第46話・転変
目的の部屋までのルートは確保された。
あとは目的の部屋の鍵を解錠するだけ、なのだが。
「……何でこんなところだけアナログなんだ。わけがわからん」
これだけ厳重な警備を施された施設の、最後の最後がシリンダー錠だった。あるいは意表をついたのか、それともこんなところまで侵入できる者がいると思わなかったのか。警戒が一番厳しかったのは入ってから十メートルまでだった、という事実を考えると後者のような気がするが。
まあどうでもいい。こんな古い鍵でもこっちは開け方を心得ている。予めこうだというのは知らされてあり、道具も用意してある。四〇式を背中に回し、指先に集中。開いた。十秒ってところか。ピュロスを泣かすより簡単だな。
道具を仕舞い、ノブをそっと回して侵入。念のため右目をつむっておく。
部屋の中に監視カメラの類いは無い…というのも、パスワードだのなんだのを入力するところを撮られると拙いから、らしいが。
部屋は空調の効いた三畳程の広さで、奥に長く窓の一つも無い。外から誰か来たら逃げ場は無いから、右の股のホルスターに収まったSIGの具合を確かめる。警察用ではなく自衛隊のものだ…って、よく考えたら私が捕まったら陸自の関与を疑われるんだが…ま、それも織り込み済みなのだろう。
(余計なことを考えている場合じゃ無いな)
闇に慣れた目には、機材の発するLEDだけでも十分な光源だ。目指す端末は……一台だけ、奥のラックに収まっているサーバーだろう。当節ネットにも繋がないでローカルに膨大なデータを貯め込んでいるものだから、一緒に並んでいるストレージがえらいことになっていた。なんとなく神戸組を思い出した。
(…ピュロスのヤツ、大人しくしてるんだろうな)
いつぞやのように、通信に介入でもされたらこっちの命に関わる。今回は絶対に邪魔するなよ、としつこく言い聞かせ、終いには「アキコひつこくてウザい」と言われたところを、更に寛次に預けてまできたのだ。
赤外線の透過を防ぐアンチセンシングスーツ(素材と機械の双方に凝った作りの、クッソ高い代物で当然支給品だ)の下に手を突っ込み、内ポケットから外部接続用のメモリを取り出し、端末の汎用スロットに挿す。と同時に、端末に虫を送るプログラムが起動する。
一体何をしているのか。コンピュータの知識なんぞ一般的なものしか持っていない私にはさっぱりだったが、一応ざっくりと受けた説明によれば、この施設からとある組織に対して出される指令が、この端末に集積された様々なデータに基づいてコイツから出されている、ということだった。
一体誰に対する何の命令だか指令だかまでは教えられなかったが、操作した人間が指令を受け取り、それを他の人間に伝えてる、というカラクリのようだ。
やたらとストレージが多かったり、今どきスタンドアロンで稼働しているのは、外部からの干渉やらハッキングやらを警戒している、ということらしく、集められるデータも念の入ったことに余所でクリーニングを多重に繰り返したものを、裏のハッキリしている人間だけがインストール作業を行うのだとさ。
こうしたシステムの穴は人間であるから、少数の、敵対的組織からも察知されにくい人間だけしか触れないようにしてある。逆に言えば、電子の側に穴が無いと信じ切っているから、アナログな手段で実行されるデジタルな攻撃には弱い、というわけだ。ただし、接触があった可能性を疑われただけで工作は失敗する。それが、アナログな手段を担当するこっちの難しいところなわけだが。
そして私が今突っ込んだメモリから書き込んでいるのは、こうした指令に対して特定の色を付けるためのもの、と神崎もよく分かってない顔で言っていたものだが、組織の頭を洗脳するようなもんだろ、と言ったら納得していた。クライアントが下請けに説明されてやっと理解するとか、本当に大丈夫かアイツは。
…そうこうしてるうちに、メモリのアクセスを示すLEDが消灯した。そうなったら抜いていい、ということだったから遠慮無く引っこ抜いて懐に片付けた。
よし、これで五分の二までは終わった。あとはバレずに帰るだけだ。
