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第53話・陥穽

 飛び込みの仕事、というものが発生する時がある。

 私は仕事の取り次ぎは大半はゲイツに任せてあるが、かといってヤツからの仕事だけこなしているわけではなく、過去のコネだかなんだかで断り切れないものや、個人的に気になった(言いたくは無いが、子供を犠牲にしているクソが標的ならボランティアで仕事をしてもいいくらいだ)ものを選んですることもある。


 「……かぜ、よーし」


 予め設置しておいた吹き流しを確認したピュロスが報告してくる。

 日本の天気予報は優秀だから、今どき天気自体はほぼ予知レベルで的中する。

 だが、街中での風向きというものは、雨の上がった直後の今日などは特に、建物の表面や地面が冷えていることから、安定などしないものだ。

 だから、狙撃の際は射線上の吹き流しの確認が重要になる。ピュロスにはその大事なところを任せ、「こういう状態ならOKを出せ」と具体的に指示を出してある。

 そして私の方は、支給品のライフルのスコープを覗き、標的が顔を出すのを待ち構えている、というわけだ。


 「ねー、アキコー?」

 「なんだ」


 単眼鏡から目を離さず、ピュロスが「たいくつだー」といつも言ってるのとは少し趣きの異なる口調で声をかけてくる。


 「むりしておしごとしなくても、いいんだよ?」

 「何を言いやがる。お前がちっとも食う量を控えないから食い扶持を稼ぐために受けた仕事だろーが」

 「でもねー、ゲイツのおっちゃんにだまってほかのおしごとするの、まずくない?」

 「黙ってやる分には拙いだろうけどな。一応断りは入れたんだ。問題無い」


 他の国ではどうだか知らないが、日本じゃあこのテの仕事にもまだ「仁義」みたいなものが残っている。それだけに普段のつき合いを無下にするような真似をすると後の仕事に差し支えることだって無くは無い。だから、急な飛び込み仕事ではあってもゲイツには「仕事をする」くらいのことは伝えてある。勿論、依頼主や標的のことなどは教えられるものではないが、私にしては珍しい真似をするものだと、電話口の向こうでえらく苦い空気になっていたものだ。


 『レディ、危ない話ではないのでしょうな』


 そんなことを言っていたのはきっと、使える手駒がまた勝手に厄介なことに首を突っ込んでいやしないだろうな、という危惧だったのだろう。

 ただ、これもゲイツに言えるものではないが、私だって本当に初対面の相手から「誰それを殺せ」などと言われてハイハイと言うことを聞くほど間抜けじゃあない。以前の仕事で出来たコネの一つからだし、神戸組経由で裏も取った。問題は無いと判断している。だから、特に心配するようなことはない。いつものように、覗いて引き金を引いて、それで終わりだ。


 「アキコー、いいわけがおおくない?」

 「………うるさいな。いいからお前はきっちり監視だけしてろ」

 「っていってもねー。こんなどこからでもみられるばしょ、あぶないとおもうんだけど」

 「………」


 返す言葉もない。

 仕方ないだろう。今回の標的はやたらと警戒心が高くて、いかにも狙いやすそうな場所は徹底的に潰されていたんだ。辛うじて角度のとれる場所となると、こんなおんぼろビルの非常階段の踊り場くらいしか無かったんだ。


 「きょうのアキコはなんかしごとが、ざつ」

 「仕込みの時間も無いんだ。仕方ない」

 「どうぐもいつもとちがうし」

 「調整する暇がない。それに支給された道具を使うだけでいい、ってなら乗らない理由も無いだろ」

 「……なんかしかけられてたり、してない?」

 「……大丈夫だろ」


 吹きさらしの階段で、支給されたPSG-Kのスコープから目を離し、慣れない手触りに少し苛立ちながら自分でも信じていないことを言う。

 PSG-K。ドイツのバトルライフルの傑作、G3を元に製造されたオートマチック狙撃銃がPSG-1。こいつはその後継機であるPSG-2のバレルを若干切り詰めて可搬性を上げたモデルだ。

 開発にあたり、そもそも狙撃銃のバレルを短くしてどうするんだ、という本末転倒な議論があったかなかったは知らないが、狙撃の度に位置を変える際の取り回しの良さを狙い、超長距離ではなく中距離と長距離の間での撃ち合いを想定したとかなんとか。

