第54話・転機
「まったく。怪しげな仕事を受けるからそういう目に遭うんです。少しは学習しましたか、レディ?」
「………」
全く以て面目も無い。
私は件の現場から逃げ出すと、すぐにゲイツの下に出頭した…というと語弊があるが、どっちにしても義理を欠いた報いと言えなくもない。断りさえ入れておけば問題あるまい、と考えて裏取りに協力を頼まなかったのも迂闊と言えば迂闊だった。
「…さて、先日あなたから話を聞いてこちらでも一応調べておきました。その神尾とかいう男、恐らく中身が変わっていますね」
「………どういうことだ?」
ソファに腰掛け手にしていたコーヒーカップが口の前で止まった。普段ここに来たときは立ちっぱなしで会話をするものだが、今日に限ってはお説教でもカマされそうな雰囲気に気圧されて用意された席についていたからだ。いくらなんでもコーヒーに何か仕込んだりしないだろうな、と思いつつだったが。
「レディ、神尾に直接会ったことは?」
「そりゃあもちろんあるが。元々現場で打ち合わせをしたくらいだしな」
「年の頃は?」
「五十…ってところだと思う。禿げてたからもっと若いかもしれないが」
「ふむ。ではこの男ですかね」
「うん?」
ゲイツがデスクの端末を操作すると、私の前にあったディスプレイに画像が表示される。元の解像度が相応以上に高いものなのか、隠し撮りにせよ監視カメラ画像の切り出しにせよ、遠景に写った一人の人物をアップにしたもののようでありながらも、顔貌は判別出来た。
要はそれが私の言う「神尾」であるかどうかを確認しろ、ということのようだが。
「……そもそも男ですらないじゃないか」
確認するまでもなかった。性別どころか美醜まで判別出来そうな写真を眺めて、私は呆然とそう話す他無かった。
「……いや、というか何故これがどうして神尾だと断言出来る。人違いじゃないのか?」
当然の疑念を口にしながらコーヒーカップをテーブルの上に置く。ソーサー、などという上等なものはこの部屋に無いのだろうか、直置きである。
「同業者の事務所に売り込みがあったんですよ。神尾、と名乗るこの女性から仕事を頼みたいと、ですね」
「なんでまた?」
「さあ。そこまでは分かりませんが、あなたの仰る『神尾』なる人物と同一人物とも思えません。あるいは同じ名前の全くの別人か、それとも神尾なる呼称は人名ではなく特定の共通する動きをするグループなのか。ま、どちらにしてもあなたに仕事を依頼した存在に怪しげなところがあることだけは確かでしょうな」
「こっちに見る目が無かった、というわけか」
クソッ、と毒づいて足下のテーブルの脚を蹴り上げる。ガチャン、と音を立ててコーヒーカップが跳ねて中身が溢れていた。
「ま、あなたが仕事を真面目にしていればそんな飛び込みの怪しい話に飛びつくことも無かったでしょうな。どうです?懸念を払うために一つお仕事をなさいませんか?」
「しない。お前のことはそこそこ信頼はしているが、十全の信用をしているわけじゃない。逆に私をはめようとするならお前の所に真っ先に手を回すだろうが、普通は」
「そこそこ長い付き合いだというのに、水くさい話ですな。それを言うなら神戸組の方はどうなのです。そちらで調べたのでしょう?」
「それを言われるとなあ…」
痛いところを突かれた。勿論、寬次や組の奴らが私をはめるなどとは思っていないが、そう思っているだろうことはあのカマ野郎だって想像しているだろう。ならそちらに手を回して偽の情報をつかませるくらいのことはやっていてもおかしくはない。
どうも私は身内には甘いところがあるらしい。この業界ではかなり致命的な欠点になるのだろうが。
かといってゲイツに対して抱くような警戒心をあのヤクザというにはどこか長閑な連中に持てるとも思えない。
結局、私はこの仕事には向いていないのだろう。運の無いことに他に方便の道も成り立たない、と来るから生きづらいことこの上も無い。このままでいいの?というピュロスの言葉がまた重くのし掛かるってものさ。
