第55話・回春
「おめえ、友達ってもんがいねえのか?」
顔を合わせるなり失礼なことを言われた。
私は友達がいないのではなく、この稼業でそんなもの作れるわけがないだけだ。見返りの無い友情なんぞ抱いたところで足を掬われるだけだ。
「たしかにアキコにはともだちがいない」
「おい。お前まで一緒になって何を言う」
「だってじじつじゃーん。かんざきのおっちゃんは、むこうのほうでともだちだとおもってないだろーし」
「ぐ……」
いや、別にこっちだって神崎を友達などと思ってはいないが、向こうの方がそう思っていないというのも微妙に傷つくというかなんというか…いや待て待て、それだと私が寂しいみたいじゃないか。冗談じゃない、あの野郎がどうなったところで知ったことか!そうだ私は殺し屋、向こうは警察。そもそも友情なんぞが成立する余地など欠片もないというものだろーが。なっ?!
「……などといみふめいなきょうじゅつをしており」
「……だなぁ。この点に限れば教育を間違ったってぇ思わざるを得ねえよ。すまんなピロ坊、不甲斐ない娘でよぉ」
「ううん、いーよじーちゃん。そのぶんピュロスがしっかりすればいーもんね」
「うう、儂はいい婿を持ったものよ…済まねえなあ、添い遂げてやってくれれば儂はもう思い残すことはねえよ……」
「じーちゃん、なかないで。アキコのことはピュロスにまかせて、じーちゃんはながいきしてね!」
「いやお前ら、ツッコミ所が多すぎてツッコむタイミングも見つからない会話をするんじゃない」
というか、そもそも神戸組に来たのは「神尾」なる存在について不確かな情報を掴まされたことへの抗議のためだ。鹿爪らしく、且つわざとらしい嘆き節を聞かされるためじゃあない。
「知らんがな」
だが、私の正当な文句を聞いても寛次は我関せずとばかりに渋茶の湯飲みを啜るばかりだった。確かに今日は長雨のためか、この季節にしては肌寒い一日だが、どてらまで着込んで火の点いていない火鉢を囲む程でもないと思うのだが。
「言うてもな、アキコよお。こっちも店仕舞いの支度が進んで早い情報は入ってこねぇようになってんだ。そもそもおめぇの不義理が招いた事態じゃねえか。儂に文句を言う筋合いでもねぇと思うんだがな」
「ケッ、正論じみた物言いで若いモンの口を封じるなんざ年をとった証拠だろ。いい加減耄碌も進んだんじゃないのか」
「そうかもしれねえなあ…」
「………」
…なんだ、寛次の奴。いつもだったら「言うじゃねえか、ガキ」とか嘯いて不敵な笑みと共に立ち上がるとうろだろうが。それで私が遅れて立ち上がり、取っ組み合いを始めて結局こっちが負けて、「カッカッカ!」とか呵々大笑した寛次に私が参ったをさせられて、それでピュロスに慰められるところまでがお約束だろうに。つまらん。
と、不機嫌に私が黙り込むと、三人とも口を開くこともなく寛次の部屋は外の雨の音だけが入る閑寂な空間になった。
ただそれも長続きはせず、私と寛次の間で視線を往復させていたピュロスが、しかたないねー、とでも言いたげな口調で言う。割と元気な声だった。
「じーちゃん。おなかすいた」
「ん?おう、そうか。だがまだメシの時間にはまだあるしなあ。ピロ坊、ちょいと台所行ってケンの奴を催促してきてくれねえか?あるいはつまみ食いでもさせてもらって来い」
「ん。じゃいってくる」
「晩メシを全滅させるんじゃないぞ?」
「アキコ、ピュロスをなんだとおもってるの」
立ち上がって部屋を出て行くピュロスは、私の余計な一言でぷりぷりしながら廊下を歩いていったが、まあ見たところ私と寛次を二人きりにしてやろう、ってところだろう。実際、あいつがいるとやりづらい話ってのはあるしな。
「……いい子じゃねえか」
そんな感慨は寛次にしても同様なのだろう。私と二人の時には滅多に見せない好々爺じみた顔で、ため息をつくようにそう呟いていた。
「これからどうするつもりだ?」
そんな様子を見ることは……割と、辛い。だから、本当であれば私の方が言われなければならないことを先に口にしてしまう。
「どうすると言われてもよお…若い奴らはサツだのNGOだのに世話してもらって、就職先も見つかりそうだが、年嵩の連中はな。儂はまあ…精三が死に水を取ってくれるっちゅう話だからよ、揃ってテキ屋でも始めようかと思っとるところよ。悪くはねえだろ」
「今どきテキ屋ねえ…無くは無いだろうが、『屠龍の寬次』の末としちゃあパッとしないな」