 まあ今回のように、700メートル前後の距離ならそれほど問題は無いというものだが、この距離なら自前のSG550の方が使いやすい……んだったんだがなあ。いつぞや冬山で雪崩に巻き込まれた時になくしたのが、つくづく惜しい。

 仕方ない。道具にケチをつけられる状況でもない。再びスコープを覗く体勢に戻る。


 「……標的を確認。そっちは?」

 「ちょっとよくないねー。まんなかあたりがぎゃくにかぜふいてるよ」


 単眼鏡の倍率をいじっていたピュロスがそう報告する。

 風の状況、標的の位置。タイミングの揃うのを待つしかないのだが、どうもこう……くそ、なんでこんなに焦らせられるんだ。

 スペックだけなら自前のどの機材よりも上々のPSG-Kが、ここまで気持ちの悪いものだとは。人差し指の部分だけを抜いたグローブ越しの感触が、どんなに無視しようとしても抗えない不快感を伝えてくる。なんだってんだ。


 「かぜ、いーよ」

 「ああ。こっちも準備オーケーだ。警戒、頼む」

 「あい」


 グリップを引き絞るように握り込み、トリガーガードにかけていた指を引き金に添える。補正を他人任せにした銃をどれだけ信用出来るのか……計算しておいた弾道を頭の中で実視映像に重ねながら、トリガーを引く。

 チャンバーの中の爆発を顔の表面で感じた。反動で僅かに跳ね上がった銃身は、スコープの中から標的の姿を消す。

 即座に次発の姿勢に戻り、セミオートで次弾が装填されるのを感じてスコープに再び標的の姿を捉えるが、その必要は無かった。


 「……あたったよ」

 「ああ」


 ひどく疲れたような声のピュロスと共に、仕事の結果を見届けた。完了。依頼された内容は果たした。

 そして、帰るか…と肩の力を抜いた時。


 「アキコ!」


 ピュロスの腕を掴んで狭い踊り場の錆びた床に伏せる。視界に入ったマズルフラッシュが示した殺意が通り過ぎた後、私は逃げ場が無いこの場所を選んだ…いや、選ばされた自分のことを心底呪った。


 「ピュロス、下がれ!」

 「いや!!」


 聞き分けのないヤツだな!と怒鳴りながら、伏せ撃ちの体勢に。カウンタースナイパーの位置は先のマズルフラッシュの場所と定めて銃身を向ける。いた。標的のいた部屋の、二つ右。ちょうどボルトを戻してこちらを再度狙ったところだった。間に合う。この時ばかりはボルトアクションではなくセミオートのPSG-Kに感謝した。次弾装填の手間が省ける。


 「アキコ、だめ!!」


 もう遅い。風がどうなっているかは分からないが、この際さっきと変わっていないことを祈りながら引き金を引く……。


 「?!」


 だが、手応えが無かった。当たった手応えが無い、というのではない。そもそも銃弾が発射されたという手応えが、無かった。

 精密に製造されたPSGにはあり得ない誤動作。まさか、最初から一発しか撃てないようになっていた…?!

 私を狙っていた相手はきっと、舌なめずりでもしながら次の弾を放ったことだろう。向こうがどんな腕なのかはしらないが、間抜けなことに動きもせず不調のライフルと戯れているこちらなど、訓練用の標的と大して変わりは無い。クソッ、何もかも間違えていたってことか……。


 「だめーっ!!」


 不覚を後悔する間も無く、音速を超える鉛玉が到達するのを待つしかなかった私の頭の上に、ピュロスの腕がかざされる。

 必死な声と共に差しのばされたその手の向こうに、見えるはずのない銃弾が見えた。小さい。けれどそれはどんどん大きくなって、そしてすぐに私の視界を覆うくらいになって、真っ黒になった目の前は私の血だかなんだかですぐに赤くなって、それで……。


 ガキィンンンンンっ………。


 …訪う死を見たと思った私の耳に、金属同士がぶつかり合うような、耳障りな甲高い音が響いた。

 目を閉じていなかった私に見えたのは、私の体の上に乗っかっていたピュロスの突き出した右の手のひらの前に、陽炎のように存在していた不可視の壁。ただ、そこに何かがあるという存在感のソレが、迫っていた弾を弾いた……のだろう。いつか、私がピュロスに向けたものと同じように。


 「アキコっっ!!」

 「あ、ああ!逃げるぞ!」


 そのことを疑問に思う時間も感心する時間もない。

 頭を低くした状態で非常階段を登る…いや、降りるのか?