「…レディ、考えたのですがね……と、失礼」
考え込んだ私を前に、何かを言いかけたゲイツだったが、デスクの上の電話が鳴ると受話器を取り上げて何事か話し始めた。
「……まとまりましたか。ええ、ちょうどこちらに顔を見せてますので伝えましょう。では」
だがそれもごく短い間のことで、こちらを見てニヤリとすると、すぐに通話を終えていた。
というか、明らかに私に関する内容の話題だったようだが。碌でもない話じゃないだろうな。
「…レディ。仕事の話です」
「しないと言っただろーが」
「蜉蝣の文太に賞金がかかりました」
逃げだそうと腰を浮かせかけた私は、ピタリと動きを止めた。いや、止めざるを得なかった。
「……おかわりは?」
「いらん。勿体ぶってないでさっさと話せ」
空になっていないカップを忌々しく見やって先を促す。癪に障るが、確かに興味深い話だった。
・・・・・
「おはなし、おわった?」
「ああ」
聞くだけは聞いて退出すると、塗装の剥げかけた壁に背をもたれかけさせていたピュロスが声をかけてきた。
「アキコ、なんかやるきでた?」
「やる気が出たっつうかな……まあ、金が無い金が無いとピーピー言ってるよりはマシなことにはなりそうだが」
「ふむん」
歩き出した私の後をついてくるピュロスを、肩越しにチラと見た。
いつもだったらゲイツの顔を見ておちょくるくらいはするだろうに、失礼なことに部屋の前で「アキコがおこられるとこみたくない」とか言って外で待っていたわけだ。まあ怒られたというか苦言を呈されたのは確かだが。
「どうするの?」
「これから何をするのか、という話なら……お前の天敵を本格的になんとかしないといけなくなりそうだな」
「どゆこと?」
ボロビルの廊下を、声をひそめながら聞いてきたピュロスに、いくらか気をつかいながら答える。あのカマ野郎の話題となるとやたらと腰の引けるピュロスだったから、話題に出ただけでもどうにかなってしまうか、と思ったのだったが、意外に平気な声色で…ああいや、手を繋いでいたのだから気後れが全く無い、というわけでもなさそうだが。
「中華マフィアとヤクザの間で話がついたらしい。アシッドレインの蔓延に手を焼いて、扱っている連中の首に賞金をかけたんだとさ。あのカマ野郎に至ってはヒットすれば三千万出すってえ話だ」
「ほえー…すっごいねえ」
「すごい、ってお前な…意味分かってるのか?」
「わかるよー。アキコがおしごとするとピュロスはごはんいっぱいたべられる」
「全然違うわ」
言いたくは無いが、あの連中が三千万も出すってことは、それだけ難易度の高いハンティングになる、って話だ。簡単に仕留められる相手ならそんな大金出すわけが無い。
増してやあのカマ野郎は警察とも利害関係があるって話だ。何だかんだ言って、警察をまともに敵に回すのは良策じゃない。そこのところをなんとかしないと、仕事終わりました大金持ちです、なんて簡単な話で終えられるわけもないんだ。
「ふーん。よくわかんないけどよくわかった」
「説明しがいの無いヤツだなー」
…ということを話してやったところ、全く分かっていないようだった。
まあいい。蜉蝣の文太をなんとかする、というのは当面やらなければならないことだが、こう事態が動きだしてくれればやれることも増えてくる。あの野郎を相手にするにしても後手後手に回っている感はあったものの、いろいろやりようは出てくるだろうさ。
「ま、とりあえず腹ごしらえでもするか。メシ、食うだろ?」
「アキコがきまえよすぎてきもちわるい」
「失礼極まるわ、アホ」
理由は分からないが機嫌が良くなって先にビルを出てゆくピュロスの後ろ頭を小突きながら、私も続く。
普段人も疎らなこの界隈は、街灯の少なさも相まって世俗の無明を見せているようでもある。
私は暗殺者。
灯火の無い道を歩むのはこの背に負った宿業というものか。




