3人の失踪、或る女との邂逅
前作に引き続き、今作もどうぞよろしくお願いします!
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ジャックローズ
カクテルの一種。アップルブランデーと柑橘系の果汁をブレンドして作られる。
ヨーロピアンはこれを好む。地中海を思わせる香りに、彼らの血が望郷の念を抱くからだろうか。
「…ィオ! …リ…ィオ!!… …行っちまうぞリヴィオ!!」
丈の短いスカートを履いたフラッパーをぼんやり眺めていると、サムが焦った表情で覗き込んで来た。
「女のケツばっか見てるんじゃねぇよ。アンナを見失っちまうじゃねぇか!さっさとつけ「分かってるよサム」
サムの言葉を打ち消す様に被せて言う。
先週の火曜日、サムが妹のアンナにボーイフレンドが出来たと報告を受けて今日に至るまで、こいつはずっとこの調子でそわそわしている。
妹と件のボーイフレンドがこの【アーカム・ナイト・クラブ】のジャズバンドを鑑賞しに行くと聞いたサムは、俺と一緒に男の化けの皮を剥がしてくれたら一杯奢ると持ちかけて来た。
「…あいつら席を立ったぞ!あの野郎きっと暗がりに連れ込むつもりだ!」
「OK Leader落ち着け、大声出すと目立つぞ」
そう言って残しておいたジャックローズを飲み干し、レモンの果肉を口の中で弄ぶ。アップルブランデーと柑橘系の甘酸っぱい香りがアルコールと共に鼻を抜ける。どうにもこの感覚が自分は好きだった。
この店のカクテルが好きだから、大声を出して目立ったり、店員に目をつけられたくない。こんなご時世だ、気兼ねなく酒を飲める顔なじみの店とは仲良くしておきたいのだ。
バーテンダーにチップと迷惑料を含めた多めの紙幣を渡し静かに席を立つ。側から見たら怪しい男二人組にしか見えないだろうが、頭の中が妹一色のサムには関係なかった。
アンナと男はコートとハットをドアマンから受け取り、夜の涼しげな空気にエスコートされて店を出る。それに少し間を空けて俺たちも後を追う。
クラブから出てすぐにある大きな交差点に、二人は信号待ちをしていた。
クラブやカフェ、百貨店、街の有力者達の住む屋敷がある東側。労働者とミスカトニック大学の学生が主に住むアパートメントや、ビルや企業の倉庫などが乱立する西側。この東西を分ける境界がこのクラブだ。
クラブ前の交差点を歩く二人。その二人を抜かしたり、避けたりしながら人々も歩く。全てが万事他人事という顔をした彼らは、先月起きた事件も、あくまで自分とは関係ないと考えていて、単なる晩酌の肴としか捉えていないのだ。
つい先月、ミスカトニック大学の医学部から、奇病を患ったジャン・ドゥが失踪した。
失踪する際に生徒と教員数名を殺し、貴重な蔵書を持ち去ったと言う。市警に指名手配されているこの人物は、随分とゴシップにまみれたものだった。
1,周囲の人にこの奇病は感染する。
2,感染した者は短期間で両肩から頭二つ分ほどの瘤が出来る。
3,最後は瘤が破裂して死に至るが、稀に生き残る者もいるらしい。その後瘤がどうなるのかは不明。
4.「ジョン・ドゥ」はもちろん仮名だが、彼の本当の名を知る者も記録も既に存在しないが、背格好はひょろ長の極度の猫背、顔色が悪いヨーロピアンであるとの大学関係者の証言がある。
5.彼の失踪の理由は非人道的な研究によるものである。
と、上げ連ねればキリがない。
インスマスの奇形や風土病の噂のお陰で、この手の話にはあまり動じない市民であったが、実際に人死にも出している人物への関心は、数日間はこの前当選した新市長の話題よりかは高かった。
サムとアンナの生家は東側なので、反対を進む二人の中に、アンナを素直に家まで送って解散する。という選択肢は無いらしい。
「あの野郎、やっぱり体が目当てだ!自分のアパートに連れ込むつもりか?」
「まだそうと決まったわけじゃ無いだろ、少しぶらつくだけかもしれないし」
興奮と酔いで顔が真っ赤なサムを窘めながら後をつける。二人は寄り添いながら学生向けの商店街を進み、店やビルの合間を縫って奥まった生活路を抜けて行く。
