オデットの過去6【強気な少女の敗北】
しばらく走り続けるが、風のように走り去る2人をオデットは見失ってしまった。
「ど、どこなのよぉ……峠?そんなのこんな近くにあったっけ?」
1人獣道をトボトボと歩きながらオデットはため息をつく。
はぁ……全く。どうして男ってあぁもバカなんだろう。
……いや、それは私もか。
2人を見失ってかなりの時間も経ってきたし、正直こんなこと、バカらしくなってきた。
「……帰ろ」
2人を見つけられるような気もしないし、諦めて村に帰ろうと、オデットは踵を返したその時だった。
「よぉ、クソ女」
「……っ」
そんなオデットの前に立ち塞がる2つの影。
昨日、野原で追い払った2人のヤンチャ小僧。フレッドとトーマスだ。
「何よ、なんか用?」
キッ、と睨みつけながらオデットは2人に言葉をぶつける。
どうせ、この2人は昨日私に負けたんだ。
そのリベンジにでもきたんだろう。
「昨日はよくもやってくれやがったな!クソ女め!」
「手加減してやったら調子に乗りやがってよ!今日こそはギャフンと言わせてやらぁ!」
「はんっ、私に負けたくせに何を偉そうに!何度やったって同じよ!昨日みたいにベソかいて帰りなさい!」
昨日も私が勝ったんだ。負けるはずがない。
オデットはそう確信していた。
だから昨日みたいにボコしてやるんだから、と。オデットが2人に掴みかかろうとした、その時だった。
「【風】に【球】のマナ!【エアボール】!」
ボッ!
「……え?」
フレッドの詠唱。それを認識したと同時にオデットの腹に走る鈍痛。
ズン!
「がっ……」
突如放たれた風の球にオデットは吹き飛ばされ、近くの木に叩きつけられた。
ま…さか……?
鳩尾を強打したことで、息が吸えない。
ヒュー…ヒュー…と、空気が抜ける音を出しながらオデットは地面に顔を埋める。
「は…はは!できたぜ!親父の魔導書通りだ!」
「ざまぁねぇな!クソ女め!!」
まさか……魔法を撃ったの!?
ぐらつく視界の端ではしゃぐ2人の少年。
その顔は嬉しそうにはしゃぐ反面、やってしまったと……少し焦燥も混じったようなそんな複雑な表情をしていた。
無理もない。だって、ツァーリンでは……いや、きっとどこの村もだろう。ケンカに魔法を使うのなんてご法度。
まして一方的な魔法による攻撃は犯罪。絶対に許されはしない行為だったからだ。
嘘……でしょ?
ジンジンと痛むお腹を押さえながら、オデットはそう思っていた。
まさか……ケンカに魔法を持ち出すなんて。
「ひ…きょう……もの」
絞り出すようにオデットは2人に向けて告げる。
「ひ、卑怯だと?笑わせるなよ!元々はお前が悪いんだ!」
「そうだ!お前が年下の癖に生意気だから……だから、これはケンカじゃない!教育だ!!」
禁忌に手を出した2人はその罪を誤魔化すように叫ぶ。
「お、おら!謝れよ!『昨日は生意気なことを言ってすみませんでした』ってな!」
「そうだ!そうすりゃ俺たちだって許してやらぁ!」
悶え苦しむオデットに向けて、2人はそんなことを告げる。
だ…れが!言うもんか!
「……っ、ベーだ」
オデットは、下卑た笑みを浮かべる2人に向けて舌を突き出す。
こんな奴らに謝る?
ふざけないで!そんなのできる訳ない!
けれど、そのオデットの行為は2人の怒りを助長させた。
「この……ほんとにウゼェなこの女!」
「おら、ボコしちまおうぜ!」
すると、今度は少年たちは近くにあった木の棒を拾い上げると、そのままそれをブンブンと素振りしながらオデットへと近づいてくる。
「……っ」
その姿にかつてのトラウマが蘇る。
痛みに悶え苦しむオデットに向けて、折檻棒を手に近付いてくる父と母。
暗く狭い家の中。誰も私を助けてなんかくれない。
恐怖でオデットの身体がすくむ。
いつもの回る口はガチガチと小刻みに震え、歯と歯があたる音がオデットの耳にやけに響いてくる。
い…いやだ。
来ないで……!
頭の中で悲鳴を上げる。
けれど、絶対に口には出さない。歯を食いしばって遅い来る痛みを……そして恐怖を我慢する。
幼い頃に植え付けられた経験が、オデットにそうさせる。
私1人で強くなるしかない。
そうやって、この私はずっと生きてきた。
だって誰も私のことなんて見向きもしない。
例えどれだけ苦しかったとしても。誰も……私を助けてくれはしないんだから。
「ど…きな……さいよ……」
「……はぁ?」
オデットは酩酊する意識を何とか保ちながら立ち上がる。
負ける……もんか……。
「まほ…うなんか……使っても…私は負けない…から…!」
絶対に、折れない。
こんな奴なんかに……負けてたまるか!!
