奇跡は、おそらく思いのたけを込めて歌うと起こる。そのヘルガの推測は、当たっているような気がした。だったら手加減して歌えばいいのかもしれない。
けれどそうするのも、やはり嫌だった。あの歌、『銀雪の乙女』だけは、全身全霊を込めて歌いたい。それは私のわがままでしかなかったけれど、みんなその思いを尊重してくれた。
そうしてやがて、ひとつの結論が出た。まずは人気のないところで、手持ちの曲を一通り試してみよう、と。どれくらい思いを込めれば奇跡が起こるのかつかんでおきたかったし、それぞれの歌でどんな幻が出てくるのかも知りたかった。
「ひとまず、私が手に入れてしまった『奇跡の歌』について知らないことには、どうにもならないものね」
困惑半分、楽しみ半分。私は苦笑しながら、そうつぶやいていた。
次の朝、やっと空が明るくなり始めた頃、私たちは大急ぎで町を飛び出した。昨日の公演の噂が広まってしまう前に、大急ぎで身を隠すために。そうしてどこか人目のつかないところに、練習場所を確保するために。
町を出て、街道をそれ、森のすぐそばを早足で進み続ける。ふと、シュテルンが顔を森に向け、鼻を鳴らした。
「見つけたか、シュテルン。よし、そちらへ行ってくれ」
エルがそう言って、シュテルンの首を軽く叩いた。シュテルンはいなないて、森のほうに進路を変える。大きな荷物を背負っているとは思えないほど軽やかに、森に突っ込んでいった。
彼の巨体がやぶをなぎ倒して、細い道ができる。その道を、一列になって進む。先頭は私、その後ろに子供たち、しんがりがエルだ。
道がなければ見失ってしまいそうなくらいの速さで、シュテルンがどんどん森の奥に進んでいく。じきに、小さな泉にたどり着いた。
森の木々に囲まれた薄暗い地面から静かに水がわき出ていて、その周囲にはたっぷりと落ち葉が積もっていた。シュテルンは泉のそばに立ち、のんびりと水を飲んでいた。
エルが泉に近づいて、周囲をじっくりと調べている。やがて彼は、大きくうなずいた。
「森の奥、周囲に人の気配はない、地形も悪くない。ここなら、数日くらい野宿をしても問題なさそうだ。シュテルン、いつもお前には助けられているな」
そう言って彼は、微笑みながらシュテルンの首を優しくなでている。どういう訳かシュテルンは、水場を見つけるのがやたらとうまいのだ。たぶん水の匂いをかぎ取っているのだろう、とエルは以前にそう言っていた。
シュテルンは上品に水を飲みながら、耳を動かしてこたえている。
そんな微笑ましいやり取りを見ながら、私たちもてきぱきと動いていた。
シュテルンから荷物を下ろし、泉から少し離れた木の下に置く。それから少し開けた場所を探し、そこの落ち葉をみんなでどかす。その下からは、程よく乾いた地面が現れた。
落ち葉の上でたき火はできない。下の地面が湿っていたら面倒だなと思っていたのだけれど、これなら大丈夫だ。
その地面に木の枝や枯葉をつみ上げる。あとは暗くなる前に、これに火をつければいい。そうして野宿の準備もできたところで、私はみんなを見渡した。少し緊張しながら、宣言する。
「……そろそろ、練習を始めるわ」
その言葉に、全員が同時にうなずいた。




