第32話・音間
…いや、なんでこんなことになっているのか説明が出来ない。というか、私が説明を求める立場だろうが、これは。
「なにゆってんの、アキコ?あ、ほらきかいあいたからアキコもいれよ?」
ステージの上から降りてきたピュロスがソファに腰掛けきっと沈鬱な表情でいるに違いない私に、マイクを突きつけ言う。実に満足したげな表情だ。そうかそんなに楽しかったか私はいまだに条理から外れた人生のあり方に深い疑問を抱きっぱなしなのだがな。
ピュロスからマイクを受け取り仕方なく携帯端末に先ほどインストールさせられたアプリケーションを起動した。
まあ軽薄極まりないデザインのソレは、形だけ端末の中身を検索する許可をオーナーの私に求めてきたので、どうせ仕事の情報なんぞと一切リンクさせていない端末だからと投げやりにオーケーをした。
すると早速、他人の機械だというのに勝手知ったるとばかりに端末内部の楽曲のファイルから「オススメ」とやらを示してくれやがる。もういい加減面倒くさくなって画面も見ずに先に進めたら操作が完了したらしく、この次が順番だ、とだけ表示された。
「…アキコ、いがいなしゅみだね」
「なにがだ」
マイクをソファに放ってほとんど水みたいに薄められたバーボンを口にする。なんだこれは。場所柄きつい酒を出せるもんでもないだろうが、だったらせめて見合った料金で提供しやがれ。
そんな風に不貞腐れた私を振り返って見ていたピュロスが、本心から驚いたように目を丸くしている。意外?何の話だ。
「んーん。ピュロスはおとなだからわらったりしないよ?むしろたのしみにしてるからねっ、アキコ」
何を見ていたのか知らないが、コイツに笑われるようなことなどあってたまるか、とでも言い返してやろうと思ったところに、聞き馴染んだ音楽が流れる。
小さなステージ状の段差の背景にあつらえられた大画面を見た。
「五月雨慕情」と毛筆様のフォントで大書されている。異色のドイツ人演歌歌手、外流亭官九郞のただ一つのヒット曲だ。もう十年以上前のことになる。
そしてイントロに被せた前口上まで含めて完璧な入りで歌い始めたのは。
「…おおー、ゲイツのおっちゃん、なかなかいいこえしてるなー」
……ピュロスの感心した様子に満足げな、私の代理人であるゲイツだったりする。
なんで私とこいつとピュロスの三人でカラオケなんぞしているのだ………いやそりゃあ演歌は好きだけどな、自分で歌う趣味は無いっての。代理人から慰労のために誘われたからって、なんで私はこんな都心のカラオケボックスなんぞにいるんだ。
日本が世界に誇る偉大な文化、と巷間言われるカラオケだが、まあ誕生から百年経っても滅びていないところを見ると、あながち文化などと呼称されるのも大げさではないのかもしれない。
携帯端末にインストールされた楽曲を自動的にカラオケ化して歌えるようにすらなっている昨今、気に入っている歌を聴くだけではなく自分で声に出して楽しむ、というのも健全な楽しみ方なのだろうな、とは青筋立てんばかりだった熱唱を終えてピュロスの熱心な拍手と私のおざなりな拍手に迎えられ満足げなゲイツを見て思ったことだ。
「…うむ、久しぶりに堪能出来ましたな。で、レディ・シンシア。微妙な顔をしてどうされましたかな」
「…短くない付き合いの知人がコメントに困る趣味を持っていたことに驚いたらいいのか、呆れたらいいのか迷ってる顔、ってんだよコレは」
「おやおや。他人の趣味の良し悪しに口を出すとはあなたらしくもない」
「別に良し悪しなんか言っとらんだろーが。いやせめて洋楽でも口にしてりゃいろいろ納得いくのに、何で演歌なんだ」
「同郷の者が異国で果たした夢ですからな。演歌自体は特に好きといわけでは」
珍しく個人的な話をするゲイツだった。というかこいつドイツ人だったのか。私みたいな怪しい外国人かと思っていたんだが。
「スキでないにしてはじょーずだったよ、おっちゃん」
「ははは、子供に喜ばれたのなら恥を掻いた甲斐もあるというものです」
謙遜する物言いもとても生粋のドイツ人なんぞには見えない。今更だが一体何者なんだろうな、こいつも。
「謎の無い人生などつまらんものですよ、レディ。さ、次はあなたの番だ。マイクをどうぞ」
「お前の口からそんな台詞が出ても胡散臭さしか感じないんだがな」
そう皮肉を言ってやったらニヤリとしやがった。自覚があるのか、それともそのつもりで口にしたのか。
まあいい。知らない方が長生き出来る事実ってのがこの業界にはそこかしこに転がってるものだしな…って、そういや私の番とか言ってたな。歌うつもりなんぞ無かったのでアプリの操作も適当にやったのだが、一体何を選曲したんだ、私は……と思ったところで聞き覚えのない、ムダに明るいイントロが流れてきた。
『みなさーんげんきですかーっ?!』
その直後、お前の悩みは一円五銭、とでも言ってるような能天気な声が耳に飛び込んできた。
「なっ、なんだっ?!」
慌ててステージの後ろにしつらえられた大型モニターに目をやる。
なんかやたらとファンシーというかファンキーというかポップと言えば聞こえはいいが、後から考えると「クレージー」としか言いようのない印象の残る書体で、こう表示されていた。
『巫〇み〇ナー〇・愛のテーマ』
………。
『それではさっそく いってみよーっ!!』
……無論、カラオケである。いってみようだかなんだか知らんが、狂気を覚える絶叫の台詞の後は絶妙に音程のズレたメロディーラインとやたらと神経に障るリズムが続けて流れ、モニターに映されていた背景に至っては既に記憶に残っていない。
というか、ゲイツに渡されたマイクを握って立ち尽くしたまま、気がついたら三人とも押し黙ったまま魂の抜けた顔をしていた。らしい。真っ先に我に返ったピュロスがそう証言していた。
その後、私の端末にそんな恐ろしい音楽が入っていたことを糾弾する会となり、あくまで覚えが無いと言い張る私を残る二人がかつて見たことのない形相で問い詰めるまま時間は過ぎ、店を出る時刻になった。
そして、無駄な休日だったと互いに責任をなすりつけたまま別れてその日は終わったのだった。
私は暗殺者。
二度とカラオケなんかやらんからなっ!




