魔法が使えるようになったそうです。
アナーヒアが胸元を押さえていると、何かを勘違いしたのか、トートが心配げに覗き込んでくる。
「おい、大丈夫か?もしかして反動がまだ…」
「はんどう…?反動、ですか?」
心当たりがなく、思わず聞き返したアナーヒアに対し、言いにくそうに首元に手を当てながら口籠る。
しかし、しばらく何かに悩むようなそぶりを見せた後、トートは意を決したように顔をあげた。
「あー、のな。一応聞いとくけど、魔法とか、そういうのに偏見は…?」
アナーヒアが質問の内容をもう一度聞き返さなかったのは、トートが心細げに眉を寄せていたからだ。
この国の国民に対してここまでおかしな質問はなかなかないだろう。
この国では、子供のころに初めて親から聞かされる物語といえば、偉大な魔法の使い手である賢者様についての物語が定番で。
年頃の少年たちは賢者様のような強さに憧れを抱き、少女たちはいつか賢者様のような偉大で心優しい人の花嫁になるのだと夢を見る。そんな国に生まれた少女に、彼は一体何を訪ねるのか。
アナーヒアとて、幼い頃は花嫁に憧れを抱いた事もあったし、今でも魔法を使えたらと思うことは日常生活でも多々ある。
今回の事件でも、アナーヒアが何かしらの魔法を使えれば、もっと違う結末があったのだろう。
たった一つで、人の人生を大きく変えてしまう。魔法とはそういう物だ。
「いいえ、全く。むしろ、使えたらいいなと思うほどですから」
にこやかに答えたアナーヒアに対し、トートはそっと息を吐く。
「なら、いいんだ。えーと、コホン。なら、言うぞ。」
それでもどこかまだ言いにくそうにしているトートに、何が来ても自分は大丈夫だと言うように、無言で少し胸を張る。
(なにが来るかは分らないけれど…多分、あの時よりも、ましだから。)
それを見たトートは、紅いルビーを何度か瞬かせると、苦笑を浮かべる。トートと出会ってから間もないが、アナーヒアがこの二日間、よく見た表情だ。瞳に浮かぶ喜色は隠しきれていないが。
「ははっ。うん。そう、だな。単刀直入に言えば、アナ、お前は…」
トートの纏う空気が変わる。これが魔法使いである彼の纏う空気なのかもしれないと、アナーヒアは袖を握りこんだ。
「魔法が使えるようになった」
「…は、い…?」
思わず聞き返したアナーヒアに、トートは懇切丁寧に事情の説明を始めた。
「正しくは、『やっと』が付くが。そもそも、始めてアナを見つけたときに、中々見れないほどの大きさの魔力炉が見えた。それなのに、魔法が使えないっていうのはそもそも前提が間違ってるんだ。魔力炉っていうのは、魔力を生み出す量に比例しているからな」
「え、ちょ」
「あー、魔力炉っていうのはだな…」
「あの…」
アナーヒアの戸惑いの声も聞こえていない、もしくは説明に夢中になってしまっているのか、そのままトートはサイドテーブルの上にあったコップを手に取る。
「簡単に言うと、魔力を生み出して体内に貯蓄する機能のある場所だ。正確には、心臓の丁度下あたりにある。そうだな…このコップを魔力炉として見立てるとして、この果実水が魔法を使うための魔力だとしよう。…これをこんな感じにコップの中に注ぐ。すると、ほら。大抵の場合、俺たちはコップの中から果実水が溢れる前に注ぐのを止める。そしてこの水で考えると水が蒸発するように、俺たちも微量ではあるが常に魔力を放出していることになるんだ。そして、これ以上減らないように随時魔力を生み出して追加する。でも、アナの場合は大きな、それこそ樽くらいの大きさの魔力炉を持っているにもかかわらず、そもそもの魔力すらなかったんだ」
難しいかもしれないが。そう一息つくと、トートはコップに注がれた果実水を飲み干した。
「さて、それでだな。言いにくいんだが…俺がアナを見つけたとき、アナは凍死寸前だったんだ。それで、体を暖めて回復魔法をかけようと思ったんだ。だが、回復魔法は魔力炉にある魔力に干渉して、本人の回復力を跳ね上げることしかできない。つまり、魔力炉に魔力がないとどちらにせよ効果が出ないんだ。
それで、どうにか回復魔法をかけるために俺の魔力を譲渡するか、アナ自身にかかってるちょっと特殊な魔法を解くしかなかったんだ。
もしかしたら何か事情があるのかもしれないとは思ったんだが、俺の魔力を無理にねじ込むと拒絶反応が起きる可能性があったからな。安全で確実な魔法を解く方法を取らせてもらったんだ」
後は言いたいことはわかるだろうといわんばかりにこちらの様子を眺めるトートに今すぐ詰め寄りたい。
(貴方は、私の言葉が聞こえていましたか?いいえ、聞こえていないのですよね…もう、この人と知り合った限り割り切らなければいけないのかも…)
これはあきらめるしかないのだろうとアナーヒアは早くも悟りを開きかける。
聞きたいことはいくつもあるが、ひと先ずはここが重要だ。
「あの、それで、私が魔法を使える…というのは、本当なのでしょうか。特に体に変化は無いのですが」
「そう、それだ。話が逸れたな。確かアナが聞きたかったのは『反動』についてだったよな」
すまんと一言頷くと、トートは長い脚を組んでからゆっくりと話し出した。
「『反動』ってのは、大量の魔力が体内を急に巡ったから起きた現象だ。随分と長い間魔力が身体の中を巡っていなかったからな。いきなり魔力の道、つまり魔力回路
が開いて、体が追い付かなかったんだ」
それで三日間猛熱で魘されていた。そう述べたトートの表情はどこか憮然としている気がする。
「でも、トートさんの適切な処置で私の命が助かったのは事実ですから、感謝してもしきれません。それに、結果的にずっと前から使ってみたかった魔法を使えるようになりましたから。嬉しいことばかりですね」
そうアナーヒアが言うと、トートは安心したように、フニャリと頬を緩めた。