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第31話・下山

 「だーっ!!なまりすぎだ私!」


 食料の他に重りを含めて総重量三十キロ近い荷物の入ったザックを投げ出し、私は斜面に転がった。予定していた行程としては、あとは山を下るだけ。山登りは下山が一番危険、とは言うが、やはりこれから登るということに比べればいくらか精神的には楽なものだ。

 ジムにこそ通ってはいたが、所詮は器械に頼ったお上品な運動に過ぎない。仕事柄必要な体力を維持・向上させるのに充分な役には立たないのだ。

 というわけで、私は山梨に登山に来ている。

 まあ登山といっても、尾根伝いに二つの山を一泊二日で渡り歩いただけだ。もう冬も終わりであるから雪の心配もなく、命に関わるようなこともあるまい。


 「……いのち、だいじ…ふひぃ」

 「いや、お前雪山で私を担いで下山してたくせに、なんで春の山でそんなにへばるんだ」


 理解に苦しむ体たらくのピュロスが、横になった私の傍らに、息も絶え絶えに座り込んでいた。

 ちなみに今回は最初から連れてくるつもりでいたから、本格的な登山スタイルだ。その道具一揃えするのにいくらかかったと思っている。


 「…アキコのききにほんとうのちからにめざめた、みたいな?」

 「意味が分からん。目覚めたってんなら維持しろっての。それより汗が冷える前にまた歩き始めるからな。水は今のうちに飲んでおけよ」

 「えー…もうきょうはここで休も?ね?」

 「休も、じゃない。食料が二日分しか無いんだ。大体用意しときたメシもほとんどお前が食べたんじゃないか。燃費が悪すぎるぞ」


 流石に二日分ギリギリ、というわけではなくチョコレートやカロリー補充用の携帯食は持ってきているが、温めて食うようなものは今朝のメシで全部無くなっている。少し目を離した隙にピュロスが空にしてしまったのだ。お陰で昼飯はキャラメル三つでお終いだった。


 「やだー!もうあるきたくないー!アキコおぶってー!」


 蹴落として転がったまま下山させたろかこのガキ。

 不穏なことを思いながら起き上がり、水筒の口を開ける。一口、軽く口の中を湿らす程度に水を含みながらピュロスを見ると、俯いたまま今にも寝転けてしまいそうだった。

 …仕方ない、最後の手段を使うか。


 「おい、ピュロス。今日中に下山出来たら明日の晩メシは豪華にしよう。水龍亭の食べ放題はどうだ」

 「……んー、つかれた。ねたい」


 ダメか。

 水龍亭は行き付けの中華料理屋なのだが、大陸本土から避難してきたという店主の腕前が凄まじく、リーズナブルな値段に見合わない味と量を食わせてくれる贔屓の店だ。

 食べ放題メニューがあり、腹を減らしたピュロスを黙らせるには最適で…まあ店主の顔色をうかがいながら箸を運ぶ必要があるが…こう言えば言うことを聞くと思ったのだが。


 「…お前もしかして具合でも悪いのか?メシの話をしても乗り気にならないとか、らしくないにも程があるぞ」

 「アキコ、しつれい」


 言うてもな。いつもだったら寝ていても起き上がり着替えを始めるはずなんだが。


 「べつにからだはだいじょぶ。つかれただけ」

 「メシを食うことに関しては疲れ知らずのお前が疲れたとかいうから心配なんだろうが」

 「むきーっ!!」


 本心から心配してやったら飛びかかってきた。何故だ。


 「だいたいね、アキコにはじょーちょ、ってものがたりない」

 「お前の口から情緒とか言われても、異なる言語の異なる概念を話してるとしか感じられん」

 「…ピュロスはね、やまでたべるご飯はおいしい、っていいたいの」

 「今までの発言のどこを参照しても、今の会話をそういう内容にとれないと思うのだが」

 「……だからね、てんきもいいから、もういちにちくらいのばしてもいいんじゃないかな、って。そんでね、アキコ」

 「なんだってんだ」


 もういい加減胡散臭くなって適当に応対すると、ピュロスはそれなりに真剣な顔で私の横顔をじーと見つめ言う。


 「やまでいっしょにご飯食べるほうが、ピュロスはたのしいよ?すいりゅうていのご飯はよだれがでるくらいたのしみだけど、アキコとふたりで、こうしてだれもいなくてけしきのいいところでならんでご飯、たべたいな」

 「……ピュロス」


 意外なことを言うヤツに、胡散臭いものを見る目付きを改め、思わず見入ってしまう。

 にっこり。

 そんな音が聞こえてきそうな、満面の笑みをたたえていた。

 …二人でメシを食うのが、いい、か。そんな風に思ったことは…ま、あまり無いな。

 物心ついた時には神戸組のクソ喧しい食事風景がそこにはあって、二人で、という場面は寛次と差し向かいの時くらいで楽しかったというよりは、妙に緊張していた。その後は…メシといえば生き延びるために必要な何かを取り込むだけの「作業」になっていたし。

 考えてみれば、外食なんぞをたまにするようになったのも、コイツと暮らし始めてからのことだ。そしてそれが楽しいという感覚も、本当に久しく忘れていたものだ。神戸組の…今はもういない奴らに、そんな風に連れ歩かれた覚えも微かにあって、その時はそれも悪くないと思ったものだけれど、そうだな……本当にコイツの言う通りなのかもしれない。

 ……だけどな。


 「だからね、アキコ?きょうはのーんびりやまをおりて、そいであすのよるはすいりゅうていでいっぱいごはんたべよ?それがいいよ、ね?」

 「……だからのんびり山下りをしようにも今日一日不幸にならないで済む分のメシを!お前がとっくに平らげた後だっつっとろーがぁぁぁぁっっ!!」

 「いたい、いたいアキコやめてやめてじどうぎゃくたいだー!!」

 「やかましい!お望み通り食らいたいだけ食らわせてやる!梅干しをなっ!!」

 「ひぎぃ!」


 …私に頭の左右のこめかみのところを拳でグリグリされて、ピュロスは悶絶する。いわゆるウメボシ、という日本古来の拷問の一種である。

 確かに他に人もいない山奥で食らうウメボシは滋味満点であろうな。邪魔する者もいないのだし。


 「アキコそれいみちがうってば!きゃーっ!だれかたーすけてーっ!」


 半泣きの悲鳴が他に誰もいない山の斜面に木霊した。

 山びこにしては風情が無いが、なんというか私のハートにはなかなかクルものの少なくない、泣き声だった。




 私は暗殺者アサシン

 今日も同居する子供のハートをヒットだ。


 「…ぜんぜんうまくないよっ!アキコのばかぁっ!!」

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