エピローグ
「さぁて……これからじゃんじゃん働きますよ!」
1週間の休暇を終えたエヴァは執務室に座って肩を回す。
「ふむ……流石マシュー殿。いけ好かないがその手腕は見事だと言わざるを得ないな」
1週間、何もしていなかった割に溜まっている仕事はそれほどない。いや、むしろいつもよりも仕事が少ない気がする。
恐らくマシューが溜まっていたものをあらかた片付けてしまったのだろう。
流石、長年ペテル様を支えた重鎮。これらの雑務や業務はお手の物ということか。
「はい。おかげで私達は覇王の眷属との戦いに向けての準備に動くことができるようになります」
「そうなのねぇ……でも、これからどうするの?」
「うむ……正直、今は軍備を整えるしかできることは無いように思うが……」
クトゥグアとの戦いで、オアシスは甚大な被害を被った。
長年ディアナ教を支えてくれた熟練の戦士も数多く失い、覇王の眷属達と何か事を起こすことはできない。今できることはその失った戦力を立て直すぐらいか。
「……いえ、かねてより考えていたことはあったのです」
そんな今だからこそ、やらなければならないこと。
できるとは、決して思わなかったから踏み出せなかったことがあった。
頭の中ではできている。だけど、それには……彼の協力が必要だ。
「やるべきことは、見えています。けれどこれは私の一存だけでは決められません。だから後は……」
「後は……?」
エヴァの言葉にアランは首を傾げる。
「彼に……委ねましょう。きっと彼なら私と同じ考えを持ってくれているはず」
そう言ってエヴァは執務室の扉に目をやる。
コンコン
それと同時に扉の向こうからノックの音が聞こえて来た。
「エヴァ、入るぞ」
その一言と共に現れたのは、黒いマントを着た琥珀色の瞳の青年。
「そ、ソウル殿?」
「やぁやぁ?どうしたのぉ?」
「……?」
エヴァの側近3人は突然訪問して来たソウルに目を丸くする。
いつもの温和な空気な彼とは違い、どこか覚悟を決めたような、そんな切り詰めた雰囲気の様相をしている。
それに、これまでわざわざ彼の方からここにやって来るなど無かった。一体何事なのだというのだろう。
「これからのことについて、話があるんだ」
「えぇ。私もちょうどその話をあなたとしたいと考えていたところです」
ソウルの言葉をまるで予見していたかのようにエヴァは淡々と応える。
「ははっ、流石エヴァだな。だったら話は早い」
きっと、彼女は分かっているのだろう。
これからソウルのする提案と、その先の目指すべきことが。
正直、どんな顔をされるのだろうと思っていたからどう切り出したものかと思っていたが、杞憂だったらしい。
だったら、後はそれをここで共有するだけ。
覇王の眷属と戦うことは決めた。
そのために、必要なこと。それは……。
「俺は……イーリスト国に帰ろうと思う」
「なっ!?」
「ちょっ、そそそソウルくん!?」
「……っ!?」
ソウルの言葉にアラン達は戸惑いの声を上げる。
「分かっているのか!?あなたの立場を!?」
ソウルはイーリスト国では異端の魔法使い。
邪法とされる召喚魔法を世間に晒した追放者だ。
「聖剣狂いのイーリスト国だよ!?確実に処刑されるに決まってるの!!」
イーリスト国は召喚魔法を嫌っている。
そんなソウルがイーリスト国に帰ろうものなら即刻処刑。よくて幽閉だ。
あの死神との死闘を繰り広げた闘技場。奇しくも騎士ソウルの始まりとなったあの闘技場で、ソウルの力は世間に露呈した。
言い逃れなどできはしない。あれだけの人間全てが証人。エヴァがシンセレス国の威信をかけて守り抜いたおかげで命からがらシンセレスに亡命しているのだ。
だと言うのに、そのイーリスト国に帰るなど、ソウルは一体何を言っているのだろうか。
「エヴァ様からも言ってください!」
「そうなの!そんなバカな提案受け入れられるはずが……」
「えぇ。私も、ソウルさんの言う通りにすべきだと思います」
「エヴァ様!?」
けれど、エヴァは側近達の予想に反してソウルの提案に頷いたのだ。
「クトゥグアとの戦いを通して分かった。このままじゃダメだって」
クトゥグアとの戦い。
この国の全戦力をかけて戦った戦いは、過酷だった。
「オアシスの全霊をかけて戦った戦闘で、ギリギリだった。たった1人でそれだけの強さだったというのに、それが後9人もいるんだ。はっきり言って、このままじゃ勝てるはずもない」
「だ、だからと言って……他にどうするという!?負けると分かって降伏でもするというのか!?」
ソウルの言うことは分かる。
確かにこれからいくらシンセレス国が戦力を整えたとして、もし再び魔人達が攻めてきたら?
