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17.ちょっとした噂と好奇心

 そうやって四人と二匹と一頭で、私たちは旅を続けていた。ふと気づけば、一年が経っていた。


 九歳になったドミニクは、一気に背が伸びた。といっても、まだヘルガより少しばかり小さいけれど。彼はエルから剣術の基礎を教わり、それを踊りに生かすようになった。


 十一歳になったヘルガは、背丈は少しばかり大きくなったものの、見た目はあまり変わっていない。ただ、雰囲気は以前よりずっと柔らかくなった。「恩は返し終わったと思う、でもまだ一緒にいたい」と言って、今でも私たちと共に旅をしている。


 犬のルッツは、さらに色々なことを覚えていた。最近ではドミニクと組んで、前座として曲芸を披露するようになった。


 私とエル、それに馬のシュテルンと毒蛇のリタは、変わらずに日々を過ごしていた。


 もっとも一つだけ、大きく変わったことがあった。私たち『銀雪の一座』はすっかり評判になったらしく、行く先々の町で歓迎されるようになったのだ。


「悪い気分じゃないけれど……なんだか、くすぐったいわね。私たちはただ芸を披露しているだけなのに」


「君たちの芸が認められて良かった。俺も嬉しい」


「すっごく嬉しいです。おれ、もっとがんばります! ルッツも一緒に!」


「わたし、リュートを弾くだけ。でも、一人でいた時より、幸せ」


 私たちはそんなことを言い合いながら、とても平和に旅を続けていた。いつの間にやら、生まれ育った屋敷からも、あの劇場がある町からも遠く離れていた。そのことにちょっとだけ、解放感を覚える。


 思えば、昔はずっと必死だった。屋敷を追い出されてからは、お金をもらうために懸命に歌っていた。劇場の歌姫になってからは、支配人に気に入られるように、他の歌姫や劇場の従業員たちともめないように神経を張り詰めていたし。


 でも今では、自由にのびのびと歌えて、たくさんの笑顔とお金をもらえる。一緒に旅をするのは、気心の知れた仲間たち。


 まったくもって文句のつけようがないくらいに、最高な日々だった。




 そうやって、やはりのんびりとあちこちの町を回っていたある日のこと。


「そういえば、一つ面白い噂を聞いた」


 買い出しから戻ってきたエルが、帰ってくるなり口を開いた。


「この近くの山に、奇跡の歌が封じられた石碑があるらしい」


「あっ、それ、おれも聞きました。この辺では、有名な話なのかもしれませんね」


 ルッツと遊んでいたドミニクが、とことこと歩み寄ってくる。


「奇跡の歌って、どんな歌なんだろう。クラリッサさんが歌ったら、きっととっても素敵だと思います」


「……興味、ある」


 リュートの手入れをしながら、ヘルガが小声でつぶやいた。ふと気づくと、三人とも私をじっと見ていた。期待に満ちた、面白がっているような、そんな目だ。


「もう、みんなして……奇跡の歌は、封じられているのでしょう? しかも、今までその封印は解かれていない。解かれているなら、噂になるはずでしょう?」


「だったら、解けばいい」


「そう簡単に解けるものじゃないと思うわよ、ヘルガ」


「でも、せっかくだから試してみたいです」


「ドミニク、あなたがそこまで食い下がるなんて珍しいわね」


「だって、奇跡の歌ですよ? クラリッサさんはどんな歌なのか、気になりませんか?」


 子供たちはすっかりその気になってしまっている。ちらりとエルのほうを見ると、彼は小さく微笑んでうなずいた。


「石碑に近づくことは禁止されていない。時折、旅人が見に行くこともあるそうだ」


 どうも、エルまでもが乗り気らしい。というか、せっかく子供たちが行きたがっているのだし、連れていってやろうと言いたいのかもしれない。


「……奇跡の歌とやらはそう簡単に見つからないと思うけれど……せっかくだから、ちょっとその石碑を見に行きましょうか」


 苦笑しながらそう言うと、ドミニクとヘルガがぱっと顔を輝かせた。年相応の子供らしい、無邪気な笑顔だった。




 次の日、私たちは連れだって近くの山に来ていた。獣道しかないと聞いていたので、体格の大きいシュテルンは町で留守番だ。


「思ったより道がしっかりしていて、良かったわ。ドミニク、ヘルガ、疲れたら言ってね」


 森の中にある細い道を上りながらそう呼びかけると、元気いっぱいのドミニクの声と、いつもよりほんの少し浮かれたヘルガの声が後ろから返ってきた。どうやら、問題なさそうだ。


