第51話・流言
「返しておいてくれ」
と、テーブルの上に差し出したSIGを、神崎はまた微妙な顔つきで見下ろしていた。
場所はいつもの大崎署近くの古い喫茶店…ではなく、明日には引き払うセーフハウスの一つ。今日が最後なら別に警察を連れ込んでいても構うことはない。
「それはいいんだが…陸自にだろう。自分で返した方がいいんじゃないか?連中、お前に会いたがっていたぞ」
「真っ当な仕事の男たちに合わせる顔なんぞ無いさ。宜しく言っておいてくれればそれでいい。お陰で家族も無事だった」
「俺も真っ当な仕事をしてるつもりなんだが」
「ぬかせ。街の殺し屋さんからピンハネする警察官の何処が真っ当だ」
「街のナントカさん、なんてぇ可愛いモンかよお前が」
「アキコはけっこーかわいいよ?ねごととか、とくにねー」
「よしお前は少し黙っておこうか!」
ピュロスが頬を染めて言うほど可愛い寝言を言っているのか?いつも隣で寝ているピュロスに何を聞かせているんだ私はっ?!……いや、止そう。寝言の内容など証言者がいくらでも捏造出来るシロモノだ。
三人揃って古いパイプ椅子に腰掛けたまま、どことなく気まずそうな空気になる…ああいや、ピュロスだけは「なんで?」みたいな顔でこっちを見ていた。全く理解されないということは結構辛いものだと思う。
「…まあとにかく、それを返してくれればそれでいい。しかし、お前公安と繋がりなんかあったのか?」
現場での捜査を担う刑事部は、公安部、警備部と横並びになっているはずだ。前世紀からずっと揶揄されている「縦割り行政」の弊害やらなんやらは21世紀の後半になった今でも絶賛継続中で、警察内部で各部の連携がとれていない、ってのは犯罪組織の側でも笑い話のネタになるくらいだというのに、刑事部の下っ端である神崎が個人的に、比較的自衛隊とのつき合いのある公安部と話が出来るというのは意外な話だ。
「そこんとこは本庁の恥になるから伏せさせておいてくれ。まあ警備部のやんちゃに手を焼いている同士、とでも考えておいてくれりゃあいいよ」
「やんちゃ、ね…」
ガリウスとの繋がりがある、みたいな話を臭わされている警備部に、私はあまり良い印象を持っていない。「やんちゃ」の一言で済ませるものでもないだろうが、神崎とそこまで突っ込んだ話をする気にもなれず、仕方ない、という具合に肩をすくめてそれでお終いにする。
「オーケー、助かる。それで次の仕事の話なんだがな…」
「止めておく。当面仕事をするつもりはない」
「……他の顧客からの依頼が忙しいのか?」
神崎は俄に藪睨みの目付きになって睨み付ける。こいつの言う「他の顧客」というのは当然犯罪組織の方なのだから、警察としては見逃せる話ではあるまいが、正直言って警察の仕事ってのは割に合わないので、財布の心配をするのならばあまり積極的に請けたいものではないのだ。
私に言わせれば、ガリウスに汚れ仕事を流してる警察の連中と何ら大差は無い、ってものだしな。
とはいえ、ゲイツの仕事も乗り気ではなく、警察の仕事も断る理由というのは他にあった。
「そうじゃない。いろいろ身辺が忙しくなりそうだからな。今回の仕事ではっきり分かった。ガリウスとはどうも縁が切れないらしい。その悪縁を絶ちきる方にしばらく専念したい。それだけのことだ」
「要領を得んな。何があった」
「蜉蝣の文太、とかいうふざけた名前の男…男?オカマがガリウスに所属していやがってな。どうもそいつに付け狙われてるらしい。で、現在あまり枕を高くして寝られる立場でも無いんだよ……って、どうした?」
「オカマ?なんだそいつは」
「ガリウスの所属、と言っただろう。いや、私が囚われていた時期には居なかった可能性が高い。どうもガリウスのやり口が変化したのと関係はあるようだな」
「……そうか」
何でも無い、という風には全く見えない顔つきで考えこむ神崎。コイツ、どちらかと言えば女にはもてそうな甘めのマスクの持ち主なんだが、下痢で腹が痛いのをガマンしてるみたいな様子は、まあ笑えるというか…いや、どちらかというと。
「なんだ、珍しい顔して。気になることでもあるのか」
心配にならなくもない。
「……いや、そういうわけじゃない」
「そうか。ま、こっちに流しても構わない話でもあれば教えてくれ。情報料は多少は出せる」
「多少じゃあ割に合わない話になりそうだがな…」
また随分思わせぶりなことを言いやがる。何か知っている、と白状してるようなものだろうが、それは。
下痢の顔、よりは大分マシになったが、それでも楽しくて仕方がない、という表情とは正反対なしかめっ面のままでいる神崎の横に回り込んだピュロスは…。
「えい」
「おひゃぅふぉわっ?!……何しやがるんだこのガキ!!」
