第26話・血闘
※26話と27話を取り違えて投稿しておりました。混乱させてしまいましたら申し訳ないです
僅かに切り裂いた箇所にファイバースコープを差し込む。
ゴーグルを下ろし、画面を確認。いる。都合良くこちらに背を向けている。起きているか寝ているかまでは分からない。身動ぎ一つしないところを見ると眠っているのか…いや、無いな。冬山に慣れた人間が、シュラフに潜り込みもせずに寝入るなんて真似をするわけがない。
だが存在と今の位置を確認出来れば充分だ。
私はファイバースコープを引き抜き、再びゴーグルを上げるとグロックをホルスターに戻し、ナイフを右手に持ち替えた。そしてそれを隙間に刺し、そして一気に上に切り裂く。
驚いたヤツが振り返る間も与えず左手で口を塞ぎ、首元にナイフを突き刺した……と思った瞬間、手応えは空ぶった。左手が、だ。
まさか、と思ったがそれが事実だ。
私は左手から引きずり下ろされて仰向けに倒されると、のし掛かってきた男の左膝に右手を封じられ、ナイフを取り落とす。
じゃあ銃だ、とはいかない。ホルスターは右の腿だ。自由にならない右手と、防寒着が邪魔してそこに届かない左手ではどうにもならない。
ところが銃は抜かれた。私に馬乗りになった男の左手に。
惚れ惚れするような素早さでグロックは私のホルスターから離れ、銃口はこちらの眉間に突き付けられていた。
「どこの手の者だ」
「…心当たりがあるんじゃないのか」
しくじったと悟った瞬間に死を覚悟はしたが、どうもこの男に私をすぐどうのこうのするつもりは無いらしい。少なくとも自分を襲わせた首謀者を明らかにするまでは、私の口が動かなくなるようにはしないでくれるようだ。
お優しいことだな、と心中で嘲笑う。心当たりがあるのなら、さっさとこちらを死体にして証拠を突き付けてやればいいものを。
考えていることが顔に現れないように、左の袖の中の切り札を確認する。いつでも抜ける。だが、ここで留守番を言いつけたピュロスの顔が思い浮かんだ。
頑丈極まり無いアイツだが、雪山で一人になっても平気なのだろうか。あまり考えたくはない。
「……ふん」
一言ずつ言葉を交わした後は睨み合いのようになっていたが、男は私の目出し帽を引き剥がすと、私が女だったことに若干の驚きを見せた。女の暗殺者が珍しいとでも思っているのだろうか。常識人な辺り、流石は警官だな。
「……もう一度聞く。誰の差し金だ」
「今どき差し金なんて言い方をするヤツに会えるとは思わなかったな」
「減らず口を叩くな。楽にしてくれと懇願するようにしてもいいんだぞ」
「やれるものならやってみろ。椅子に座ってりゃあ給料がもらえる人間が、いきなり人殺しなんぞ出来るものか」
「………」
男の左手にあったグロックの銃口がゆっくりとずれ、私の右の肘に当てられる。
拷問で膝を撃ち抜く、なんて手があったが肘だって似たようなものだ。出血がヒドくない割に気が狂いそうなほどの痛みを与えられるのだ。
そんな想像に流石に顔をしかめた瞬間、男の顔が獰猛に歪んだ。こいつもあれか。女をいたぶることに愉悦を覚える手合いか。
却って冷静になる。そんなクソはこれまで何度も目にしてきた。ならこいつも警官なんかじゃない。これから肉の塊になるだけの、有機物だ。
「これが最後だ。誰の依頼だ」
「お前に殺された人間達からだよ。地獄で待ってる、とさ」
男の顔が一瞬憤怒に染まり、左手が震えるように動いた後、その表情は驚きと戸惑いに取って代わられる。
その機を逃さず、私は左の袖口のピンを引いて短い金属筒を引っ張り出した。男の死角でなされたその動作は気取られず、トリガーを引いたつもりでしかし弾丸が発射されなかった銃をもう一度握り直そうとした男の頭上に向けて、ピンを抜いたフラッシュバンを手の動作だけで放った。
直後。
「っあック?!」
斯くあるを予想して目をつむった私とは違い、男は光と爆音に見舞われる。こっちは耳をやられただけで済んだ。
「な、なんだクソ、貴様…どこにいった!何をした!」
一度は不覚を取ったが、やはりコイツは机仕事しか出来ないシロウトだ。フラッシュバンと判別して咄嗟に体が動かない。
そしてこちらは目が利く。取り落としてそのままだったナイフを拾い上げ、テントの外にこれを放り出していない辺りは詰めが甘いな、と嘯きながら、男の左手を押さえつけて押し倒し、そのまま肋骨の隙間を縫うようにして、心臓を、一突き。
まだ見えてないだろう目を一瞬見開かせ、男は虚空を喘ぐように視線を泳がせると、グロックを握った左手から力が失せた。
私は念のためその手からグロックを取り返し、ホルスターに仕舞う。
「…コイツを左手で扱おうとしたのが拙かったんだよ、ド素人め」
グロックはトリガーに安全装置が仕込まれている。それはトリガーの右側にあるレバーを押しながらでないと引き金が引けない、という仕組みであり、指が太くなる冬登山用のグローブをはめた左手の人差し指では、このレバーまでしっかりとは指が届かなかったのだ。
シロウトが、左手でこの銃を扱おうと思ったのが間違いだ。ま、こっちにしてみればラッキーでもあったんだが。いくら知らなかったとはいえ、何かの間違いでレバーが押し込まれていたら、しっかり弾丸は出ていただろうしな。
「さて、あとは死体の始末か。一番これが面倒なんだがな…そこらの沢にでも放っておこうか?」
こんな状況でも骨に傷をつけないようにナイフは刺せた。であれば、春まで見つからなければ充分だろう。
男の胸に突き立ったままのナイフを引き抜き、拭いもせず鞘に仕舞った。手入れなら後でもいい。
気温が低いせいか、さして血も流れ出てこない刺し傷を一瞥してからテントを出ようとした。
そして、気付いた。
今、私はコイツのことをシロウトめ、と嘲った。
だが、冬山に関しては私の方がシロウトだったのだ。
フラッシュバンの一発で雪崩が起こるだなんて、想像もしなかったのだから。
私は暗殺者。
白い瀑布に呑み込まれながら、思う。殺し以外には何の能も無い役立たずだな、私は。




