第41話・追跡
話の邪魔になるだろうからと口を塞いでおくために与えておいたバケツ大のポップコーンの容器はすっかり空になっていた。
いやまあ、私が作ったカレーを食らっていた勢いからすれば、大分長持ちした方だとは思う。神崎との会話の間、一言も口を利かなかったのだから。
「……で、説明は?」
「説明も何もな。前にも会わせてあるわけだし、何か問題でもあるのか?」
「別に問題はねえんだが…いや、問題はあるがそれはいい。俺が言いたいのはだな」
「ああ」
「なーんで、話の間中、おめえの膝の上でもぐらもぐらしてんだよ、ってことなんだが」
ふむん?と首を傾げてこちらを見上げたピュロスと目が合う。
座るところもないただの廃墟だが、わたしは最初から胡座をかいて話を聞いていた。
やたらとウロウロ歩き回る神崎を「危ないな」と思いつつ。今にも崩れ落ちそうな手すりに体重をかけるなど、案の定だったわけだが。
「お陰で深刻な話だったハズがえらい和やかに済んだじゃねえかよ。シンシア、お前以前だったらガリウスの話題なんぞ出た途端にナイフを突き付けていたよな?」
「そうか?そこまで見境無い振る舞いをしていた覚えは無いんだが」
「自覚が無ぇってな恐ろしい話だな……まあいい。ただ気をつけろ、とだけは言っておく。どうも今日のお前を見ると……違う意味で危なっかしいったらありゃしない」
ご挨拶な話だ。こっちは何一つ変わったわけでもないというのに……ん?
「けいさつのおっちゃん」
「なんだ?あと前も言ったが俺はおっちゃんじゃない。お兄ちゃんと呼べ」
その呼び方もどうかとは思うが、帰ろうと踵を返しかけた神崎を呼び止めたピュロスは、殊の外真剣な声色でヤツを見上げて言う。
「あんま心配もすぎるとはげるよ?」
「ハゲるかっ!!」
怒りすぎても禿げると聞くぞ、と重ねて心配してやったら一転して死にそうな顔になり、黙って帰っていった。何だったんだ。
「なんだったんだろーね?」
「なんだったんだろうな?」
まだ足の中から降りようとしないピュロスの頭を撫でてやる。くすぐったそうにしていたヤツの口元は、ポップコーン由来のものと思えるバターだか塩だかで汚れてた。
「アキコ、おしごとあるの?」
「だな。これから帰って支度に入る」
「むぎゅ」
だから、最近持ち歩いているハンカチで口を拭いてやる。
そこそこ強めにゴシゴシとしてやったせいか、左右に手をやるとそれにつられてピュロスの顔も左に右に、振られていっていた。
そしてその度に「んぐ」とか「ふにゅ」とかわけのわからない声を上げるものだから、私も面白がって、とっくにキレイになっただろう顔を拭き続けてしまう。なんというか、可愛いな、コイツ。
「……いーかげんにしろー、ばかアキコっ」
「はは、すまん。お前の反応がなかなか楽しくてな。きれいになったか?」
「ピュロスはもともときれいだよ?」
「そうだな。お前はほんと、そういうところが可愛いよ」
「……ふへぇ」
思ったことをそのまま告げたら、へにゃっとした顔になって、溶けていた。
とはいうものの、いつまでもこうしているわけにもいかない。遊ぶのも程々にして、引き上げることにしよう。今回の仕事は…かなり、下準備が必要になりそうだ。
「アキコ、おんぶ」
「甘えんな」
立ち上がると当然足の間から転げ落ちたピュロスが、腰に抱きついてとんでもないことを言い出していた。
ふざけんな、コラ。いくらなんでも甘えるにも程があるだろうが。
「つぎのおしごとって、どうなるの?」
「潜入が主だな。ドンパチやらかすのは最後の手段…というか、そうなった時点で失敗だ」
預かった資料を眺めながら歩く。
ビルを出てもこの辺りは再開発地区という名の行政が管理を放置した一帯だから、当然ながら真っ当な人間の出入りする場所ではない。
日本の人口の減少に伴い、東京近郊(といっても二十三区内では流石にないが)でもこんな遺跡みたいなところはいくつか見受けられるようになっている。
大陸の難民が不法に住み着いていることもあるようだが、もともと管理から外れるほど大陸難民が多いわけではないし、治安の不安定化をもたらすに違いない、再開発地区への難民の流入はそれなりに厳重に取り締まられているから、こんな場所で危険に遭うことは、一般に思われるほど頻繁にあるわけじゃあない。
とはいうものの。
「……走れるか?」
歩く速度を変えず、隣のピュロスに声をかける。
流石に幾分は声量を抑えてはいるが、さして緊張してもいない。
「がってんだ」
だから、応えのあったと同時に駆けた。小さな同居人も遅れたりしないことと分かるくらいには、気心も知れている。
放置されて長いこと経ったアスファルトには、ヒビのはいった部分から雑草が生えまくっている。駆けながらも慎重にそれを避け、後を付けてくる足音に気を向けた。それなりに大柄の身体の持ち主が三人、というところか。
首だけで振り返りその推測が間違い無いことを確認。顔は…ま、チラ見では見覚えは無いな。
「アキコっ、どこいくっ?!」
「……こっちだ!」
足音の位置から追跡者がこちらを追い込みたい場所があることを察知し、敢えてその手にのってやる。
ピュロスの手をつかまえ加速。「ひゃぁぁぁぁっ」とか悲鳴が聞こえた気がするが、なんだか楽しそうだったので無視。
左手でピュロスの右手を握っていたので、銃を取り出すのに不自由はなく、左脇のホルスターからCzを抜いて、元は結構な高級品でも扱っていたような、ガラスの割れたショーウィンドウのある角を曲がる。即座にCzを前方に突きだし三連射。
「ひっ?!」
ビンゴ。待ち構えていたアホウは撃たれるとは思っていなかったようで、耳元を通り過ぎていった9mm弾に怯んで腰が引けていた。
「ほら行け!」
掴んだピュロスを振り回すようにして、男の足下に放る。ちょうどドロップキックの体勢でそこに突っ込んでいったピュロスは、「アキコのあほー!」とか文句を言いながらも狙った通りに男の足を引っ掛け転倒させることに成功。即座に飛びかかり体を引きあげて左の腕を背中で捻り、無力化する。
「いでぇっ!」
「うるさい。大人しくしてろ…というかお前臭いな…」
顔の前に男の後頭部があって、そこから何日も風呂に入っていないことに起因すると思われる悪臭がする。あまり長いこと引っ付いていたくはない体勢だ。
その臭い頭に愛銃を突き付けるのがイヤになったので、ホルスターに仕舞って代わりにポケットから取り出したフォールディングナイフを片手で展開し喉元に押し当てる。軽く引けばこの場がスプラッタになること間違い無し、だ。
「待ちやが……れっ?!」
そこまで済ませたところでようやく追っ手の登場だ。出遅れるにも程があるだろうが。もしかしてシロウトか?