もっと言えば、今回は1人だったけれどこれが複数名同時に攻めてきたら?
オアシスは……いや、シンセレス国は一瞬で踏み潰されて終わるだろう。
それはエヴァやソウルだけじゃない。アラン達にだってうっすらと分かっていることだった。
「だからこその提案なのでしょう?」
すると、エヴァがアランの問いに答えるように口を開いた。
「だからこその……提案……?」
「そう、勝てないさ。シンセレス国だけなら……な」
「……まさか」
ソウルのその言葉に、パメラはハッとする。そうか……そういうことか……!
「シンセレスだけじゃダメだ。イーリストも……そして他の2国、北の帝国【ヴルガルド】、そして南の亜国【フェラルド】。みんなで協力しなきゃダメだと思う」
「ま、待ってなの!無理、そんなの無理だよ!だって、フェラルドはまだしもヴルガルド……それにイーリストだって、ろくに友好関係も結べてない!戦争の一歩手前ぐらいまで関係は悪化してるの!!」
確かに、シンセレス国は【魔導機】の技術を提供することで他の国との戦争には至っていない。
けれど、それが無くなれば一気に関係は崩れる。それほどに他の国との関係は危うい状況なのだ。
「当然、それができれば未来は明るいが……その方法がない」
ソウルの言いたいことは分かるし、アランだってできるのならばそうしたい。
だが、その方法がない。
ましてや聖剣を崇め、召喚魔法を排斥するイーリスト国とはまさに水と油。共に手を取り合うなんて一体どうすれば……。
「……まさか」
「あぁ、だから俺が行くんだ」
アランの言葉にソウルは応える。
「何ができるかは分からないけど……それでも俺はイーリスト国のことも、そしてシンセレス国のことも知ってる。それにイーリスト国にとって重要な【騎士】であって、同時にシンセンス国にとって重要な【召喚術士】だ。そんな俺にしかできないことが、きっとある。だから俺はイーリスト国に帰る。そして、イーリスト国とシンセレス国の橋渡しをしたいんだ」
そう、覇王と戦うために手を取り合わなければならない。
そんなものは火を見るよりも明らかだ。
だけど、積み上げられて来た歴史が……文化がそれを邪魔する。
だから、俺が何かをしなければならない。
両方の国を知り、両方の国が大好きな俺にしかできないことが、きっとある。
「だから、俺は帰る。大切なみんなを守るために、新しい戦いを始めるんだ」
そう。イーリストとシンセレスを繋げるための戦い。
今ソウルがやらなければならないことはそれだ。
「し、しかし……」
やはり、アランは難しい顔をしている。当然だろう。
国と国との関係だ。そう易々と事が運ぶだろうか?
「はい。私も、それはソウルさんにしかできないことだと信じております」
けれど、それでもエヴァは告げる。宣言する。
「どのみち、イーリスト国が敵に回るようなことがあればそれこそ終わりです。だったらダメ元でも協力を要請する必要があるでしょう。できないからと、諦めることはやめました。その可能性が少しでもあるのなら、私は賭けたい。そして、賭けるのならソウルさん。私はあなたに賭けたい」
エヴァの金の瞳がソウルのことを真っ直ぐに見つめた。
その視線に、ソウルはズシリと腹の奥が重くなるのを感じた。
「あなたの行動と選択に、この国の……いえ、きっとこの世界の命運がかかっています。当然私達も可能な限りサポートします。だから……このシンセレスとイーリストを繋ぐために、力を貸してください」
「……あぁ、もちろんだ」
エヴァから託された想いと使命。
はっきり言って、とても重圧だった。
これから起こることの選択で、世界の命運が分たれるかもしれない。
これが、国の未来を背負うということか。
エヴァとジャンヌが背負って来た物の重さか……!
押し潰されそうなプレッシャーを受けながらソウルゴクリと息を呑む。
分かっていた。分かっていたけれど。やはり……。
けれど、やろう……いや、やるしかないんだ。
「……やるさ」
迫りくる重圧を押し返すようにソウルは告げた。
「俺が、シンセレスとイーリストを繋ぐ!そして、みんなで一丸となって覇王の眷属と戦う!」
ソウルは宣言する。
この世界を守るための新たな一歩を踏み出すことを。
「はい、それでは参りましょう。あなたの母国イーリスト国に。そして、長年の歴史の決着をここでつけようじゃありませんか」
こうしてソウルとシンセレスの陣営は共に覇王と戦うための道を模索し始めることとなった。
そして、この選択が世界を巻き込む大きな戦いへと発展していくことを、まだ彼は知らないのだった。