間章
俺の……ノエルの中の1番古い記憶。
それは村の皆から向けられる侮蔑の視線と軽蔑の言葉。
そしてそれを受けて、徐々におかしくなっていく母親の背中だった。
俺が、3つの時か?
その日母は何も言わずに俺の手を引いていく。痛くても俺が転んでも母は決して足を止めてくれなかったし、振り返ってもくれなかった。
やがてたどり着いたのは暗く、冷たい風が吹き抜ける洞穴だった。
「お母さん……?」
「……」
闇よりも暗い洞の口。
それを怖いほど無表情で見下ろす母。
そのどちらの方が怖かったのか。あの時の俺には分からなかった。
獣人の父と人間の母の間に生まれた俺。村の掟を破って尚、母は父と結ばれる道を選んだ。
その選択の果て。父は獣人の一族に捕らえられ、殺された。母は命からがら育った村に逃げ帰ったが、掟を破った母をそう易々と受け入れてなんかくれない。
毎日罵られ、ひどい仕打ちを受けた。
当然、俺も。
日々、憔悴していく母を見ているのが辛かったのをよく覚えている。
「……ノエル」
「な…なぁに?お母さん……」
震えた声で俺は聞いた。
「私はね……ずっと……考えないようにしてきたのよ……。頑張ったのよ……?でもね……もう、もう限界」
「だ…大丈夫だよ……僕が……僕はいつだってお母さんの味方だから……だから……」
「全部、お前のせいなんだよ!!!!」
それは、俺が人生で初めて聞いた母の怒鳴り声だった。
そのおぞましさに俺は凍りついてしまった。
「お前さえ……お前さえ、いなければ!私はもっと自由に生きていけたのに……!お前が……お前がいるせいだ!!お前がぁ!!」
「な…何言ってるの……?く…苦しい……!」
母は悪魔のような顔で俺の首襟を絞り上げ、そのまま暗い洞の方へと俺を突き出す。
「い、嫌だ……!やめて……お母さん!?」
「お前さえいなければ……お前さえいなければ……」
虚な目をした母は呪詛のようにそう呟きながら……。
俺を、暗い穴の中へと放り投げた。
「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!!」
瞬きの間にどんどん遠のく青い空。
醜く歪む母の顔。
あぁ……そうか。
俺はその時、漠然と理解した。
俺は、誰かといちゃいけないんだ。
誰も俺がこの世にいることを許してくれはしないんだ。
だから、俺は1人で生きていかなきゃいけない。俺が生きるためには誰よりも強くなって、1人でやっていくしかないんだ。
父と母は弱かった。だから、ああして壊れてしまったんだろう。
俺は、2人とは違う。俺は……俺は!
「誰よりも……強く……!」
暗く冷たい水の中へと墜落しながら、幼いノエルはそう心に誓った。
そうしないと、俺は生きてはいけないのだと悟ってしまったから。
誰も、俺を認めてはくれないのだから。