部屋の外に以上が無いことを確認し、そっと扉を開ける。そこにある闇は先ほどと変わりは無い、と思われる。室内の機械が放つ明かりに目が慣れていたから、入る前のようにはいかないのだ。
つむっていた右目を開き、代わりに左目を閉ざす。完全ではないが、LEDの光が入っていなかった右目でなら、侵入した時と同じように働ける。まあ気休めよりはマシ、というレベルだが。
帰り道、ということで生じる焦りを抑え、来た時と同じペースを守って、外していた通信ケーブルのところに戻る。端子をヘルメットに挿すと通信が回復。
「…コマンド。送れ」
『ゴースト、どうだ首尾は』
「言われたことはやった。あとは仕込みの成否次第だな」
『それはお前の責任じゃないがな』
「分かってる。こっちの仕事はバレないで帰ることだけだ」
『分かっているならいい。無事に帰ったら一杯奢ろう』
「なんだ、こっちが女と分かったら早速ナンパか?」
『ふん、不粋なヤツだな』
レートの低い通信でも分かるくらいには苦笑していた。いや、分かってる。一杯奢る、というのは荒事の世界で難しい仕事を成し遂げた仲間に対する最大限の称賛だ。正直嬉しくはあるさ。
でもな、こっちは、真っ当な世界で生きている、鍛えられた男から称賛されるような人間じゃないんだ。
それに生きて帰ったとしても、顔を合わせられるような立場じゃない。心意気だけは有り難く受けておくが…。
「終わる前に話すことじゃない、ってことさ。移動する。支援を頼む」
『了解。警備状況に異常は無い。スケジュール通り…』
【あー、あー。ただいまマイクのテスト中、よん】
そして、プロの声色に戻った相手の様子で、緩みかけていた気分を締め直し、ケーブルを敷いてきたルートを戻ろうとした時、どこかで聞いた野太い声が、天井と壁を震わせるような音量で鳴り響いた。
『何だ?』
「分からん。待て」
『………』
それは聞き覚えのある、蜉蝣の文太と称する失礼な奴のものだ。それが此処にいる?それとも他の場所からの遠隔放送なのか?まさかとは思うが、本当にマイクのテストであのカマ男の録音音声を使っているとかか。
【シンシア、いるんでしょ?アタシがここにいると知って追いかけてきたんでしょ?いやぁん、モテるオトコは辛いわぁん】
誰がモテる男だこの人類の規格外。というか自分が狙われてると思ってるのか。確かに仕事としても個人的にもぶっ殺してやりたいツラだが、図々しいことこの上ない……いや、むしろ好都合かもしれないな。
『ゴースト、何が起きている』
「コマンド、ケーブルを外す。巻き取れ」
『どういうことだ?』
「非常に馬鹿馬鹿しい事態が進行中らしいな。プランBへ移行。独自行動に移る。オーバー」
『おっ、おい?ゴース…』
ケーブルを引っこ抜くと、端子はしばし逡巡するようにそこに止まっていたが、やがて巻き取られていくケーブルに従って退場していった。外にいるガス工事を偽装した支援車両まで戻っていくだろう。
さて、ここからは騒ぎになる。ドンパチにはしたくないが、プランBなら多少は派手にいかんとな。
【聴こえてるんでしょ?いらっしゃいな。面白い話をしてあげるわぁん】
いらっしゃいも何も何処に行けばいいんだ…いや、この部屋の近くにいるところを見つかるのは上手くない。発見されるにしてもこちらから存在をバラすにしても、可能な限り目的を察せられないことが最低限だ。虫のいい話だとは思うが。
考えてる間に移動だ。侵入の時の感覚に従って、ギリギリで察知されない線を狙い、出来るだけ素早く動く。見つかったらその時はその時だ。
【三階の角部屋よぉん。ココに来るまでの間にブチ殺されなかったら、お話しましょ】
アンプの出力がプツリと切れた音がすると同時に、館内の灯りが一斉に灯る。
今までは侵入者の自由を奪う警備だったものが、ここからは防衛側の都合に変わったわけか。
面白い。仕事の最中にゲームのルールが一変するなんざ、この業界じゃ珍しくない話だ。
人間の警備はそれほどでもなかったが、ヤツの度肝を抜く速さで辿り着いてやろう。
そしてその下品な面から二度と下品な言葉が出られないようにしてやる。
そう決心して、いきなり明るさを取り戻した廊下を駆け出す。
私は暗殺者。
最近は暗殺というよりドンパチが多い気がするが。




