金の盃
パーシヴァル王太子が王宮の自室で目覚めた時、
人の気配がしてハッ!と身を起こす。
「お目覚めですか?」
「クリフ!なぜここに!?」
侍従であるクリフが主人であるパーシヴァル王太子の部屋にいること自体に問題があるわけではない。
無断で就寝中にいたことが異常なのだ。
クリフは侍従であるが乳母の息子であり乳兄弟だった。
しかし多少の気安さはあっても公私の区別はシッカリつけていたのだ。
「殿下にお別れを伝えなければなりません。」
「なぜだ?私の侍従であることが不満なのか?」
「いえ、不満など…旅立たれるのでお別れを。」
「旅?どこかへ行くのか?」
「いえ、殿下が旅立たれると…」
「そんな予定があったか?」
「急遽といいますか、王命が先程下りまして。」
王命…ここで初めてパーシヴァルは不穏なものを感じた。
「父上は私にどこに行けと?」
クリフは黙って金の盃を差し出した。
「これは…毒杯か…なぜだ?」
教育の賜物か、衝撃をほとんど感じさせない物言いだったが流石に声が震えていた。
「殿下がご学友とともに婚約破棄と婚約者様の断罪を卒業祝賀パーティーで実行する計画をたてられたからでございます。」
「実行もしてないのにか?」
「実行されてしまうと国政に多大な影響が出ますので。」
「モニカは上位貴族の身分をかさに平民であるシェリーを平等を謳う学園内で虐めぬいたのだぞ!
婚約破棄、断罪は当然ではないか!」
クリフはため息を吐いた。
「身分制度がこの王国の基盤である限り当然ではありません。
学園内で平等であっても学園外では身分の別があります。
殿下の婚約は王家と侯爵家との間のものです。学園は関係ありません。
モニカ様が校則違反をされたならばそれに沿った罰を与えられるべきでしょう。
それ以上を求めてはならなかったのです。
王国に君臨する王位を継ぐ王太子としてはあってはならない判断ミスです。」
「グッ!…たしかにそうだったな…頭に血が上っていたようだ。
しかしそれだけで死ねというのか?」
「殿下はここに至るまでに様々な方から何度も窘められたはずですが、お聞き入れ下さいませんでした。
モニカ様はグリーンウッド侯爵家のお方。
王太子殿下とのご婚約は数代前から続く不出来な王によってアークライト王家の求心力がかつてないほどまで低下するなか、今代の賢王と名高いフィリップ王が建国以来の重臣であり、かつ王家の血が薄い、さらに貴族の最大派閥を束ねるグリーンウッド侯爵家から次代の王妃をたてることによって貴族との溝を埋めるために決定された重要政策です。
この政略結婚を王太子殿下の我儘で潰されるわけにはいかないのです。」
「それは…浅慮と言われてもしかたないな。
ハッ!シェリーは?シェリーは無事なのか!?」
「シェリーは昨日、非公開で処刑されました。」
「昨日?どういうことだ!昨日は私たちといたはずだが!?」
パーシヴァルは真っ青になって叫んだ。
「殿下は3日間、お休みになられていました。」
「薬か!?眠らされているうちに…
処刑というからには罪状があるのだろうな?
彼女は悪いことは何一つしていなかった。
冤罪だ!シェリーが何をしたというのだ!?」
「シェリーは国家反逆罪で有罪となりました。
王族貴族に有害な思想を吹き込み国益を損ったということです。」
「有害な思想?何を言っている?なんのことだ?」
「自由平等の名のもとに身分制度を破壊しようとしました。
王太子が貴族を断罪し平民を娶る。平民が貴族を差し置いて王妃となる。
王家の求心力が下がっている今、そのようなことをしたら国がどうなるのか今の殿下ならお分かりのはずだ。
こんな危険思想が許されるはずがないでしょう?
学園の貴族の令息令嬢が不安に思い各家に報告し、王宮に問い合わせが来ていました。
それは殿下もご存じのはずではないですか!それを大事ない捨ておけとか…
殿下はどうしてしまったのですか!?
