父の言葉とこれから
「きょ……今日も……なんとか乗り切った」
夕陽が差し込む訓練場。
部屋で無様に手足を投げ出しながらソウルは絞るように呟く。
「全く情けない。この程度で」
好き放題ソウルを滅多打ちにした張本人は涼しい顔でため息をついている。
一応、ソウルと合計30……いや、どさくさに紛れて3セットぐらい増やしてたから33回は試合をしているはずなのに、なんで汗のひとつもかいてないのか謎すぎる。
「仕方がない。もう少しやろうとも思っていましたが今日はここで限界ですね」
「まだやる気だったのか……鬼畜だな」
「突っ込む元気があるならいけますね?」
「なんでもございません」
ほんとに、もう限界だよ。帰ることすらままならないかもしれない。
ガストの【自動回復】を活かした訓練を考えついたのはシェリーだ。確かにボロボロの傷がリセットされるのと【自動回復】の精度を上げるという一石二鳥の訓練形式だが、身体は痛いし心は削られる。
心の奥では『あぁ……私の力がこんな風に悪用されるなんて……』と、ガストの絶望した声が日々聞こえる始末だ。
ちなみに、今日はもうガストのマナは底をつき回復はできない。おかげで身体の痛くないところを見つける方が難しいぐらいだった。
「ほんと…加減ってものを知らないのかあんたら親子は……」
ソウルは心の奥のシナツに向けてそんな悪態をついてみる。
『はん。これぐらいならシェリーはこなせてたぞ。恨むならお前の才能を恨むんだな』
しかし、シナツはしれっとそんな事を言うだけだった。
「んなくそ……」
いや、正直確かにそれは十二分にあるだろうけど。
まぁ、だからこそ俺は頑張らなきゃいけない。
もっともっと強くなって、守れるものを守れるようにならなきゃな。
「…………」
心の奥でシナツとそんなやり取りをしていると、ふとシェリーが複雑そうな顔をしてこちらを見ていることに気がついた。
「どうした?」
「……いえ。今、お父様と話をしていたのかと思いまして」
何かを堪えるような顔をしながらシェリーは告げる。
「その……お父様は、何と言っていますか?私がした事は……許されない事だと言う事は分かっています。数多くの騎士を……そしてお父様を殺したこと。こんな外道へと堕ち果てた私なんて……幻滅されているのではないか……と」
「シェリー……」
そうか。確かに話を聞く限りシナツとはろくに話もできなかったんだろう。
しかも、自分の手でシナツの命を奪ってしまった。その事実がシェリーの心に深い影を落としている。
「……だ、そうだシナツ。どう思ってるか聞かせてくれよ」
ソウルは身体を起こしながらシナツに問いかける。
「なっ……そ、そんないきなり……」
そんなソウルを見てシェリーは珍しく動揺したような様子を見せた。
『ったく……仕方ねぇなぁ』
心の奥で、ガシガシと頭をかきながらシナツは言葉を紡ぐ。直接シナツの言葉をシェリーに伝える事はできないけれど、俺なら彼の想いを代弁することはできるから……。
彼女の父に代わってソウルはそっと口を開いた。
「『別に、恨んじゃいねぇよ。お前が復讐っていう楔から解き放たれて今こうして過ごしてくれている事が……エリー達の想いが届いてくれた事が嬉しい』」
「……っ」
「『俺の事なんざ気にすんな。どうせ幾ばくもない風前の灯の命だったし、どの道すぐ死ぬつもりだったんだ。だから、お前は前を向いて生きろ。お前の心にいる、エリー達と共に生きてくれ。俺の願いはそれだけだよ』」
父の……言葉だった。
正確にはシナツの言葉をソウルが代弁する形で語った。だけど、その言葉は間違いなく父から語られたものだと……長年一緒に過ごして来た父の言葉だと言うことが、はっきりと伝わる。
「そう…ですか……」
言葉を受け止めたシェリーはぐっと、込み上げる感情を押し殺しながら告げる。
嬉しいのか、悲しいのか。取り返しのつかないことをした自分への怒りなのかもしれない。
ただ、胸を押しつぶしそうなその苦しさがシェリーの孤独な心にのしかかる。
会いたい。
また、あの頃みたいに言葉を交わして……笑って、旅をして……。
でも、もう戻れやしない。
失われた命は、帰ってこない。この私が1番分かっている。
それに、私が……数多くの命を奪って来た|死神(私)には、失われた命を慈しむ権利すらないだろう。
だって、何人もの人間にこの想いを抱かせて来たのだから。
「……確かに、これまでのことは変えられないかもしれないけどさ」
目の前で、苦しむ少女にソウルは語る。
言葉にはしないけれど、それでも見ていればわかる。その罪に苦しんでいるのだろう。
「でも……綺麗事かもしれないけど、これから先の未来は変えられるはずだ、シェリー次第で」
「いえ……誰もそれを望みはしないでしょう。私は数多くの命を奪った死神だ」
「でも、それはシェリーが本当にやりたくてやったわけじゃないんだろ?」
「そ、それは……」
ソウルの指摘にシェリーは俯く。
「わか…らない。正直、あの日あのハスターという魔人に会った時から……私がどうしたかったのか、分からない。本当は…望んでいたのかもしれない。復讐を……」
「でも、それはシェリーの大切な人だと思っていた人の言葉だろ?」
「……っ」
そう、シェリーは確かに聞いていた。
心の奥から……シェリーの召喚獣となったみんなの怒りの声が……そして、騎士を滅ぼさんとする憎しみが。
「シェリーが復讐に走っていたのは、それのせいだし、その原因は……」
『はい。あのハスターの残した因子です』
「お、お母様……!?」
ソウルの声に応えるように、ケルピー……いや、エリーの声が響く。
『私達は、最初から復讐など望んでいなかった。望んでいたのはシェリー、あなたの幸福な未来だけ……』
『そうだよ。僕らは望んでこの命を投げ出したのさ。より多くの命を守る為……そしてシェリー、君の力となる為に……ね』
『すまんかったのぉ……シェリーちゃん。まさか、わしらの声をねじ曲げるなどというふざけた力を持った魔人がおるとは……』
『そうだな。それさえなければ……シナツ殿とももっと長く過ごすことが出来ていただろうに。すまなかった、シェリー』
「み、みなさま……」
シェリーの悲しみを受けて、心に宿る魂達がシェリーに呼びかける。
『うむ…じゃが、もうお主を謀るものは無い。これからじゃ、シェリーよ』
「ちょ、長老様……」
『これからは、お主の思うままに生きよ。わしらはお主の望む未来を望もう。曇りなき今の心に映る、お主の本当の願いは何じゃ?』
「本当の……願い……」
長老の言葉を反芻しながらシェリーは思考を巡らせる。
私の……望み?