と、死角でもなんでもない場所から脇を強めに突いて目を覚まさせていた。
「ガキじゃないよ。ピュロスだよ。かんざきのおっちゃん、わるいかおしてる」
「わ、悪い顔だあ…?どういう意味だそりゃあ」
「アキコにだめなことかんがえてるかお。おっちゃん、アキコをうらぎったらだめだからね?」
にこぱー、という世にも平和な顔で物騒なことを宣うピュロス。裏切る、ねえ…警察だろうがゲイツの持ってくる仕事相手だろうが、その辺は一通り気をつけてはいるはずだが、改めて言われるとまあ確かに、つき合いのそこそこ長いということだけで油断していい相手じゃあないってもんだな。
「う……」
そんな私の気分が伝わったのか、あるいはピュロスの癇に障ったようにでも受け取ったのか、神崎はばつの悪いツラで口をもにょもにょと動かしている。
「どうも面白くないな。この際だから全部吐いておいた方が良いんじゃないか?ピュロス」
「がってんだ」
何も言わずとも私の意を汲んだピュロスが両手をわきわきさせて神崎に迫る。脇を責めようとでもいうのか?いかにも子供っぽい所作だったが、神崎はそこが弱点なのだろうか、パイプ椅子から腰を浮かせて逃げ腰になっている。
…面白い。こいつをからかって遊ぶのは割と楽しいが、ピュロスも一緒になってそうしたらどうなるか見物だ。
「おっ、おい?!シンシアお前まで何するつも…ひぃっ!」
「ピュロスいいぞ。好きにしろ」
「ん。きょうのアキコははなしがはやい。じゃーかんざきのおっちゃん、かくごはいい?」
「いや待て、待てって!殺し屋に背中とられてるってだけで不穏だってえのに何するつもりなんだ!」
「それはこれからすぐわかる?」
ピュロスの笑顔に怯え、逃れようと暴れる神崎を羽交い締めに抑え込み、じりじりと迫るピュロスのやりたいようにやらせる。
現職の警官を相手にしてると思えば割と冗談にならない真似だが、今さら知ったことか。
ひぃ、とか、やめろーっ、とか喚く神崎を相手にピュロスは……。
「………やけにマッチョなオカマが本庁に出入りしてる、っつぅ噂が流れてんだよ。噂というか目撃談だな」
十分後、ピュロスのくすぐりに屈してすっかり憔悴しきった神崎は、私に聞かせたくはなかったらしい話を吐かされていた。
「それが蜉蝣の文太、って奴かどうかは分からんが、とにかく目立つもんだからな。現場にまで話が下りてきてる、ってわけさ」
「本庁?桜田門にか?」
「ああ」
そいつはまた大胆な話だが…。
「誰と会っているんだ?」
「さあな。そこまでは知らねえよ。そいつが蜉蝣の文太とやらで、警備部と繋がっているのなら、そっちの筋と顔を合わせているんだろうがよ」
「………妙だな」
「何がだ?」
神崎の話はまあ、話として分かった。
噂になっているマッチョのオカマ、ってのがヤツかどうかは断定出来ないが、あんな特徴的な野郎が他にいても困るので本人だと仮定しよう。
その場合、わざわざそんな目立つ真似をする理由が分からん。当節別に顔を合わせなくても内緒話なんざいくらでもする手段はある。
それを、下手すりゃあ盗聴される可能性もある警視庁の本部でする理由は、どう頭を捻っても思い浮かばん。
であれば内緒話ではなく、世間話もしくは公共の福祉に寄与する真っ当な市民的行動……なわけがあるか。
先日のやりとりだけで大凡想像つくが、アレは間違い無く自分の欲望「だけ」を最優先するバケモノの類だ。そんな野郎が本庁に足繁くご足労して親しく警察幹部と打ち合わせ?アホらしい。
「神崎、頼みがある」
「断る。お前がこっちの仕事を断るのに、俺がお前の言うことをきく必要なんざあるかい」
「……お前なあ」
出した結論を元に、ヤツの動向を嗅ぎ回ってやれ、という目論見は一言で切って捨てられた。
気持ちは分かるが、私に対する当て擦りでそんなことを言ってられる場合じゃあないだろう、と噛んで含めるように言い聞かせる。
「あのな、お前は知らないだろうが、ソイツが例のカマ野郎だった場合、警察への嫌がらせで本庁なんぞに足を運んでいる可能性が高いんだぞ?嫌がらせくらいならまだいい。何が狙いなのかはよく分からんが、ろくでもないことを考えているに決まってる。放っておいて警察の沽券に関わる真似をするに違いないぞ。間違い無く」
「えらくハッキリと言い切るじゃないか」
「少なくとも会ったことのないお前よりは私の方が、あのクソ野郎の性根は知っている」
不本意ながらな、と付け加えると、えらく渋い顔になって黙り込んだ。それも結構な時間。
暇を持て余したっぽいピュロスが正面に回ってにらめっこでもするかのように、両手で自分の顔をおもろかしくいじくり回していたのだが、それでも反応無し。おい、死んでないだろうな?