歳下の女1人に……ましてや魔法すらも使えない少女を魔法で黙らせようとするような、そんな小狡い奴なんかに、負けてなるものか!!
「どきなさい!私はあんた達なんかに屈しないから!やれるもんならやってみなさいよ!!」
ビリビリと夕暮れの森の中に轟くオデットの魂の叫び。
「お…おい……!」
コバンザメのようにくっついて回る小物の少年トーマスはその迫力に震え上がり、隣のガキ大将フレッドの方に目を向ける。
そして、ガキ大将のフレッドは……。
「は…はは……何だよ……何なんだよこれはぁ!」
強がるオデットを見て、高らかに笑った。
「お前なんざ、ちっとも怖かねぇよ!どうせ俺の魔法でボロボロなんだろ!?強がりやがって!!」
「お…おい?フレッド?」
フレッドは、まるで何かに取り憑かれたかのようにゲラゲラと悪趣味な笑みを浮かべて叫ぶ。
「俺は強えんだよ!お前みてぇなクソチビ女が刃向かっていい男じゃねぇんだよ!それを今……徹底的に教えてやる!」
そして、フレッドは再びマナを溜める。
「お、おい……流石にやりすぎだろ?これ以上は……」
隣のトーマスが言うことは最もだ。
魔法で人に危害を加える。
ましてや、彼はまだ5歳。
次の魔導霊祭に参加する予定の子だ。
例え子どもだろうと、魔法で他人を傷つけることは重罪。しかも魔導霊祭に参加する前の子どもがそれをしてしまえば、家族もろとも大罪に問われることになるのだ。
だから、例え子どもだろうと決してその禁忌は犯さない。
けれど、それでもフレッドは止まらない。
「お前が黙ってればいいんだよ、トーマス。そうすれば俺は罪に問われやしねぇからな」
「いや……お前何言って……」
そこまで口にしたトーマスは、身の毛もよだつような考えが頭をよぎった。
だって、トーマスが黙ったとしてもこのオデットが黙っているはずがないだろう。それでもなおこんなことを言うと言うことは……。
「お前……まさか……」
「ここでこの女、殺しちまえばいいんだよ」
「……っ!?」
残虐な思考。
普通の子どもが到底持たないような発想だった。
何で……?何でフレッドはこんなことを!?
「おら、お前も共犯だ。黙ってるよな?トーマス?」
「ひ…ひいいい!?」
暴走するフレッドを前にトーマスは堪らず逃げ出した。
「チッ……仕方ねぇな。あいつも殺すか……」
「あ、あんた正気なの!?」
悪に染まる目の前の少年にオデットは叫ぶ。
「正気だよ。全て解放されたような……そんな清々しい気分だ。こんなことならもっと早くやってやるんだったぜ」
そんなオデットの叫びを嘲笑うかのようにフレッドはこちらに向けて手をかざす。
その顔はまるで狂気に染まる直前の……最後に残されたためらいとやってしまえと言う悪意の狭間で揺れる歪な表情。
『やめて』『助けて』『ごめんなさい』。
何か言えば、彼は止まったかもしれない。
けれど、私はどうしてもそんなセリフが言えない。
ただ、歯を噛み締めながら迫り来る圧倒的な魔法に震えるだけ。
「死ね……!【風】に……【斬撃】のマナ……!」
フレッドの声がうわずる。
もう、引き返せない世界に向けて彼は足を踏み入れた。
【斬撃】のマナ。
それは相手を斬り殺す殺傷性の高い力。
即ち、フレッドは本気だった。
「【エアスラッシュ】」
放たれたのは風の斬撃。
オデットの身を引き裂かんとする凶刃。
「……っ」
父の持つ魔法の指南書を盗み見て、初めて使ったその魔法を制御などできはしない。
軌道はブレブレで、とても真っ直ぐには飛ばない。けれど……。
ザシュッ!
「いっ……!?」
その一撃はオデットの左肩を引き裂く。
洗練された【斬撃】のマナなら鋭く彼女の身を斬り裂いただろう。
けれど、拙いその魔法はそうはいかず、斬ったのではなく引き裂いた。
まるで木の枝が突き刺さって横に引っ張るように、荒々しく。
逆にそれはオデットの身に激しい痛みを与えた。
そして、それで終わらなかった。
「……え?」
オデットの身を襲う激しい衝撃。
切れ味の足りない魔法は彼女の身を激しく突き飛ばし、そして山の斜面へと彼女の身を放り出した。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!?!?」
ゴロゴロと回転する自分の体。
バキバキと木々を薙ぎ倒していくその先には、ポカリと空いた小さな穴。
多分、かつて使われていた古井戸か何かだろう。
死ぬ!?
咄嗟にオデットは頭を庇う。
そしてそのまま深い穴の中へと落下していった。




