アリアの過去20【お姉ちゃん】
姉の顔を持った化け物に、アリアは思考が固まった。
何…で……?
呆然とする頭の中に過ぎる1つの疑問。
同時に思い起こされるのはアンガスの時のこと。彼の目が、奴に奪われたことだった。
目の前のアザトースが姉の顔を持つ。それが意味することは恐らく1つ。
まさか……奪われた?
大切な姉の顔を。
最愛の姉の顔が、あの村を潰した悪魔に?
「ーーーーーーーーーー!!!」
静かにこちらに手を伸ばすアザトース。
アリアに終わりをもたらさんと迫るその手を見て。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
アリアは、立っていた。
堕ちるところまで堕ちた心は、海底を蹴り上げるように一気に浮上し、ただ激情のままに駆けていた。
ギィィィイン!!!
「ーーーーーーーーー!?」
アリアは本能のまま。怒りに身を任せてアザトースの腕を手にしたクナイで弾き飛ばしていた。
そのアリアの表情は怒りと、絶望と悲しみと。それらをぐちゃぐちゃに混ぜ合わせた歪な顔。
禍々しいまでのアリアの豹変に、姉は……いや、アザトースは困惑の顔を浮かべていた。
「返せ……!!」
許せない。
最愛の姉の顔がそこにあることに。
みんなを殺した存在と、姉が同一となったその現実に。
「返せえええええええええええええええ!!!!!!」
許し難い現実を打ち砕くように。アリアはその手に握った蒼いクナイをアザトースの下半身。球体のように膨らんだ身体に叩きつけた。
ギキィィッ
「……っ!?」
アザトースの身体に突き刺さったクナイから伝わる異質な感触。
まるで硬い石を斬りつけたかのような。そんな鈍い感触がアリアの手に返ってきた。
斬りつけられたアザトースの白い布の向こうから現れたのは、透明の水晶球。
そこで初めてアリアはアザトースの全容を見る。
アザトースの身体は人の上半身が透明な水晶に突き刺さったかのような、そんな姿をしていた。
水晶球の中心には黒いモヤのような物がゆらゆらと揺れているかと思えばまるで雷雲のようにバリリと火花が散っている。
まるで、長く見つめているとこれに吸い込まれてしまいそうな、そんな錯覚すら覚えた。
「ショウカンジュツシィィィィィィィ!!」
「うがぅ!?」
アザトースの姿を見て、隙を見せたアリアの身体をアザトースはその手で捕らえる。
しまった……!?
捕らえられたアリアはそのままアザトースの顔の位置まで持ち上げられる。そこには冷たいほどの無表情を浮かべる姉の顔があった。
「はな…せぇ……!!」
アリアは先程まで魂の抜け殻だったことも忘れてアザトースの腕の中で暴れる。
クナイでザクザクとアザトースの冷たい手を抉るがアザトースは意にも返さない。
「お姉ちゃんを……!お姉ちゃんをよくもおおおおおお!!!」
絶望や恐怖なんか忘れ、怒りを原動力に暴れるアリア。
「お姉ちゃんを返せ!!!お姉ちゃんをお前なんかに渡すもんか!!」
「ダマレ……ダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレダマレ!!ダマエエエエエエエエエエエエエエエ!!!」
そんなアリアの叫びを聞いてアザトースは何故か怒り狂ったようにそう発していた。
何故?この感情は何だ!?
こいつの『お姉ちゃん』という言葉を聞く度に、アザトースの中で黒いドロドロの何かが溢れてくるのだ。
これは……何!?何の記憶だ!?
記憶の断片。遠いどこかで私を呼ぶ誰かの影。
あれは……何だ?誰だ?
完全に有利で、完全に勝利をしたはずのアザトースは、心をぐちゃぐちゃにかき回されて苦しむ。
「ーーーーーーーーー!!」
ならば……ならばぁあ!!
