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ノナビアス・サーガ  作者: 谷兼天慈
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プロローグ「地球─テラ─」第8話

 丁度シュラインの命が消えた頃、ノンたちの泊まっているホテルでも騒ぎが勃発していた。逃げ惑う異星から集まったエスパーたち。阿鼻叫喚の坩堝。そんな中、ノンとシグマも抱き合いながらホテルから脱出しようとしていた。

「あっ…!」

 大きな揺り返しが来たとたん、ノンの身体がシグマの腕から離れてしまった。そこへ天井が崩れ落ちてこようとした。

「危ないっ!」

 シグマはノンの身体を突き飛ばした。ドォォォン──という大音響が起こり、土煙に消えてしまうシグマ。

「シグマァァァ───!」

 絶叫するノン。慌てて駆け寄り、愛する者の姿を見つけようとする。その彼女の目に、瓦礫の塊の下敷きになったシグマの姿が飛びこむ。

「シグマ!」

 傍らに跪き叫ぶ。

「………う……」

 その声に彼は目をうっすらと開けた。

「よか…った……無事だった……」

「ダメっ! 口をきかないでっ!」

 ノンは彼の身体の上に乗っている瓦礫を狂ったようにどけ始めた。大きなものもあったが、彼女は難なくどけていく。

 そして、やっと胸の上から大きな塊をどけたとたん、はっとして目を見張った。

「あ……ああ……こんな…ひどい……」

 あまりにひどい傷に、彼女は嗚咽した。

「う…ううう……」

 彼の傷ついた胸から血がとめどなく流れていた。ノンは、その傷ついた彼の胸を両手でふさぎながら何とか血を止めようとする。

「ごめんなさい、ごめんなさい……私たちのせいだわ。私のせいだわ……こんな、こんなことに……ああ、シグマ、死なないで……お願い、また私を一人にしないで………」

 彼女はまたしても記憶が混乱しているらしい。だが、自分がおかしなことを言っていることもまったく気づいていない。

「ノン……ノ……ン……」

 シグマはうっすらと目を開け、彼女に手を伸ばした。ノンは、その彼の手を血だらけの両手で握り締める。

「ここよ、私はここよ」

「ノン……愛してる。君と逢えて良かった。ノン……俺はもうダメだけど、何とか君はここから地球へ帰ってくれ。君の……君の力があれば地球へ帰ることくらいはできる…だろ……?」

 ノンは、彼の言葉を聞いているうちにポロポロと涙を流していた。

「ご…ごめんなさい。身体の傷を治すことくらいなら私にもできるけれど……けれど、それをすることは私には許されていない。あなたを…あなたを助けたいのに、助けるだけの力はあるのに……なのに、私には……」

「ノン……」

「シグマ……」

 シグマの右手がゆっくりと持ちあがり、ノンの涙に濡れる頬をやさしくなでた。彼は苦しそうにかぶりを振ると言った。

「大丈夫……きっと……必ずいつかまた逢えるさ。俺たちは運命の恋人同士……永遠に俺たちは愛し合う……俺の名を呼んでくれ……今の名でなくていい……俺の名を呼んでくれ……俺の声を、俺の顔を、俺の身体を……忘れないでくれ……」

「ええ、ええ……忘れないわ。きっといつかまた巡り逢える。そのときこそ、私を離さないでね。きっとつかまえてね。心も身体もすべて……ああ、愛しているわ、あなた。いつまでも愛しているわ。私たちが常盤の彼方に迎えられるまで……いえ、迎えられた後もずっと………シグマ……?」

「………………」

 ノンの頬をなでていたシグマの右手がパタリと落ちた。

「シグマ……」

 彼の顔は安らかだった。血や埃で汚れていたが、なんて綺麗な顔だろうとノンは思った。

「シグマ…シグマ……愛しい人……いつかまた………」

 彼女は揺れ動くその場で、いつまでも愛する人の亡骸の傍に座り続けていた。



「ノン!」

 どれくらい経っただろうか。恐らくそれほどの時間は経っていなかったはずだ。いつまでも呆けたように座り続けるノンの元に、トミーがやってきた。

 彼女の部屋はノンの隣であったが、大きな揺れが来た時に何もかもがめちゃくちゃになり、瓦礫の山などが邪魔になってトミーはノンの元へ辿り着くのにずいぶんと時間がかかったのだ。だが、彼女の傍らにはダークはいなかった。

「ノン! 大丈夫っ?」

 いまだに座り込むノンの身体を、トミーは乱暴に揺さぶった。

「……トミー?」

 やっと焦点が合い、ノンはトミーに視線を向けた。

「トミー……シグマが死んじゃった……」

「……かわいそうなノン……」

 トミーは痛ましそうに、視線をシグマの亡骸に向けた。それから、やさしくノンの身体を抱きしめた。微かに震えるノンの身体。トミーはそっと目を閉じた。

「ダークは?」

「え?」

 突然ノンが呟いたので、トミーは目を開けた。

「ダークはどうしたの?」

 意外にしっかりとした声だった。トミーは少し安心したが、悲しげな目を向け言った。

「行かない方がいいって言ったんだけど、どうしてもお父様が心配だからとこの惨状の中を出ていってしまったわ」

「……ユーフラテスが泣いている……」

 ノンは、ぼーっとした表情で更に呟く。

「ユーフラテスが破壊されようとしている……わかる? トミー」

「ええ、ええ……わかるわ。すべての分子が、原子が……惑星を形作っているものたちが……悲鳴を上げているのを感じる……もうまもなくユーフラテスは宇宙の藻屑と成り果ててしまう………」