 一度だけ、狙撃者の方を見た。七百メートルの向こうの人間の顔など裸眼で判別つくはずもないのだが。


 (あの野郎……)


 そこにはきっと、下卑た笑顔でこっちを見据えているオカマがいたのだろう。存在感だけでそうと知れるようになった我が身を忌々しく思いながら、先に立ってピュロスを追って階段を降り始める。幸い階段に遮られて狙いはつけられまいと思ったのだが。


 ガァン!!


 「うにゃぁっ?!」

 「ピュロス!」


 一つ下の踊り場に出た途端、第三射が襲ってきた。クソッ、なんて奴だ…こっちが身を晒さざるを得ない状況を狙って撃ってきやがる。ピュロスの盾で防げたようだが、ホッとしていられる状況でもない。


 「ア、アキコ…だいじょぶだからね?」

 「大丈夫じゃないだろうが!お前いつまでも防げるとは限らないだろうッ!」


 カマ野郎の殺意をまともに受けてか、初めて会った時に私の銃弾を防いだ時のような余裕がピュロスにはない。顔色も良くはなく、足下が震えているのが見てとれた。

 覚束無い駆け足であっても走るのを再開しようとしてたピュロスを私は脇に抱え、何の役にも立たないPSG-Kを担いで階段を駆け下りる。すぐ次の踊り場に出る。向こうからこちらがどう見えているのか…腹が立つことに容易に想像がつくんだ。ピュロスの作る盾が上手く作用する保証だってない。

 ならば…。


 「……おいピュロス!お前に賭けるからなんとかしてくれよ!!」

 「ふ、ふぇっ?アキコどーす……わひゃぁっ?!」


 返事を待たずに手すりを乗り越えた。愛しい幼女を抱えたまま。

 ここは十階…一つ降りたから九階か。いや十でも九でも大差無い。よほど運が良くなければ最低でも大けがは免れまい。


 「ひぃぃぃやぁぁぁぁ?!」

 「頼むぞおい!」


 流石にこの行動はカマ野郎でも予想外だったか。一発だけ頭のずっと上をライフル弾が通り過ぎていったが、地面が目の前に迫るまでの間、次の弾丸は飛んでこなかった。

 その代わり、抱きかかえたピュロス諸共に伸されたカエルのようにでもなるのか…と残念な覚悟を決めた次の瞬間。


 「アキコのかんがえなしーっ!!」


 ピュロスの失礼極まりない叫びと共に重力を失った。いやこれだと意味不明か。地面というか地球との間にある万有引力が突如失せたような、まあ早い話が下向きの加速度がゼロになった。ように感じた。

 ただ、加速度がなくなっても慣性により地面に激突する勢いに違いは生じない。銃口から飛び出た銃弾がそのまま飛んでいくのと同じ事だ。

 つまり、加速が消失しても放っておけばそのまま地面に激突する。結果に変わりはない。足から落ちているとはいっても着地なんざ出来るわけがない。そうだお終いだ。全く、苦労ばかりの人生だった。来世というものがあるならどこかの金持ちに大事にされる犬にでも生まれ変わりたいものだ。

 …などとつまらない繰り言が脳裏を行き交うのも、その理由はただ一つ。


 「……」

 「………ふひー」


 一仕事終えた開放感からか、ピュロスは抱える私の腕の中で汗を拭う仕草をしていた。実際に汗をかいていたかどうかはともかく、こちらとしては冷や汗をかいたのは間違い無い。


 「……助かった。ありがとうな」

 「どーしたしまして……っていいたいところだけどー…」

 「愚痴も文句も後回しだ!とにかく逃げるぞ!」

 「あとでおぼえてろアキコー!」


 何事も無かったかのように地面についた両足を駆り、即座にその場を後にする。やっぱりピュロスを抱いたまま。直後、今まで立っていた場所に着弾の音。コンクリートが抉られたようで、破片が左の頬を擦っていったが知ったことか。




 私は暗殺者アサシン

 この稼業、逃げ時を弁えない奴は、長生き出来ない。

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