第37話・湯気
ロクに中身も確かめずにゲイツに任せっきりだったが、辿り着いたセーフハウスは意外とまともな部屋だった。
「ホテルってはじめてだねー」
まともというか、都内でも五本の指に入る高級ホテルのスイートってのは何なんだ。自分の財布から出してるわけじゃないから気にはならんが、一泊するのに一体いくらかかるんだ。
フロントでは既に話が通じているのか、ゲイツに渡されたカードを見せて名乗るだけで通された部屋に入り、荷物をクローゼットに仕舞う。あの騒ぎで装備一式持ち出せたのは奇跡に近いが、さて置いてきた手製の指向性地雷の後片付けなんかは…神崎に丸投げしておくか。あんな杜撰な依頼投げやがって、それくらいはやらせても当然というものだろう。
「アキコー、おふろひろいよーっ?!アキコのへやよりひろいよー!」
「うるさいわ。言っておくがこれが当たり前みたいに思うなよ。他人の金だから泊まれるんだからな」
こんなものが当然みたいに覚えられたらたまったものではない。甲斐性無しと思われても知ったことか。というか、私のような職業が儲かって儲かって仕方なくなるようなことは、あるべきじゃない。
「びんぼーもそういういいかたするとさまになるよね」
……ぐぅの音も出なかった。
確かに主義主張に従って手元不如意を貫いているわけではないのだ。かといってなあ…この仕事、意外に経費がかかるんだよ。しくじると命に関わるから下調べや道具の用意に手は抜けないし、依頼は不安定だし、一件の仕事の売上は決して低くはないんだが、経費がかかりすぎて粗利が低いんだよ…税金収める心配が無いのはいーとしても、最近警察の仕事が多くてだな……アイツらお目こぼしだからってアシ見過ぎなんだよ、ったく……どうせ税金からの支出なんだ、戦車の砲弾を五、六発誤魔化してその分まわすくらい別にいいだろーが……。
「アキコー、おふろいれたよ?いっしょにはいろ?」
「ああ」
ピュロスが何か言ったみたいだったが、普段抑圧されている金銭的な不満が一挙に噴き出し、私は無駄に広い部屋の中をウロウロしながらクライアントへの不満を指折り数え上げていた。どうも抑えていた鬱憤がこの部屋の金満っぷりで刺激されてしまったらしい。
「…クソ、神崎のヤツだって結局官憲の手先だしな。いつもいつも最後は金払いを渋る方に回りやがる。ゲイツにしたって最近なんなんだ?諸経費天引きで報酬支払われるのは別にいいが、近頃中抜きの度合いが酷くないか?私はあいつの下請けでもなんでもないってんだ」
「よいしょ、よいしょ」
「こうなったらいっそ神戸組に就職するってのも手かもなあ…あいや、あそこも最近、というか昔っから金回り悪くてピーピー言ってるしな。私だけならともかくピュロスみたいな大食らい抱え込んだら三日で破産する」
「アキコ、ほら脱げたよ」
「…ああ。もうなんだな、現役退いてインストラクターでもやった方が儲かるんじゃないかって気がするぞ。警察との交渉術。使い勝手のいい仲介人の探し方。税務署に金の匂いを気取られない現金の隠し方。うん、悪くない。いくらでも教えられることはある。……が、殺し屋のセカンドキャリアとしてはなんというか……なんだな……………で、なんで私は風呂場で裸になってるんだ?」
いつの間にか、湯気が立ち上る浴室で、下着もない素っ裸になっていた。いつの間に脱いだんだ、私は。
「ふろばでおようふくぬぐのはあたりまえ。アキコ、ぼけーっとしてるからピュロスがぬがせた」
「いや、脱がせたって…どうやってだ。上着だけならともかくズボンにパンツまでどーすりゃ立ったままの人間から脱がせられるんだ」
「こまかいことはきにしなーい。さーアキコ?ピュロスのあたまあらってよ」
「……まあ、別にいいか」
ピュロスがいつもの部屋より広いと感動するだけあって、スイートの浴室は卓球くらいは出来そうなサイズがあった。
その中のシャワーブースらしき、透明のガラスに囲まれた一画にピュロスと入り、立ったまま頭を流してやる。
備え付けのシャンプーとリンスは、スイートに似つかわしいかなりの高級品と思える。全部洗い流した後のピュロスの髪は、普段のホコリっぽいものと違って指で梳けばきゅっきゅっと音が聞こえそうなほどだった。
「体は自分で洗えよ。私も髪を洗うから…」
「アキコー、せなかやって?」
「……ああもう、しょうがないな」
そういえば一緒に風呂に入ることなんて今までしたことが無かったな。
床のタイルの上にぺたんと座り込んだピュロスの背中を、やはり備え付けのボディタオルで念入りにこすってやる。私にされるがままのピュロスの肌は、見かけの年齢相応にきめ細かく艶やかだ。
熱い湯で上気したように火照り、「ん、んー……きもちいーよアキコ」とか言ってるのと併せて私を妙にドギマギさせ…あ、いや女児の裸に興奮するとか変態か、私は。いや興奮したわけじゃない、興奮したわけじゃ。単に自分が同じ年頃だった時を思い出……。
「アキコ?」
「……いや、悪い。あとは自分でやってくれ」
「…ん、わかった」
湯気を通してもこちらの顔色が悪いことを見てとったのだろう。ピュロスは大人しく私の手からボディタオルを受け取り、脇の下やら体の前やらを擦り始めていた。
そんな様子に、当たり前だが見入ることもなく、私はピュロスから顔を見られないようにシャワーを頭から浴びる。
シャンプーとリンスを取り違えていたことに途中で気付いたが、どうせ普段から適当な扱いをしている髪だ。構うものか。
そして一通り洗い終え、髪を絞るように手で水気をきっていたら、ピュロスがこちらを見上げてじっとしていた。
「…なんだ?」
「んー、アキコっておもってたよりきんにくないね」
「筋肉?ああ、そういうことか」
鍛えてはいるが、筋肉のための鍛錬ではないから私の体はそれほど筋肉が目立つわけではない。もちろん、同年代の女性に比べればずっと固く締まってはいるだろうが。
「どちらかといえば筋肉より火傷と傷の方が目立つがな」
そう。ガリウスを潰し火をつけた時、私は半身に火傷を負った。今となってはそこまで酷いものではないだろうが、それでも火傷を負っていない場所と比べれば違いは一目瞭然の肌の色だ。
傷については、その時につけられたものはそれほど多くはない。切り傷だらけの体など、子供の体に欲情する輩には興醒めの極みだったのだろう。
むしろこの仕事についてからに付けられたものが大半だ。直接刃物でやり合ったものも少なくないが、爆発物によるもの、銃創を治療した跡もいくつかある。
「何にせよ、ロクでもない人生を過ごしてきた証しさ。見たくなければ見なければいい」
「………」
無言だった。拒むような目を向けられるのが怖くてピュロスにまた背を向け、体を洗い始める。
ブースの外にある給湯器のコントローラーが、耳障りな電子音を立てていた。
「…おゆいっぱいになったからさきにはいってるね。アキコもきてね」
「ああ」
ぺちぺち足音を鳴らしながらブースを出て行くピュロス。
ちらりとその後ろ姿を見送ったら、白い尻が長閑に揺れていた。
私は……。




