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第30話・青炎

 やらなければいけない事は山ほどある。


 次の仕事の段取りがある。

 最近道具の手入れを疎かにしていたから、その手配をしないといけない。

 セーフハウスも入れ替えしなけりゃならない時期だ。

 東京はそろそろ冬が終わる。月並みだが衣替えだってやるべきことのウチの、一つだ。


 それだというのに、私は一人でこうして、ベッドの上で横になっている。

 ちなみにピュロスの姿は無い。昨日、近くの子供と意気投合しただかなんだかで、朝も早くから遊びに行っている。珍しいこともあるものだ。


 「くそ……だるいな」


 毛布を巻き込んで寝返りをうった。古いビルの半地下のハウスは、底冷えがしてもうすぐ三月という割には薄ら寒い。出て行く時に暖房を入れておくように言ったのに、ピュロスは忘れて行ったらしい。

 起き上がってエアコンのスイッチを入れようかとも思ったが、それも億劫なくらいに何もやる気が起きない。

 …理由は分かっている。例の、バレンタインデーに、ピュロスに言われたことだ。


 私が殺めた子供。

 独り立ちして仕事の際に、子供を巻き込んだことも、無くは無かった。どの子供も、大人の都合と欲望に翻弄され、日本の法にも守られない立場の、私が無責任に救えるような境遇ではなかった。はずだ。

 慚愧は、ある。けれどどうしようもないじゃないか。どの子供もとうに壊されて、生き延びさせたとしても……いや、それを私が決められるものでもないな。それこそ傲慢で、独りよがりで、ただの言い訳だ。あの時何も出来なかった私には、こうして苛まれて気に病むくらいしかやれることは無いんだ。


 「腹が空いたな……」


 とはいえ、体は健康そのもの。昨日もそれなりに体を動かしてメシも食わずに寝たものだから、当然そうなる。ピュロスはメシの支度をしない私に腹を立てて、冷蔵庫を何か漁ってたみたいだったが。


 「カップラーメンにでもするか」


 手間暇かけず作れるものなんか、それくらいしかない。というか、まともなメシなぞ大して作れない私が、火を使って食えるものを作れる数少ない機会というものだ。あとはレーションのレトルトを温めるくらいがいいところ。

 そんな風に自嘲しつつ、下着姿のままベッドを降りて、コンロに向かう。古式ゆかしきガスコンロは、キャンプ用のカートリッジ式。外からガスを引き込むなんて真似をしたくないからだ。

 まあそれでも湯を沸かすくらいなら全然問題は無い。薬缶に水を注ぎコンロにかけ、火を点ける。

 青い炎は、ガキの時に地獄に放った炎を連想はさせない。だから、半身の火傷の跡がうずいたりもせず、私を掻き乱すこともない。

 …そうだ、私が子供を殺した初めてのこと、というのはあの時のことだったな。

 死んだ目をした、自分と同じ境遇の子供たち。どいつもこいつも、自分をとりまく地獄から逃れようという気力も何も無かった。大人に殺される前に自分で自分を殺すことでしか、あの場で呼吸を続けることが出来なかったんだ。

 私は……多分、同じだった。違ったのだとすれば、自分を殺す前に世界を殺してやろうと思い、実行した。ただそれだけだ。


 コンロの前でボケッとしてるうちに薬缶がチンチンと音を立て始める。そういえば、湯を注ぐブツを用意していなかった。間の抜けたことだと思いつつ食料の保管場所を覗くと、ピュロスが置いたと思われる板チョコが結構あった。こんなもの買い与えた覚えが…ああ、調理器具を買わされた時に大量のチョコを買い込んでいたな。これを溶かしたりなんなりしてアレを作ったというわけか。

 そんなことを考えると、あの時にピュロスが私にしたことが思い浮かぶ。

 他人に純粋な好意を向けられる、なんて経験に馴染みが無い私は、ただ戸惑うだけでされるがままだったのだが、子供に唇を押しつけられる、ってのはどうなんだ。しかも女の子に、だ。

 いくら馴れてないとはいえ、女児にそんな真似をされて生娘のごとくどきどき胸が高まる、なんてことになるような人間じゃ無い。私は。だから特にどうとも思わない。思わない。


 「………あいつ、けっこうやわらかかったな」


 ……思わない、のだが…まあ、悪い気分ではなかった。とは思う。

 最早人並みの恋愛だのといったものに手の届く人生じゃないんだ。そして一緒に堕ちるヤツを探すほどダレてるわけでもない。

 ただ、悪くない、と思っただけだ………いやちょっとまて。「やわらかかった」とか恋愛とかいう単語が頭に浮かんだりとか悪くないと思ったとか、何かさっきから平和ワードが飛び交ってないか?この一帯。

 ああ、なんというか平和ボケしてる、と痛感した。

 ちょうどいい。次の仕事も間近に迫っている。鍛え直すにはいい折だ。ピュロスの、あのぷくぷくしたほっぺ諸共にシャンとするべきだ。よし。

 意を決して、一番小さいカップラーメンを選んだ。空腹は気を研ぎ澄ます。メシは必要最小限にしよう。

 私はパッケージを開け、慎ましやかなサイズのプラ容器に湯を注いだ。三分待つまでもない。このままむさぼり食って野生を取り戻すべきじゃないのか、と思ったところで何の気配も無く入り口の扉が勢いよく開いた。


 「!!」


 咄嗟に飛び退き、パンツの後ろに挟んだCzを抜きハンマーを起こす。同時にセーフティも解除。だが銃口を向けた先にあったのは。


 「たっだいまー!ごはんのにおいしたからかえってきたよー!」

 「カップラーメンが外まで匂うかっ!というか今湯を入れたばかりだっつーか見計らったようなタイミングで帰って来るなっ!あと鍵締めて出て行けといったのに締めてないだろうお前っ!!」


 ……ツッコミ所満載のピュロスの、笑顔だった。あああ、いろいろ思い悩んでハードボイルドに浸っていたってのにコイツはもう、なあ…。


 「いーじゃんいーじゃん。それよりアキコー?ごはんたべたらまたあそびにいくから、はやくおひるにしよ?ね?」

 「食う寝る遊ぶか!…ったく、本当にお前は自由でいいな」

 「なんじ、ほっしおもうところのことをなせ。ありがたいかみのおしえです」

 「そんな犯罪者の教典にでも書かれていそうなことを教える神は要らんわ!」


 にしし、と小憎たらしい顔で部屋に入ってくるピュロス。

 今となっては追い出そうという気にもならないし、コイツと私は色々と奇妙な縁も出来てしまった。

 好き好んで他人にひっかき回されるのは勘弁して欲しいものだが、全くそういったものが無いというのもどこか寂しい。

 昔だったら絶対に至らなかったであろう思考の筋道に、我ながら苦笑を禁じ得ない。


 「アキコー、ごはんっ、ごはんっ!」

 「うるさいやかましいすこし静かにしてろあと手を洗ってこい」


 早速テーブルについてこちらを急かす同居人に喧しく言いながら思った。まるで親みたいだな、と。……親になんぞ、物理的にも倫理的にもなれない私が、か。

 だからというわけではないだろうが、それではどこか埋められないものがありそうな、そんな気がしつつ、二つめのカップラーメンを…。


 「もぐもぐごちそーさま……アキコー、これじゃピュロスにはたりないよぉ」

 「それは私の分だ何勝手に食ってんだお前はっ!!」




 私は暗殺者アサシン

 時々自信が無くなるが。

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