「トミー……」

「……?」

 ノンの声は落ちついていた。それは、トミーに非常な不安を与えた。こんな声をする彼女はあまりなかった。絶望、諦観───恐ろしいまでの虚無を感じさせる声───

「トミー……私はここに残る……だから、あなたは地球に戻って」

「!」

 トミーは驚いた。

 そ、それは───トミーは首を激しく振る。

「だめよ、ノン。そんなことしたら……あなたは……」

「ユーフラテスだけでも助けたいの!」

「………」

 悲痛な声だった。胸にズシリとくる声だった。トミーは、それ以上何も言えなくなってしまった。

「彼の愛した星───ユーフラテスを壊してしまうわけにはいかない。私たちがここに来なければこんなことにはならなかった。お父様もそれはきっとお許しになるはずだわ───私の生命力でこの星を助けることができれば、シグマの死も無駄ではなくなる……」

「だけど、私たちは自ら死を選ぶことはできないわよ。あなたが死んでしまったら……」

「死なないわ」

「!」

 トミーは驚いてノンの顔を見つめた。

 ノンは静かに答える。彼女の顔には、微笑みさえ浮かんでいた。

「死ぬつもりはないわ。ここで死を選んでしまったら、私は未来永劫愛する人に逢えなくなってしまう……死ぬもんですか、絶対に」

 ギラリと目が輝いた。その目にはっきりと青い炎が浮かび、心なしか黒い髪にもキラキラと黄金めいた色が浮かんだ。

 そして、彼女はトミーの手を両手で握り、目を覗きこんだ。

「私の半身を地球に持ち帰って」

「…………」

「どういうことかわかるでしょ?」

 トミーはこくりと頷いた。唇が震えてくるのを感じた。彼女は怖くてたまらなかったのだ。

「長い間私は、私として目覚めないかもしれない。だけどもこうするしかない。私の魂を半分、トミー、あなたに託すわ。地球に辿り着き、私を託せる人間を探して、そして───」

「わかったわ……あなたがそこまで決心しているのなら、私はもう何も言わない」

 トミーはやさしくノンの言葉を遮った。

「時間がない。ノン、いくわよ」

「ええ……」

 ノンは傍らのシグマに視線を走らせた。

 眠るように静かに横たわるシグマ。血だらけだった顔もノンがきれいに拭き取り、今にも目を開けそうなくらい穏やかな死に顔をしていた。

 ノンは愛しい恋人の顔をじっと見つめ、それからさっと目をそらし、トミーに向き直った。

「やってちょうだい」

 トミーは目を閉じたノンの頭を己の両手で挟み込んだ。丁度ボールを両手で持つようなかっこうである。そうしておいて、自分も目を閉じた。

 しばらくは何事も起きなかった。

 すると、だんだんとトミーの眉間が苦しげに寄せられてきだした。と、次の瞬間、彼女はカッと目を開けた。

「ノン、行くわね」

「…………」

 ノンは、ゆっくりと目を開けた。

 だが、開けきらぬうちに、トミーはその場から忽然と消えた。

「…………」

 ノンはノロノロ動くと、傍らのシグマの身体を抱え込み、膝に頭を乗せると手で顔をなで始めた。

「シグマ……いつか再び逢いましょうね……」

 その声はあまりに微かで、たとえ傍に誰かがいたとしても聞こえなかったかもしれない。だが、彼女は呟き続ける。

「その頃の私はこの私自身ではないけれど──そして、あなたもシグマとしてではないし、たぶん、あなたはシグマとしての自我はなくなってることでしょうね。私は私として目覚めるだろうけれど、だけど私には関係ないことだわ。私たちにとって大事なことは、魂がひとつであるということ。たとえ何度転生を繰り返したとしてもあなたの魂を私が見間違えるはずはない。私は必ずあなたを探し出す。いえ、探さなくも私たちは必ず巡り逢えるのだわ」

 彼女が呟き続けている間、微かな変化が見え始めていた。

 膝にシグマを乗せ、やさしくやさしくその顔を触りながら、ノンの身体が変化しようとしていた。

 最初は彼女の身体から、何かキラキラとした金粉のようなものが浮かび始め、それがハラハラと辺りに漂い出したのだ。それはとても幻想的な眺めだった。



 その頃、トミーは宇宙空間に飛び出していた。

 かつて、ノンが地球から飛び出し、ダークの宇宙船に追いついたときのようだった。トミーは一旦ユーフラテスを一望できる空間に留まり、悲しげな目を砂漠と化してしまった地表に向ける。

