プロローグ「地球─テラ─」第7話
その前の晩───
タレス総統が殺された夜のこと。ノンとシグマは彼女の部屋で仲睦まじく語り合っていた。
「俺はいつも異邦人のような気持ちを抱いていた」
「異邦人……」
温かいぬくもりを肌に感じながら、ノンはシグマの言葉を聞いていた。
二人はあれから高まる気持ちを押さえ切れず、戸惑いながらも互いを激しく求め合った。
(いつのことだろう───)
彼女は、もっとも原始的な欲望に取りこまれながらデジャヴュを感じていた。
いつのことだろう──これと似たようなことがあったような──いや、それともこれから同じような経験をするのか───それも同じ顔、同じ瞳、同じ声の人と再び愛し合う───世界が終わりを告げる時まで交わり合い、世界が終わりを遂げてしまっても、心を通わせ合い、一粒の輝く黄金の種を次の世に残す───そんな気がする。
彼女はシグマの逞しく浅黒い裸の胸にそっとしがみついた。
そんな彼女の様子など、まったく気づかないまま、シグマは更に喋った。
「この風貌を見ればわかるだろう」
シグマは髪をもてあそぶ。
「俺の髪は黒い。俺の瞳は黒い。だが、この星の住民のほとんどが銀色で赤い。同じ血が流れているダークでさえも。父でさえも黒ではなく金色だ。だから、俺は父が本当の親ではないんじゃないかと思い続けてきたんだ」
「…………」
ノンは何も言わない。
うっすらと目を開けたまま、愛しい人の胸にしがみついているばかりだ。
その、シグマと同じ色をした瞳からでは、彼女がいったい何を考えているのかはわからない。だが、少し顔を上げ、ポツリと呟くように彼女は聞いた。
「逢いたい?」
「え?」
「お母さんに逢いたい?」
「…………」
シグマは、自分の顔をじっと見つめる恋人を見つめ返した。
「ああ。逢えるものなら逢いたいよ。でも、父さんの話だと死んだそうだから、逢いたくても逢えないんだ。だから…」
彼は顔を歪めた。父とのやり取りを思い出したのか、抑え切れない怒りがその表情には見られた。押し出すように言葉を続ける。
「だから…どんな人だったのか、それだけでも教えてほしかったのに……」
「シグマ……」
と、その時───ノンの顔に緊張した表情が浮かび、その柔らかな身体が強張った。目が急に険しくなり、瞳の奥が微かに青く燃える。
「ノン…?」
シグマは彼女の変化を敏感に感じ取った。心配そうに名前を呼び、ギュッと身体を抱きしめると、彼女の身体がふるふると震えているのに気づく。
「ノン!」
「………シグマ……」
ノンは一層彼の胸に顔を隠し、まるで庇護を求める子供のようにしがみついた。
「ああ…あの人が来た……遅かった……こうなる前に…ここを出発しなけりゃならなかったのに……また…また……おしまいだわ………」
意味不明の言葉を次々と吐き出すノン。
それを不安な目で見つめるシグマ。
彼は、いいようのない不穏な空気を感じていた。
「トミー?」
同じ頃、ダークは自分の目の前に座る、黒髪の女神の異変に気づき声をかけた。
「…………」
突然ガタガタと震え出したトミーであった。顔は真っ青で、凍りついたような視線をダークに向けていたが、しかし、彼女はまったく彼を見ていないようだった。
「トミー!」
ダークは慌てて立ち上がり、トミーの傍に駆けつけた。両腕で自分の肩を抱き震えているトミーを引き寄せる。すると、か細い声で呟くトミー。
「また……」
「トミー?」
「また…恐ろしいことが…起きる……あの人……が……」
「トミー!」
ギュッと目を瞑ってしまった彼女を、ダークは力強く抱きしめた。
(どうしたというんだ…?)