「………ま、お前の言うことももっともだ」
そしてそろそろCzの銃口で小突いて起こしてやろうか?と思った頃になり、ようやく神崎は面を上げて、長考の末の結論を口にする。
「俺はその蜉蝣の文太とやらも、本庁に出入りしているマッチョのことも、見たことすら無い。なら確かにお前の言うことに従う他ねえよ。で、俺は何をすればいい?」
「やけに物わかりがよくて不気味だな」
「職場の不祥事なら見過ごすわけにもいかねえってだけさ」
「サラリーマンにはなりたくないものだな」
「なったことのないヤツに言われてもな」
「違いない」
皮肉の応酬に、互いの口角が持ち上がる。こんなやりとりは嫌いじゃあない……のだが、そうして遊んでいるわけにもいかない。
「…まあいい。頼みってほど大仰な話じゃない。そのマッチョのオカマとやらが誰と会ってるのか調べてくれればいい」
「十分大仰に思うんだがな…俺の本庁のコネなんざキレイとは限らないんだぞ?」
この場合のキレイ、キタナイは入手する情報が汚染されている可能性の有無、あるいは神崎が接触する対象が、標的の意図に従って動いている可能性の話をしている。
例えば、神崎が私との繋ぎをしている事実が標的の知るところである場合、私に対して神崎の伝える情報を通じて工作を行える、という可能性も出てくるわけだ。あるいは、神崎自身に危険が及ぶ場合も無くは無い…が、まあこいつも相応のいい目を見ているのだ。その程度の危険は甘受して貰わないといけない、というものだ。
「それはこっちで判断するさ。精々身の回りに気をつけていればいい」
「また不穏なことを言いやがるな。情報料はきっちりもらうからな」
「好きにしろ。それをケチるつもりはない」
「ならいい。話はそれだけか?」
「ああ」
しっかりしてやがる、と思いつつ立ち上がる。とはいえ、要求するものをちゃんと要求する奴というものは、払っている間は信用出来るというものさ。こっちの支払いを上回られたら面倒だが、それはそれで情報の質を計る材料にはなる。
「ピュロス、帰るぞ」
「ん。かんざきのおっちゃん、よろしくね」
「おっちゃんじゃねえ、っつてんだろーが。おいシンシア、子供の躾けくらいしっかりしとけ」
「知るか」
ピュロスの感想にまで口を出すつもりは無い。おっちゃん呼ばわりがいやならそれらしく振る舞えばいいだろ、と無愛想に言い残して私は先に地下室を後にする。
トラップや監視機材の類は撤去してあるから、あとは鍵を代理人(当然だがゲイツ以外の伝手だ)に返しにいけばいい。
「アキコ、おなかすいた」
「もうそんな時間か…何か食べて帰るか」
「わーい、きょうのアキコはなんかふとっぱらっ!」
「失礼なことを言うな、コラ」
後に続いてきた神崎を先に外に出して鍵を閉める。
あまり使うことのなかった部屋だが、そういえばピュロスと差し向かいでメシ…賞味期限切れ間近のレーションばかりだったが…を食った覚えがあるな。というかそれくらいしか思い出は無いな。
それもどうなのか、と洩れる苦笑を隠そうともしない私を妙に思ったのか、「どした?」と見上げてくるピュロスに、なんでもない、と言って階段を登っていく神崎の背中を見る。
…まあ、な。付き合いはそれなりだし、互いに利用価値があることも分かっている。
それだけじゃあない、というのもあり、私としても蔑ろにはしていないつもりだ。
だから、あまり危なっかしい真似をさせるのも本意では無いんだが、奴だって子供じゃない。自分の安全くらいは自分で守って欲しい。
「……なんだ?」
「いや。お前ともいい加減腐れ縁と言ってもいいかもな、と思っただけだ」
こっちの視線に気がついたのか、振り返った神崎が私とピュロスを見下ろしながら怪訝な顔になる。
「そんないいもんじゃないだろ。お前は俺の大事な金づるだ。せいぜい長生きしてくれよ」
「そいつはどうも、だ」
それくらいでいいのかもな。私と神崎の関係なんてものは。
改めてそう思うと、神崎のその言い草に文句をつけるピュロスの声に苦笑しながら、二人の後を追っていく。
私は暗殺者。
自分一人と同居人の面倒くらいしか見られないことに、特に忸怩たるものは無い。