「トレーシア」

「!」

 トミーは吃驚して振り返った。

「スメイル!」

 そこには美しい悪魔が漂っていた。星々を身にまとい、神々しい姿をさらして、宇宙空間に漂っている。トミーは苦悩に顔を歪めて呟いた。

「あなたという人は……」

「地球に帰るのだろう? 帰ってもよいぞ」

「?」

 トミーは目を見張った。

 スメイルは、なぜか穏やかな表情をしていたのだ。

「おまえとこうやってさしで話をしたことはなかったな、トレーシア」

「お姉さま……」

 スメイルは声も穏やかだった。

 トミーは完全に安心したわけではなかったが、緊張がほぐれて行くのを感じた。スメイルは続ける。

「ノナビアスは残ったようだな。まあ、だが、どうせおまえが地球に魂を持ち帰るのだろう。それくらいは見逃してやろうぞ」

「お姉さま……どうして、こんな悲しいことを繰り返すのですか? 私たちが何をしたというのです? お願いですから、私たちと手を取り合って世界を守っていきませんか?」

「おまえには、わからぬだろうな……」

 ふっと、スメイルの表情が苦悶に歪んだ。

「ノナビアスはあまりに母や私に似すぎていて憎さが倍増するが、おまえは……おまえはあまりにも……似て……その髪の色も気性も……あの方に……」

「お姉さま……?」

「とにかく……もうゆけ。早く行かぬと、我の気持ち、変わるやもしれぬぞ」

「…………」

 トミーはグッと唇を噛むと、その場からスッと消え去った。後にはスメイルだけが残り、砂漠の惑星を無表情に眺めていた。

 すると、一瞬彼女の姿が黒い髪、黒い瞳のミューズに変わり───

「シュライン……さようなら……ミューズは心からあなたを愛していたわ……でも、スメイルは……スメイルは違う人を熱烈に愛していたの。ミューズの心でいられたらどんなに幸せだったか……だけど、ミューズはスメイルに勝てなかった………」

 と、次の瞬間、再び金の髪とブルーの瞳のスメイルに戻り───

「勝てるわけがない。私は未来永劫スメイルのままだ。私の魂から新しい魂など生まれるはずがない。私だけではない。神々の誰も己の魂から新しい魂など生み出せるものはいないさ。絶対にな」

 だが、彼女は知らない───これより遙か未来、気の遠くなる未来に、己の魂から強い魂を生み出したい、新たな魂で、新たな人生を歩みたいと強く強く願い、それを実現した者が出てこようとは───

 だが、それはまた別の物語だ。スメイルにさえもそれは予測できることではなかった。

「……………」

 無表情に向けていた視線を惑星からそらすと、スメイルはもうこのような惑星には興味などないといわんばかりにゆっくりとユーフラテスに背を向けた。

 そして、ゆっくりその身体を移動させ始めた。

 彼女の背後で、砂漠の惑星が徐々に黄金色の光に包まれようとしていたのを、恐らく彼女は気づいていたのだろうが、それさえもすでに彼女の関心を引くものではなかったようだった。



 スメイルがユーフラテスから離れようとしていたまさにその頃。

 惑星のいたるところで金粉が舞い、当の源ではすでにノンの姿が黄金の型を成すだけで、すでにそれがノンであったことすらわからない状態にまで変化していた。と同時に、彼女の膝に乗せられていたシグマの亡骸もその輝きに包まれ、ひとつの光と成りおおせていた。

 だが、もうすでに誰も聞く者はいないこの場所で、ノンの呟きだけは永遠に続くかと思われるように囁かれ続けていた。



 愛する人よ

 砂漠の星で結ばれた


 見つめあい愛し合い

 私たちは結ばれた


 私の瞳に映るあなた

 あなたの瞳に映る私


 一瞬の愛でも

 それは永遠に続く


 これより永劫

 何度も私たちは愛し合うでしょう

 そして

 何度も別れるでしょう


 けれど

 それでもいつか

 私たちは常盤の彼方で

 永久に生き続ける


 その日を迎えるまで

 私は幾人もの人たちと情事を重ね

 あなたに辿り着く


 愛する人よ

 私は砂漠の夜を忘れない

 どこまでも吹きすさぶ

 風の音を忘れない


 愛する人よ───




 光───光───光の渦だった。

 たとえば、誰かが宇宙空間からユーフラテスを見た者がいたら、惑星がまるで太陽のように燃え盛っているのを目撃しただろう。だが、それは炎が燃え盛るというものではなく、金粉がまるで火山のマグマが噴火しているように、宇宙空間に向かって舞い踊っているのを目撃するに違いない。まるで光の乱舞のように。

 その現象は、それから永きに渡って続けられることとなる。それは、この宙域の名物となり、永い間この近域を渡ってくる宇宙船に乗る人々の目を和ませた。

 中にはノンの囁く声が聞こえる者もいて『黄金の星のセイレーン』という物語まで生まれることとなった。

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