 時々休憩をはさみながら歩いていくと、じきに山頂らしきところにたどり着いた。


 深い森の中、そこだけがぽっかりと開けた草地になっている。そしてそのど真ん中ににょっきりと、大きな黒い柱のようなものが突っ立っていた。あれが、おそらく例の石碑だろう。


「これ、本当に石ですか? ガラスとか、鋼とかにも見えます」


 真っ先に石碑に駆け寄っていったドミニクが、首をかしげている。その足元では、一生懸命ついてきたルッツがしっぽを振りながら石碑の周りをぐるぐる走り回っていた。


「顔が、映る。面白い」


 ヘルガも彼の隣に並び、石碑に顔を近づけていた。彼女の言う通り、石碑の表面はまるで鏡のように磨きこまれていたのだ。野ざらしになっているとは思えないくらいにぴかぴかだ。


「こちらに、何か刻まれているな。……ん? これは……」


 石碑を眺めていたエルが、ふと難しい顔になる。彼の視線の先には、見たこともない模様のようなものが刻まれていた。


「どうしたの、エル? 何か、気になるものでもあった?」


「あるにはある、が……」


 エルはやけに歯切れが悪い。彼がこんな態度をとるのは珍しい。


「……三人とも、俺が今から話すことはここだけの秘密だ。できるな?」


 真剣な顔でそう言う彼に、ドミニクとヘルガが背筋を伸ばしてうなずく。つられて緊張しながら私もうなずいた。


「……ここに刻まれているのは、古代の文字だ。今ではもう滅びてしまった言葉だ」


 どうしてそんなものをエルが知っているのだろう、と言いたげな顔で、ドミニクが口を手で押さえる。今、エルの話をさえぎってはいけない、そんな気がしたのかもしれない。


「訳あって、俺はこの文字を読める。と言っても、ごく簡単なものに限られるが」


 ヘルガが石碑の模様をじっと見つめている。その眉間にはうっすらとしわが寄っていた。


 エルはそんな彼女をちらりと見て、小声で言う。


「……『奇跡の歌を求めるもの、我に魂の歌を捧げよ』……おそらく、そう書いてある」


 次の瞬間、ドミニクとヘルガが一斉に私を見た。はしばみ色と淡い青の目は、きらきらと輝いていた。


「魂の歌って、歌えますか!?」


「『我』って、この石碑のこと、きっと」


「……さすがにそんな歌は知らないわよ」


「ありったけの思いを込めた歌、ということかもしれない」


 子供たちをやり過ごそうとしたその時、エルまでもがそんなことを言い出してしまった。彼は穏やかに微笑んでいるが、瑠璃色の目がおかしそうに笑っていた。


 こちらに向いた三組の瞳、それにちょこんとお座りをしているルッツの黒い目と、ヘルガのえり巻きから顔を出したリタの赤い目。それらに見つめられながら、少し考える。


「……そうね、たまにはあなたたちのために歌うのも悪くないかもね。そっちの石碑にも、ついでに聞かせてあげましょう」


 苦笑しながらそう言うと、みんなは嬉しそうに笑い、めいめい草むらに腰を下ろした。




 それから数曲、立て続けに歌う。みんなは私の歌にうっとりと聞きほれていたが、やがてドミニクが言った。


「……あの、何か変わったことはないですか?」


「そうね、特にはないわね。やっぱり奇跡の歌なんて、そう簡単には手に入らないのよ」


「でも、気になる」


「確かに。ただ、ここで存分にクラリッサの歌を聞けただけでも、いい体験ができたと思う」


 残念がるドミニクとヘルガを、エルがそう言ってなだめている。


「ありがとう、エル。そろそろ体もほぐれてきたし、そろそろあれを歌おうと思うの。私にとって、魂の歌と呼ぶにふさわしいのは、きっとあの曲だと思うから」


 その言葉に、エルが力強くうなずく。満面の笑みでそれにこたえて、ゆっくりと息を吸った。




 そうして歌うのは、『銀雪の乙女』。子供の頃からずっと歌ってきた、一番好きな歌。エルとの、ティルとの思い出の歌。


 まるで自分が消えゆく雪の精霊であるかのように、彼女を捨てた人間の男であるかのように、感情をこめて言葉を紡ぎ出す。


 歌が終わり、山頂に静寂が戻ってくる。異変が起こったのは、その時だった。


 黒い石碑が、淡い光を放ったのだ。その光はふわりと空中に浮かび上がり、まっすぐに私に向かってきた。


 この光に触れてしまっていいのだろうか。逃げたほうがいいのではないか。そんなことを思いつつも、あまりに突然のことで足が動かない。


 結局、私はその得体のしれない光にすっぽりと包まれてしまった。

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