彼の心に広がる何ともいえない不安な気持ち。ブラックホールさえも消滅させるほどの力を持つ彼女が、これほど恐れるものとはいったい───
ダークは、幼い子供のように震えるばかりのトミーの身体をいつまでも抱きしめていた。
彼女たちは、朝が来るまで震え続けていた。
その異変が惑星に現れるまで、まるでヘビに睨まれた蛙のように動けず、震えているばかりであった。
そして───シュラインが、総統が殺されたと連絡を受け、防衛宇宙局本部へと急いでいるとき、その異変の兆候が現れた。
───ゴ、ゴゴゴゴォォォォ……
大地が揺れている。
「う……なんだ? これは……」
シュラインが本部に入ってしばらくした頃、かなりひどい地震がきた。歩こうとするが、なかなか足元がおぼつかず、立っているのがやっとだ。
「長官!」
そこへ、一人の科学者らしき風体の男がヨロヨロしながらやってきた。
「大変です、長官。ダライウスが……ダライウスが……」
「ダライウスがどうしたというのだ!」
シュラインは、多少なりとも地震が沈静化したので、へたり込む男の傍に慌てて駆け寄り怒鳴った。科学者らしきその男は、今にも泣きそうな顔を上げた。
「ど、どうやら総統を手にかけたのはダライウスらしいのです」
「なんだとっ! やはり……」
それを聞いたシュラインは、今すぐにでもダライウスを捕まえようと身構える。だが、男はそれどころではないと言った感じで言葉を続けた。
「申し訳ありません!」
「?」
いきなり土下座をしたその男に、シュラインは訝しそうな目を向けた。
話を聞くと、彼を含めた数名の科学者たちは、ダライウスに弱みを握られて【惑星破壊装置】を作らされていたのだという。
「どうしようもなかったんです。作らねば殺すと言われ、仕方なく……」
「そうだったのか……」
だが、男は重大な事実を告げた。
「実は……ダライウスが、その破壊装置を動かしてしまったらしいのです」
「何だと?」
シュラインは吠えた。
再び、土下座する科学者。
「あれはっ、あれは……惑星を恐ろしいほど短期間で原子レベルまで還元してしまいます。一旦動かしてしまえばそれを止めるすべはありません」
「…………」
シュラインの顔が真っ青になる。
「で…では、今の地震は……」
「そうです。シュラインが装置を始動させてしまったので、惑星が還元されようとしています。その最初の兆候が地震として現れたのでしょう。ユーフラテスはもうおしまいです……」
もう遅かった。
どうあがいてもユーフラテスの還元活動を止めることはできない。人々には逃げる時間は残されていなかった。
「……………」
シュラインはどうしようもない倦怠感が、身体全体を支配しているのを感じていた。
(それも仕方のないことかもしれない……)
彼はそう思った。
ダライウスもユーフラテスの人間。どのみちこの惑星はブラックホールに飲みこまれ死んで行くはずだった。それが我々の運命だったのかもしれない。だが───
(彼女たちは違う)
シュラインは、ノンやトミーたち異星のエスパーたちのことを思い出した。
彼らは、我々が助かるためにとここに連れてきた者たちだ。彼らだけでもここから脱出させなくては───
シュラインは急いだ。
きっとまだ間に合う。異星人たちをスペースシップに乗せ、今すぐここから逃がすのだ。
と、急いで走り出したとたん───
───ゴォォォォォォ───!!!
今までにないほどの地鳴りがしたと思った次の瞬間、大地が大きく大きく、かつてないほど大きく揺れた。
そして、宇宙局本部は、割れた大地の中へと没して行く。科学者もシュラインもまだ中にいるというのに。
(ダーク、シグマ……)
崩れ行く建物の中で、父シュラインは呟いていた。
(すまない……シグマ……おまえにもっと話してやればよかったな……こんなことになるのなら……だが、いつも後悔先に立たずだ。私は後悔してばかりの一生だった気がする……)
その彼の上に天井が崩れ落ちてきた。頭を直撃され、だんだんと意識が無くなっていく。だが、その間に彼は思い出していた。比類なき愛しい人の姿を───
「!」
彼は吃驚した。
ミューズが目の前にいたのだ。
「ミューズ……」
手を伸ばす。
髪をなびかせ、微笑むミューズ。秀でた額は滑らかで、長く伸ばした髪は輝くほどの黄金で───?
(黄金?)
薄れ行く意識の中、彼は訝しく思った。
ミューズは漆黒の髪だったはず。目の前にいるこの女は誰だ?
ミューズと同じ顔をした、この黄金の髪の女は───
「シュライン───」
ああ……声まで同じだ。ならば、やはりミューズなのか?
自分を置いて行ってしまった愛する女なのか?
シュラインは目を閉じた。
彼女はある時忽然と姿を消した。どこに行ってしまったのか、誰にもわからなかった。
「裏切られたと思った……」
「裏切ったわけではない……」
「!」
ミューズの声に目を開けるシュライン。
「私は記憶を失っていた。そして、ある時急に記憶を取り戻したのだ」
「だったらなぜ、黙って行ってしまった!」
シュラインは憤りもあらわにそう言った。
「私はお前など愛していないからだよ」
「なんだって?」
「私は……スメイル……」
ミューズ───いや、スメイルは酷薄なブルーアイを輝かせ、黄金色の髪を揺らしながら中空に浮かんだ。まるでシュラインを蔑むように。
「私は美と憎悪の女神スメイル───この宇宙に存在するものすべてを未来永劫憎み続ける者。記憶を無くしたときの私と今の私は別人だ。もうお前の愛したミューズという女はどこにもいない」
そして、ミューズと同じ顔をしたスメイルは、恐怖を感じずにはいられないほどの冷たい微笑を浮かべた。
「私たちが過ごしたあの短かった日々は……いったい何だったのだ……」
シュラインは、うわごとのように呟いた。もう、ほとんど意識はなかったかもしれない。だが、そんな彼に最後のとどめをさしたのは───
「ミューズなどという女は最初から存在しなかったのだ。お前と過ごした女はただの幻。タレスは私がダライウスに殺させた。人間が死ぬところを見るのはほんに楽しいよのう」
「おまえが……」
一瞬シュラインの目がギラリと光った。憤りの光だ。
「なん…という…ことを……お前は私との間に生まれた息子たちも殺すつもりなのか……?」
「息子? ああ、そんなこともあったな。フン、汚らわしい。私が人間との間に子供を産むとは……いくら記憶を無くしていたからとはいえ、最大の汚点であるわ」
「………」
シュラインは、身体中から力が抜けるのを感じていた。
自分はもう死ぬ───それなのに、最後の最後に大切な思い出さえ振り返ることも許されないのか。
彼は目を閉じた。
(ダーク、シグマ……お前たちを助けてやることもできぬまま、私はもうすぐ死ぬ……)
シグマに、せめて昔の母の思い出だけでも教えてやればよかった、本当に教えてやればよかった───無念に思いつつ、とうとうシュラインの生命の火が消えた。