考えたことがなかった。
だって、ずっと誰かの言葉に従って生きて来たから。
旅に出たのは父の言葉。
死神へと堕ちたのは心の奥のみんなの言葉。
そして、今。
この先の未来。
私は、一体何を望むのだろう?
分からない。何を糧に生きていけばいい?
けれど、分かる。今この時が転機だと。
私が新たな人生を歩み始めるのは今だと。
「……私は、数多くの人たちを不幸にして来た」
ポツリ、ポツリと。シェリーは自身の心の内を明かす。
「きっと、私が殺して来た騎士達には守るべき者がいたはずだ……けれど、私のせいでその未来は途絶えてしまった」
噛み締めるように。これまでの罪と間違いを、心に刻みながら、シェリーは語る。
「なら……そんな私がやらなければならないことは、1つです」
そう。私の道には彼らの屍がある。
その上に立って、私は生きていかなければならないんだ。
なら、ならば、私がやるべきことは……!
「世界を……救おう。覇王の眷属が……覇王自身が、この世界に災いをもたらさんとしている。このまま、全てを背負って死ぬことだって考えた。だが、それではあまりにも無責任だ。私が奪った彼らの守るべきものを……守るために生きよう」
それで、許されるとは思わない。だが、それでもやろう。
きっと、私の自己満足。
そうかもしれない。でも、今それが私にできる唯一のことだから。
そして……あの目的を果たすために。
「うん……分かったよ」
そんなシェリーの誓いをソウルはしかと受け止める。
そして、覚悟の光が宿ったその瞳に、そっと手を差し出した。
「一緒に、戦ってくれよ。俺も守りたいものがたくさんあるんだ」
「……あなたは、こんな私の手を取ろうというのか?」
同じ師につかえ、同じ召喚術に目覚めた2人。
きっと、私は召喚術士の闇だ。この手は殺して来た者の血で汚れている。
目の前に差し出されたこのソウルの手。
彼は、私とは違う。光の当たる世界で生きる資格を持った、綺麗な手だ。
私なんかが触れてしまえば、きっとそれは汚れてしまう。
「いけない、あなたの手は綺麗であるべきだ。私のような血で汚れた手で汚してしまうわけには……」
「んなもん知るか、ばーか」
「なっ、ちょっ!?」
断るシェリーの手を、ソウルはしっかりと掴む。
「今、シェリーはみんなのために戦うって決意した。そしてその罪と一生かけて向き合っていくっていう覚悟も聞いた。尊敬するよ、俺は向き合いきれなかった過去を残して来た人間だから……真っ直ぐに向き合おうとするシェリーは、立派だよ」
ツァーリンでソウルは逃げ出した。
ガストを守れなかった現実と、孤児院のみんなから拒絶された絶望から。
でも、シェリーは違う。
ソウルなんかとは比べ物にならない辛い宿命と業を背負ったシェリーが、それでも前を向いて戦おうとしている。
正直、強いと思った。
召喚術士としても、そして騎士としても。心から尊敬できるシナツの姉弟子だと。
「だから、一緒に戦おう。同じバカ師匠に弟子入りした姉弟弟子なんだしさ。シェリーが一緒にいてくれると心強いよ」
「ソウル……」
握られた手は、少し大きくて。それで剣を握ってできたマメで少しゴツゴツしている。
それでも暖かく、優しい手だった。
あぁ……そうか。
お父様。あなたが何故彼を弟子にしたのか、何となく分かったような気がする。
眩しい。
とても真っ直ぐで、嘘偽りのない彼の琥珀色の瞳が、夕日に照らされて神秘的な光を放っている。
「……ふふ。なら、明日からもっとあなたをビシバシと鍛えないといけませんね」
「そ、それとこれとは話が別だろ!?」
困ったように笑うソウルの顔を見て、シェリーは胸の鉛が少し軽くなったような気がした。
よし……私も覚悟を決めよう。
その時が来るまで、私は彼と共にあろう。
夕日にでオレンジに染まる部屋の中でシェリーは1人、そう決意した。




