第25話・侵入
冬山の闇は足が速い。
標的は斜面の影にテントを張り、今夜の暴風を凌ぐつもりらしい。
まだ暗くならないうちにGPSマーカー付きの双眼鏡で位置を固定しておいた。そのデータを腕時計のロガーに転送。これで夜闇の中でも数メートルの精度で接近出来る。
こちらはテントの設置も出来ないので、岩陰というより丁度良い具合に見つかった窪みにピュロスと荷物を押し込んでおく。
「アキコ、それなに?」
背嚢から出したデカい箱の中からヘルメットを取り出して被った私を見て、ピュロスが怪訝な顔をする。そういや見せたことは無かったな。
「コイツはカメラ映像に赤外線と音波のセンサー、それに暗視鏡のデータを統合してゴーグルに表示して装着者に外の状況を見えるようにする装備だ。暗闇だろうが暴風雨だろうが、人間の姿を追える便利なモンだよ」
「ふうん。たかそうだね」
実はそうでもない。
元々は軍用装備品として開発されたものだったが、クソ高すぎて採用されなかった試作品を横流しで手に入れたものだ。タダ同然、とは言わないが、一ヶ月ほどメシをカロリー供給用の固形食で我慢したくらいのものだ。まあ今のところ世界でこれ一台だけ、ではあるが。
それからSG550をスリングで背負う。スイスの山岳特殊部隊でもかつて使われていた特別仕様のアサルトライフルは、厳寒期の冬山でも動作不良の心配が無い。最新型にはほど遠い古い機種だが、それだけに信頼性は頗る付きに高い。
そして、いつものCz75ではなくグロックを。これも冬山での動作の確実性を、と言いたいところだが、正直言って場所が場所だけに愛用品を持ち込む気になれなかったからだ。間違って無くしたら確実に泣く。
残りはフラッシュバンを二つにナイフを二丁。まさかこんなところでパイナップルを炸裂させたら雪崩でも起きかねない。フラッシュバンでもそこは似たようなものだが…。
「よし、行ってくる。大人しくしてろよ?今度こそ本当にだぞ?」
「ん」
目出し帽を被ってピュロスの頭を撫で、留守番を言いつけた。と言って留守番も何も、体を出したらこいつでは簡単に飛ばされそうななのだから、いくらなんでもじっとしてはいるだろう。そう願いたい。
「きをつけてね」
「これから人殺しをしに行くってのに気をつけて、も何も無いもんだが」
苦笑する。いくらか顔が強ばっているのが分かる。
そりゃあな。場所が不慣れすぎる。冬山での仕事も確かに仕込まれてはいたが、しょっちゅうやるわけじゃない。山岳救助隊の連中の方がよっぽど慣れてるだろうな。
「………あれだな」
窪みから頭を出して山頂側を見上げると、ゴーグルの中に輝点が表示されていた。
腕時計のロガーと同期して、常にその位置が分かるようになっている。ソロの仕事人には全く助かる話だ。
ハンドサイズのピッケルを両手に持ち、つま先のアイゼンとリズムを揃えて確実に這い登る。
体を起こしでもしようなら浮き上がりそうな風と、視界を遮る雪の中、ゴーグルの表示を頼りに慎重に進んだ。
どれくらい時間が経ったか分からないが、一時間はかかっていないだろう。
風雪の中、直視でもテントが見える距離になり、私は音を立てないようにピッケルを腰に戻す。代わりに腿のホルスターからグロックと、首元に固定した鞘からナイフを抜いた。
右手に拳銃、左手に逆手に握ったナイフ。
相変わらず這いつくばった姿勢のまま、ジリジリと距離を詰める。
もういいか、とゴーグルを跳ね上げ、裸眼でテントの様子を確認。
重ねた経験が告げる。中に、いる。
風の音が酷くて起きているか寝ているかも分からないが、少なくとも微かに灯された灯りはテントに中に僅かに吹き込む風によって揺れているだけに思える。
(入り口は麓側。上に回るか、このまま忍び込むか…これ以上周りでバタバタするのは拙いか)
だが入り口から「ごめんください」というのも性に合わない。入り口のある面を避け、横に回った。荷物を置いて人一人が横になるのが精一杯、といったサイズのテントの表面にナイフの刃を当てる。
かなり上等な素材と見え、簡単には裂けたりはしないようだったが、軽く力を込めて刃を引くと、音も無く裂け目が広がっていった。
(よし。突入してズブリ、だな)
ただ、出血が多くなるとテントだのといったコイツの装備が発見された時に疑われる。鎖骨の間から心臓を一突き、てのが一番後始末が楽なんだが……そうは簡単にいかないか。
まあ後のことは後のこと。どうせこんな中じゃあ、誰かが駆け付けるなんてことも無い。静かにさせればなんとでもなる。
後から考えれば、我ながら随分と雑な思考だったと思う。
けれどその時、私は何かを焦っていた。何を、だと?
当然だろう。何せ、標的が現職の警察高官なのだから。
私は暗殺者。
金さえ積まれれば誰だって仕留めてみせる……とは言い難い。流石に警官と分かって殺るのは、な。




