シナツの過去6【自分の意志で】
彼女に連れられて、シナツはエルフの里へとやってきた。
ユグドラシルの木の根元から木の階段が伸びており、上へ上へとシナツ達を連れて行く。
先程の広大な森も、もう見下ろすほどの高さまで上がってきた。改めて妖精樹【ユグドラシル】の圧倒的さを痛感させられる。
そのまま進んでいくと、やがてユグドラシルの枝の上に集落があることに気がついた。
枝の上に木で作られた足場とエルフ達の居住する家が立ち並んでいる。
「まるで、ツリーハウスだな」
「ツリーハウス?」
南の亜国フェラルドで見た木の上に作られた家。
エルフ達の里はそこで見た家の様相にそっくりだった。
「あぁ。南の亜国に行った時にここと似た造りの建物を見たんだよ」
「まぁ。シナツ様は外の世界をよくご存知なのですね」
「傭兵で世界のあちこちに飛ばされてきたからな」
エルフ達から晒される奇異の目に居心地の悪さを感じながらシナツは無愛想に答える。
「そうなのですね。いつか私も外の世界がどのようになっているのか見てみたいものですわ」
「……悪いこたぁ言わねぇ。やめときな」
どこかはしゃいだようなエリーへシナツは無常に告げる。
どうやらこのエリーというエルフ、世間を知らない無知な箱入り娘のようだ。
「この世界なんざ、争いばっかだぜ。世界のどこに行ったとしても、所詮戦争や紛争。この閉ざされた森の奥深くでそんなもんに関わらず生きて行く方が千倍幸せだ」
傭兵として、世界中を見て回ってきた。
だが、所詮どこも同じ。争いに争いを重ねた残酷な世界しか広がっていなかった。
平和なんてもんは夢物語。
だったら、夢は夢のまま美しいままでいればいい。
人は争いの中でしか生きて行くことはできないのだ。
「どうしてそのような悲しいことを言うのです?」
「しゃーねぇだろ。事実なんだから。俺は世界中を実際に見て回ってきたんだ。だから……」
「でしたら、平和な世界を作ればいいではないですか」
「……あ?」
エリーは名案と言わんばかりに得意げに告げる。
「それに、全ての世界が戦乱とは限らないではないですか。本当にこの世の全てを見てきたわけではないのでしょう?」
「はっ。そりゃあ確かにそうだけどな。だがあの永久中立宣言を出してる聖国家シンセレスですら他の国とドンパチやってんだ。無理なんだよ。生き物が争うのはもう定め。さがってやつなのさ」
「それでも、私は平和な世界がいいですわ」
現実の厳しさを伝えられてなお、エリーはそんな生ぬるいことを言っている。
やれやれ。世間知らずとは全く怖い……いや、それを通り越して哀れだとシナツは思った。
「さぁ。ようこそシナツ様。ここが長老の間ですわ」
やがて、一際大きな建物の前でエリーは立ち止まる。
ユグドラシルの枝枝の間に収まるように建てられたそれがシナツの目には家というよりはまるで神殿のように見えた。
エリーの後に続き建物の中に入って行くと、中はまるで教会のようになっており、多くのエルフ達が警戒した様子でシナツを睨んでいる。
そしてその1番奥では1人の髭を生やした老人が椅子に座ってシナツを待っていた。
「ようこそいらしたな……人の子の戦士よ」
シワがれたか細いながらも威厳に満ちた荘厳としたよう声で目の前の老人は告げる。
「守人のスカーハ婆さんに頼まれてここに来た。あんたらの力になってくれってな」
頭をガシガシとかきながらシナツはぶっきらぼうに告げる。
「貴様!長老様になんて態度を……」
「鎮まれオーウェンよ」
「し…しかし……」
見ると、声を上げたのはどうやら先程シナツに攻撃を仕掛けてきた若いエルフのようだ。
長老の言葉にオーウェンは不服そうな顔をしつつも黙り込み、恨みがましくシナツに鋭い視線を向けてくる。
「ふむ……確かに今我々はイーリスト国のとある勢力からの圧力を受けておる」
顎髭をさすりながら長老は言葉を続ける。
「イーリスト国の副騎士団長レイオスの一派だな?」
「そうだ。流石守人の手の者……よく調べておるな」
そう言いながらも特に驚いた様子もなく長老は淡々と答えた。
「守人の手の者なら信用するに値する……しかし……」
「あん?」
エルフの長老は吟味するような無遠慮な視線でシナツを見回す。
こいつ、一体何のつもりだ?
何かを考えるように沈黙した後、長老はやがて重い口を開いた。
「……この里を守るかどうか、それはお主が決めるのじゃ」
「は?どういう意味だそりゃ?」
まさかの言葉にシナツは唖然とする。
俺が決める?どういうことだ?