雑な尾行の改善提案でもしてやろうかと待ち構えていた所に現れた三人の男は、首筋にナイフを突き付けられていた男の顔を見て急停止する。一瞬で何が起きたのかを把握した辺りは褒めてやってもいいが、それ止まりだ。
「動くな。お前達の仲間はこの通りだ。…もう少し凝った追い込み方をするべきだったな」
「………くそっ」
見たところ三人とも、街のチンピラ崩れにしか見えない。
ガタイは悪くないが、頭の回るタイプには見えず、ただ見かけで判断する愚を犯すつもりもなく、前方、後方、ついでに頭の上にも気を配り、さて問題は無さそうだった。
「金目当てにしてはタイミングが良すぎるな。それとも暴行が目的か?こんなところに紛れ込む女など珍しいが、余程のアホウか手練れでもない限り、女なんぞがノコノコとやってくるわけもない。で、私は……どちらだと思う?アホウの方か、お前らにとっての死神の方か。ああ?」
口上がやたらと長引いたのは、ピュロスが私の後ろに回り込む時間を稼ぐためだった。
「うー!うー!」
…そのピュロスは、投げ飛ばされた時に打ちでもしたのか、鼻の頭を押さえながら私の尻をぽかぽか殴っていた。すまん、後で何か美味いもんでも食わせてやるからな……とは口にしなかったが、気が済んだのかそれだけで大人しくなる。
「……で、だ。そっちに何か言いたいことはあるか?金を出せ、と言われてもこちとら年中素寒貧のしがない個人事業主だ。乞われて恵む程の金なんざ無い」
「ザケんなこの阿婆擦れが!」
「おいおい、言葉には気をつけろよ。こっちはこの稼業長いとはいえ、まだうら若い乙女のつもりなんだ。婆呼ばわりは酷いんじゃないか?」
せせら笑いつつも、人質の男の首に当てたナイフを軽く肌の上で滑らす。使い捨てても構わないとはいえ、手入れは怠っていない刃物は、スッと動いた分だけ首の皮を裂き、当然血の筋が冷や汗だか脂汗だかに滲んで零れていた。
「ひ…っ、たす、たすけてく………」
「失神なんかするなよ?面倒くさい。で、そちらの方から聞かせるつもりも無いなら、こっちから聞いてやろう。といっても聞きたいことは一つだけだ。お前達何が目的で私を追っていた?」
「………」
『………」
相対する三人はどうすればいいのかも分からないのか、首の刃物への恐怖と捻られている腕の痛みの双方に喘いでいる男の心配をする余裕も無い。時折視線を交わしてはいたが、責任というか話の先導を押しつけ合うような様子にしか見えない。
……話にならないな。文字通り。交渉の取っかかりすら無い。
仕方ない、時間の無駄だ。諦めることにしよう。こいつらの身体に聞いた方が早い、と。
「……っ?!」
私の気配の変化を聡くも察したか、腕の中の男が軽く身悶えする。なかなか良い勘をしていると言っていいが、だからといってそうそう四人の男を命の危険も無く無力化する真似が出来るものじゃない。首を殴って気絶させる、なんてものはコミックの世界の話だ。まあ精々動脈を避けて足でも刺すくらいのものか。
ただ、真っ当な人間には見えないが無関係ではないとも言い切れないのがな…いくら暗殺を生業にしているとはいっても、通りすがりの人間を刺しても平気なわけじゃない。
どうしたものか…。
「………?」
と、らしくもなく躊躇していたため、気がついたのは背中のピュロスの方が先だった。
「……ア、アキコ…」
どうした?と意識だけ後ろに向けたため、反応が遅れたらしい。
「…どうもねぇ、アタシもヤキが回ったというかねぇ~…こんな役立たずに任せたのは失敗ってもんだわ」
今さっき曲がった角から、聞きたくも無い渋い声のカマ男が、こんな時期だというのにトレンチコートにクラシカルなハットという、ある意味完璧な出で立ちで姿を現し、大仰な身振りでため息をついてみせていた。
……こんなときになんだが。会話が出来そうな分、こんな雑魚よりはマシかと思えた自分の感性を恨みたくもある。
私は暗殺者。
残念ながら、だな。このカマ男のような古式ゆかしきハードボイルドの似合わない身の上ではある……くそ、少し羨ましいぞ。