どうにも男女が夜に好んで使う道とは思えない。俺はそれに違和感を持ちつつ、サムには悪いが、これから何処へ向かって何をしでかすのか興味が湧いて来た。
だってそうだろ?サムが暴走してアンナにビンタされるのもいい、男が単純にいいやつで、サムが感涙するのもいい、暗がりでイチャつき出して、サムが殴りかかるのもいい。今話題のトーキーの様な物を間近で見せてくれるなら大歓迎だ。
そうこうしているうちに、月明かりがビルやアパートの合間から覗くくらいの暗がりで二人は抱き合った。どうやら二人は後者を選んだ様だ。この場所は、俺たちの様に誰かを尾行しないと滅多に人の来ない場所なのだろう。
周りを警戒もせず、濃厚なキスを交わす二人。それを見ていたサムは怒髪天を衝いた。すぐさま男とアンナを引き剥がそうとして…
男の顔が大きく膨れ上がると、アンナの顔を飲み込んだ。
口が大きく開いたとかでは無い。男の顔が突如、何か黒い物に変わりながらアンナの顔を包み込み、一気に顔全体を飲み込んだのだ。
男に近づいていたサムはアンナの血を頭から浴びる。アンナは男との逢引に心と胸を高鳴らせていたんだろう。勢い良く首から血を撒き散らしていた。
「ひっ…ひぃぃっ…!なっ何なんだおまえ…!何やってるんだよ!」
何が起こったのか理解の範疇を超えたサムは腰を抜かし、後ろにつまづきながら譫言の様に繰り返す。そして、それに反応した男はゆっくりとこちらを振り返る。
その男は返り血を浴びて真っ赤に染まったセットアップを着て、黒色のポークパイハットを被っていた。血で真っ赤に染めていなければ、さぞ小洒落た着こなしだった筈だ。そして男の顔に目を向けた時、この世のものとは思えないモノを見た。
その男は子供が戯れに描いた絵の様に、顔のパーツがバラバラに配置されていた。
黒いキャンパスに好き勝手に散りばめた目、目の横ある縦に裂けた口からは、理解不能で冒涜的な言葉が止め処なく吐き出されている。歯は黒いキャンパスから無造作に突き出ており、ゆっくりであるが、キャンパスの上を動き回っている。
キャンパスが沸騰した泥の様にコポコポと表面を揺らすと、新たに蒼い目が増えた。他のパーツも順次生えてくる。ふっくらとした唇、小さな耳、すっと通った鼻。アンナのパーツがキャンパスに浮き上がって来た。
「あぁああ、あぁぁぁぁいぃ、あぁ……」
唸る様な声を漏らしながら男はサムに近づく。
「やめろ……来るな……やめてくれっ…!」
サムはそう呟くと同時に地面に押し付けられて、男に飲み込まれた。
ーーーずり。
親友とその妹の顔を飲み込んだそいつは両手に二人の体を持ち、引き摺りながらこちらに歩いてくる。前傾姿勢のためキャンパスは見れない。
ーーずり。
逃げようと動かした足がもつれて転ぶ。ヤバい。このままだと本当にヤバい。俺が終わってしまう。足を動かそうにも恐怖と混乱で上手く体がコントロール出来ない。
ーずり。
落ちた蝉の様にもがいてやっとの事で後ずさる。そして引きずる音が背後に迫る。
ずり。
思い切って振り返ると、三人は笑いながら俺を見つめていた。
徐々に暗くなる視界。狂気の渦に吸い込まれる様に意識が落ちて逝く。自分が終わる瞬間に一つの瞳が俺を見つめているのを感じて…
「今度の行方不明者は若者三人か…うち二人は男性で、精肉店店主とクラブのトランペッター。一人はミスカトニック大学の女学生。店主の男性と女性は血縁関係…」
「この子近所でも評判の別嬪さんだったそうですよ、もったいないですねぇ先輩」
「やかましい。さっさと誤字直して入稿の準備しろ」
思わず漏れた独り言に後輩のミアがおどけて返す。
今年で36歳。仕事一筋で生きた来たため、5年前に別れてから女ひでりが続く私をからかって来たのだろう。
アーカム・Stジャーナルに勤めてから20年。ここ最近の我が町はどうにも慌ただしい。
多くの大衆は気にしてないだろうが、古くからこの町に住んでいる老人などは、怖がって家に籠っている。
この行方不明者にしてもそうだ。今月に入ってから既に10件目。次期を考えると先月末話題になったジャン・ドゥも無関係とは思えない。