「お主……心が空虚じゃ。ここ来たのも我々を守ることも本心ではないのだろう?だからどうするかはお主が決めるのだ。我々はお主の判断に委ねよう」
「な……!?おい、そりゃねぇだろ。俺は傭兵なんだから俺を使うかどうかに俺の意思は関係ねぇ。あんたらが……」
「傭兵のルールなど、我々エルフには関係ない。ここはエルフの里。エルフのルールに従ってもらおう」
目の前の長老はそう言ってシナツの出方を伺う。
「だ、だったら俺はここで任務を果たす。傭兵だから……」
「だからそれはお主の本心ではなかろう?【傭兵】としてのお主ではなく、【お主自身】の意志で決めるのじゃ」
「ぐ……」
くそ……これは面倒なことになった。
ここでエルフを守ることを拒否すれば、それは任務の放棄と同じ。断るということはできない。
だが、シナツの本心は見透かされている。
正直こんな面倒ごとから解放されるというのであれば、とっととトンズラしたい。
それでも傭兵としてあの婆さんに突きつけられた条件は、『エルフ達が拒否した場合』のみ。
任務を受けると言っても向こうがそれをよしとしない。
つまり、シナツに残されたのは傭兵としての矜持を捨てスカーハ婆さんに負けを認めてここから去るか、はたまたこの爺さんに俺のことを認めさせてここにとどまるかのどちらかということになる。
くそ、俺が決める……?なんだそりゃ?
一体こいつは俺に何を求めてやがる?
そんなシナツの心を察してか、長老はまた口を開く。
「……すぐに答えを出さずとも良い。だからしばらくこの里で過ごしてみるといい。このエルフの里のことを知り、皆と心を交わし、それでお主の心の内をもう一度問おう。皆の者も、それでよいな?」
長老はそう言って辺りに控えるエルフ達に目配せする。
「ちょ、ちょっと待ってください!まさかその人間を里に置くというのですか!?冗談でしょう!?」
「人間ですぞ!?」
ザワザワと他のエルフ達がざわめき始める。そうだ、その調子で不満をぶつけて俺を追い出して……。
「まぁ。私は歓迎しますわ。外の世界のことなど、たくさんお話ししたいですもの!」
「エリー様ぁあ!?」
「てめぇ……」
ところが、エルフ達の大多数は反感の意を表しているというのに、このエリーという女はとても肯定的にシナツのことを受け止めているらしい。
流石は世間知らず。馬鹿だ。
「俺も賛成じゃあ!!」
シナツがどんどん悪くなっていく状況に頭を悩ませていると、突然扉がバコンと激しく開かれ、うるさい声が響き渡る。
見ると、先程ノしたはずの巨漢エルフのイーサンが豪快に笑いながらズカズカとシナツの元へと歩み寄ってくる。
「こいつと戦った俺からも頼む!こやつはひねくれておるが悪いやつではない!どうか皆も受け入れてやってはくれんかの!?」
シナツの肩をビシバシと叩きながらイーサンは告げる。
痛え。骨が折れんだろが。
「黙れ野蛮人!お前なんぞの意見なんざ誰も求めてねぇ!」
「引っ込んでやがれ!!」
「やかましいんじゃボゲェ!」
イーサンと他のエルフ達が激しく言い争い、もう一触即発の空気になってきた。
さて……どうしたものか。
「……いいじゃないか」
そんな混乱の中に一石を投じる1つの声が響く。
見ると、天井から深くフードを被った長身のエルフが飛び降りてきた。
エリーと同じ淡い水色の髪と深緑色の瞳。
2本の双剣を腰に携えたその男はスタスタとシナツの元へと歩み寄ってくる。
こいつ……強い。
その男が発する空気、オーラだけで分かる。
この男、ここにいるどのエルフよりも強い。そのマナも、そしてその肉体も。ありとあらゆる戦場を切り抜けてきたシナツの直感がそう告げていた。
「僕はこの男の戦いを見た。オーウェンもイーサンも殺ろうと思えば簡単にやれたはずだ。そしてエリーのことも。だけど、そいつはそうしなかった。少なくとも今彼は僕らと敵対する意思は無いらしい。そういう事でいいんだね?イーサン」
「おぅ!よく分からんがそういう事じゃ!」
「おい、いいのかそれで」
黙って状況を観察していたシナツもたまらず声をあげてしまう。
「だが、必ずしも疑いが晴れたわけじゃない。だから彼の監視は僕がやろう。それで皆も文句は無いはず…そうだろう?」
そう言って長身のエルフは辺りのエルフに目配せをする。
「…………」
彼の言葉に誰も反論を返さず、ただ沈黙だけ返ってきた。
「……決定だ」
そう言って長身のエルフはシナツに向き合うと手を差し出して告げる。
「初めまして人の子よ。僕の名はルーカス。君の名を聞かせてくれないか?」
「俺はヒコノ・シナツ。世話んなんぜ」
シナツもルーカスに手を差し出しながら固い握手をかわすのだった。