宝石よりも綺麗なものを見せて貰いました。
遅くなってしまった…
「弟子が、弟子がいいです!」
思ったよりも大きな声が辺りに響いた。
「………」
「………あの」
「…ふっ、くく、あっはははは」
アナーヒアの大音量の願いにも劣らないほどの笑い声が白く染まった忘却の森に響く。
「そっか、そうか。くくっ。そんなに弟子になりたいのか」
「そんなに笑わなくったって…もう、そうですよ。だって、ずっと使いたかった魔法が使えるチャンスですから。逃したくないんです」
(それに、帰る場所が欲しい…って言うのもある)
今まで、アナーヒアにとって帰る場所は無かった。大好きな母親を早くに亡くしてから、自分が妹の帰る場所にならなくてはと、必死になっていた。そのため、アナーヒアにとって、タウンハウスだろうが、そこは帰る場所では無く、迎える場所だったのだ。
そもそも、今となってはそこすら追い出された状態だが。
「分かった。じゃあ改めて、これからよろしくな。お弟子さん」
アナーヒアが隠そうとしているそんな気持ちにも聡いであろうトートは、気が付いているのだろう。
それでも何も言わずに笑ってくれるトートの傍は、アナーヒアにとって、これ以上なく居心地が良かった。
そんな話をした翌日、アナーヒアはトートと共に、忘却の森とは違う、とある森の中に来ていた。
「あの、あの、さっき使ったのって、転移魔法ですよね!?」
あの後、アナーヒア達は塔の中に戻り、そこで一晩過ごした後、早朝に出発することにしたのだが、トートから行き先は伝えられず、手を握られ、目を瞑った次の瞬間、目の前には鬱蒼と生い茂る森が広がっていた。口を挟む暇もない。
そもそも、忘却の森は周りが木々に覆い隠されているだけであって、しばらく歩けば、多少開けた場所に出る。しかも、あそこの周辺はまだ雪が積もっているので、目の前にある、青々とした葉っぱがアナーヒアの視界を遮ることはないのだ。つまり、ここはつい先ほどまでアナーヒア達がいた忘却の森とは別の森ということになる。
(私も知らない魔法はもちろん、転移魔法まで使うなんて…やっぱり、凄い魔法使い様なのかしら)
トートは何事もないように転移魔法を発動させたが、転移魔法は、空間魔法の最上級魔法だった筈だ。もちろん、術の成功も難易度も高くなる。この大陸を探しても、転移魔法が使える魔法使いなど、片手で数えられるほどだ。実際、魔法に自身があったアナーヒアの元婚約者のウィードルでも、転移魔法は使えなかったようだ。
「あぁ、正解。転移魔法だ。それにしても、本当に魔法が好きなんだな。この前から、基本の魔法の他にも、ちょっと特殊な応用の魔法を使ってもすぐに何の魔法の応用か当ててる。余程魔法書漁ってないとできないだろ、それ」
そう言ってトートが指摘してくる。それもその筈、アナーヒアの唯一の趣味といえば、『魔法書を読み漁ること』だったからだ。レッスンの間に、勉強の休み時間に、就寝前にと、なるべく多くの時間をとれるように、どうにかやりくりしながらずっと読み続けてきた。
しかし、妹のメアリーとは違い、魔法を使うことのできなっかったアナーヒアは、読むだけ無駄だと罵られ本を没収されてしまうので、コソコソと隠れて読むしかなっかたのだが。
「はい。魔法書は、読むだけでも凄く楽しいですから。あ、それ、風魔法ですか?」
進む先の枝がひとりでに落ちた。
「お、引っかかったな。これはな、水魔法だ」
進みながら話していくが、草木が生い茂った森の中はどうにも進みにくい。そこでトートが何かしらの魔法を使ったのだろう。どんどん道が出来ていく。
「え。水なんですか」
「おう。これも後々教えてやる。…さてと、ここでちょっくらお勉強の時間だお弟子さん」
ふとアナーヒアの斜め前で立ち止まったトートの口元は、皮肉気に片側の口角だけが持ち上がっている。つまり、完全な悪役顔。実に楽しそうである。
そして、そんなトートに手を引かれながらアナーヒアも一歩足を進める。
「さて、博識なアナに、これは分かるかな」
開けた視界の先には、キラキラと光り輝く蝶が辺り一面に広がっていた。
「わぁ……!」
翅の一枚一枚が職人の手によって作られた微細な宝飾品のようにきらめき、木々の間から届く木漏れ日を反射して、辺り一面を様々な色合いに染めている。
フラフラと誘い込まれるように更に一歩足を進めたアナーヒアの手を、トートがそっと離す。
「なんて綺麗…これって、まさか、結晶蝶…?」
今まで見てきたどんな装飾品よりも美しく輝くそれは、アナーヒアの知識が正しければ、『結晶蝶』という摩訶不思議な生き物だった筈だ。しかし、結晶蝶が生きていた時代は、まだ空気中の魔法濃度が高かった昔のこと。とっくの昔に絶滅したはずだ。
「そう。ほんとによく知ってるんだな。」
「でも、なんで…」
「まあ、簡単に言うと、保護されたんだ」
保護。確かに、ここで存在しているということは誰かが保護したのだろうとアナーヒアにも予想はできる。
しかし、純度の高い魔力でできている結晶蝶が生き抜くには、それ相応の――純度の高い魔力の満ちた場所が必要となってくる。そんな場所、ソイーユ王国のどこにも存在しない筈だ。国外にも、もしかするとあるのかもしれないが、アナーヒアの記憶には存在していない。
(でも、もしかして…)
「本当に存在しているなら……。アグネス…でも、本当に?」
アナーヒアの小さな呟きをトートは拾ったようだ。
クルクルと舞うように広場の中央にたどり着き、思考の奥深くに沈んでいたアナーヒアの傍にいつの間にかたどり着いてたトートは、驚いたように目を見開いている。
「どうしてそう思った?」
「え?理由…ソユーズ王国内には結晶蝶が生息できる環境が揃ったところなんてないし、国外にもなかった筈。でも、そうなると本当に存在している場所なんてなくなってしまう。でも、いま私たちの前に結晶蝶は存在している。ということは、その場所自体が存在しているということから否定しなきゃいけない」
「それで、つまりもう存在しない筈の物語の舞台…アグネスにたどり着いたって事か」
「答えは論文や教材ばかりから得るものではないですから」
「ふぅん…」
「それで、答え合わせはどうですか?お師匠様」
振り返ったアナーヒアがトートの顔を覗き込むと、そこには苦笑が浮かんでいた。
大分長くなってしまったので、2話に分ける事にさせていただきました