「畳の上で死ねりゃあもう言うことはねえよ。お前も一緒にいてくれるモンが出来たみたいだしな。思い残すことなんざ何もねえ」
そんな話がしたかったわけじゃないんだがな。
胡座のまま俯いてため息をつく。私はコイツにどう在って欲しいのだろうか。
たまたま巻き込まれただけの私を拾い、一応は育ててくれるつもりはあった。
長じて私は掠われ、誰も望まない真似をさせられて今はこうしている。まともな死に方が出来るわけがない、もしそれが出来れば御の字、という意味では育ての親と大して違いはない。
といって我が身の不幸を嘆じて無為に過ごす性格でもない。それは我ながら救いになっている。
『それもーらいーっ!』
『あーっ!ピュロ坊それは勘弁してくれぇ!』
…なんだか厨房でケン坊に不穏なことを言わせているが、この身に添うてくれる奴も出来た。
だから、人並みではないとしても幸福を覚えることに不安も躊躇いも無いのだと思う。
けれど。
「…おい、どうした。不景気な面しやがってよ」
「もう少しなんとかならんものか、と思ってるんだよ。寛次…いや、親父」
「……なんでえ」
最後に面と向かって父親などと呼んだのはいつだったか。まあいい。今の私が面白くないと思っていることをぶつける相手ならば、親父が一番似つかわしい。
面食らった様子の親父に向かい、居住まいを正す…といっても胡座のままだが、鎌倉の御家人が将軍に相対でもするように四角くなり、言う。
「あんたが今のように黄昏れているのを見るのはつまらない。私より長生きしろ、とは言わないが、せめて死ぬまではゲラゲラ笑って生きろ。そのために神戸組の看板が必要なら私が支える。自慢じゃ無いが腕にはそれなりに自信がある。ヤクザの一家を続けるくらいのこと、私が本気になれば……げぼわぁっ?!」
気がついたら襖に頭から突っ込んでいた。な、なんだ?何が起こったんだ?
「……おい、大人しく聞いてりゃあ…まだケツの青い小娘がほざくじゃねぇか」
「……言っておくがこっちはモンゴロイドじゃないから蒙古斑は無いぞ」
混乱して訳の分からない弁解をする私を、寛次は立ち上がり一喝する。
「ドやかましいわい!!ケツが青くねえってんなら嘴の黄色い雛鳥でいいわ!!おめえいつから儂にそんな口利ける立場になった。ええ?」
そこまで言われて、ようやく状況を理解する。片膝立てたままの老人が、現役の殺し屋である私を、片手で張り倒していたのだ。予備動作も無しに振るわれた右手は拳に握られ、頬桁をぶん殴られた私はもんどりうって襖を突き破り、尻を寛次に向けている。そういうことらしい。
というか、だな。
「……いきなりご挨拶じゃないか。なんだぁ?今の今まで後は死ぬだけですう、みたいな声出してやがったくせに、いきなり元気になりやがって」
どんな変心があったか知らないが、いつもの威丈高で理不尽で傲慢かましまくりのクソジジイに戻った寛次を、私は睨みながら起き上がる。
「ガキがクソ生意気なことをほざいてたんじゃあな、棺桶に両足突っ込んだボケ老人だって正気に戻ろうってもんよ。おいアキコ。テメェに看板預けるような甲斐性無しに見えるのか?儂が?ああ?」
「おう、見えていたぞ。らしくもないじゃないか。私が血迷ったことを言ったように聞こえたってんなら、そのしょぼくれたツラのせいで、ってんだ」
右に拳を握り、左手でそれを受け止め指を鳴らす。別に意味のある仕草なんかじゃない。精々これからぶん殴ってやる、という宣言に過ぎない。
「おもしれェ。最近クソつまらん毎日だったてえのに、おめぇをぼてくりこかす、っちゅう楽しみがあったってことを思い出したぜ。ありがとよ、アキコ。礼と言っちゃあなんだが足腰立たねえようにしてやる」
寛次は、素人なら恐らくは本気の殺気ととってションベンでもチビリそうな気を発しながら、仁王立ちになっていた。
それがどれほどのものか。ガキの時分から間近でそれを見てきた私には分かる。自分が絶命する場面まで頭に浮かんでしまうほどのものだと。
「やれるものならやってみろ。ついさっきまでしょぼくれていたジジイに何が出来るってんだ?」
そしてそうと知っても抗うのが、私と寛次の間の「いつも通り」なのだ。
「囀るじゃねえか…御託はいいからかかって来いや、バカ娘」
「今日がてめぇの命日だよ、クソ親父」
「言いおるわ」
「ケッ」
だから、相対して不敵な笑みを交わす。何度目になるか分からないやりとり。けれどそれが何処か嬉しく、そして誇らしい。
「……」
「………スゥ」
老いぼれた?しょぼくれた?
