兎と豹の契り1
暗いアンダー・ロータスの港のような場所。
アルはそこに座り込む黒い獣人の姿を見つけた。
やっぱり、ここにいたのか。
「何しに来た」
「あなたに文句を言いに来ましたわ」
冷たく、アルをつけ放すように告げるノエルにアルもぶっきらぼうな態度で応える。
「聞く耳もちゃしねぇよ。とっとと帰れ」
しかし……いや、やはりと言った方がいいか。
ノエルはこちらを振り返りもせずにそう言った。
「あなたのこと、フィンから聞きましたわ」
「……っ」
アルの言葉にノエルの肩がピクリと揺れ動いたような気がした。
「……別に、だからなんだってんだ」
けれど、それは一瞬ですぐにいつもの素っ気ない態度が返ってくる。
「同情なんか要らねえんだよ。俺は別に不幸だなんて思っちゃいねぇ。むしろ変なしがらみが無くてせいせいしてるぐらいだ」
「……そう」
そんな風に告げるノエルの姿が、何故かアルの目には痛々しく映った。
「同情なんて、するつもりもありませんわ。そんなことされても惨めなだけですもの」
アルはノエルの少し離れた右側に、そっと座ってみる。
「んだよ。だったら何しにここに来た?」
てっきりまた怒鳴り散らされると思ったが、ノエルはこちらを一瞬一瞥しただけでそれ以上のことは言ってこなかった。
「私は……恵まれてますわ。立場はあなたと同じでした」
そんなノエルにかける言葉は何なんだろうと、頭を悩ませながらも、アルは言葉を紡ぐ。
「私は、純粋な獣人でも人間でもない。そんな私でもレグルスおじさんが……お母さんが。ビーストレイジの仲間達が受け入れてくれました」
「……」
そんなアルの言葉をノエルは黙って聞いている。
同じ境遇だったけれど、違う道……いや、むしろ逆の道を歩んできた2人。
2つの種族の血を持つことで捨てられたノエルと、それでもなお大切に育てられてきたアル。
2人はどこか似ているのかも知れない。だからこそ、互いのことがいちいち気になるし、苛立つのかも。
「それでも……あなたの言う通り、私は逃げているのかも知れませんわ」
それでも、真逆を生きる彼を見たからこそ、考えさせられることがあった。
「……何からだよ」
「私の……人間の方の血縁。父のことですわ」
「何だ。お前の父親はお前のことを受け入れてくれなかったか?」
嘲笑するように告げるノエル。
「えぇ、私だけじゃありません。獣人そのものを見捨て……そしてその手で私の母を殺したのですわ」
「……っ」
ノエルは平静を保とうとしているが、アルの耳は彼が息を呑んだ音を確かに聞いた。
「だから……私は私の人間の血を許せない。あの悪魔の血が私の中に流れていることが許せません」
アルが自身の手を強く握る。
受け入れられない過去と、その因縁。同じ立場だからこそ、アルはノエルに素直に打ち明けられた気がした。
アルが語ったあと、少しの間沈黙が流れた。
「……分からねぇな」
やがてふと、ノエルがポツリと口を開く。
「何でそれがお前がお前の力と逃げることにつながる?」
「あ…あなた、人の話を聞いておりました?」
アルの過去。痛い記憶と自身に流れる忌避すべき血。
それをひらけ出したというのにノエルの反応は冷たいものだった。
「母を……そして大好きなレグルスおじさん達を裏切ったあの男の力なんて、私が受け入れられるわけないじゃありませんの」
「……くだらねぇ」
「ほんと……あなたって人は腹が立ちますわ」
ノエルに自分のことを話したのを後悔しながらアルの耳はげんなりと項垂れる。
「どうして……あなたは自分のことを捨てた両親の力をそう何の躊躇いもなく使えますの?私にはどうしても分かりませんわ」
どうしてノエルは恨んでいるであろう自分を捨てた両親の力をあれだけ躊躇いもなく使っていけるのだろう。
どうしてそこまで割り切れるのか……アルにはどうしても理解できない。
「そんなもん当たり前だろうが、俺は俺だ」
そんなアルにノエルは晴れやかな表情で語る。
「どうでもいいんだよ。あんな奴らはいてもいなくても。まぁ俺のこの【雹牙】の力は気に入ってるからな。あいつらの存在意義なんてそれだけだ」
「……そう」
【水】と【風】のマナを融合させた【氷】の魔法。
それを彼の力として昇華させた【雹牙】のマナ。
直接相対したアルにはその力がとても強大だったことを分かっている。
ノエルは……強いと思った。
一族から……そして両親からも捨てられて、たった1人で生きてこれた。両親のことも、乗り越えてその力を使いこなして。
アルは、あの日。
母が死んだあの時。
レグルスおじさん達……ビーストレイジの皆が私を支えてくれなかったら、きっと乗り越えられなかった。
ソウルがサルヴァンのみんなを救ってくれなかったら、自分の血を、この顔を。ずっと恨んで生きていた。
誰かが私を助けてくれたから、私は今こうしてここにいる。
だからこそ……だった。
「何を逃げておりますの?」
アルは、ノエルにそんな言葉を発していた。