この町を覆う噂の数々。タールの様に黒く、粘性を持ってゆっくりと足元に忍び寄ってくる様な感覚を覚えて-
「編集長!お客様がお見えです。会議室にお願いします!」
目頭を軽くもんで立ち上がる。全部迷信、嘘っぱちだ。自分の様な人間が噂に踊らされてどうする。
コーヒーを啜りながら打ち合わせ室にむかう。
「身なりは良いですが、ちょっと不気味というか…とにかく例の三人の情報を持ってきたから編集長に合わせろの一点張りなんです」
「分かった。まぁ一応聞いてみて、満足してもらったらお帰り願うよ。私はコーヒー持ってるし…君もわざわざお茶を出しに来なくてもいい」
事務員は安堵の表情を浮かべて私を見送る。会議室のドアを開けると、腕を組んだ女がこちらを見る。美人だ。結婚を諦めて久しい私の胸さえ高鳴る様な美人だ。
彼女は立ち上がって握手を求める。薄緑色のアンサンブルを着ている。華美過ぎず、かといって保守的過ぎる事もない。ニヤリと笑った彼女に良く似合っていた。しかしその笑い顔を見ていると、どうにも気味が悪い。完成され過ぎている様な、人々が思う「綺麗」を詰め込んだ様な…
「初めまして、レディ。私をお呼びと聞いてきましたが、何か情報をお持ちという事で、是非ともお聞かせ願いたく」
「せっかちじゃあないか編集長。これでもそれなりの見てくれだと自負があるんだけれど、もうちょっと褒めてくれてもバチは当たらないよ?」
「…既に言われ慣れてうんざりしているかと」
「いやいや、女ってのはどんなに褒められたって足りないのさ!まぁ堅物で有名な編集長だからね、そこら辺は期待して無かったし本題に入ろう」
彼女を椅子に座らせてからその向かい側に私も腰掛ける。
「さて、例の三人について、まずあの三人もう助からないよ。その前に失踪した十数人も同じだ。助からない。そして犯人はミスカトニックで凶行に及んだ例の男だ」
「噂話をしに来たのか?レディ、噂好きの良く口にする話ではないですか」
この手の話、もう何回も我々は聞いてきた。そして最後にこう言うのだ、情報を渡したんだから金を払えと。
「それがね、噂話はほぼ合っているんだ。犯行の動機やどの様にして犯行を重ねているのか、連れ去った人々は何処へ行ったのか、詳しい部分は多種多様だけどね。まぁそもそも被害者は厳密には死んでいない。もう元には戻らないが死んではいないんだ」
女がニヤつきながら語り掛ける。風向きが変わるのを感じた。それと同じくして会社の外で悲鳴が上がる。スリか何かか?
「おっと、もう始まったか。 編集長、今日ここには手を組みに来た、と言う方が正しいんだ。窓の外でこれから起こることを見たまえ。それを見て正気を保ち、協力してくれるならばこの事件や、この町の噂話の真実の一端を教えよう」
私は立ち上がり、窓から外を見てみる。自然と見下ろす形で眼下の様子を知ることが出来た。
一人の男を先頭に、足をひきづる様にして人々が追従している。
合計で三十人ほどだろうか、我が物顔で道路を歩いている彼らは、パッと見では何処かの労働者組合のようだが、追従する彼らにその頭は無かった。
先頭の男も顔に当たる部分がどうもおかしい。最初はボサボサの髪がその顔を隠していると思ったがそうではなく、黒く不定形の様なものが脈動する様に男の顔である場所に居座っているのだ。
思わず倒れる様に後ずさると、女に肩を支えられた。耳元で女は囁く。
「目を反らせてくれるなよ、編集長。人々の噂話以上の醜悪な存在から」
彼女は手を離し、窓の外を覗き込む。
「編集長、私はキミに協力を申し込みに来た。眼下の事態だけでなく、様々な噂話の深層を暴きたくはないかい?そちらが望むならどんな些細な事でも教えよう。私はキミを買っているんだ」
こちらを見もせずにそう言った彼女は集団を嘲笑う。
清々しい月曜日の朝、腹の立つほど良い天気模様の中でビル街に響くクラクションと悲鳴をBGMに、私は彼女と手を組む事にした。
前作共々読んで下さり、本当にありがとうございます。
話の終わり方にスッキリしないとの声を頂いたので、ちょっと早いですが、連載でしっかりと書き込んで行きたいと思います。
その時は皆様、どうぞよしなに。