フィンの過去6
そんな暖かく穏やかな日々が続き、フィンが10歳になったある日の夜。
「フィン。明日シュタールへと発つぞ」
みんなで夕食を終えた後、自室にやってきた父アルファディウスは突然フィンにそんなことを言った。
「シュタールって、確かこの国の首都だったか?」
藁を敷いただけのベッドの上でフィンは頭を傾げる。
「あぁ。そうだ」
大きな頭を縦に振りながらアルファディウスは頷く。
フィンは生まれてこの方一度も街に行ったことなどなかったし、別に行きたいとも思わなかった。
父も街になど行かせるなんてことこれまで1度たりともなかったのだが、どうして突然そんなことを言い出したのかという疑問が頭をよぎる。
「10歳になった私の子ども達は皆、一度王に謁見する決まりとなっている。そして、我らにはこのウルガルド国を守る役目がある。その為に知っておかねばならんことも、たくさんあるからな。それ故に一度私とシュタールへと向かおうと思う」
「でも、とーちゃんのデカさじゃ目立つだろ」
山のように巨大な黒龍が街に現れようものならとんでもない騒ぎになることはフィンにもよく分かる。
「安心しろ。私はとある錬金術師からもらった【魔法道具】で人の姿に我が身を変えることができる」
「へぇ……すんげーな」
こんな巨大な父を人と同じ姿に変えるなんて……その道具を作った奴は凄いやつだと素直に感心してしまう。
「兄者ー……」
「ん?ゼリルダか?」
すると、ふとフィンの部屋の前に小さな影……と言っても背丈はもうフィンよりも大きくなっているのだが。ゼリルダが立っていた。
「お、おぉ……!どうした、ゼリルダ?こんな夜遅くに」
何故か罰が悪そうな顔をしながらアルファディウスは言葉を濁す。
「父上こそ……こんな遅くに兄者の部屋で何をしてるんだ?」
眠そうに目を擦りながらゼリルダはフィンの隣までフラフラと歩み寄ってくる。
「街に…行くのか……?いいなぁ……羨ましい、兄者」
月明かりをその美しいまでの黒い鱗で反射させながらゼリルダはそんなことを言う。
そんなゼリルダを見て、ふとフィンは口にした。
「……なぁ、とーちゃん。だったらゼリルダも一緒につれて」
「ならん!!!!」
夜の静寂を引き裂くように、アルファディウスは叫んだ。
「ひっ。……ち、父上?」
その声に驚いたようにゼリルダは飛び上がった。
「あ……いや、その……すまん」
ハッとした顔でアルファディウスは目を逸らす。
「……よしよし、ゼリルダ。気にすんな。にーちゃんがついてるから。ゆっくり休め」
フィンは怯えた様子のゼリルダの頭をポンポンとなでる。
「む……むにゅ……」
すると、ゼリルダは座るフィンの膝を枕にして横になり、そっと穏やかな寝息を立て始めた。
「…………分かった。とりあえず、オイラ行くよ」
ゼリルダが完全に眠りに落ちたことを確認したフィンは父にそう告げる。
「あ…あぁ。それはよかった……」
アルファディウスは気まずそうな顔で2人を見下ろす。
「……よく、来るのか?ゼリルダはお前のところに」
「よくどころか、毎日こーやって来るぞ」
「本当に、お兄ちゃんっ子に育ったものだな」
アルファディウスの声で怯えていたはずの彼女も、もうすでにフィンの膝の上で安心したような顔で眠っているようだ。
「……昔、とーちゃんが言ってたこと……今ならよく分かる」
最愛の妹を見つめながらフィンは告げる。
「オイラの……力がある意味が何なのか。オイラはただ、ゼリルダの……他の兄妹達みんなが幸せに暮らしてほしい。その為になら何だってする」
「………………」
「そいつがオイラの力の意味。家族を守ることがオイラの全てだ。だから……」
グッ……と、自身の拳を握りながらフィンは自身の決意を語る。
「オイラ……ヴルガルド国の王になんぞなりたくない」
「な……」
フィンの言葉にアルファディウスは絶句する。
「馬鹿を言うな。お前は王の素質を持って生まれてきた。それこそ私よりもすぐれた素質がある!龍の王として、この国の長に……」
「鱗の色なんか、ただの飾りだろ?それに、オイラが王になったらゼリルダはどうなるんだ?」
「……っ、それは」
父を見上げるフィンのつぶらな瞳がアルファディウスの心を撃つ。
「まさか……聞いていたのか?」
「うん、聞いた。黒い鱗を持つ奴らがどんな運命を背負ったか」
月が雲に隠れて部屋が暗闇に支配され、暗い部屋がさらに暗くなっていく。
「オイラが王になったら……ゼリルダは一生山の中で孤独に生きていくことになる。別にゼリルダがそれを望むのならオイラは構わん。でも、ゼリルダは明るくて、人懐っこい性格だから……それはきっと苦痛になる」
山の中でのんびりと暮らしていたいフィンと違って、ゼリルダは色々なことに興味津々だった。
そんな彼女が街に行きたいと言うのはこれが初めてじゃない。これまでも、何度も街に行きたいと口にしていたことがある。
黒の鱗は王の証。
王は2人もいらぬ。だから1人は身を隠して隠居せねばならない。
そんな下らない理由の為にゼリルダに山の中で暮らすことを強要するだなんて……そんな、残酷なことさせたくなかった。
「しかし……これは世界とこの国のために必要なこと……」
「世界と国のためにゼリルダを犠牲にするもんか。オイラにとって1番は兄妹ととーちゃんとアベル……それだけだ」
世界のためなんてどうでもいい。膝の上のこの温もりを守るためにフィンは生きていきたい。
「どーしても王にならなきゃならんなら、ゼリルダが王になればいい。オイラは別に山の奥でひっそり暮らす生活で構わんからな」
イッヒッヒと父を見上げて笑いかけるフィン。
「…………そうか」
そんな小さな息子がアルファディウスにはとても大きく見えた。
「私は……できればお前に王になって欲しかった。お前にはその素質がある。だがお前がそう言うのなら……無理にとは言わん」
「……ありがとな。とーちゃん」
父の言葉にフィンは少し胸が痛かった。
きっと、父はフィンに王になってほしい。その気持ちが痛いほど伝わってくる。だが、父はフィンの想いを無下にはしなかった。
「だが、街へは行こう。お前がどういう道を選ぼうとも、いずれ必要になるかもしれんことを伝えておかねばならん。お前の鱗を隠しておけば大丈夫だろう」
「……分かった」
父の言葉にフィンは少し間を置いて答えた。
月が再び雲から顔を出して、フィンとゼリルダのことを映した。
そんな2人をアルファディウスは月の影から見つめながら思う。
この小さな身体の中に眠る懐の大きさは、私など無様に見えてしまう。
あぁ、トレイス。君もそうだったな、私よりも小さいくせに、その背中はとても大きくて頼もしいものだった。
私は、王の器じゃない。本当は君が生き残るべきだった。
ほら、またこんなことを考えてしまう。なんと私の心が矮小なことか。
何百、何千と繰り返してきた自問自答にアルファディウスはため息をつく。
そうだ、私が1番分かっている。王になる者は黒い鱗で決まるのではないと。だからこそ、私はフィン、お前に王に……。
「……どした?とーちゃん」
「……なんでもないさ」
息子の問いに、消え入るような声でアルファディウスは呟いた。