こんなに当たり前のこと…王太子として敬われている根本を忘れて女にうつつをぬかして死を賜るなんて。
母が泣きますよ。」
自分の情けなさにパーシヴァルは涙を流した。
冷静になって振り返ってみればモニカの虐めもおかしなものだった。
シェリーが破かれたと言って持ってきた物を見てみれば悪戯書きで埋め尽くされたボロボロの教科書で、モニカはその日のうちに真新しい教科書を全教科分3セット届けたのだった。
舞踏会用のドレスが汚されたというのも平民がギリギリ用意出来るペラペラの安物で、これも貴族が着るに遜色のないドレスがモニカから届けられていた。
噴水に突き飛ばされ、泥に塗れて着れなくなった制服は一張羅で裾が擦り切れ色落ちしたもので、これもモニカから夏服冬服各3セットが届けられた…
補償をしていたのはモニカであっても加害者がモニカとは限らない。
シェリーが「モニカ様が…」と言うから抗議に行こうとすると止められて「本人がやったわけではない」と言われる。
疑惑だけが重なっていつの間にか決めつけてしまうようになっていた。
モニカは王太子の婚約者として牽制しつつも貴族の令息令嬢の虐めの対象となったシェリーを庇っていたというのが真相らしいと今さらながらに気づく。
それを断罪を確定すべく「シェリーが階段から突き落とされたことにしよう。なに多少の脚色くらいいいだろう。」と側近と画策していた自分のなんと浅ましいことか。
「済まない。本当に済まない。
真実の愛…なんてものに浮かれてしまっていたようだ。
せめて学生の間だけも自由に振る舞いたい…そんな甘えがあった。
甘えさせてくれる存在がシェリーだった。」
「王太子が公の場で自由に振る舞っていい瞬間なんてないじゃないですか。
そのように教育されましたよね?
モニカ様にも諌められていたはずだ。モニカ様には甘えられなかったのですか?」
「モニカは完璧なんだ。
私が適切な節度を保って甘えられるように事前に整えてくれていた。
しかし私はそんなものは求めていなかった。
自由に!気ままに!それを心の底から欲していたのだ。
私は器ではなかったのだな。
王太子となった時点で捨てるべきものだったと今になって分かったよ。
そういえばオリバーとパスカルはどうしてる。」
「亡くなりました。」
「そうか。やはりな。どのような最期だったか教えてくれるか?」
「公にはオリバー様とパスカル様が同乗していた馬車が崖から転落したことになっています。
現場に駆けつけたお父上であるグローヴズ騎士団長様が致命傷を負って虫の息であったオリバー様を自ら介錯されたそうです。
パスカル様はその場で亡くなっておられ、同じく現場にいらっしゃった宰相のハサウェイ伯爵様が亡骸を引き取られました。」
「オリバーは逃げようとしたのだな。武に優れていても心の弱い奴だった。
パスカルは観念したか。国家反逆罪では一族郎党に累が及ぶ。
逃げるという選択肢は無いと判断したのだろう。
恋人も友人も私が殺したようなものだ。なんと罪深い。
モニカは今後どうなる?」
「モニカ様は王太子殿下が病死し国葬の後、立太子されるクリストファー第二王子殿下とご婚約されます。」
「国葬をしてくれるのか。対外的には無かったことにしてくれるのだな。
ありがたい。初めて父上の愛を感じたよ。
父上と母上、それとお前の母にも謝罪と感謝を伝えてくれ。
最後に愛していたと、幸せだったと。もちろんクリフ、お前にもだ。
モニカには…なにも言うまい。私にそんな資格はない。
しかしクリスとの結婚が幸せなものだったらいつか伝えてくれ。
酷いことをして済まなかった、結婚おめでとうと。
不甲斐ない私に最期まで付き合ってくれてありがとう。」
パーシヴァルは毒杯を呷った。