「ぅ…が……!?」
アザトースはアリアの首に手を当て、マナを吸い取る。
「あ…っ!………ぅっ!?」
アリアの喉が焼けるように痛い。
まるで焼きごてを喉の奥に突っ込まれたかのような痛み。
筆舌し難い苦痛に叫び声をあげようとしても、何故かアリアの喉は【声】を上げようとしない。
ただ、彼女の喉を空気が通るだけだ。
「黙れ……黙れぇ!」
「……っ!?」
すると、これまでか弱い声しか出せなかったはずのアザトースが突如として声を張り上げる。
その声は……。
私と……同じ声……!?
いや、違う。同じ声をしているんじゃない!
声を、奪われた……!?
「憎い……私は召喚術士と名のつく全てが憎い……!あの男……あの男のせいで私は……私は、こんな姿に変えられた!!許さない、私を騙したあの男を……そして、私を見捨てた……見捨てた……」
錯乱するように喚くアザトース。
「見捨てた……あいつを……!!」
「放てぇえ!!」
シュドドドドッ
「ぐ…ぎゃああああ!?」
その時。
アリアの上空から何かが降り注ぐ。
それは槍のような形をした鉱石。全てを吸い込んでしまいそうな真っ黒い魔石だった。
「…………っ!?」
何!?
アリアは多分、そう叫びたかったんだろう。
だけど、アリアの声帯は声を震わせず、掠れたような空気が漏れ出るだけだった。
「ま…ふう……せきぃ……!!」
苦悶の顔を浮かべるアザトースは空から飛来したそれに目を釘付けにする。
「誰だぁ!」
そこにいたのは白い巨翼を広げる神鳥。オアシスの守り神と称えられる魔獣と、その背に乗る初老の男と橙色の髪をした子どものような女性。
神鳥の白い翼にはまるで砲台のように大きなバリスタが備えられており、再びアザトースに向けて槍の嵐を撃ち放つ。
「離れよ、アザトース!!魔封石の槍はお前を貫いた!!もう終わりだ!!」
「邪魔を……邪魔をするなぁ!」
初老の男にそう叫びつつも、アザトースは直感的に理解していた。
ダメだ、先手を取られた。
魔封石の槍はアザトースの身体から力を奪い、ふと気を抜けばその場に倒れ込んでしまいそうだ。
引くしかない。分かっている。だけどせめてこいつだけでも……!
「そこまでですよ、アザトース」
ゴッ!
「なっ!?」
「……っ」
突如、アザトースとアリアの間に高き土壁がそびえ立つ。
「引くのです。今ここであなたが死ぬ事はあなたの本懐ではないでしょう」
「っ、でも……!」
意思疎通を図れるようになった。そうか、知覚を取り戻したか。
それに伴いある程度の知能も戻ったと見える。
アザトースの様子を影から観察する長身の男。アザトースを解放した張本人はそんな事を考えながら再び魔法を展開する。
「くっ!?」
「だ、ダメなの!アザトースを追えない……!」
大地がまるでうねる蛇のように激しく躍動し、アザトースを……そしてアリアの身体を激しく揺らす。
「ペテル様!私達はどうすればいいの!?」
脅威となりうるアザトースをここで討つか。
はたまた恐怖に怯える1人の少女を救うか。
リュカの背にまたがるペテルは、迷わなかった。
「あの子を助けよパメラ!これ以上この戦いで犠牲を出してはならん!いけぇ!!」
「りょーかいなの!リュカ君!!」
「ピィィィィィィ!!」
パメラの指示を受けたリュカはうねる土の嵐を避けるように飛び、振り回されるアリアの身体を鷲掴みにする。
「……っ」
荒れ狂う土の波の中で、アザトースの身体が土の中へと飲み込まれていく。
アザトースと……もう1人。いるな、魔人が。
けれど、奴もこれ以上の戦闘は望まないのか。アザトースの身体が見えなくなると同時に土の隆起は沈み、夜の森は再び静寂を取り戻した。