冗談じゃない。歳相応に枯れてはいても、実戦を抜けてきた手足の動きに隙なんざ無い。
私だってまともな体術を学んだわけでもないが、他人の身命を討ってきた身だ。その私と同じことをしてきた…いや、踏んだ場数の量なら恐らくは相手の方が凌いでいることだろう。だから、今対峙している人間が年齢通りのことしか出来ないなどということは、あり得ない。
「………」
「……」
何か切っ掛けがあれば破裂してしまいそうな空気の中、摺り足で有利な位置をとるために、互いに動く。
心中線を隠し、半身を引いた姿勢のままゆっくりと腕を上げ、攻めにも守りにも油断無い構えをとった。
ここが、機。
畳を擦っていた右足を止め、僅かに重心を乗せる。踏み込みの備えて踵を軸に小さく捻った。
…だが、失敗した。それだけで私の意図を解した寛次は、背中に立ち上る殺気を微塵も揺るがすことなく、ただ呼吸に必殺の気概を載せて、一切それと私に気取らせることなく飛び込んでくる。
遅れた。失敗した。見せてしまったことで私の反応は送れ、大木すら穿つ勢いの手刀が喉元に……。
「じーちゃーん!アキコー!ごはんできたってーっ!!」
「おう、いいところに来たピロ坊」
「あだぁっ?!」
……届く寸前でそれはユルく握られた拳になり、とても人を殺せる勢いじゃないゲンコツが私のアゴを打った。
「ねー、アキコいるからごちそうつくったって!はやくいこーよー……アキコ、どしたの?」
「っ!っっ!!」
脳震盪を起こす程でも無い程度にアゴを揺さぶられて、けれどそれだけに痛みはまともに脳天に突き刺さる。
私はみっともなく手を畳について、どーにもならない痛みをごまかすように、目の前の畳をバンバン叩いていた。
「…アキコどしたの?」
「さぁてな、屁でもこいたんじゃねえのか?んじゃあ行くかピロ坊。今日のメシはなんだ?」
「えとねー、なんかあじのいいのがいっぱいてにはいったから、なんばんづけ、ってゆってたよ。おさかなあじみしたら、おいしかった!」
「そうかそうか!なら儂はビールの一本でももらおうかい。おう、アキコよ。いつまでも遊んでねえでさっさと行くぞ?」
…ほんの数十秒前まで、こちらを本気でぶっ殺すつもりでいたことなどおくびにも出さない、カラカラした笑い声を上げながら、飯を待ちきれないという様子のピュロスの後についていく寛次。やっと顔を上げられるくらいにまで復活した私は、開け放たれた襖の向こうを歩いていく背中を見てぼやくのだった。
「……あと五十年は現役でいられるんじゃないのか、あの様子じゃ」
その時、自分の口の端が持ち上がっていただろうことだけは、疑いも無かったと思う。
私は暗殺者。
ちなみに人前で放屁なんぞしない。ストーキングの最中にそんな真似をしたら、位置がばれるだろーが。……そういうことにしておけ。




